ヒロインになりたくなかった女となりたかった女
初めての短編なので至らぬ点があるかもしれませんがそれでもよろしければどうぞ読んでやってください。
唐突に書きたくなった乙女ゲーム系ネタです。
これと言って特徴もなく、誰の視線を止めることもない。そんな平凡な女、それが私。
ぼんやりと義務教育期間を過し、高校を卒業してからすぐに就職した。
何の変哲も無い、ただただ平凡な女の、平凡な人生だ。
だが、特に不満に思った事はない。そりゃあ幼い頃は御伽噺のお姫様に憧れたものだが、それはそれ、私は私。きちんと弁えている。
そんな私が乙女ゲームに手を出したのはいつの頃だっただろうか。
簡単に言えばカッコイイ男の子と恋をするゲーム…かな。
幾つかプレイしていたが、私がハマったゲームはとてつもなくマイナーな作品だった。
今から7年以上前に出た作品で、特に凄い声優が出ているわけでもなく、やりこみ要素があるわけでもなく、然程話題にはならなかった。
それでも私は好きだった。絵も綺麗だったし、ストーリーも好きだったし、声だって皆良い声だった。
そして何よりヒロインが可愛かったのだ。
そう、私が乙女ゲームにハマっている理由はイケメンと自分が恋愛したいわけじゃなく、可愛いヒロインを動かしてイケメンをデレッデレにしてやりたいという願望からだ。
何度もプレイしては「どうだイケメン共、このヒロイン可愛いだろうそうだろう」と呟いていた。
正直あの頃の自分はとても気持ちが悪かった。客観的に見て。…いや客観的に見なくても気持ち悪いか。
で、そんなヒロインが、今鏡の中に居る。
画面の中ではなく、鏡の中に居る。鏡の前に立ったのは私だったはずなのだけど。
同じような日々を同じように繰り返していた。
同じ時間に起きて、同じ時間に仕事して、同じ時間に食べて、同じ時間に眠る。
相変わらずの平凡な日々。ふとときめきが足りないな、そう思った私は一番のお気に入りだった乙女ゲームを起動したんだ。
久しぶりにやりたいな、と思った程度で深い意味は無い。
久しぶりと言っても定期的にやっているのでどのキャラクターのシナリオもほぼ覚えていると言っても過言ではない。
誰のシナリオにしようかな、なんて考えながら「はじめから」を選択した――…
そこまでは覚えている。そこまでは覚えているんだ。
何故、いつの間に、私は知らない人の部屋で鏡を見るなんて状況に陥った?
しかし嫌な予感がする。
私が今立っている部屋を見渡すと、どうも見覚えがある。
そして今鏡に映っている顔、そうあの乙女ゲームのヒロインの部屋だ。
きっと夢を見ているんだ、そう思ってみても、目の前にあるもの全てがあまりにもリアルで。
それから何時間立ち尽くしていたのだろう、ポケットの中の携帯が震えている事に気付き、私は我に返った。
携帯を手に取ると、そこには知らない番号が表示されている。特に何も考えず、通話ボタンを押した。
「ようこそ、こちらの世界へ。」
どうやらこの状況は異世界トリップというらしい。
その『異世界』というのは私が好きだった乙女ゲームの世界で。
何かそんな小説読んだ事あるなぁ。私が読んだのは夢小説とやらだったっけ。
さっきの電話の主はゲームに出てくる登場人物だった。ヒロインに色々と情報をくれる便利な脇役なんだけど。
その子に電話で呼び出され、今私は自宅近所の公園に居る。脇役な彼女と一緒に。
「私達を助けられるのはあなたしか居ないのよ!」
と、力説している彼女。
彼女の説明はこうだ。
現在この世界には存続の危機が訪れているという。
理由ははっきりと解らないが、イレギュラーな存在がこの世界に紛れ込んだ、と彼女は言っていた。
今までなら、ヒロインが攻略対象キャラクターと結ばれて平然と日常が過ぎていっていたらしいのだが、そのイレギュラーによってそれが崩れた、と。
