5話 お母さんとお父さん
傷薬を塗り終わると、手を繋いでお母さんのところに行く。
「おはよう、アグス、リーナ。今日も仲良しね」
お母さんが、私とお兄ちゃんが手を繋いでいる姿に微笑む。リーナの記憶からいつもの事だとわかるけど、恥ずかしい。
『確かに仲良いよな。俺にも妹がいるけど、手を繋ごうとしたら絶対に蹴飛ばされる。それも、思いっきり』
ユウ、それは今の年齢だからなのでは? 子供の頃は違うと思うよ。
「あっ」
おそらく私とお兄ちゃんの首に気づいたのだろう。お母さんの顔が強張る。
「大丈夫だよ」
お兄ちゃんがお母さんの手を握る。
「えぇ、そうね。あなた達は呪いに勝って、ここにいるんだから」
『母親もすぐに呪いだと気づいたな。本当に呪いがすぐ傍にある世界なんだな。こわっ』
泣きそうな表情のお母さんに、ギュッと抱きしめられる。そんなお母さんの背に手を伸ばす。
ごめんなさい。本物のリーナは、呪いで死んでしまったんです。私は、偽物。
「リーナ、痛い?」
そっと首元に手を伸ばすお母さん。
「大丈夫。お兄ちゃんが傷薬を付けてくれたから」
本当は少し痛い。でも、なんでもないと笑顔を作る。
お兄ちゃんもお母さんも、すごく優しいな。私は、こんな良い人達をこれからずっと騙し続けるのか。苦しいな。
「痛いなら痛いって言っていいいのよ?」
私の笑顔では誤魔化せなかったみたい。悲しい表情をさせてしまった。
「うん。ちょっとだけ痛い」
どうして憑依なんてしてしまったんだろう? いや、私が憑依しなかったらリーナは死んでいた。これ、どっちが良かったのかな?
「ただいま。どうしたんだ? 何があったんだ?」
お父さんが家に入って来ると、私たちの様子を見て慌てて傍に来る。そして私とお兄ちゃんの首を見て、目を見開いた。
「まさか、呪い? あの女か? くそっ、次に会ったら何をしたか問い詰めて――」
「リグス、ダメよ」
お父さんの言葉を慌てて止めるお母さん。
「彼女は子爵家当主の妹よ。問い詰めれば、私たちの態度が悪いと罰を受けるわ。子供達だって何をされるか」
確か貴族階級は、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、準男爵だったよね? 子爵は貴族としては下なのに、文句を言うだけで罰を受けるなんて。かなり面倒くさい世界にきてしまったみたい。
「ごめん、頭に血が上った」
お父さんが、私とお兄ちゃんの頭を撫でる。
「ごめんな。お父さんのせいで、2人には痛い思いをさせてしまった」
「お父さんのせいじゃないよ」
お兄ちゃんがお父さんの手を掴む。私も隣で頷く。
「そうだよ。お父さんのせいじゃないよ」
「アグスとリーナは優しいな。こんな良い子に育ってくれてお父さんは嬉しいよ」
お父さんが嬉しそうに笑って、お兄ちゃんと一緒に抱きしめられる。お母さんより力が強いな。
「お父さん、力を加減して! リーナが痛い思いをするだろう」
お兄ちゃんが怒ると、お父さんが笑って両手を上にあげる。
「ごめん、痛かったか?」
お父さんが申し訳なさそうな表情で私を見る。
「大丈夫だよ」
「リーナ。お父さんを甘やかしたら、また力加減を忘れて抱きしめられるよ。前に痛い思いをしただろう?」
んっ? あぁ、確かにそんな事があったね。
「ほら、リグスは手を洗って、朝ごはんにしましょう」
お母さんがお父さんの肩を叩いて、ある扉を指す。
確か、洗面所だ。
「わかった。スーナは、大丈夫だったか?」
「大丈夫よ。さっきも様子を見たけど、よく眠っていたわ」
「そうか」
お父さんがホッとした様子で洗面所に行く。その間に、お兄ちゃんと一緒に朝ごはんの準備を手伝う。今日の朝ごはんは、ミルクスープと蒸したジャガイモだ。
あっ、リーナはお母さんの作るミルクスープが好きなんだ。二日前も、嬉しそうに飲んだ記憶がある。
「今日もうまそうだな」
お父さんが席に着くと、皆で食べ始める。
「「「「いただきます」」」」
『へぇ、この世界はその言葉を知っているんだな。それだとあの定番のシーンができないな』
