第一節 独白
あの瞬間のことを、何度思い出したか分からない。
崩れる音が、好きだ。
軋むような声が、好きだ。
歪んでいく目の奥、こちらを睨むことさえ忘れたまま沈んでいく精神。
そのすべてが、わたしの中に甘く落ちていく。
壊れるとは、どうしてこうも美しいのだろう。
いや――壊した、という感覚が、わたしの中を満たすから、そう感じるのだろうか。
手を触れなくても、皮膚の奥から波のようにこみ上げる悦びがある。
それは、指先ではたどり着けなかった奥に、確かに触れてくる。
わたしは、“自分”を刻みたかったのではない。
むしろその逆。消すことで、わたしが何者であるか確かめたかったのだ。
どうしても消えない、幼い頃の「わたしではない」という断罪。
あれらが、いまだにわたしを“正しい存在”として許してくれない。
すべてを否定することで、わたしは、わたしを赦せる。
その過程が、ひどく甘美で、熱いのだ。
これは、愛なのかもしれない。
彼が叫ぶと、わたしの下腹部が疼く。
声を押し殺すと、もっと深いところが疼く。
指を使った自慰行為のように。
その奥にまで入り込めたとき、わたしは自分の中の「快感」が本当の名を持つことに気づく。
それは“性交”なんかよりずっと深い、感情と記憶をなぞる――“精神の中絶”。
わたしは手に入れたことがない。
でも、“崩れる過程”を知っているのは、わたしだけだ。
その優越が、甘やかな熱をもたらす。
「んあ…。はぁ」
夜の独りきりの部屋で、その瞬間を思い出すと、知らず声が漏れる。
吐息が湿り、肌が粟立ち、まるで何かに触れているかのような錯覚に陥る。目を、歯を、爪を、あの冷たい床に這わせたときのことを思い出すたびに、
わたしの中で何かが、終わる。
そして、始まる。
わたしは病んでいるのだろうか。
けれど、その問いには答えたくない。
答えてしまったら、わたしのこの喜びが壊れてしまいそうだから。
手にかけたのは、命令としてだった。
でも、わたしの欲望はもっとずっと前から始まっていた。
声を上げた瞬間。口をきけなくなった瞬間。目の焦点がわたしではなく、空を彷徨いはじめた瞬間。
わたしは、その一つひとつを「刻んだ」。
思い出としてではなく、身体の奥に。
他の誰にも真似できないやり方で。
いつか、完全に壊れてしまったら、わたしはもう一度、愛せるのかもしれない。
いや――
その時はもう、愛ではなく、“所有”だろう。
そうなったら、もう触れたりはしない。
ただ静かに、呼吸を確かめるように、彼を見つめていればいい。
見つめて、壊れたままの“わたしの作品”として保存しておけばいい。
それこそが、わたしにとっての完成なのだから。
次回 第二節 誰にも求められていない知恵