ちょっと良く解らない。何か色々と解らない。
「『今まで』って何?」
「そこまで話してしまうと、貴女は元の世界に戻れなくなるわ。」
「じゃあ聞かない。やめてよ怖い事言うの。元の世界に戻れる方法あるの?じゃあ戻るわよ。」
その後彼女から聞けたのは、今は高校二年生になる直前の三月末だということ、イレギュラーとは同じクラスになるということ、本来のヒロインは遠い昔に消えてしまっているということ、そこが『今まで』と違うということ。
ヒロインが消えてしまっているのなら、私の存在もイレギュラーと言えばイレギュラーなんじゃなかろうかという疑問はスルーされた。
「貴女は貴女が選んだ攻略対象キャラクターとハッピーエンドを迎えるだけで良いの。」
「凄い嫌なんだけど。」
要するに目の前に居る脇役ポジションの彼女は私に攻略対象キャラクターの中の誰かと付き合えと言っているわけで。
私はヒロインを『動かして』イケメンを弄ぶのが好きなだけであって、私自身が彼等と恋愛したいわけじゃないんだよ。『動かす』ことは得意でも『動く』ことは出来ないんだよ。
と、その辺を熱弁したところでそれもまた完全にスルーされたわけだけど。
滞りなく私が誰かとハッピーエンドを迎えれば、この世界は通常通り平和に過ぎていくし、私は元の世界に戻れるらしい。
何故私なのかと問えば、イレギュラーに対抗し得る情報を持っているのが私だったからだそうだ。
やりこみ過ぎて全シナリオ覚えたりするんじゃなかった…。私は初めて後悔した。
攻略対象キャラクターは全部で七名。
後輩が二人、同級生が二人、先輩が二人、教師が一人。
ゲーム内の難易度で言えば同級生その1が一番簡単で、教師が一番難しい。他は大体同じくらいだったはず。
一番簡単な同級生その1でとりあえずクリアまで頑張るか…でも同級生その1って、兄弟になるのよねぇ。義理だけど。
今が三月末だから、恐らく今日か明日にはヒロインの母から再婚すると告げられるのだろう。そして新たな父の連れ子、それが同級生その1の正体だ。
同じ家に住むことになるわ同じクラスだわで愛情度がずば抜けて上がりやすい。上がりやす過ぎて他のキャラを攻略する時邪魔になるような奴だ。プレイヤーからは邪魔シス(邪魔なシスコンの略ね)という異名を頂く程度には邪魔だった。
「私達の世界が崩壊してしまわないように、…お願い。」
脇役ポジションの彼女は、そう言って私に革表紙の日記帳をくれた。ゲーム内のアイテムであり、セーブする時に必要な日記帳だ。
中を見ると、各攻略対象キャラクターの名前やその他軽い設定が書いてある。彼等と遭遇すれば、愛情度のメーターが自動的に表示されるようになるそうだ。あぁゲームの世界って感じね。まぁ、そこはかとなくリアルなんだけど。
それから数週間が過ぎた。
あの日の内に邪魔シスと遭遇し、現在私は転校生として学校に入り込んでいる。
ただ、他の攻略対象キャラクターとは全く遭遇出来ていない。本来ならもう全員と会っていてもおかしくないというのに。
何故攻略対象キャラクターと遭遇出来ていないのか、それは単純に邪魔が入っているから。邪魔シス以外の邪魔が。
そう、イレギュラーちゃんだ。イレギュラーちゃんはそれはもう美少女だった。いや今の私だってそりゃあ美少女よ。だって乙女ゲームの本来のヒロインなんですもの。中身さえ私じゃなければ、と言ったところか。
イレギュラーちゃんは初めて私の名を聞いた時、物凄く驚いたリアクションを見せてくれた。
そしてその後すぐに本来は私がやるはずの、所謂出会いイベントを悉く先回りして終わらせていた。
彼女の手により終わらされたイベントは二度と起きないようだ。
「イレギュラーちゃんの目的は、逆ハーレムなんじゃないかなぁ。あと本来のヒロイン消したのはイレギュラーちゃんじゃない?」
