彼女が消えたことに誰も気づかない・短編
2024/07/06
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異世界恋愛2位、総合2位、異世界転生/転移(恋愛)1位まで上がりました!
ありがとうございます!
彼らは口々に言う「あなたは昔から何も変わらない」と。
彼らの言う昔とはいつのことなのだろう?
わたしはこんなにも変わってしまったというのに。
その日、わたしは王城に招かれていた。
庭園の見える中庭にテーブルを出し、王太子と王太子の婚約者であるわたしと、わたしの義兄であるナサニエルと、王太子の側近であるフランシスとガレスでランチを食べようということになった。
「イザベラのために真っ赤なバラを生けさせたんだ。
君は昔からこの花が好きだっただろ?」
王太子のロバート様が、花瓶に生けられた花を眺めながらそう言って微笑んだ。
「イザベラは昔からアップルティーが好きだっただろ?
だから君の好きなアップルティーを取り寄せたんだよ」
紅茶の缶を片手に持ちながら、義兄のナサニエル兄様が言った。
わたしは左手でティーカップを持ち、アップルティーを頂いた。
「イザベラ様は幼い時からチョコレートケーキが大好きでしたよね?
だからうちのパティシエに作らせたんですよ」
宰相の御子息であるフランシス様が、楽しそうにそう言った。
テーブルの中央には、大きなチョコレートケーキがドーンと載っていた。
「イザベラ様は昔から魚料理がお好きでしたよね?
だからオレ朝早くに海に行って、大物を釣ってきたんですよ!」
男爵令息のガレス様が、運ばれてきたばかりの魚料理を見ながらそう言った。
「ありがとうございます。
ロバート様、兄様、フランシス様、ガレス様」
わたしは皆の顔を見てにっこりと微笑んだ。
彼らはわたしが笑っているのを見て、とても幸せそうな顔をしていた。
その時、時計台の鐘がお昼の十二時を告げた。
約束の期限が来たようだ。
結局ここにいる誰も気づかなかったな。
わたしが本当のイザベラ・ベルモンドではないということに。
イザベラの魂はもうこの世界にはいない。
わたしの本当の名前は三浦あすか。前世は普通の日本人だった。
この世界の神様が交通事故で死んだわたしの魂を、イザベラの体に入れたのだ。
だからここにいるのは、体はイザベラだけど、中身は別人。
賭けは結局わたしの負けだね、イザベラ。
わたしはあの日のことを思い出していた。
ことは一年前に遡る。
「三浦あすかさんだね?
僕はこの世界の神ソラリスだ。
不慮の事故で亡くなったばかりで、精神的なショックが残ってると思うけど、君イザベラ・ベルモンド公爵令嬢として生きてくれないかな?」
「はっ?」
通学の途中にトラックに跳ねられたわたしは、目覚めたら見知らぬ場所にいた。
真っ白な空間とか、綺麗なお花畑がどこまでも広がってる世界とか、星々が浮いてる世界とか……もう少し非現実的な世界なら、死んだとか神様とか素直に受け入れられたと思う。
わたしがいるのは荘厳華麗な宮殿の一室。
絵本や近世ヨーロッパを舞台にした映画に出てきそうな金ぴかな壁と、大きなシャンデリアと、細かい模様が細工された大理石の柱、壁に飾られた天使をモチーフにした大きな油絵。
そこに現代的なテレビとゲームが無造作にあるのが、何ともミスマッチだった。
自らと神と名乗った人物は、床まで届く紫のストレートヘアと、アメジストの瞳を持つ、絵に描いたような美青年だった。
人形のように作り物めいている整った顔、有名な神社をいくつも持ってきたみたいな神々しさ……彼には「本当に神様なのかも?」と思わせるオーラがあった。
そしてこの空間にはもう一人いた。
金色のストレートヘアに、紫の目の美しい少女。
彼女は彫りが深く端正な顔をしていたので、外国人の女性だと思われる。
少女の年齢は十六歳ぐらい。
彼女の顔どこかで見たことあるような気がする?
それに彼女の名前もどこかで聞いたことがあるような?
どこだったかな?
だめだ思い出せないや。
そんなことよりも、今は神様の提案について考えるのが先だ。
そっか……わたし、死んじゃったのか……。
まだ十六歳だったのに……短い青春だったな……。
わたしの人生は貧乏で不幸だった。
「死にたい」と思ったことも一度や二度ではない。
だから前世への未練はあんまりない。
強いて言えば日本食美味しかったから、もっと色々食べたかったな……ぐらいだ。
とは言え、この提案を受け入れるかどうかは別。
「いやいやいやいや、いきなりそんなこと言われましても……!」
昨日まで三浦あすかとして生きてきたのに、今日からイザベラ・ベルモンドになれって言われても無理でしょ?
わたしは神様の提案を全力で拒否した。
「今イザベラとして生きてくれれば、もれなく聖女の力は与えます」
「いやいやそんな、今カレーを注文したらライスと福神漬けのおかわり自由です! みたいなアピールされましても……!」
そう言われて「はいそうですか」と頷けるものではない。
「君『星の力を持つ乙女は聖女の力に目覚め四人のイケメンにちやほやされる』略して『星ちか』をプレイしたことあるよね?」
「はい。
前世で大好きだったゲームです。
と言ってもプレイしたのはだいぶ前のことですが」
中学時代、わたしが大好きだったゲームだ。
思い出した!
