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短編

黒いシロツメクサを添えて

作者: 氷憐 仁

[シロツメクサとは]

大量に摂取した場合に毒性を示し、消化器系の不調や身体的な不快感などの症状を引き起こします。

身近に咲くシロツメクサは、「幸福」の花言葉を持っています。

四葉のクローバー(シロツメクサ)には「復讐」といった怖い花言葉もあります。 これは「約束」や「私を思って」など、ほかの花言葉が叶わなかったときに復讐につながると考えられたためです。

春の暖かな日差しが降り注ぐ午後、僕はいつものように公園に向かって歩いていた。そこは、小さな町の片隅にある、古びた遊具と四季折々の花が咲く公園だった。

僕がその場所に足繁く通うようになったのは、春先のある日、彼女を見かけたのがきっかけだった。白い髪が陽光を受けてきらめき、その下には、透き通った花緑青の目が静かに周囲を見つめていた。まるでシロツメクサの花のように小さく華奢で、それでいて不思議と目を引く存在感があった。

彼女はいつも公園の中央にあるベンチに腰掛けていたり、花壇の前でしゃがみ込んで花を眺めていたりした。日本のこんな田舎町には似つかわしくない彼女の姿に、僕は思わず目を奪われてしまった。それ以来、彼女を見るためだけに公園に通うようになったのだ。

ただ、声をかける勇気はなかった。名前を聞きたい、話をしたい、そう思いながらも、彼女との間には見えない壁があるようで、僕はいつも遠くから見守るだけだった。

そんな日々が続いたある日、彼女が突然僕に声をかけてきた。

「ねぇ、一緒に遊ぼう?」

驚きで胸が跳ね上がった。彼女の声は透き通っていて、耳に心地よく響いた。どうやら彼女は、僕が毎日公園に来ていることに気づいていたらしい。その事実に少し恥ずかしさを覚えたものの、彼女の笑顔に誘われて、僕は頷いた。

それからというもの、僕たちは毎日のように一緒に遊ぶようになった。かくれんぼをしたり、花壇の手入れを手伝ったり、時にはベンチに座って他愛のない話をしたりした。彼女との時間は楽しく、あっという間に過ぎていった。

けれども、彼女には一つ、不思議な習慣があった。彼女が公園にいるのは決まって午後3時から5時まで。その時間になると必ず現れ、そして5時になるときっちり帰ってしまうのだ。どこに住んでいるのか、何をしている人なのか、彼女について知っていることはほとんどなかった。それでも、彼女と過ごす時間は僕にとって特別だった。

ある日のこと、ふと彼女に尋ねてみた。

「どうしていつも3時から5時だけなの?」

彼女は一瞬だけ困ったような顔をした後、微笑んだ。

「秘密だよ。」

その返事に、僕はそれ以上聞くのをやめた。彼女が秘密にしたいことなら、それを無理に知る必要はないと思ったからだ。

しかし、僕の心の中では次第に疑問が膨らんでいった。彼女の存在自体がどこか現実離れしているように感じられたからだ。なぜこんな田舎町にいるのか、なぜ白い髪をしているのか、そしてなぜ決まった時間だけしか姿を見せないのか。

春が終わり、初夏の風が吹き始める頃、僕たちは相変わらず公園で遊んでいた。その日は特に空が青く澄んでいて、公園全体が輝いて見えた。

「ねぇ、今日はちょっと遠くまで行ってみない?」

彼女が突然そう提案してきた。驚きながらも僕は頷いた。彼女と一緒ならどこへでも行きたいと思ったからだ。

僕たちは公園を抜け、小さな丘の方へと歩いていった。途中で彼女が立ち止まり、ふと振り返った。

「ここが私のお気に入りの場所なんだ。」

そこは一面にシロツメクサが咲く広場だった。風が吹くたびに、白い花たちがそよぎ、まるで波のように揺れていた。彼女はその光景をじっと見つめ、静かに口を開いた。

「私ね、実はここにいられるのもあと少しなんだ。」

「どういうこと?」

僕が問いかけると、彼女は少し寂しそうに笑った。

「私はね、この公園に咲く花みたいなものなんだよ。」

意味がわからず、僕は彼女を見つめた。彼女は続けた。

「春が終わると、私はここにいられなくなる。だから、今のうちにたくさん一緒に遊べてよかった。」

その言葉に胸が締め付けられるような思いがした。彼女が何を意味しているのかはわからなかったが、もう会えなくなるのだという予感がした。

それから数日後、彼女は本当に姿を消した。午後3時になっても彼女は現れず、僕は公園で一人待ち続けた。5時になり、公園を後にするとき、僕はぽつりと涙をこぼした。

彼女がいなくなった後も、僕はしばらく公園に通い続けた。そこには彼女との思い出が詰まっていたからだ。そして、ある日、彼女がいつも座っていたベンチの近くに、小さなシロツメクサの花束が置かれているのを見つけた。