校舎四階の奥の方にある誰も近寄らない空き教室で、私は脇役ちゃんと情報交換をしている。
「逆ハーレム…」
「まだ解んないけど、可能性はあるよ。邪魔シス以外の全員と出会いイベント済ませてるもん。邪魔シスは愛情度上がりやすいから今後追い上げていけば良いわけだし。」
こうなってくると逆ハーレムを目論むイレギュラーちゃんの隙をついて他の男との愛情度を上げろという難題だ。邪魔シスは今後しっかりマークされるのだろう。
いっそのこと攻略対象キャラクターを連れて別の学校に転校でもしてしまえば良いんじゃないだろうか、と提案してみたが、それでは即この世界の崩壊ということになるらしい。メンドクサーイ。
そんな時、脇役ちゃんは私の日記帳に触れた。仕様を変えてみる、とのこと。
開いてみて、と言われたので日記帳を開くと、中には私の愛情度メーターとは別のメーターが出現していた。
どうやらイレギュラーちゃんと攻略対象キャラクターとの愛情度らしい。
見たところやはり難易度の高い教師は上がっていない。邪魔シスも今のところ私が優勢で、他で手薄なのは先輩その1のようだ。
「その三人を重点的に狙おう。私も協力するわ!」
そんな脇役ちゃんの言葉に、私は溜め息を噛み殺した。不本意で仕方無いもの。私自身が『動かなければならない』ということが。脇役ちゃんとポジションチェンジしたい。
イレギュラーちゃんが駆け出すのを見た。視線の先には後輩達が居る。ということは今なら先輩その1が手薄だろう。私はとりあえずイレギュラーちゃんとは逆方向に走り出した。
「いてぇな!」
…なんとタイミングの悪いことか、走り出した先で素行のよろしくない先輩とぶつかった。当然モブなわけだが、どう対処したものかと考えていると私とモブの間に誰かが入ってきた。
流石は乙女ゲームの世界だな、と思う。
だって、ヒロインを助けるべくそこにやってきたヒーローは先輩その1だったのだから。超好都合。
彼が適当にあしらうと、モブは逃げるようにその場から去っていく。
出会いイベントは出来なかったが、これはきっとチャンスなのだろう。私は自らの顔面にヒロイン用の仮面を取り付けた。今後、彼等と接する時はこの仮面をずっと付けていなければならない。
そう、だって私はヒロインなのだから。
「先輩、助けてくださってありがとうございました。」
私は深々と頭を下げる。彼は礼儀正しい女性が好みだったから。
「大丈夫だった?」
と微笑んでくれる先輩は、ゲームの中の人物そのもので、うっかりときめいてしまった。…いやうっかりってわけでもないのか。良いのか。元の世界に戻るためには、ここで素直にときめいて、そのまま彼と付き合えば良いのよ。頑張りなさい私。
それから数週間、先輩と邪魔シスだけは私が優勢な状態が続いている。
他の攻略対象キャラクターとも遭遇は出来たので、愛情度メーターが動き出した。全てイレギュラーちゃんが優勢だけどね。あぁ、教師だけはあまり大差無いかな。流石は高難易度。
イレギュラーちゃんからの妨害を防ぐため、私は彼女の目に触れる場所で先輩に接触していない。邪魔シスの場合も家で起きるイベント以外は手を付けていない。
試しにイレギュラーちゃんの視界に入っている中で後輩キャラと接触してみたところ、翌日には後輩キャラとイレギュラーちゃんの愛情度メーターがぐんと上がっていた。もう妨害してますって言ってるようなもんだろ。
それを見て決めた、私は先輩一本に絞ろうと。嫌いじゃないしね先輩のこと。厄介なイベントもあるが…我慢だな。
『今日一緒にお昼ご飯食べませんか?屋上庭園でお待ちしています。』
先輩にメールを送ると、すぐに『了解』という短い返信が来た。
それを確認してから脇役ちゃんにお昼の予定をメールで送信。この後起こるはずのイベント対処を手伝ってもらうためだ。
昼休みになるとすぐに教室から抜け出す。イレギュラーちゃんに見付かったら後々面倒だろうし。