神様の横に立っている少女の顔に見覚えがあると思ってたんだけど、「星ちか」に出てくる悪役令嬢にそっくりなんだ!
「星ちか」はわたしが中学時代何周もプレイしたゲーム。
だけど受験勉強とか、
高校から始めたアルバイトとか、
高校からお弁当だから、自分でお弁当を作らなくてはいけなかったりとか、
どうやったら学校のスクールカーストの上位に入れるかなとか?
彼氏欲しいなとか、
成績上げたいなとか、
いろいろと考えることが多くて、
ゲームのことは忘れ去っていた。
「実は俺の上司……彼の名前はアルテミロスって言うんだけどね。
彼が『星ちか』にハマってしまってね。
ゲームと同じ世界を作って、彼らの生き様を観察したいって言い出したんだ。
あ、ちなみに僕は神様っても下っ端だから」
学校のスクールカーストみたいに、神様に序列があるんですね。
神様の世界も大変だな。
「それでこの荘厳華麗な空間には似つかわしくない、テレビとゲームが置いてあったわけですね?」
「そうなんだよ。
アルテミロス様はゲームそっくりに作った世界を、テレビを使って覗き見たり、時々コントローラーを使ってゲームの世界に干渉したりしてたんだ」
神様の趣味って覗き見なの? 悪趣味だな……。
「君も知っての通り、
『星ちか』は、平民の少女ルシアが十六歳の誕生日に聖女の力を授かり、貴族の学園に入学し、王太子やその取り巻きに愛される話だ。
イザベラはそのゲームの悪役令嬢だ」
神様がゲームの説明を始めた。
「そして『星ちか』には四人の攻略対象がいる。
第一に正規ルートと言われる王太子 ロバート・ウィンドハムルート。
第二にイザベラの義兄のナサニエル・ベルモントルートだ。
第三に宰相の息子で侯爵令息のフランシス・ハミルトンルート。
第四に騎士団長の息子で、男爵令息のガレス・ダンモアルート。
」
「全員を攻略すると見られるハーレムルートは?」
「アルテミロス様は、その前にこのゲームに飽きてしまってね」
なんじゃそりゃ? 四人を攻略して見られるハーレムルートこそゲームの本髄、一番のお楽しみじゃないの?
ハーレムルートを見ずしてコントローラーを放り投げるなんて、飽きっぽい神様もいるんだな。
「それでアルテミロス様は、このゲームの世界を僕に託したんだよ」
上司が飽きっぽいと部下の人が苦労するんですね。
「イザベラがいた世界はゲームの世界に似ているが、実際に存在しているし、その世界の人はみんな生きている。
痛みや、怒りや、悲しみもちゃんとある」
ゲームの世界に似てるけど、本当にある世界なんですね。
「イザベラはバグによって、三回ループした記憶を全部持っているんだ」
「え?
全部ですか?
確か悪役令嬢の最後って……」
「王太子ルートの時は鞭打ちされて追放。
ナサニエルルートの時は牢屋行き。
フランシスルートの時は湖に沈められる。
ガレスルートの時は、逆上した彼に斬り殺される」
悲惨すぎる!!
その記憶を全部持ってループしていたなんて……! イザベラが可哀想だよ!
ゲームしてる時はイザベラのことを邪魔な悪役令嬢だと思ってたよ! ごめんね!
「度重なるループと断罪で彼女の心は壊れてしまった。
これ以上彼女の心が壊れれば、この世界全体に歪みを生じさせかねない」
イザベラがそんなになるまで追い詰められていたなんて……!
だからここにいるイザベラは、ゲームに出てくる彼女と違って覇気がなかったんだね。
ゲームの中のイザベラは常に威圧的なオーラを放っていたからね。
考えてみれば、婚約者をポッと出の平民の女に奪われそうになったら、誰だって嫉妬の一つや二つするものだ。
それなのに浮気した王太子は正当化され、浮気相手と結婚。
浮気されたイザベラが、鞭で打たれた上に追放されるなんてあんまりだな。
王太子ルート以外でも、イザベラは悪役令嬢としてヒロインの前に立ちふさがる。
婚約者の王太子ルートと、義兄のナサニエルルートの時、彼女が悪役令嬢として立ち塞がるのは分かる。
彼女と大した繋がりのないフランシスとガレスルートの時も、イザベラが悪役令嬢として立ち塞がるのは、流石に違和感がある。
ゲーム会社の手抜きとしか思えない。
中学時代のわたしはそんなことを考えず、イケメンのスチル絵と、イケボから囁かれる愛の言葉を目当てにプレイしていたのか……うっ、罪悪感が……!
仲の悪い家族と暮らしていると、ゲームとか漫画とかに現実逃避したくなるんだよね。
そんなわけで中学時代のわたしは、嫌な現実を忘れさせてくれる『星ちか』にどっぷりとハマっていた。
高校に入ってからは、毎日のお弁当の材料を買ったり、アルバイトしたり、毎朝お弁当を作ったり、忙しくてゲームをしている時間がなかった。
今そんな事を思い出しても仕方ない。
それよりも神様の提案を受け入れるかどうかを考えなくては。
「だからね、『今回は聖女の力をイザベラに与えるから元気出して、もう一回だけループしてみよう』って提案したんだよ」
「ほうほう」
「ちなみに、ヒロインのルシアの心配はいらないよ。
彼女は聖女として目覚めなくても、平民として平穏に過ごすから問題ないからね」
聖女の力を悪役令嬢に与える?
