9話
時は入学してしばらく後、もうすぐ学園をあげての祭典の時期だ。元は豊作と発展を祝う祭事とかだったらしいが、今のこの学園ではほとんど前世の文化祭のような催しになっている。
そして今は準備期間。またもや役員の称号のせいで面倒事を押し付けられてしまった。
確か、経営の練習の一環で、場所や道具を借りるための書類を纏めるとかそういう類いのものだったような。最終的に決めたのは自分たちだが、めんどくさいったらありゃしない。
共に役員なはずのオーウェンは、先生に呼ばれてどこかに行ってしまったし。
ひとりしかいない教室はやたらと静かで、たまに、微かだが祭典の準備をする生徒達のはしゃぐ声がする。授業も終わった時間帯であるから、当たり前のことだと言えばそうなのだけれど。
窓辺の席は暖かな日が差し込んで、温もりが身体を包み込んでくれる。
……キリもいいし、ちょっとだけなら寝てもいっか。
眠りの誘惑に負け、机に伏せて目を瞑る。
ものの数分も経たないうちに、私は夢の世界へと旅立ってしまった。
●○●○
やっと先生との話が終わり、職員室を後にする。1時間くらいかかってしまったが、まだあいつは役員の仕事をしているんだろうか。
ちらりと教室を覗くと、机にうつ伏せるラベンダー色の長い髪の生徒。仕事はあらかた終わっていたようで、書き終わった書類が横の机に置いてある。
ここまでやったのならさっさと提出しに行けばいいのにと思うが、多分仕事が終わったのと同時に力尽きてしまったんだろう。それにしてもこんな所で寝るなんて、随分とずぶとい神経をお持ちのようだ。
近づいてみても起きる気配はなく、すよすよと安心しきった寝息が聞こえてくる。
ふと、彼女の紫色の髪に糸くずがついているのを見つけた。
仕方なく、髪についていたゴミをとってやる。
自分のそれとは違う、触り心地のよいさらさらとした髪。その髪は指に引っかかることなく手からすり抜けていく。
……ゴミを取ってやったんだから、少しくらい触ってもバチは当たらないだろ。
ブラシをかけるみたいに、髪にそって起きないようにゆっくり撫でる。
髪に触れたのはちょっとした出来心からというか、興味本位というか。ただ気が向いただけで、下心があるわけでも大した理由があるわけでもなかった。たとえば、幼い子供が野原に咲く花を摘むみたいな。
紫色の髪が陽の光を受けて、夜の星空のように輝いている。
普段こんなことなんて出来ないから、ついやりすぎてしまった。らしくないことなんてするんじゃなかった。
彼女がもぞもぞと身動ぎをする。
もしかしたら起こしてしまったかもしれない。こんなことをしていたのがバレたら、絶対彼女にいいネタにされるに違いない。非常にまずい状況だ。なんとか、なんとかしないと。
「ん……ふふっ……」
そんな俺の心配をよそに、あろうことか彼女はふにゃふにゃとしたしまりのない顔で、小動物みたいに俺の手に擦り寄ってきた。
陶器のように白い肌はすべすべとしていて、顔は手に収まりそうなほどだ。触れた部分からほんのりと熱が伝わってくる。
ただちょっと髪に触っただけなのに、一体どうしてこんな状況に……。
見ちゃいけない一面でも見てしまった気分だ。起きたのかと思って驚いて手を引っこめたが、彼女は変わらない様子ですぴすぴと気持ちよさそうに眠っている。
温かくて柔らかい頬の感触が、まだ手に残ったままだ。
「っ……」
顔が火照ってきて、心臓がバクバクと忙しなく動き出す。なんか熱い、早く冷ましてしまいたい。
なんだかいたたまれなくなって、俺はその場からそそくさと逃げ出した。
・・・
自分の部屋に着くや否や、バタンと扉を閉めズルズルと床にへたり込む。嘘だ、嘘だと言ってくれ。きっと気のせいだ、こんなのは。
心臓が煩いのは部屋に戻るまでに走っていたせいで、眩しく見えたのも多分勘違いかなんかだ。
そうだ。俺が、あんなやつに惚れるわけがない。あんな、ちょっとからかっただけで倍にして返してくる可愛げのないやつに……なんか思い出すだけで腹立ってきた。ついこの間、ちょーっとからかってやっただけなのに「淑女の扱いを学び直されてはどうですか」とか言われたし。
最初に会った時も、今までだって散々皮肉の応酬をしてきた。色恋とか、そんな対象じゃない。
そう、だから……違う、違うちがう……。
今まで築いてきたものが壊れてしまいそうで、どうしても、一瞬でも可愛いと思ってしまった自分を受け入れたくなかった。