屋上庭園のベンチに腰掛けると、とても爽やかな風が私の頬を撫でる。この程度の風なら寒くないだろう。
「待った?」
「先輩!来てくれたんですねっ!」
精一杯明るい声、明るい笑顔で対応する。もちろんヒロイン用仮面は装着済みであり彼好みの女性を演じているんだけどね。女は女優よ…。記憶の中から先輩の好きな話題をチョイスして、ベストな選択肢を一つとして間違えることなく並べていった。先輩の機嫌は良さそうだ。
"楽しい"食事も終り、先輩は名残惜しそうにその場から去っていく。次の授業の準備だそうだ。悪くない反応に、私は安堵した。
先輩の姿が見えなくなったところで、ぞろぞろと女子生徒達が連なって私の元へ歩いてくる。
そうそう、こっちが本来のイベントなのよね。先輩のファンによる嫌がらせ。乙女ゲーム王道のイベントよねぇ。彼に無断で近付くなんて、とかそんなありがちな理由で水をぶっ掛けられるイベントだ。
屋上庭園だからね、庭園に水を撒くためのホースがあるのですよ。私は口ごたえする事無く、ファン達に水を掛けられた。ホースで頭のみを狙うという高等技術。見事ですねファンの皆さん。練習したんでしょうか?
びしょびしょになった私はその場で何も言わず俯く、と。恐らく誰の目にも不自然には映らなかったはずだ。
私が俯いたままで居ると、彼女達はなんだかんだと暴言を吐いて屋上庭園から出た。声も足音も聞こえなくなったところで顔を上げて髪をかき上げる。おかげさまでヒロインちゃんの綺麗な綺麗な黒髪が艶々よ。中身が私じゃなければなぁ。
「想定内だっての。」
そう呟いて、私は近くに隠れているであろう脇役ちゃんの姿を探した。
近くの茂みに隠れていた脇役ちゃんにタオルを貰い、その場でガシガシと頭を拭く。ドライヤーが欲しいところだがそこは我慢するしかないだろう。
「大丈夫?」
脇役ちゃんにそう問われたので、
「大丈夫。今日の気温が低くなくて助かった。」
そう答えた。
その日の夜、愛情度メーターを見ると不思議な現象が起きていた。
先輩との愛情度は普通に上がっていたので問題ないが、何故だかその日会っていないはずのキャラクターとの愛情度も上がっていたのだ。知らない間に何かしたんだろうか…しかしゲーム内ではそんな愛情度の上がり方なんて無かったはずだけど…解らない。
しかし下がったわけではないので一応保留ということにしておこう。そして明日脇役ちゃんに相談しよう。
ゲームの知識がありすぎると、こうやってゲームでは出てこなかった現象が起きた時に動揺してしまうな。気を付けなければ。イレギュラーちゃんが居ることによっての弊害はあらゆる場所に出てくるはずなんだから。
水ぶっかけイベントのフォローイベントの日。私は先輩に呼び出された。指定された場所は第三音楽室。第三音楽室と言えば普段生徒は使わない教室だ。確か音楽関連の物置状態だったはず。
それは良いのだが、ゲームでも使った事の無い教室だった。あぁ、イレギュラー怖い。
「…先輩?」
薄暗い第三音楽室のドアを開け、声を掛けてみる。
「おいで。」
中に先輩が居るようだ。カーテン開けるか電気点けるかしようよ、暗い。
電気のスイッチを探していると、「無駄だよ電気切れてるから」とのこと。
「えっと、先輩?」
「水を、掛けられたんだってね?」
あ、やっぱり水ぶっかけイベントのフォローイベントなわけか。ゲームではこんな場所じゃなかったはずだけど…
「な、何故知っているんですか?」
「友人にね、聞いたんだよ。」
友人に聞いた?ゲームだったら噂を聞いたとかだったよね…待て、待とう、落ち着かなきゃ。動揺しちゃダメだ。
「あ、あれは、でもっ、」
貼り付けたはずの仮面が崩れ落ちそうになっている事には気付いていた。でも、解らない、解らない、私こんなの知らないどうしよう!