それはなかなかに斬新な発想ですね。
ルシアは聖女の力に目覚めなくても平穏に暮らせるんだ。初耳。
「聖女の力には、人の怪我を治す力や、瘴気を浄化する力がある。
これはゲームでも語られてるから知ってるよね?
そしてこれはゲームでは語られない裏設定なんだけど、聖女の力には人に愛される力も含まれているんだ」
人に愛される力……?
「あーなるほど、それで聖女の力に目覚めてからのルシアは、みんなにちやほやされたわけですね」
そういう裏設定がなかったら、ルシアの聖女の力を利用しようと、彼女を拘束し、ブラックな環境で働かされていた可能性もある。
あの世界の人たちが、それをしないのが不思議だったんだけど、聖女の力の中に皆に愛される力が含まれてたんだったら納得だ。
「例外として悪役令嬢のイザベラにだけには、聖女の力が効かないように設定されてたんだけどね」
そんな例外が嫌すぎる。
皆が無条件にちやほやする人間を、イザベラだけが敵視していた。
そのせいでイザベラは、どんどん孤立していくことになる。
「今回は聖女の力をイザベラに与えるから、王太子達に愛されて幸せに暮らしたらって提案したんだけど……拒否されてしまって」
提案が拒否されたのがショックなのか、神様はしょんぼりしていた。
「え? それはどうしてですか?」
王太子をはじめとしたイケメン達に、ちやほやされるんだからラッキーなんじゃないの?
「イザベラは四回の人生で、四回とも彼らにプライドを傷つけられ、身体を傷つけられ、断罪され、追放されたり命を奪われたりしている。
そんな彼らに今更愛を囁かれたところで、寒気と吐き気しかしないみたいなんだよね」
「あーなるほど……」
わたしは浅はかだった。
わたしはイザベラのいた世界を、心のどこかでゲームの世界だと思っていた。
だから、「前回敵に回ったキャラが、今回味方になったらラッキー」ぐらいの価値観でいた。
イザベラの生きた世界は、ゲームの世界をモチーフに作られた現実の世界。
そこに生きてる人達には、痛みや、苦しみだってある。
イザベラはそこで、筆舌に尽くしがたい痛みや苦しみを味わってきたんだ。
そんな苦しみの元凶である、王太子やその側近に愛されても気持ち悪いだけだ。
「そんな時『星ちか』好きの君が偶然事故で亡くなった。
それで僕は君をこの世界に召喚したんだよ。
君にイザベラの体に入ってもらいたくてね。
心配しないで、今回のイザベラは悪役令嬢じゃない。
聖女の力を持って皆にちやほやされる愛され令嬢だ。
生前大好きだったゲームのキャラたちに愛されるんだよ?
嬉しくないかな?」
神様が「お願いだから僕の提案を受け入れてよ」オーラを出して近づいてきた。
そんなこと言われてもなぁ。
色々と話を聞くうちに、王太子達に嫌悪感が湧いてしまったのだ。
婚約者より平民の女を選んだ王太子。
義理の妹よりも、突然現れた聖女を大切にしたナサニエル。
基本的にどのルートでもイザベラには嫌味しか言わない、インテリ陰険メガネのフランシス。
脳みそまで筋肉でできてるんじゃないかと思われるガレス。イザベラはガレスに突き飛ばされたり、足をかけられて転ばされたりしている。
こうやって冷静に観察すると、全員最低だよね。
こいつらに好かれる……というか付きまとわれるなんて最悪じゃない?
しかもアルテミロス様が全員のルートを見た後だから、ハーレムルートが解禁されている可能性がある。
ハーレムルートに入るとか嫌だな。
ハーレムルートってよく考えたら、一人の女を四人の男でシェアするという、気持ち悪い状態だよね?
その中心に自分がいるのを想像したら、寒気がしてきた。
「え、嫌です」
わたしは素直な気持ちを神様に伝えた。
「なんで君までそんなこと言うの?!
大好きなゲームの世界を体験できるんだよ!
嬉しくないの?」
「ゲームならありだった設定も、現実になると嫌悪感が……」
ハーレムとか、婚約者のいる王太子に溺愛されるとか、そういうのはゲームだから許されるんだ。
現実にそんな奴がいたら、苛つくだけ。
「そこをなんとか!
今なら綺麗なドレスとアクセサリーもつけるから!」
神様が両手を合わせ、「お願い」のポーズをした。
「そんな……今おでんを買ったら辛子と柚子胡椒も付けます……みたいな感じで言われましても……」
おでんか……あ、そうだ!
「どうせ付けるなら、地球の食べ物、食べ放題券をつけてくださいよ!
おはぎとか、肉じゃがとか、お寿司とかおでんとか!」
やっぱり一番気になるのは食だよね!
ゲームの世界の食べ物は、基本は西洋料理だ。
そういうのも最初は美味しいと思うかもしれない。
たけどそのうち飽きがきて日本食が食べたくなるはず!
「ごめん、それはちょっとできない」
神様が申し訳無さそうに言った。
神様の力って万能じゃないんですね。
そう言えばこの方は、自分で「神の中では下位の方」とか言っていたな。
だから何でもできる訳じゃないんだね。
だけどそれはそれとして、日本食へのこだわりは捨てられない。
「じゃあ嫌です!