ユウの言葉が気になり、スープを飲みながらチラッと視線を向ける。
『主人公が食事をする時に、いつもの癖で「いただきます」を言ってしまうんだよ。それで一緒に食事をしていた者が、それはなんだって聞いてきて「いただきます」の意味を、皆に知らせると「それ、いいな」って事になるんだ。で、次の食事から皆で「いただきます」を言うようになるんだよ』
それ、私が言ったらダメだよね。 この世界に「いただきます」を言う文化がなかった場合、ここで私が「いただきます」を言って意味を説明する。家族はどうしてそんな事を知っているって事になるでしょ? だって、ずっと一緒にいた家族が急にこの世界にない「いただきます」と意味を知っているんだから。
ジャガイモを口に入れる。掛かっているソースがおいしいな。
『ん~、腹が減っているわけではないが。おいしそうに食べているのを見ると、食べたくなるよな』
チラッとユウを見る。
その気持ちはなんとなくわかる。でも、ジッと食べているところを見られるのはイヤだ。
「「「「ごちそうさまでした」」」」
皆で後片付けをしていると、お父さんが私の首を見た。
やっぱり気になるのかな? お兄ちゃんより、傷痕が酷いから。
「傷痕が残りそうだな」
悲しそうに呟くお父さん。
「教会の薬を買えればいいんだけど」
お母さんが、お父さんを困った表情で見る。
「ムリよ。お金がないわ」
「そうだな」
リーナの記憶に教会はあるけど、教会の薬についてはない。特別な物みたいだけど、お金が必要みたいね。
「お父さん、私は気にしないよ」
お父さんの手を握る。
あっ、気づいたらお父さんの手を握っていた。リーナは、家族と手を繋ぐのが好きみたいね。
「そうか?」
「うん」
お父さんが私の頭を撫でる。
お父さんに頭を撫でられるなんて、いつぶりだろう? ふふっ、リーナは昨日もだね。
「リグス、仕事の時間よ」
時計を見てお母さんがお父さんを急かす。
「本当だ。遅刻はダメだな。アグス、カーナと妹二人を頼むな」
「うん、任せて。いってらっしゃい」
お兄ちゃんがお父さんに手を振る。
「お父さん、いってらっしゃい」
私もお兄ちゃんの隣で手を振ると、お父さんが嬉しそうに笑う。
「いってきます」
お父さんが仕事に行くと、お母さんが大きなカゴを持ってきた。
「お母さん、今日は納品の日?」
納品?
あっ、お母さんは家でお針子の仕事をしているんだ。刺繍の腕がいいんだったね。
「そうよ。そうだ、今回の刺繍はすごく自信があるの見て」
私たちに向かって、カゴから出したワンピースを広げるお母さん。
「うわぁ、すごい」
ワンピースの胸元に施された沢山の花の刺繍。色鮮やかでとっても繊細なそれは、お母さんが「自信がある」と言っただけある。
「お母さん、すごく綺麗だね」
お兄ちゃんの言葉にお母さんが笑う。
「そうでしょう? お母さん、頑張ったわよ」
本当にすごいな。
「もう一枚あるわよ」
お母さんがカゴの中からもう一枚、ワンピースを取り出し広げる。そちらは花と蝶々が施されていて、とても華やかだった。
「お母さん、本当にすごい」
「ありがとう。リーナ」
「リーナ。そろそろ準備をしないと」
えっ、なんの?
「アグス」
「どうしたの? お母さん」
お兄ちゃんがお母さんを見る。
「今日は学校を休んで、家でゆっくりすごしなさい。首の傷もあるし」
そうだ、学校があったね。
「あっ、そうか。そうだよね」
お兄ちゃんが、困った表情で首を触る。
「どうしたの?」
心配そうな表情でお兄ちゃんを見るお母さん。
「これが治るまで、学校は休むの?」
それだと、結構長く休む事になるよね。
「いいえ、少し落ち着くまでよ。今日は、赤くなって熱を持っているでしょう?」
「うん」
『親に認められたずる休みだな』
それは違うでしょ。病気ではないけど、怪我で休むんだから。
お母さんが私を見る。
「リーナもね」
「うん、わかった」
首に触ると、ピリッとした痛みと熱を感じた。二、三日で落ち着くかな?