「何で、俺に言ってくれなかったの?」
薄暗い教室の中、先輩がじりじりとこちらに近付いてくる。本来のイベントでは謝られて、今度彼女達に仕返ししておく、と言われて…ただそれだけの軽いイベントだったはずなのに。
何故、私は先輩に抱きしめられているのだろうか………え!?抱きしめられてるんだけど!何これ!?
「せ、せんぱっ、」
ぐえ、と出そうになった声を必死で我慢した。先輩苦しいよー私潰れますよー!
「ねぇ、もしね、もし俺が君以外の子を好きになりそうだって言ったら、どうする?」
私以外の子を?好きになりそう?イレギュラーちゃんのことだろうか…やだ、な。
こんなに温かい先輩が、イレギュラーちゃんのところに行ってしまうなんて、寂し…いや、ほら、そうなってくるとこの世界が崩壊しちゃうじゃん。ダメダメ!
「え、えっと、そ、あ、」
何を言うのが正しいのか解らなくてただただ口を開いて先輩を見上げると、先輩は目を丸くした。
「…ふ、ふふ、冗談だよ。困ったな、俺のシャツが皺になるよ。」
そう言って、先輩は笑い出した。何のことだろう?と首を傾げると、ほら、と私の手をぽんぽんと叩く。
先輩の視線の先では私が先輩の服の裾を握り締めていた。…うわーごめんなさーい!!
「君が俺の事、泣くほど好きだなんて、嬉しいな。」
ふふ、と笑う先輩。泣く?泣くほど?きょとんとしていると、先輩が私の目尻を拭った。
「な、泣いてません!」
泣いてるわけじゃないの!動揺で涙が出ちゃっただけ!
その後、十分以上はそのまま抱きしめられていた。調子に乗った先輩は私の頬を撫でたり、髪を撫でたり、なんかもしゃもしゃされていた気がする。何か記憶がぽわぽわしてるんだけど。
私あんなイベント知らんぞ…あの先輩あんなに甘い先輩じゃなかった気がするんだけど…
あ、でもかっこよかったです。客観的に見たかった。なんで私がヒロインなんだ…
先輩とはこの第三音楽室を密会場所にしよう、と決めた。またファンに見付かったら面倒だからね、と。
私としてはイレギュラーちゃんに見付かっても困るので密会場所があると助かる。利害の一致、ということで了承した。
それから約二週間、これと言った問題も無いまま過ぎていった。相変わらずイレギュラーちゃんとの攻防戦は続いているが。
愛情度メーターも、あまり動きは無い。先輩は完全に私優勢、邪魔シスも私優勢、教師もいつの間にか若干私の方が優勢になっている。単純に私の方が成績が良いからだろう。
一つ気になるのは、何故か後輩その1からの愛情度がじわじわ上がってきていることだ。特に接触した記憶もないのに。水ぶっかけイベントの後からだったな、上がってきたの。
「これをどう思う?」
一人で考えてもどうしようも無いので脇役ちゃんに相談する。
すると彼女は良い情報をくれた。あの水ぶっかけシーンは後輩その1がどこからか見ていたらしい、とのこと。さらには先輩にそのシーンを教えたのは後輩その1だったそうだ。
なるほど…だからあの事件以降後輩からの愛情度が上がっ…なるほどじゃないわよ何でそこで上がるのよ。水に濡れた時に下着が透けたとかその手のうっかり系手違い?でも頭にしか掛からなかったしなぁ。
「下がってるわけじゃないから保留にしておこう。」
脇役ちゃんの一言で、その相談は終わった。確かに、下がるよりはマシと考えていた方が良い。