イザベラの体には入りません!
地球に転生させてください!
できれば日本がいいです!
来世でも日本食が食べたいです!」
うどん、おそば、お赤飯、お味噌汁、納豆、冷奴、おにぎり、ぬか漬け、イカの煮物、天ぷら……来世でも日本食が食べたいよ!
「ではこうしませんか?
あすか様、わたしと賭けをしませんか?」
今まで黙っていたイザベラが話し出した。
彼女の所作はとても美しかった。
歩く姿は百合の花……って、こういう人の為にあるんだな。
彼女の声も小鳥のさえずりのように綺麗だった。
こんなに可愛くて華奢な子に、ゲームプレイ中は「邪魔! 消えて! 断罪されろ!」って言ってたんだね。ごめんね。
「賭けですか?」
「そう一年間、わたくしが消えたことに誰も気づかなかったらわたくしの勝ち。
途中で誰かに気づかれたら、あすか様の勝ちというのはいかがでしょうか?」
「それってあれですよね。
前世の記憶を取り戻した転生ものや、憑依ものの主人公でよくあるやつ。
転生ものや憑依ものの小説や漫画の主人公が、今までとは違った行動をして、家族や婚約者や友人から『お前は誰だ?』って言われるやつですよね?」
見た目は同じでも、中身が入れ替わってるんだから、周囲の人間が違和感に気づかない方がおかしい。
わたしの家族は仲が悪くてギスギスしていた。
それでもわたしの中身がある日突然別人に入れ替わったら、「あれ? おかしいな?」ぐらいは気づいたと思う。
「はいさようです。
幼い頃から婚約していた王太子殿下。
幼い頃から同じ家で暮らしていた義兄のナサニエルお兄様。
幼い頃から交流のあったハミルトン侯爵令息とダンモア男爵令息。
彼ら四人のうちの誰か一人に『お前は誰だ?』と言われたらあすか様の勝ちです。
その時は、わたくしは自分の体に戻り、王太子と結婚し、国や国民のために聖女としての力を使います。
そしてあすか様は、日本という国に転生する。
ソラリス様、あすか様いかがかしら?」
「僕は構わないよ。
あすかが賭けに勝った時は、責任を持って彼女の魂を日本に転生させよう」
神様が約束してくれた。
やった! 賭けに勝ったら日本に転生できる!
日本食、食べ放題!
そんなに長く一緒にいた人達が、イザベラの中身が別人と入れ替わったことに気付かないはずがない!
「わたしが負けたらどうなるんですか?」
でも一応、わたしが負けた時のことも聞いておこう。
「その時は、あすか様がイザベラとして生きてください」
「なるほどね」
この勝負、わたしに都合が良すぎない? というか楽勝じゃない?
だって何年も一緒に暮らしてきた義理の兄や、婚約者の王太子や、幼い頃から交流のある側近の二人が、イザベラの中身が入れ替わったことに気付かないわけないもん。
きっとすぐに四人の中の誰かが違和感に気づいて、「お前は誰だ?」と言うはず!
でも念のために保険はかけとこう。
「その勝負に乗ります!
だけどソラリス様!
わたしからも一つ条件があります!」
「条件とは?」
「もしわたしが勝負に負けて、イザベラの体で生きることになったら、その時はわたしに転移魔法を授けてください!」
聖女は癒しと浄化の力を使えるけど、転移とか攻撃の魔法は使えない。
「転移魔法が欲しいの?
そのぐらいは余裕で叶えてあげられるけど、でもどうして転移魔法がほしいのかな?」
「婚約者や、義理の妹や、友人の中身が入れ替わったことに気づかない人達と、一緒に暮らすのが嫌だからです。
だからわたしが賭けに負けた時は、転移魔法を使って逃げます!
安心してください。
聖女の力を使って治療や浄化は続けますから」
わたしはただ、婚約者の中身が入れ替わったことにすら気付かない、王太子と結婚したくないだけ。
王太子や側近のいるお城を離れたいだけ。
国の為には尽くしますよ。
だけどこんな保険使う必要ないよね?
すぐにわたしの中身がイザベラじゃないって、気づかれるはずだから。
そうしたら日本に転生して、また日本食を食べ放題だ!
待っててね!
お寿司に、天ぷらに、肉じゃがさん達!
