2【平安時代】
――あー、腹へった……。
おれが意識を取り戻した時、最初に思ったのはそのことだった。
うーん……病院にいるとか? 何も食ってないのか? だが、眼前には緑の木立ちと、昼の明るい光が広がっていた。屋外か?
ああ、もしかしたらここは天国なのかも……きっとおれは死んだんだな。そう思っても、腹は満たされなかった。天国でも腹はへるのだろうか。
おれは食物を求め、木立ちのなかを進んでいった。しばらく行くと森はとぎれ、さらさらと流れる川と、そこにかかる木造の橋があった。
なるほど、きっとこれが三途の川ってやつだな。
おれは一人で納得していたが、橋のたもとからにぎやかな音が聞こえる。人がわらわら集まっているようだ。そっちの方へ向かう。
――ヒロト!
輪の中心にいたのは、着物をきて、琵琶をひくヒロトだった。へえ、琵琶もひけたのか。それより、その衣装はなんだ? 和風でいくのか?
おや、周りのやつらもみんな、昔ふうの着物をきているようだ。こういうイベントなのか? おれはわからぬままに、ヒロトの琵琶とその語りをきいていた。
――ああ、良い曲じゃないか。
やっぱりヒロトは歌がうまいな。曲が終わって、周りのやつらはヒロトに投げ銭をしている。そうだ、確かおれはヒロトに道案内をしていて……せめて握手でも!
記憶がごっちゃになったおれは、ヒロトの方に近づいていって、手を差し出した。
周囲のやつらが、いっせいに悲鳴をあげた。
えっ、なんで? おれがむさくるしいから? そりゃあ、そうかもしれないな。でも、ちょっとひどいんじゃないのか? おれは手をひっこめようとして……その手は大きく、真っ青な色をしていて、しかも鋭い爪が生えていた。
「ひいいっ、鬼っ!」
ヒロトはこっちを見て、絹を裂くような悲鳴をあげた。
鬼? まさかおれのことか? バカな、鬼なんて生物学上、存在しない!
おれは誤解を解こうと、ヒロトの体をつかみ……あれ? おれの体、なんかやけにバカでかくないか? 身長が三メートルくらいはありそうだぞ。
「ぼくを食べないでっ!」
ヒロトは必死の様相で、命乞いをしている。いやいや、もちろん食べるつもりはないよ。ただ、ちよっと握手でもしてもらえたらいいなって――いてっ。
肩に、ちくりと痛みが走った。矢が、びーんと立っている。そして武士姿の男がいった。
「とうとう現れたな。世をさわがす人喰い鬼め。成敗してくれる!」
蚊に刺されたみたいなものだけど、破傷風になったらヤダな。それにイベントをぶち壊しにしてしまって、申し訳ない。
おれはヒロトを離して、さっさと森に逃げ帰った。
ところで、おれは鬼になってるのか? 手足をしげしげと見てみると、どうやらそうらしい。おお、すごい。生物学上、素晴らしい発見だぞ! おれは喜んだが、しばらくすると空腹感がよみがえってきた。
それにしても、腹がへった。
おれは琵琶を弾いているヒロトの姿を思い出した。ちょっと痩せてたが、健康そうだな。きっと食べがいがあるだろうな。
――ああ、ヒロトを食べてしまいたい。
おれは何を言ってるんだ。ヒロトはおれの推しであって、エサじゃないぞ。ヒロトを食べる? 冗談じゃない! そんなことをしたら、二度と彼の歌が聞けなくなるぞ。
でも、腹がへったな。もう限界だ。
おれは空腹でめまいがして、ふらふらと倒れてしまった。