それよりもイレギュラーちゃんの動向だ。彼女は今現在、教師との愛情度を上げようと必死になっているように見える。あの人はソロで狙っても上がりにくいのだから、全員同時に上げるのは難しいだろうな。
「私ね、今後は先輩一本に絞ろうと思うの。」
と、脇役ちゃんに宣言すれば、
「言われなくても解ってる。ただあの子も最近少しそれに気付き始めてるかもしれない。」
とのこと。あの子とはイレギュラーちゃんのことであり、それとは私が先輩と仲良くなっていること。
私と他の攻略対象キャラクターとの接触が無いのを不審がっているのだそうだ。
先輩とは密会しているからな、無理もないか。邪魔シスあたりを囮に使うべきかもね、という結論に至って脇役ちゃんとの会議は終わった。
事件が起きたのはその次の日。
先輩との密会場所である第三音楽室に向かおうとしていたところ、視線を感じた。
当然イレギュラーちゃんだよね。私がどこに向かうのか、尾行しようとしているらしい。密会場所が見付かるのはどうしても避けたいので、先輩に『急用が出来た』という旨のメールを送る。
第三音楽室に向かうわけにはいかないので、くるりと踵を返し、図書室にでも行ってみようかと考えていた時、教師と遭遇した。
教師か…ここに現れてくれるなら教師じゃなく邪魔シスあたりがベストだったんだが…
ヒロイン用の仮面を貼り付け、私は教師と喋り始めた。
教師好みの話題、選択肢、全て問題無い。教師の反応も悪くない。ホッとして会話を終えると、教師はそのままその場から去っていく。
ふと周囲を確認すると、イレギュラーちゃんはまだ私を見ていた。そして、目が合った。
それがイレギュラーちゃんとの初めての接触だった。
「私がそのポジションに居るはずだったのに…。」
前にも言ったがイレギュラーちゃんは美少女である。その美少女から出てきたとは思えない地を這うような声が私の耳に侵入してくる。それが連れてきたのは恐怖か、それとも…
「何で居るのよ!折角私が貴女を消したのに、何で?私が居るんだから貴女はここには必要ないの!ねぇ、何で?何で好きでもない相手に笑顔振りまいてるの?最低ね、ぶりっ子!」
そこまで言われて我慢なんて出来るわけがない。彼女の声や言葉が連れてきたのは恐怖でもなんでもない、腹立たしさだけだ。ぶりっ子!て。ガキかっての。
「私だってこんな事好きでやってるわけじゃないわよ!」
全部全部、アンタのせいじゃない。アンタというイレギュラーがこの世界を狂わせたのがキッカケじゃない。何で私が責められなければならないのか、サッパリ解らない。
「な、なにを、」
「アンタが何したか知らないけど、アンタのせいで…まぁ良いわ。アンタの好きにすれば良いじゃない。私も好きにするわ。アンタなんかに負けないから。」
他の奴は譲ってやる。でも先輩は、先輩だけは譲らない。イレギュラーちゃんが逆ハーレム狙いだったとしても、私は負けない。
私の宣戦布告を聞いたイレギュラーちゃんは悔しそうに顔を歪めながらその場から走り去っていった。どうやら尾行はおしまいのようだ。それなら、まだそんなに時間経ってないし第三音楽室に向かってみよう、そう思った私はくるりと踵を返す。
すると、どこかでバタバタと人が走っていく足音がした。逆光もあって、誰だか解らなかったけど。
「せんぱーい…」
そっと教室のドアを開けると、相変わらず室内は薄暗い。カーテンの隙間から差し込む光りを頼りに室内を眺めてみると、教室の隅っこに蹲っている人影が見えた。先輩だ。