「わかった。その条件を呑もう」
「さすが神様、話が分かる!」
「では、賭けは成立ですわね」
「うん、一年後、わたしは勝利のVサインをしてると思うよ!」
「さぁ……それはどうかしら?」
その時イザベラは、とても余裕に満ちた表情をしていた。
彼女はわかっていたんだ。
自分がどれほど周囲から関心を向けられていないのかを……。
彼女は自分の中身が入れ替わっても周囲に気づかれないほど、自分がないがしろにされていることを、嫌というほど痛感していたんだ……。
現在、宮廷の庭園。
わたしは一年前のことを思い出し、ため息をついた。
まさか本当にイザベラの中身が入れ替わったことに、誰にも気づかれないとは思わなかった。
一年前に保険をかけておいてよかった。
保険で手に入れた転移魔法を使ってどこか遠くに逃げよう。
親しい人の中身が入れ替わったことにも気付かない人達とは、一緒にはいられないから。
わたしがイザベラの体に入った日は、イザベラの十六歳の誕生日だった。
ゲームヒロインのルシアと、イザベラの誕生日は同じ。
そのせいで、イザベラは学園に通っている三年間、誰からも誕生日を祝われていない。
「明日はわたくしの誕生会、ぜひいらしてくださいね」と言ったイザベラに攻略対象の四人はこう返した。
「明日はルシアの誕生日だ! 悪いが俺はルシアの誕生会に行く!」と言った王太子。
「お前の誕生会なんか開いても誰もこない。料理の無駄」と言った義兄。
「ルシアの誕生日だと知ってて同じ日に誕生会をやるなんて卑劣です! 彼女を学園で孤立させる気ですか?」と言ったフランシス。
「お金持ちなんだからいつでもお誕生会なんかできるでしょう? イザベラ様の誕生会は来月にしたら?」と言ったガレス。
誕生会当日に本当に誰も来なくて、一人泣いているイザベラ。
そんな彼女に「お料理もったいないんで、持ち帰っていいですか?」と聞いてくる使用人。
「誰か来るかもしれないから、もう少し待って」と言ったイザベラに、使用人は「どうせ待っても誰も来ませんよ。今なら温かいうちに料理を持ち帰れるのに」とぐちぐち言っていた。
悪役令嬢とヒロインを同じ誕生日にするなんて、ゲームのクリエイターも残酷なことをする。
イザベラの体に入った瞬間、彼女の十六年の人生がぶわーっと頭の中に流れ込んできた。
仕事が忙しく留守がちなイザベラの両親。
彼らはイザベラに王太子妃になることだけを期待し、彼女に厳しく当たった。
そして彼らは、優秀な義兄のナサニエルだけを可愛がった。
ナサニエルは何をやっても優秀で、完璧超人だった。
ナサニエルは、義妹のイザベラのことをいつも見下していた。
イザベラには家族と過ごした温かい思い出が一つもなかった。
家族から愛情をもらわずに育ったイザベラは、婚約者の王太子にすがることになる。
しかし王太子の目にはイザベラが権力に群がる貪欲な令嬢にしか見えなかった。
王太子は恋愛結婚に憧れていた。
だから彼は、公爵令嬢という身分と親のコネで、自分の婚約者に選ばれたイザベラのことをとても嫌っていた。
王太子はイザベラに辛く当たった。
彼とのお茶会は何度もすっぽかされ、たまに王太子がお茶会に参加したかと思うと、彼は終始不機嫌で一言も話さなかった。
王太子が婚約者のイザベラに対してそんな態度を取るものだから、彼の側近であるフランシスやガレスも、王太子の態度に倣いイザベラに酷い態度を取るようになった。
フランシスはイザベラの揚げ足を取り、あざけるのが好きだった。
「あなたのような女性が、王太子妃になるのかと思うと、この国の将来が心配になります。あなたを王太子妃にするくらいなら、猿にドレスを着せて座らせておいた方がマシですね」
フランシスにそう言われる度に、イザベラがどれほど傷ついたか。
脳筋のガレスはイザベラにわざとぶつかって転ばせたり、足をかけたりしていた。
「イザベラ様そこにいたんですか?
視界に入りませんでした」
同い年でも体格のよいガレス。彼に故意にぶつかって来られたら、華奢なイザベラなどひとたまりもない。
地面に尻もちをついたイザベラを見て、ガレスはゲラゲラと笑っていた。
フランシスやガレスがイザベラをいじめている所を、王太子もナサニエルも見ていたはずなのに、どちらもイザベラを助けなかった。
国王や王妃もイザベラが邪険にされているのを知っていたのに、見て見ぬふりをしていた。
彼らが今までにしてきたイザベラへの所業を、鮮明に思いだしたら吐き気がしてきた。
わたしはトイレで一時間吐いてしまった。
乙女ゲームが始まるのは、イザベラが学園に入学してから。
だけどイザベラの人生は、学園に入学する前から辛いことばかりだった。
イザベラはこんな悲惨な人生を、何回もループしていたんだ。
イザベラが自分の体に戻りたくない理由がよくわかった。
今まで自分に酷い態度を取ってきた人間が、聖女の力を授かった途端に、ちやほやしてきても気持ち悪いとしか思えない。
イザベラは十六歳の誕生日……つまりわたしが憑依した日に聖女の力に目覚めた。
それまで彼女に冷たくしていた人たちが、手のひらを返したように彼女に優しくしだした。
わたしには、これが聖女の隠し能力である人に愛される力だと分かっている。
人々が優しい言葉をかけてきてもわたしはただ虚しいだけだった。
「刻限になりました。
皆さんにお別れを言わなければなりません」
話は冒頭に戻る。
当初は公爵令嬢であるイザベラの体に、普通の女子高生だったわたしが入ったら、話し方や仕草ですぐバレるだろうと思っていた。
だけど所作や言葉遣いは、イザベラが身につけていたものが使えるようで、思いのほか誰も中身が入れ替わったことに気が付かなかった。
だからわたしはイザベラの記憶を頼りに、イザベラと違う行動を取ったのだ。
わたしはすくっと立ち上がり、ここに集まった四人の男性の顔を見た。
王太子ロバート・ウィンドハム。
イザベラの義兄のナサニエル・ベルモント。
宰相の息子で侯爵令息のフランシス・ハミルトン。
騎士団長の息子で、男爵令息のガレス・ダンモア。
彼らと顔を合わせるのも今日が最後だ。
わたしが別れを告げると、四人が顔を青ざめさせた。
彼らが青ざめているのが、聖女がいなくなることの損失への恐れなのか、それとも愛する人がいなくなることの悲しみなのかは分からない。
まあどっちでもいいというのが本音だ。
「お別れとはいったいどういうことなんだい?
