1話
前世は本当にツイてなかった。
必死に働いていたのに、上の不手際で会社は給料日前に倒産して一文無し。挙句の果てには、行き場もなくフラフラしていただけで居眠り運転をしていた車に引かれてお陀仏。一生懸命生きてただけだったのになあ……。
まあ、今更どうしようもないけれども。
そして、なんやかんやあって今世。
気づけば私は、元の世界とは大分異なる世界の、所謂やろう系の憧れ、みんな大好き貴族令嬢になっていた。金持ちなんだし豪遊し放題!美味しいもんもいっぱい食べれる〜!……って思うじゃん?
なんと、これがまた大変なものだったのだ。
まず、食事のマナー。
前世は純日本人で箸しかまともに使ったことのない私がカトラリーなんぞ知るわけが無い。まずナイフとフォークを外側からとって……とかわけわかんねえよ全部箸で食べたい。箸が恋しくて泣いた夜が何度あったか。それでも今世では必須なので、なんとか死ぬ気で食事のマナーは覚えた。
それから、洋服。
貴族なんてものが存在する、中途半端に色んなものがごっちゃになったよく分からん中世風の世界だから、当然のように女性はドレスを着なければならない。公的な時に着る洋服となれば重い、邪魔、キツいの三拍子。前世のような動きやすいズボン、ジャージなんてものは勿論無い。しかも猫背で身につけるのはもってのほかであるからして……姿勢をめちゃくちゃ矯正されました。これを保つのがなかなかキツい。前世の、ポテチをつまんでスマホを眺めてダラダラできる貴重な休日を返せ。
そして、いちばん私にとって面倒なのが貴族の社交界。前世勤めていたブラック企業を彷彿とさせる。
どんなに幼かろうが愛想笑いは基本中の基本、爵位があるから礼儀は絶対でゴマすりは必需品。
前世でもこの類いの仕事で思ってたけど、ほんと人見知りに何させるんだよ。引きこもらせてくれよ切実に。テレワーク希望です。
……とまあ、いろいろ愚痴は入ったがこれが毎日の最低限。そんな風に、慣れない生活に小さなストレスが少しずつ積み重なっていって、もう限界だった。
そんな時に突然舞い込んできたお見合い話。
親同士の都合でベルガモット侯爵家の一人息子と私、カミラ・セントポーリアが婚約することになったので、本日にでも顔合わせをしましょうというのが主な内容だった。相手は同じ14歳と聞くが、果たしてどんな人だろうか。
せめてこの日々の癒しになるような、素敵な相手であれと心の中で願う。
立派な庭園のある屋敷の前で馬車が止まった。待機していた使用人に部屋へと案内される。親は親同士で話があるらしく、別の部屋へと消えてしまった。
「オーウェン様はこちらにいらっしゃいます」
執事の人が丁寧な手つきでドアを引き、部屋の中へと促される。
おそるおそる相手を確認すると、そこには
__綺麗な男の子がいた。
熟した林檎かのような深紅の髪は、くせ毛なのかところどころ少し外にはねていてどこかやんちゃっぽさを感じる。ツリ目気味の青い瞳はラピスラズリみたいで、三次元に興味のない私でも思わず引き寄せられてしまいそうだ。
後ろで「それではごゆっくり」と言う執事の声と、パタンと扉が閉まる音が聞こえた。
え、どうすればいいのこれ。
私が固まっていると、目の前の端正な顔つきをした子はその眉をきゅっと潜める。
あれ、なんだろう。嫌な予感がする。
先程までとは打って変わって、あからさまに不機嫌そうなオーラを醸し出し始めたその子は、つっけんどんな態度で言い放った。
「扉の前でぼーっと突っ立っているところ悪いが、能天気な勘違いをされたくはないのではじめに言っておく」
「俺は、お前と仲良くするつもりはさらさら無い」