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第五節 笑う飢餓と、計略の皿

 アーク湾――旧・東京湾と呼ばれていたこの地は、今や瓦礫と難民の吹き溜まり。貨物コンテナの隙間に人が住み、船着き場は死臭と潮風が入り混じる。帝国の目も届きにくく、逆に言えば、抵抗の火種がくすぶるには格好の場所だった。


 アウレリオはその日、灰色の鉄橋を渡っていた。背中には小さな木箱。中には、盗まれた帝国の物資目録が入っている。それがあれば、この地区に配給される予定の食料量が逆算できる。そして――“消えている分”も。


 「ねぇ、君さ」


 少年の声がした。


 左腕が無く、空いた袖口を布でくるくる巻いていた。骨ばった顔には泥と傷。目元は涼しげだが、どこか達観したような影があった。年は十三か十四だろうか。


 「もしかして、あんたが“配給所の手”?」


 アウレリオは一瞬、笑みを浮かべた。


 「それ、俺のことって確証ある?」


 「確証はないけど……昨日の報告書、あんたの服に入ってた。それに、噂より面白そうだったから。」


 「ああ、それはもう確定だね。」


 少年はくくっと笑った。


 「俺、カイって言う。ここの子らまとめてる。帝国から見たら、ただのガキの集まりだけど。」


 「なるほど、“灰色の会”ってやつか。都市伝説かと思ってた。」


 カイは肩をすくめた。


 「都市伝説にしては、腹が減るんだよな。なあ、“配給所の手”さん。助けてくれる?」


 アウレリオは木箱を下ろし、足元の鉄橋に座った。


 「助けるも何も、俺は今から帝国を笑いものにするつもりなんだ。ついでに腹も満たす。」


 「は?」


 「二兎を追う計略ってやつさ。君たちの力を借りたい。」



 灰色の会の拠点は、かつての貨物駅を改装した地下空間だった。小汚い寝袋、カビ臭い布団、電源のないモニター。だが、壁には帝国の略地図。手描きで線が引かれ、各地の配給所、巡回兵のルート、腐敗した監督官の名前が書き込まれていた。


 アウレリオは周囲を見回す。


 「……すごいな。情報の密度だけなら、帝国の準州庁舎より上だ。」


 「貴族の娘が一人いてね。逃げてきたけど、帝国の地図を暗記してた。」


 と、カイが指さす先に、小柄な少女がいた。金髪を短く切り揃え、濃紺のコートの裾を引きずっている。睨むような目つきは、まるで撃鉄を起こした拳銃のようだった。


 「……お前がアウレリオか。帝国が血眼で探してるっていう。」


 「そう見える?」


 「小汚い格好はしてるが、目が“動いてる”。情報と計算が詰まった、兵士には絶対にない目。」


 「お褒めに預かり光栄だけど、まず名前を教えてもらえないかな。」


 「ノーラ・エルヴィラ。元・帝都学院兵科。逃げて、今はここで灰をかぶってる。」


 アウレリオは目を細めた。


 「君、帝国の内部を知ってるんだな?」


 「……少しだけな。」


 「よし、それなら手はある。食料を奪う、正規に。それも、帝国の制度に則って。」



 作戦は単純だった。


 帝国の配給帳簿に改竄を加え、「この地区の配給量が不足している」と本国に再申請する。だが、ただの帳簿だけでは駄目だ。申請には、地域代表者の印章と帝国語での陳情書、現場写真、監査員の報告――あらゆる偽装が必要だった。


 偽の代表者はアウレリオ、帝国語の文章はノーラが担当した。現場写真は廃棄された帝国兵の制服を着た子どもたちに配り、カメラで“演技”させた。


 「まるで演劇だな」


 と誰かが言った。


 「いや、これは戦争さ。情報と感情を使った、静かな砲火だ。」



 十日後、帝国からトラックが届いた。


 その荷台には、あり得ない量の保存食と加熱パック。配給所の監督官は不審な顔をしながらも、帝国からの直送命令書に逆らえず、黙って物資を下ろした。


 カイがぽつりと呟いた。


 「……マジで、腹いっぱい食えるのか。」


 「そうだよ。君が、妹に似てたからな。」


 「妹?」


 「昔、同じように飢えててさ。手を握って寝て、朝には冷たくなってた。」


 沈黙が落ちた。


 「ありがとう、アウレリオ。」


 「礼はいいよ。その代わり、見てろ。」


 少年たちが次々とトラックの荷台に飛び乗る。笑いながら、泣きながら。


 アウレリオはふっと目を細めた。


 「今のうちに笑っとけ。次は、帝国を笑う番だ。」

第二章 牙を隠して、笑う者

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