イザベラ話してくれ!」
四人を代表して王太子が口を開いた。
「順を追って説明しますわ、ロバート様。
その前に皆様にお伝えしなくてはいけないことがあります。
わたし、一年前ある方と賭けをしたんです」
「淑女が賭け事とは感心しないが、一体何を賭けたんだい?」
そう質問してきたのは義兄のナサニエルだ。
「そう怖い顔しないで兄様。
わたしがある方と賭けたのは、わたしの転生先についてです」
「はぁ?」
転生先という言葉が予想外だったのか、騎士団長の息子のガレスが、不思議そうな顔をしていた。
「わたし、実は一年前に死んでるんです。
名前はイザベラではなく、三浦あすかという日本という国で暮らす普通の女子高生でした」
「イザベラ様、このところの公務でお忙しくて、いささか混乱しているようですね?」
メガネをくいっと押し上げ、そう話したのは宰相の息子のフランシスだ。
「ご心配にはお呼びませんわ。
フランシス様、わたしは正気です」
彼らの顔を見てニコッと笑いかける。
それだけで彼らは頬を赤らめるのだから、聖女の力は恐ろしい。
「わたしがある方とした賭けというのは、一年以内にここにいる皆様が、イザベラ・ベルモンドが消えたことに気づくかどうかということでした」
「何を言ってるんだ?
イザベラは俺たちの目の前にいるじゃないか?」
王太子はわたしの話している言葉の意味がわからないのか、困ったような顔をした。
「ええそうですね。
ロバート様のおっしゃる通りです。イザベラ・ベルモントの体だけは今もこうしてこの世界に存在しています」
「体だけ?」
ナザニエルが怪訝そうな顔で尋ねてきた。
「そうです。
ここにあるのはイザベラ・ベルモンドの体だけです。
彼女の魂は今、別の世界にいてわたしたちの様子を見守っています」
おそらく本物のイザベラは、ソラリス様と一緒に、あの無駄に豪華な宮殿の液晶テレビの前に座って、こちらの様子を窺ってるはずだ。
イザベラ、賭けに勝った気分はどう?
彼女は 今どんな表情してるんだろうか?
わたしはイザベラの気持ちを想像してみた。
もうこの世界と関わることはなくて嬉しい?
それとも、自分がいなくなったことを誰にも気づかれなくて少しは悲しんでいるのだろうか?
想像してみたけど、わたしには彼女の気持ちはよく分からなかった。
「本物のイザベラ・ベルモンドの魂は、一年前にこの世界から消えています。
今は三浦あすかがイザベラの体に憑依し、動かしています」
攻略対象の四人は動揺しているようだった。
「そんな馬鹿な」といった声が響いてくる。
王太子たちが混乱するのもわかる。
イザベラ・ベルモンドを愛したと思ったら、中身は別人だったんだ。
じゃあ自分が愛したのは誰なんだってなる。
「賭けというのは、魂が入れ替わったことに、皆さんが気づくかどうかということでした」
四人全員がハッとした。
「中身が違うのですから、すぐに気づかれると思っていました。
ですが今日に至るまでどなたも気づきませんでした」
「それは、見た目が同じなんだから気づくわけがない!」
「そうだ、そんなのわかるものか!」
彼らは口々に自分たちは悪くないと主張し始めた。
「そうでしょうか?
わたしはこの体に憑依した時イザベラの記憶を受け継ぎました。
わたしも賭けに勝ちたかったので、皆さんにはたくさんヒントを与えたのですよ」
たくさんたくさんヒントを与えたのに、それでもわたしは賭けに負けてしまった。
さようなら、ポテチに、ハンバーガーに、じゃがいもの煮っころがしに、お寿司に、カレーライスに、ナポリタンに、唐揚げに、天ぷらに、肉じゃがに、コロッケに、ラーメンに、カレイの干物、味噌汁に、ぬか漬けに、梅干し……!
一部、日本食でないものも混じってしまったけど勘弁してほしい。
日本で独自の進化を遂げたあの食べ物たちが好きだった。
日本じゃなくてもいいから地球に生まれたかった。
地球に生まれさえすれば、お金を貯めて日本に旅行に行くことができたから。
「ヒントとは?」
「あらお気づきになりませんかロバート様?
今日も与えていたではありませんか?」
彼は分からないといった顔で首をかしげた。
本当にこの人たちは入れ替わる前のイザベラのことなど、気にも止めていなかったんだな。
「ほら、このテーブルにもいっぱいヒントがあるじゃありませんか?」
彼らはテーブルの上にあるものを注意深く観察していたが、それでもわからないようで、やがて全員が首を横に振った。
「ロバート様が飾ってくれた赤い薔薇。
ナサニエル兄様が取り寄せてくれたアップルティー。
フランシスがパティシエに作らせたチョコレートケーキ。
ガレスが釣ってきた魚で作った料理。
……これは全部三浦あすかが好きなもので、イザベラ・ベルモンドが好きだったものではありません」
四人は、「そんなことありえない!」という顔をしていた。
「衝撃でしたか?
