1話
過激な性描写・暴力描写などはありませんが物語を進める上で少しですが軽く描写しています。不快に思う方はお気をつけください。
また私自身、そのような行為を肯定する気持ちは一切ありません。
あくまでもフィクションとして楽しんでいただけたら嬉しいです。
小谷千春は“自分”の通夜が行われている様子を少し離れた場所から眺めていた。
黒い喪服に身を包み、顔を俯かせ悲しげな表情を浮かべる参列者をみているとこっちまで悲しくなってくる。
小谷千春25歳。社会人3年目の新人OLは、帰宅途中に自宅近くに潜んでいた変質者に襲われ
絞殺されたあと強姦されるという悲惨な死に方を遂げた。
その残酷な事件はテレビのニュースなどで大きく取り上げられ、警察も犯人の捜索に力をいれているが
未だに手掛かりを掴めてはいない。
誰もが彼女の不幸に同情しその若すぎる死を悼んだ。
しかし。
驚くことにその事件の当事者であり被害者でもある彼女、小谷千春がまさに今、執り行われている
自分の通夜に出席しその様子を眺めているのである。
……幽霊となって。
(不思議な光景だなぁ…)
千春は通夜の様子をキョロキョロと見まわしたあと参列者に近づき一人ひとりの顔を覗きながら
部屋の中をウロウロと歩いた。もちろん誰一人彼女に気がつく者はいない。
(あ、部長も来てくれたんだ。ありがとうございます。)
悲しげな顔を浮かべている人物に見覚えがあり、千春はペコリと頭を下げた。
とても厳しい上司で失敗ばかりしてしまう千春はよく怒られていた。
生きていた頃はいつも大きな声で怒鳴りつけてくるこの上司が大嫌いだったがこうして千春の
通夜に来てくれて自分の死を悲しんでくれているところを見ると少し複雑な気持ちになった。
千春は上司の傍を離れ次に部屋の片隅で体を丸め小さく震えている人のそばへ足を進めた。
その人は鼻をすすり嗚咽を上げている。……千春の母だった。
これではまともに読経も聞こえていないだろう。
母は数珠を指先が白くなるまで握りしめ唇をかみしめながら声を殺し泣いていた。
(ごめんね、お母さん…)
千春は痛々しい母の背中をそっとさすった。もちろん母が気づく様子はない。
千春が生まれたときには父はいなかった。
母一人子一人で今まで暮らしてきたのだ。家に余裕などなかったがここまで育ててくれた母に
何も恩を返せないまま千春は死んでしまった。
(こんな親不孝者もいないよね…)
娘の結婚や孫の誕生…。きっと母は楽しみにしていたに違いない。
未だ泣き続ける母を慰めるようにもう一度ゆっくりと母の背中をなでた。
(……いない)
母から離れたあと、千春は室内をキョロキョロと見渡し、参列者の顔をもう一度覗いてまわるが
彼女の探している人物が見当たらなかった。
(来てくれなかったのかな…?)
少し不安になってしまう。
───氷山徹。千春は彼の姿を探していた。
大学の交流サークルで知り合い恋人として付き合うようになってから今年で5年目になる彼氏だった。
186㎝の長身に大学までラグビーをして鍛えられたその体躯、そして少し冷たさも窺えるその整った
風貌に行き交う者の目は自然と惹きつけられた。また、性格もクールで無口である。
まさに少女漫画から出てきたような青年であった。女性から好かれない筈がない。
そんな人物が千春の彼氏である。どこをとっても平凡である千春はいつも何故徹が一緒にいてくれるのかが
不思議でならなかった。
しかし恋人としての愛情を注いでくれる彼に自分が不思議に思う必要などないと考えこの5年間
二人の時間を過ごしてきたのだ。
(嫌われちゃったのかな…。喧嘩中だったし…)
千春は最後に徹と会った日のことを思い出し少し落ち込んだ。
付き合ってから初めてする喧嘩だった。自分ばかりが怒鳴っていた。もしかしたらそんな千春に彼は嫌気が
さしてしまったのかもしれない。
しかし徹はとても真面目な性格の人間でもあるのだ。仮に千春のことが嫌いになっていたとしてもそんな理由で恋人の通夜を欠席するようなことはしないだろう。
(遅れてくるのかな?)
千春はそんなことを思いながらその場にペタリと座り込み、彼が来るのを静かに待った。