それはまるで、彼女がここにいた証のようだった。その花束を手に取ると、どこか懐かしい香りが鼻をくすぐった。彼女の笑顔を思い出しながら、僕はそっとその花束を胸に抱きしめた。

彼女がいなくなっても、僕の中で彼女との思い出はずっと生き続ける。春の陽だまりのように暖かく、シロツメクサのように優しい、あの時間は、僕の心の中で永遠に輝いている。

季節は巡り、あの春の日々から十年以上が経った。

僕は都会の喧騒の中、ブラック企業と呼ばれるような職場で働いていた。早朝から深夜まで働き詰め、休みの日も電話が鳴り続ける。心と体が疲弊しきり、毎朝ベッドから起き上がるのも苦痛だった。

かつて夢や希望を抱いていたはずの自分は、今やただ日々をやり過ごすだけの存在になっていた。仕事を辞めたい、けれど辞めれば生活が立ち行かなくなる。そんな堂々巡りの思考に苛まれる毎日だった。

ある日、残業を終え、終電で帰路についた僕はふと、地元の町のことを思い出した。子供の頃に通った公園、そしてあの白い髪の女の子。彼女の透き通った笑顔が頭に浮かび、思わず胸が苦しくなった。

「あの頃は良かったな……」

呟くと、涙が一粒、頬を伝って落ちた。気づけば、僕の心は限界を迎えていた。ふらふらと家に帰り着き、狭い部屋の中で膝を抱え込む。やがて、自分に問いかけるように呟いた。

「もう、終わりにしてもいいよね……?」

次の日、僕は地元へ向かう電車に乗っていた。何年も訪れていなかった町は少し変わっていたけれど、あの公園はほとんど昔のままだった。懐かしさと寂しさが入り混じった感情を抱きながら、公園の中央にあるベンチに腰掛けた。

「ここで終わりにしよう……」

僕はそう決意して、立ち上がろうとした。そのときだった。

「どうしてそんな顔をしているの?」

耳に届いた声に、全身が凍りついた。振り返ると、そこには彼女が立っていた。白い髪、花緑青の瞳、あの頃と何一つ変わらない姿だった。

「君は……どうしてここに……?」

言葉が詰まり、声が震えた。彼女は静かに微笑みながら、僕に近づいてきた。

「久しぶりだね。」

彼女の言葉に、僕の心の中で抑え込んでいた何かが崩れ落ちた。懐かしさと驚き、そして混乱が押し寄せてきた。

「君は、あのときと全然変わってない……どうして?」

彼女は少し困ったように笑った。

「私はね、この公園とともにある存在だから。」

その言葉に、幼い頃の彼女の言葉が蘇った。

「春が終わると、私はここにいられなくなる。」

「じゃあ、君は……本当に花みたいな存在だったの?」

彼女は頷いた。

「そうだよ。でも、あなたが困っているなら、私はこうしてまたここに来ることができるの。」

僕は彼女の言葉を理解しようとしたが、頭が追いつかなかった。ただ、彼女が目の前にいるという事実だけで、心が少し軽くなった気がした。

「僕、もう生きるのが辛いんだ。何もかも上手くいかなくて……」

彼女は優しく僕の手を取った。その手は温かく、小さかった。

「辛いときは、少しだけ立ち止まってみてもいいんだよ。」

彼女の言葉は、不思議と心に響いた。僕は目を閉じ、深く息を吸った。風の音、花の香り、そして彼女の温もりが心に染み込んでいった。

「昔、君が僕に教えてくれたことを思い出したよ。この公園で過ごした時間が、僕にとってどれだけ大切だったか。」

彼女は微笑んだ。

「それを思い出してくれて嬉しい。でも、これからは、自分のためにその時間を作ってあげて。」

その言葉を胸に、僕は少しずつ前を向く力を取り戻していった。彼女と過ごした時間は短かったけれど、確かに僕を救ってくれた。

夕日が沈みかけた頃、彼女はふっと消えるようにいなくなった。けれども、その存在は僕の心に確かに刻まれていた。

それから数ヶ月後、僕は思い切って仕事を辞めた。自分を大切にする時間を持つことの意味を、彼女が教えてくれたからだ。新しい生活を始める決意を胸に、僕は再び歩き出した。

