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第三部 闘争 32

「いやもうトントン拍子で話が進んでるよ。信頼ってのは大切だよな」

 雄大はビールを飲み干すと、満足げにつぶやいた。

 今日は久方ぶりに『なかきよ』で旧DROPメンバーが集まって宴会を行っていた。DROPが荒川によって閉鎖されて以来、久方ぶりに会った人たちも多く近況を語り合った。しかし、かつてのメンバー全員が来たわけではない。グロウのテロと世界同時地震によって命を落とした者もいる。大けがをして障害が残り、ダンサーの道を諦めた者もいる。反透明症に恐れを抱いてダンサーをやめた者もいた。もちろん荒川もいない。

 それでも雄大を始め、ここにいる者はDROPが再開に向かっていることを喜んでいる。一人を除いて。

 泥酔した雄大は所々まだらな透明になっていた。グロウのテロ以前は透明症を乗せてくれるタクシーもいたが、今はどこも風評被害を恐れ、受けてくれない。このため雄大の奥さんに電話してレンタカーで迎えに来てもらった。伸也は透明な部分がでていないかメンバーをチェックして送り出した。

「一緒にステージに立ちましょう」

「病気を早く治してください」

 ダンサーやスタッフからかけられる言葉に力強く頷いてみたものの、わだかまりが心の内側に深く根を張っているのを意識していた。

 伸也と麻衣子は歩いて家路に就いた。南から吹いてくる夜風は暖かだった。あと一週間ほどで桜が開花するというニュースを思い出した。

「みんな元気でよかったわ。あたしたちも頑張らなけりゃ」

 麻衣子の言葉で、わだかまり、くすぶっていた心に火が付いた。

「だめだ。俺は引退するよ」

 ぼそりと、吐き出すようにつぶやいた。

「だめよ、何言ってるの。伸也はステージに立たなきゃ行けないの。みんなだってあんなに期待していたでしょ」

「DROPが再開して、俺の病気が治ったとしても、俺はステージに立っていいんだろうか」

「いいに決まっているじゃない」

 麻衣子は伸也の手を掴んで立ち止まった。真剣な目で見つめてくる。

「貴斗とお父さんのことを言っているんでしょ。それこそ辻田と貴斗の思うつぼよ。何度も言うけど、お父さんの死は辻田がやったこと、貴斗は自業自得」

「そんなこと、わかってるよ」

 のけぞって倒れていく貴斗の姿。男たちに殴られ、踏みつけられて悲鳴を上げる父親。彼らの死んでいく姿が、不意にスローモーションで甦る。

 息苦しさを覚えて立ち止まった。大きく呼吸しながら、息を整える。麻衣子が心配そうに見つめていた。

「ごめん、ちょっと言い過ぎた。頭ではわかっていても、感情がついていかないんだったね」

 肩に触れてきた手を握り、麻衣子を抱き寄せた。服越しに伝わってくる麻衣子の体温と、柔らかな匂いが心を落ち着かせていく。

 涙が溢れてきた。

「頬にまだらができてきたわ」

 麻衣子がコートについているフードを被せた。

「ありがとう」

「歩ける?」

 伸也は頷いた。

 二人は腕を絡め合い、再び歩き出した。


 翌日の朝、雄大から電話があった。

「昨日は悪かったな。うれしくてつい飲み過ぎちゃったよ」

「俺らは問題ないですよ。全員無事帰宅しましたし。奥さんが一番大変だったでしょ」

「ああ、さっきえらく怒られた。外でまだらになるなんて自殺行為だって」雄大の笑い声が聞こえてくる。「それより仕事の話だ。明日の午後は空いているか?」

「大丈夫ですよ」

「じゃあ明日午後一時半、二人でトレミティ本社へいくぞ」

「えっ……。俺もですか」

「専務さんのご指名だ」

「でも――」

「お前はDROPの取締役じゃないけどな、大株主でDROPトップダンサーなんだぜ。それくらい協力してくれよ。十二時にトレミティ乃木坂店で待ち合わせな。よろしく」

 電話が切れた。呆然としながら耳から携帯電話話したところで麻衣子と目が合った。

「明日の午後、トレミティの本社。弟が会ってくれって」

「あら、よかったじゃないの」

「よくないよ。どの面下げて弟と会えばいいんだ」

 ソファで頭を抱えてかがみ込んだ隣に麻衣子が座った。

「だって伸也をけなすためなら、わざわざトレミティの本社なんかに呼ばないでしょ。これって、伸也に対して友好的だっていう証拠じゃないの」

「でも弟はあくまでも俺がDROPのダンサーだっていう前提で会いたいんだぜ」

「だったらそういう形で会えばいいじゃん」

「簡単に言うなよ」

「弟さんには弟さんの事情があるのよ。弟さんがあくまでも兄弟の関係を明かさないつもりなら、伸也もそれに合わせればいいのよ。伸也にもわだかまりがあるのはわかるわ。一切関係を絶っておきながら、今になって会いたい、しかも兄弟の関係は明かさないなんて虫がよすぎると思う。でも、DROPを助けようと思ったのは、イコール伸也を助けたかったからだと思うの」