皆さんは『昔からイザベラが好きだったものだ』と言って、わたしにプレゼントしてくださいましたものね」
彼らが「昔から」という言葉を使う度に思っていた、「昔っていつだよ?」って。
わたしがイザベラの体に入ったのは一年前だ。
彼らの感覚の中では一年前を昔と言うらしい。
「教えてあげましょうか?
本当のイザベラ・ベルモンドが好きだったものを。
彼女が好きだった花はすずらん。
好きなお茶はハーブティー。
好きな食べ物は、肉料理と紅茶の葉っぱを入れたクッキー。
これらのものは、わたしがイザベラの体に憑依してから、どなたからも頂いたことがありません。
おかしいですよね?
ロバート様とは十歳から婚約していました。
ナサニエル兄様とは三歳から一緒に暮らしていました。
フランシス様やガレス様とも、十歳から付き合いがありました。
皆さんそんなに昔からイザベラ・ベルモンドと関わってきたのに、何一つ本当の彼女が好きなものをご存知なかったのですね?」
王太子とナサニエルは、暗い顔で項垂れていた。
フランシスとガレスは、「婚約者でもないし、兄弟でもないんだからわかるわけないじゃん」という顔をしている。
「フランシス様とガレス様はご自分には関係ない、みたいな顔をされていますね?
イザベラは十歳の時から、二人のことをお友達だと思ってきました。
なのにそのお友達は、イザベラの好きなもの一つ把握していなかった……悲しいですね」
わたしが悲しみに目を伏せると、フランシスとガレスもようやく罪悪感を感じたようだ。
「本当のイザベラは、紅茶の葉入りのクッキーを作って、お茶会に出したことがあります。
その時イザベラは、『わたくしは紅茶の葉入りのクッキーと、ハーブティーが好きなんです』と言って自らハーブティーを淹れました。
そのお茶会にはここにいる全員が参加していました。
それからイザベラはお茶会が終わる時、すずらんの刺繍入りのハンカチを皆様に贈りました。
『わたくしの好きな花を刺繍してみました』と言ってね」
「………」
全員何も話さなかった。
きっと誰の記憶にも残っていないのだろう。
イザベラにとっては、辛い人生の中で唯一と言っていいほど楽しい一日だった。
今でもあの日の記憶は、イザベラの中に鮮明に残っている。
仮令お茶会に参加したメンバー全員に、忘れ去られるような一日だったとしても、彼女にとっては大切な一日だったのだ。
「皆様、その時イザベラがプレゼントしたハンカチを今でも持っていますか?」
「…………!」
誰も言葉を話さなかった。
きっと無くしたか、捨ててしまったのだろう。
「本当のイザベラはすずらんをモチーフにした、髪飾りやイヤリングやペンダントを身に着けていました。
イザベラの体に入ったわたしは、赤い薔薇の髪飾りやイヤリングやペンダントを身に着けています。
その変化に気づいた方はお一人もいません」
男性は、女性の身に着けている小物にまで関心がないのかもしれない。
それにしても、鈍感過ぎないだろうか?
「それからもっと分かりやすいヒントも与えました。
本当のイザベラはいつも深い青い色のシックなドレスを纏っていました。
ロバート様には不評でしたけど。
なんで本当のイザベラが深い青い色のドレスを好んで着ていたかわかりますか?
ロバート様の瞳の色だからですよ」
「…………!」
王太子はハッとした顔をしていた。
「イザベラの体に入ってからのわたしは、ピンクのドレスを好んで着ていました。
皆様は『イザベラは昔からピンク色のドレスが好きだったよね』『イザベラは昔から桃色のドレスがよく似合っていた』と言いました。
本当のイザベラは、ピンク色のドレスなんか着たことがなかったというのに。
貴方がたの言う『昔から』ってつい最近のことなんですか?」
アクセサリーと違い、服の色なんて嫌でも視界に入ってくるだろう。
青い服とピンクの服なんて、見間違うはずがない。
それなのに、彼らはそんなことすら記憶していなかったのだ。
「まだあります。
本当のイザベラは自分のことを「わたくし」と呼んでいました。
三浦あすかの一人称は「わたし」です。
他にもありますよ。
本物のイザベラはロバート様のことを『王太子殿下』と呼んでいました。
フランシス様のことは『ハミルトン侯爵令息』と呼び。
ガレス様のことは『ダンモア男爵令息』とお呼びしていました。
兄様のことは『ナサニエルお兄様』と呼んでいました。
それすらも覚えていませんか?」
自分がどう呼ばれていたかぐらい覚えているでしょう?
「仲良くなったので、親しみを込めて名前で呼んでくれるようになったのかと……」
王太子が消え入りそうな声で言った。
「本物のイザベラはロバート様のことをずっと『王太子殿下』と呼んでいました。
十歳の頃から婚約してるのに、本当のイザベラはロバート様のことを、一度も名前で呼んだことがありません。
そんなに長い間婚約していても、ロバート様と本当のイザベラは、仲良くなれなかったのですね」
「くっ……!」
王太子は悔しそうに拳を握りしめていた。
なぜあなたが被害者みたいな顔してるんですか?
王太子の権力を使って、イザベラのことを傷つけてきたくせに。
イザベラがフランシスやガレスにいじめられているところを見ても、助けなかったくせに。
王太子殿下、あなたにはそんな顔する資格はありませんよ?