あの公園には今もシロツメクサが咲いているだろうか。いつかまた訪れたとき、彼女がそこにいるかどうかはわからない。でも、彼女が教えてくれた優しさと強さは、これからも僕の中で生き続ける。

あの出会いから数年が経ち、僕は人生を立て直すことができた。ブラック企業を辞め、地元に戻って心穏やかな日々を過ごすようになり、やがて別の仕事にも就いた。その仕事は確かに大変なこともあったが、以前のような辛さはなく、自分のペースで充実感を持って働ける職場だった。新しい同僚や友人たちに囲まれ、彼女の教えを胸に、日々の小さな幸せを大切にする生き方を選んだ。

そんな日々が続いていたある日、僕は突然体調を崩した。最初は風邪のような軽い症状だったが、次第に体は思うように動かなくなり、精密検査を受けると重い病気が発見された。余命が限られていると医師に告げられたとき、悲しみや恐れとともに、不思議と静かな諦念も心に広がった。

「これまでの人生、十分に幸せだった。」

そう自分に言い聞かせると、不思議と心が穏やかになった。病院のベッドで横になりながら、僕はこれまでの人生を振り返った。彼女と過ごした幼い日の思い出、再び会えた奇跡、そして彼女が僕に教えてくれた優しさと強さ。それらの記憶が僕を支え、最後のときを迎える準備を整えてくれた。

死の間際、僕は静かに目を閉じた。家族や友人に感謝を伝え、最後に小さく呟いた。

「未練はないよ……ありがとう。」


目を開けると、そこは見知らぬ場所だった。薄青い光に包まれた静寂の中、僕は自分がどこにいるのかわからなかったが、不思議と恐怖はなかった。まるで夢の中にいるような感覚だった。

「ここは……どこだろう?」

独り言を呟いたその瞬間、後ろから優しい声が聞こえた。

「やっと来たね。」

振り返ると、そこには彼女が立っていた。白い髪と花緑青の瞳、あの頃と何一つ変わらない姿で、僕を見つめて微笑んでいた。

「君……ここにいたんだね。」

僕の声は震えていた。彼女は静かに頷き、僕に手を差し伸べた。

「おかえりなさい。」

その言葉を聞いた瞬間、涙が溢れ出た。懐かしさと安心感が心を満たし、彼女の手を取ると、その温もりがかつてと変わらないことに気づいた。

「ここは、どこなんだい?」

彼女は微笑みながら答えた。

「ここはね、あなたが次に進む場所。でも、急がなくていいよ。今は少しだけ休んで、それから一緒に歩いて行こう。」

僕たちは手を繋ぎながら歩き出した。その道の先には、果てしなく広がる草原があり、一面にシロツメクサが咲き誇っていた。風が吹くたびに、花たちが揺れて波のように広がる。その光景はどこか懐かしく、心地よかった。

「ここで、君とまた一緒にいられるの?」

僕が尋ねると、彼女は優しく頷いた。

「そうだよ。これからはずっと一緒だよ。」

その言葉に、僕の心は満たされた。現世での別れの悲しみは薄れ、これからの新しい時間への期待が胸に広がっていった。彼女とともに、この場所で新たな日々を過ごす。そんな未来があるのなら、僕はどこまでも歩いていける気がした。

「ありがとう、君がいてくれて本当に良かった。」

彼女はただ微笑み、僕の手をしっかりと握り返してくれた。その手の温もりは、どんな春の日差しよりも暖かく感じられた。

「その髪も、目も、とても素敵だよ。これからは、ずーっと一緒だね。」

彼女は、主人公に聞こえない声でそっと呟いた。彼女の目に映る彼の姿は現世の黒髪黒目ではなく、美しい白髪に花緑青の目、無邪気に幸せそうに笑う彼の姿は儚く、美しかった。


幸せの形なんてそれぞれ違うなんていうけれど、いつかの君に出会うことができたなら、そんな夢をみていられるほど現実は美しくないのかもしれない。人々が幸せと呼ぶものにはいつだって裏がある、それに縛られすぎるのも望まない。知らないほうがいいこともあるなんて、綺麗事に救われる人間の美しさと愚かさを描けていたら、と思う今日このごろです。

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