6【そして未来へ】
「しっかりしてください!」
おれを呼ぶ声が聞こえる……誰だ……おれはうっすらと目を開いた。
さっきまでおれが道案内をしていた男が、おれを心配そうにのぞきこんでいる。
「今、救急車を呼びましたから!」
「ヒロ……ト……」
おれは、推しの名を呼んだ。
「えっ、ぼくの名前を知ってるの?」
おれたちは二十七億年前の昔に、出会っていたんだな。命が尽きる前に、これだけは伝えたかった。
「ずっと前から、あなたのファンでした……」
「そ、そうなんですかっ? ありがとう……ああっ、死なないで!」
肉体的限界を迎えたおれは、気を失ってしまった。
だが、おれは細胞の自己修復機能を最大限に活かして、死の淵からよみがえった。鬼だったこともあるし、もともとが頑丈なんだろう。
ヒロトは、最初からおれに「運命」を感じていたらしい。そしておれを「命の恩人だ」といって、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
おれも「あなたのためなら命なんていらなかった。あなたが助かって本当にうれしい」だのなんだの、精一杯に求愛行動した。
――そうして、退院する頃には恋人同士の関係になったのだ。
休日、おれはヒロトと映画を見ていた。前世からの宿命によって結ばれた恋人同士が、また再び出会うというマンチックなストーリーだ。
映画館から出たヒロトは、こういった。
「ねえ、覚えてる? ぼく、雄一郎さんと出会った時『どこかで会ったことはありませんか?』って言ってただろ」
「ああ、ナンパのセリフかと思ったよ」
「ひどいね! 本当にそう思ったんだから。だからさ、もしかしたらぼくたちにも、運命の絆があるんじゃないかなって……」
「そうだな、きっとあるさ」
おれとヒロトには、遠い前世からの絆がある。まあ、食虫植物とネズミだった時のことなんて言えないから、黙っていたが。
おれはヒロトの肩を抱き寄せ、こう思った。
――やっとおまえを食べられるぞ。
あれれ? おれは何を考えているんだ?
そういえば、おれはだいたい捕食する側だったよな。
鬼とヒト。大型の食虫植物と、小型哺乳類。カッコウとウグイスは捕食関係じゃないが、おれが殺す側だ。
それに、おれには気になることがあった。
アーキアはバクテリアを取りこんで、真核生物となった。真核生物は、これまでの生物になかった、特異な行動を取るようになった。
それは捕食行為だ。
真核生物は、他の生物を捕食することによって、圧倒的に効率の良いエネルギー補給方法を手に入れることになった。それは細胞の大型化を促し、今ある多様な生命体を構築した。すべての動植物と菌類は、真核生物だ。
真核生物であるおれは、常にあるものを欲している。
他者の生命を。
もしかして――おれは、単に腹が減ってるだけなのでは……?
カニバリズム、ダメ、絶対!
同種の共食いは、病気が感染しやすいんだ。
と、とにかく食欲を満たそう。そうだ、おれの家に昨日つくったシチューがあったよな。
「ヒロト! うちでご飯を食べないか?」
彼を家に招くのは初めてだ。ヒロトは、驚いたようにいった。
「雄一郎さん、料理できるの?」
「ああ、もちろん。料理は好きなんだ」
調理すると、生物の特徴がよくわかるからな。子どもの頃から、魚や鶏をバラバラにしていた。
「うん、ありがとう。ごちそうになるよ」
ヒロトはうれしそうにいった。彼には、いつでも安定したエネルギーを供給したいんだ。
決して、おまえの首筋にかみついて、したたる血をのみたいなんて思ってるわけじゃない。
二十七億年前、アーキアはバクテリアを取り込んだ。最初は、酸素を分解してくれるバクテリアと共生状態にあっただけだろう。だが、バクテリアと同じ一つの核膜に入り込んだ、その最初の動機はなんだったのだ?
捕食行為ができるのは真核生物だけだ。アーキアとして触手を伸ばした時も、本当は食欲からじゃなかったのか? 思い返せば、おれはいつも腹を空かせていたしな。他のバクテリアを取り込むだなんて、それはおれの食い意地がはってただけなのでは?
いやいや、そうじゃない。好気性バクテリアはおれにエネルギーを与えてくれるんだ。推しと同じようなものだ。いつも推しを感じていたいと思うのは、自然なことだろう?
人間は酸素を呼吸して生きている。それは細胞内に、酸素を分解してくれるミトコンドリアがいるからだ。バクテリアのヒロトは、ミトコンドリアの遠い先祖だ。おれたちは二十七億年前に結ばれたあと、遺伝子交換によって、さらに一体化が進んでいった。
現在、真核生物は、ミトコンドリアによって分解されたエネルギーを消費して生きている。ヒロトがいてくれるから、おれは生きられるんだ。またミトコンドリアも、細胞内から取りだされては、単独では生きていけない。細胞外から供給される酸素を必要としている。二人はもう離れられないんだ。
ああ、やっぱりヒロトが欲しい――おれは彼の肩を抱き、ささやいた。
「ヒロト、食べたいほど好きだ」
「雄一郎さん、こんなとこでやめてよ」
ヒロトは顔を真っ赤にして、うつむいた。なにか誤解しているようだ。かわいいな。
今となっては、真核生物であるおれたちは、どちらが欠けても生きていけないんだ。
二人の絆はずっと続く。これから永遠に。生命が続く限りは……。
【おしまい】