「他にもわたしとイザベラの違いはありますよ。
本物のイザベラは右利き、わたしは左利き。
ほら、今日もティーカップを左手で持ってるでしょう?
些細な違いだと本物のイザベラは右足から踏み出しますが、わたしは左足から踏み出します」
婚約者や義妹が、左利きか右利きかぐらい覚えていると思ってた。
「ロバート・ウィンドハム様、
ナサニエル・ベルモント兄様、
フランシス・ハミルトン様、
ガレス・ダンモア様……。
わたしがある方とした最初の賭けの内容は、イザベラと関わりが深い皆様のうちの誰かが、イザベラの中身が別人にすり替わったことに気づくことでした」
最初は一か月ぐらいあれば余裕で勝利できると思っていた。
だがすぐにそれが間違いだと気づいた。
「ですがイザベラとして生きるうちにわかりました。
誰も彼も聖女の力を授かる前の、本当のイザベラに一ミリも興味も関心もなかったと」
「………」
全員思うところがあるのか何も話さない。
「なのでわたしは神様にお願いして、賭けの内容を変更してもらったんです。
ロバート様、ナサニエル兄様、フランシス様、ガレス様に『お前は誰だ?』と言ってもらうのは無理だと判断したので、わたしの正体に気づく人間の数を増やしてもらいました。
新しく追加したのは、イザベラの両親であるベルモント公爵と公爵夫人と、義理の両親になる予定だった国王陛下と王妃殿下の四人です。
あなた方四人に加え、この中の誰か一人がイザベラの中身が入れ替わったことに気づいて、わたしに『お前は誰だ?』と尋ねたら、賭けはわたしの勝ち」
人数を増やしたから、今度こそ賭けに勝てると思ったんだけどね。
「ですがやはり誰も、イザベラの中身が入れ替わった事に気づきませんでした。
ここまで来ると、以前のイザベラは、皆に嫌われているというより、誰からも関心を持たれなかったと言った方が正しいですね」
聖女が現れる前から皆に関心を持たれることなく、ないがしろにされていたイザベラ。
こんな賭け、勝っても負けても苦しいだけじゃない。
イザベラが賭けに勝てば自分は消えたことにすら気づかれない存在だという現実を突きつけられ、イザベラが負ければこの世界に戻って自分を傷つけた王太子と結婚しなくてはいけない。
こんな賭けを持ち出してでもこの世界と縁を切りたいぐらい、イザベラはこの世界に絶望してたんだね。
彼女の記憶を持っていても、彼女の体を借りていても、わたしはイザベラの身に起こったことを実際に体験したわけではないから、彼女の本当の気持ちは分からない。
ただイザベラに寄り添ってあげることはできると思う。
賭けはあなたの勝ちだよイザベラ。
イザベラはきっと神様に記憶をまっさらにしてもらって転生するんだろうな。
転生した世界で今度こそ幸せになれるといいね、イザベラ。
「それでは皆さんさようなら。
もう二度と会うことはないでしょう」
賭けに負けたわたしは、この世界にとどまり、瘴気を浄化し、怪我や病に苦しむ人々を治療しなくてはいけない。
わたしは最後にロバート様、ナサニエル兄様、フランシス様、ガレス様の四人の顔を見てにっこりと微笑み、彼らに向かって手を振った。
そして転移の呪文を唱えた。
「待ってくれ!
行かないでくれイザベラ!」
転移する瞬間、王太子の悲痛な叫び声が聞こえた気がする。
王太子……あなたが必要なのはどっちのイザベラですか?
あなたに嫌われ、あなたに散々傷つけられても、あなたに尽くしていたイザベラですか?
それとも……聖女の力を持ってるわたしですか?
もし後者なのだとしたら、あなたが必要なのは聖女の力であってわたしじゃない。
さようなら、イザベラを傷つけた酷い人達。
もう二度と会うことはないでしょう。
その後、聖女が王宮から消えたことはあっという間に皆が知ることとなった。
王太子達は聖女が消えた理由を誰にも話さなかった。
話したら自分達の責任を問われることがわかっていたからだ。
だが、お茶会の警備にあたっていた近衛兵が全てを聞いていた。
結局彼らは聖女を引き止められなかった責任を問われ、王太子は廃太子され、ナサニエル・ベルモント、フランシス・ハミルトン、ガレス・ダンモアの三人は廃嫡された。
国王と王妃は、本当のイザベラが消えたことに気づかなかった責任を問われ、自ら王位を手放した。
ベルモント公爵夫妻は親戚に爵位を譲り隠居した。
聖女は消えた。
莫大な恩恵を与える聖女を王室で抱え込めたのなら、どれほど国が潤ったか分からない。
それはイザベラに関わった全ての人間の責任。
本当の彼女が消えてしまったことに、中身が入れ替わってしまったことに、誰か一人でも気づけたのなら……結果は違っていただろう。
――終わり――
読んで下さりありがとうございます。
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※16〜18歳にとって一年前なんて「昔」だよね……というツッコミはスルーします。
※誤字報告ありがとうございます!
大変助かっております!
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連載中の下記作品もよろしくお願いします。
「完結保証・嫌われ者の公爵令嬢は神の愛し子でした。愛し子を追放したら国が傾いた!? 今更助けてと言われても知りません」
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