3話
婚約者。
一般的には将来結婚する仲の二人を指し、公的な場では伴って行動することが暗黙のルールとされている。
そう、それが例えめちゃくちゃ仲の悪い相手であったとしても。
「カミラ?何かあったの?」
自分の家の庭でお茶会をしている中、そう言って顔を覗き込んできたのは、私と同じ伯爵令嬢のリナリア・スターチス。彼女と出会ったのは私が12歳の頃に招待された王家のお茶会で、今では私の数少ない気の置けない友人だ。
友人とのティータイムの最中なのにぼーっとしているなんて、せっかくの時間を無駄にしてしまうところだった。
「いやぁ、ちょっと婚約者のことで……」
「あら、あの例のお方ね」
「リナリアは知ってるの?」
「ええ、色んな意味で有名な方だから」
「少し気難しいお方だけれど、侯爵子息の身分で煌びやかな容姿だから、王子様のようだと周りのご令嬢がよく噂しているの」と彼女は苦笑しながら話す。全然少しどころじゃない気がするんだけど……。あんなのがいいと思うなんて、世界は広いんだなあ。是非とも私と変わってくれ。
「やっぱり、カミラはあのお方と舞踏会に?」
「ええ、そういうことになりそう………」
近々王都で開催される舞踏会。そこではパートナーと共に参加することが推奨されており、幸か不幸か我が家も招待を受けている。
ああ、とうとう自分にもこういうことをしなければならない時期がくるとは。人生初めての舞踏会がこれだなんて、とことん自分はツイてない。はぁ〜……サボりたい。
日々のハードワークに加えて、ダンスのレッスンもしなければいけないなんて。しかも踊る相手があの生意気で嫌味なお坊ちゃまとか体力的にも精神的にもキツすぎる。
「リナリアが羨ましいわ。だって穏やかでとても優しい方なんでしょう?」
「ええ……ノア様は私にはもったいないくらいのお方だわ」
彼女の頬がぽっと赤らむ。う〜ん可愛い。あんなのよりよっぽど癒される。
彼女は婚約者と良い関係を築けているみたいで、大変羨ましい。是非とも自分が世界の中心だと思っていそうなあのお坊っちゃんに、そのノアとかいう人の爪の垢を煎じて飲ませてやりたいくらいだ。
「リナリア様、お茶会中失礼致します。この後舞踏会用のダンスのレッスンがございますのでご準備を」
つかの間の穏やかな時間を過ごしていると、懐中時計を確認した彼女の執事がそう告げる。
「あら、もうそんな時間なのね」
「美味しいお茶とお菓子をありがとう、カミラ。今度はうちにご招待するわ」
そう言って、彼女は私の家を後にした。
ああ、私もダンスのレッスンしなきゃ……。
たった今癒された精神がごりごり削れていくのを感じながら、私は練習用の部屋へ向かった。
・・・
「お嬢様、足が逆です」
ダンスの講師に注意されながら、必死に体を動かす。なんで14歳の子供にこんなことさせるんだ、全く。まあ、正論を言うと将来のためとかそんなのなんだろうけど。
「相手の足を踏んでしまわないよう、お気をつけくださいね」
そう言われて、あの腹立たしい顔がふっと頭に浮かんできた。あの人の足ならむしろ思い切り踏んでしまいたい。
だけど、もし舞踏会で足を踏んだり酷い踊りを披露しようものなら、持ちうる全ての語彙力で大雨のごとく大量に皮肉を浴びせられそうだ。その光景が容易に想像できる。
大丈夫、この地獄もあと数年。婚約が解消されるまでの辛抱だ。
……ん、なんの事かって?
実はあの後ふたりの間で、彼が家を継ぐ時、つまりは18歳で学園を卒業するときにこの婚約を解消する、ということでちゃんと話がまとまったのだ。もちろんバレでもしたら両親辺りから大ブーイングの重大な機密事項なので、親や使用人達には告げていない。つまりは当人同士だけの契約ってわけ。
……一応後で友人だけには打ち明けるつもりだけど。
面倒事はまだあって、単純にあと数年あるだけでなく、前世の高校みたいに16歳になったら学園にも通わないといけない。だが、学園では寮で暮らすことが多いらしいからそこはありがたい。ちょっとでもこの生活から離れられるのは喜ばしいことだ。
まあ、その前にこの舞踏会を終えないといけないんですがね。ははは……はぁ。心の中で本日何回目かのため息をつく。
とりあえず、あの人に煽られるのは癪だし、ダンスの練習頑張ろう……。