クトゥルー奇譚① -衛星軌道にてー
初の投稿作品です。
自分では「初めてにしては上出来」だと思ってますが……。
お楽しみ頂けたら嬉しいです。
この鉄格子の付いた病院に収容されてどれだけの月日が過ぎたのだろう。
かつて栄光と名誉に満ちた宇宙飛行士として尊敬と憧れの視線を集めていた私――高山仁は現在、「精神に破綻を来たした」としてその方面の病院に収容されている。
あの忌まわしい、しかし栄光と希望に満ちたミッションを遂行したあの日を境に私の運命はねじ曲がってしまったのだ・・・・・・。
1990年4月。スペースシャトル「ディスカバリー号」によって人類初の宇宙望遠鏡「ハッブル」が打ち上げられた。しかしこの宇宙望遠鏡は予定通りの性能を発揮する事が出来なかった。打ち上げ後の調整に失敗し、主鏡が0.002mm歪み、分解能が予定の5%程度しか発揮されなかったのだ。これにより「宇宙の粗大ゴミ」とまで酷評されてしまうに至り、1993年12月、スペースシャトル「エンデバー」でコレを修復するサービスミッションが行われた。私はそれに参加していたのだ。船外活動要員として。そしてあの忌まわしい事件に遭遇したのだった。
忘れもしない1993年12月2日。私の初ミッションにして最後のミッション。あの銀色に輝く巨大な円筒をこの目にした時の感動を、今でもありありと想起する事が出来る。その後に続く恐怖の記憶さえも。
幼い頃から宇宙への憧れを抱き続けて来た私にとって、銀色の巨大な円筒型をした宇宙望遠鏡と、それに赤く書かれた「NASA」の4文字は憧れを超えて神聖なものと言えた。自分が纏っている白い船外活動服は天使の翼にも等しく思えたものだ。そして「天使の翼」を纏い神聖なる「宇宙望遠鏡」を修理する為に衛星軌道に単身向かい、船外活動を行う自分をどれだけ誇らしく思った事だろう。そしてそれを支えてくれるクルー達をどれだけ頼もしく、また誇りに思った事だろう。
エンデバーのエアロックから宇宙空間に踏み出し、「ハッブル宇宙望遠鏡」に向かって進む私に、船長のジムが指示を出す。
「ヒトシ、落ち着いて行け。訓練を思い出すんだ」
「大丈夫だ、ジム。冷静だよ。もうすぐ目標に接触する。さぁハッブル、イイ子にしててくれよ、すぐに直してやるからな」
ハッブルに辿り着いた私は、外壁のハッチを開けようと手をかけた。が、そこで思わぬアクシデントが発生した。ハッチが開かないのだ。打ち上げ時のGによるものなのか、或いは温度差によるものなのかは分からない。だがどうしても開かないのだ。これでは主鏡の歪みを補正する光学装置を取り付ける事など不可能だ。私は司令船に報告した。
「司令船、ハッチが開かない。どうやらハッチが歪んでしまっているようだ」
「ヒトシ、何度か繰り返し試してくれ」
「了解。・・・・・・ダメだ、どうしても開かない」
「分かった。ヘンリーを応援に送る。二人でやってみてくれ。それと、彼が到着するまでの間に他の個所も観察しておいてくれないか」
「了解。外周を観察してから鏡筒内部を観察する」
「了解。慎重にたのむ」
「了解。任せてくれ。それとヘンリーに出来るだけ急いでもらってくれ。地上に帰ったらお礼に美味いコーヒーをおごるからって」
「ハハ、分かった、伝えておく」
そんなやり取りのあと、外周部を見て回り鏡筒内部を覗いたその時だ。異様なモノを発見したのは。
「司令船、主鏡の所に何かがある。黒っぽい・・・・・・何だあれは? 生物? いやそんなバカな・・・・・・生物が居るワケが無い、ここは上空600kmの衛星軌道だぞ!? 」
「どうしたんだヒトシ! 落ち着け!いいか、まず深呼吸しろ。いいな? 宇宙空間でパニックになったらどうなるか、お前は良く分かってる筈だ」
「ああ分かってる、だがあれは・・・・・・いや、あいつは理解出来ない、どう見ても生物にしか思えない・・・・・・羽根がある、足・・・・・・いや、触手・・・・・・? の様な物もある。何なんだあれは!? 」
「こちら司令船。聞こえるか? ヒトシ。いや理解出来るか? 今ヘンリーがエアロックに入った。もうすぐそちらに向かう。彼が到着したら交代だ、戻って来い。お前は少し疲れてるんだ。休めばすぐに回復する。いいか? 帰って来て休むんだ」
「ああ、命令には従う・・・・・・何だあいつ、動き始めた。立ち上がって・・・・・・こっちに向かって来てる! 何だあの姿は。昆虫の様な・・・小さな円筒を抱えている・・・・・・」
「ヒトシ! 司令船だ。聞こえるな? きっとスペースデブリか何かが入り込んでいるだけだ! 今ヘンリーが船を出たところだ。もうすぐ其方へ到着する。それまでそこを離れるな。いいか?」
ヘンリーが出て来てくれたのは有難かったが、アニメーションのようにスイスイと移動出来るワケでは無い。周囲には何も支えてくれる物体が存在しないのだ。慎重に移動しなければ宇宙の迷子になってしまう。
そして正体不明の悪夢めいた怪物は、私にヘンリーを待つ時間を与えなかった。
「司令船、ここに留まっていたら私はこいつに・・・・・・うわぁ!! 」
「どうしたヒトシ! 答えろ!ヒトシ! こちら司令船! ヒトシ! 応答せよ! ヘンリー! こちら司令船! ヒトシはどうした! ハッブルの陰になって視認出来ない! 」
「司令船、こちらヘンリー。ヒトシはまるで何かに弾き飛ばされた様に回転しながらハッブルから遠ざかっている。すぐに追いつける」
「分かった保護してくれ」
彼らには見えなかったのだろう。あの黒っぽい奴がハッブルの鏡筒内から飛び立ち、私を弾き飛ばした様が。奴は私を問題にもしていなかったのだ。まるで我々人間が、踏みつぶした蟻を気にもしない様に。
それから程無くヘンリーが私を救助してくれた。だがこの時ヘンリーがほんの一瞬でもいい、早くか、或いは遅く私を抱き止めていてくれれば。そうすれば私は今頃こんな病院に居なかったただろう。
この時私は「地球を向いた状態」でヘンリーに抱きかかえられていたのだ。
そう、あの謎の怪物が地球に向かって降下していくのを見てしまったのだ・・・・・・・。
クトゥルー神話は「コズミックホラー」という割には、宇宙を舞台にした話が少ないのでこんな話を考えてみました。
御意見・御感想を頂けたら幸いです。少しでも良い作品作りの励みになりますので。