「先輩?」
近付いてみると、すーすーと規則正しい寝息が聞こえた。
うわーうわー先輩寝てるー可愛いー!先輩って言っても、私の中身はもう20代も半ば…年下なんだよねぇ。
本当の学生時代にこんな人が居たら良かったのに。
眠っている先輩の頬や鼻に触れてみるが全く起きる気配は無い。髪を撫でると、くすぐったそうに身を捩った。可愛すぎてたまらないわぁ…などと、ヒロインとは思えない発想で頭を一杯にしていたところ、急に視界が揺らいだ。
「せ、せんぱ…い?」
覆い被さっていらっしゃいますよね、先輩?ちょ、ちょっと落ち着こう。これはあれだぞ、こんな状況、ゲームには無いだろう?いやそもそも第三音楽室っていう場所自体ゲームには出て来ないけど、とりあえず落ち着こう?
「もう、君が可愛くて可愛くて仕方無いよ。」
クスクス笑ってるわけですけれども。どうしようどうしようどうしようこのゲームにこんなお色気イベント無かった!待て、落ち着け、私は実質この人より年上なんだ。こんなことで動揺してどうする!
「動揺、してるの?初めて会った時は、作り笑顔バッチリで俺好みの女の子を演じてくれていたのに、それはもうしてくれないの?」
…バレてたの!?私が完全に目を見開いていると、先輩は覆い被さると言うより圧し掛かって来ていた。ヤバい、先輩に潰される…そして密着度すげぇ…
ふと顔面が目の前に迫ってきていたので、危機を感じた私は顔を逸らした。だがしかし、逸らしたところで耳を食まれる。やめてくれ…私もう虫の息だよ先輩…
「君の仮面はもう、剥がれ落ちてしまったね。」
先輩の猛攻撃から逃れ、第三音楽室からふわふわとした足取りのまま教室へ戻る。
急いで日記帳を開いたら、先輩の愛情度メーターが物凄いことになっていた。メーター振り切ってる。突き抜けてる。さらにイレギュラーちゃん用のメーターは消えていた。
ということは、だ。これはもうイレギュラーちゃんに勝ったと言っても過言ではないだろう。
要するにこの世界の崩壊は止められたんだ。だから今すぐ元の世界に戻していただけないだろうか?
脇役ちゃんに尋ねてみると、答えは否だった。今無理矢理戻す事は出来ない、とのこと。
いや、帰らせてくれ、今すぐ帰らせてくれ、これ以上あの先輩と一緒に居ると何かダメになる!私、何かダメになるから!
『放課後、第三音楽室で待ってるよ。』
そんなメール受信したけど!
先輩!ゲーム内とキャラ違う気がする!
私は恐らく、ゲーム終了時まで先輩に怯え続ける日々が続くのだろう…。
だからヒロインになんかなりたくなかったんだ!
*****
余談だが私がイレギュラーちゃんと口論していたあの日、またも会っていないはずの後輩の愛情度メーターが上がっていた。
これは想像なのだが、あの時走り去った足音はこの後輩のものだったんじゃないだろうか。
そして、先輩に密告したんじゃないだろうか。
…まぁ、確認したところで先輩が恐ろしい事には変わりないので気付かなかったフリをするのだけど、ね。
誰一人として名前が無い。
どの連載も終わってないのに新連載書きたくなる病を押さえ込むための突発短編でした。
初短編で読みづらい内容だったかもしれませんが、ここまで読んでくださってありがとうございました。
いつかちゃんと皆に名前を与えて長編として書いてみようかなぁ。