 伸也は首を振った。「虫がいいのは俺の方さ。父さんを見殺しにしたのに、弟と平気な顔で会うなんてできないよ」

 麻衣子は腕を組んでみせる。「伸也、やっぱり弟さんと会うべきよ。会って笑顔を見せれば、そんな思いを断ち切れると思うのよ」

 結論が出ないまま夜になった。シャワーを浴びてベッドに入ったが、眠気は来ない。

 俺がトレミティの本社で弟との関係を明かしたらどうなるだろう。そんな思いが頭によぎる。

 話はあっという間に広がり、風評被害でトレミティの売り上げは激減、DROPとの提携もなくなるんだろう。もやもやした感情は解消されるかもしれないが、これで得する奴はいない。伸也は大きく息を吐いた。

 ほとんど眠れないまま朝が来た。軽くランニングをして朝食を食べた後、麻衣子がスーツを引っ張り出してきた。

「ちょっとストライプが派手だけど、DROPのダンサーなんだから華があっていいでしょ。ネクタイはどうしよう。黄色なんか明るい印象でいいんじゃない」

「おいおい、まだ行くって決めたわけじゃないんだ」

「まだそんなこと言ってるの? 弟さんだって雄大さんだってあたしだって、伸也が行くと思っているんだから」

「いや、そういう問題じゃなくて……」

「ほら、もう十一時を過ぎちゃったわ。これを着てちょうだい」

 Yシャツを押しつけられる。

「さあ、早く着ちゃってよ」

 せかされるままスウェットを脱いで、スーツに着替えた。

「うん、スーツ姿もかっこいいわ」

 押し出されるようにしてマンションを出て、麻衣子の軽自動車へ乗り込んだ。渋滞気味の道を進みながら、乃木坂のしゃれた店やオフィスが建ち並ぶエリアに入った。

「あそこにあったわ」

 麻衣子が指差す先に、トレミティがあった。店の前に停車する。

「いい、お父さんのことは考えなくていい。弟さんがダンサーと専務という立場を崩さないならそのままで対応して」

「わかってるよ」

 うるさそうにつぶやきながら車から出る。目の前にトレミティの看板があった。

「がんばってね」

 車内から手を振る麻衣子に軽く頷き、店内へ入った。近づいて来た店員に知り合いがいると告げて奥に入る。座席を見回すと窓際にスーツ姿の雄大が座っていた。

「おうっ伸也、こっちだ」

 手招きする雄大の前に座った。

「とりあえず飯を食おう」

 雄大が差し出したメニューを受け取った。

「どうした? そんなにキョロキョロ見回して。ここが珍しいのか」

「俺、トレミティで飯を食うのが久しぶりなんで」

 最後にトレミティへ来たのは透明症を発症する前だった。自分を捨てた父親へのわだかまりが、ずっとこの場所を避けていた。

 あのときからロゴのデザインも微妙に変わり、インテリアも洗練された気がする。店員の制服も変わっていた。メニューもミートソースや、たらこスパといった定番は除き、半分以上は見たことのない料理だ。月日の経過を強く意識した。

 俺はどうして今まで来ていなかったんだろう。拍子抜けした気分だった。肩の力が抜け、つっぱっていた自分が馬鹿らしくなっていく。

 テーブルの隅に置いてあった、籐を組んだカトラリーケースに目がいった。スプーンやナイフの下に敷いてあるナプキンは緑のギンガムチェックだ。これは変わっていない。昔のままだ。

 母がカトラリーケースを手に取り、ナイフとフォークを差し出してくる記憶が甦った。目の前には鋳鉄のプレートの上で湯気を立てているハンバーグステーキ。向かいには父親の笑顔。

 隣にはまだ料理が来なくて不満げな表情の邦明がいた。お前の料理は時間がかかるんだからもう少し待っていなさい。邦明をたしなめる父親。

 あのときの光景が、まざまざと目に浮かんできた。

 懐かしい。だけど二度と戻ることがない思い出。

「ちょっとトイレに行ってきます」

 立ち上がり、足早に奥にあるトイレへ向かった。個室に入ってドアを閉めた。

 ずっとずっと心の奥底に押し込み、忘れようとしていた感情が解き放たれていく。

 もう一度父さんに会いたい。母さんに会いたい。邦明に会いたい。狂おしいほどの思いがわき上がる。体の奥から感情が溢れ、ボロボロと涙となって頬を伝った。喉から嗚咽が漏れ、湿った息を吐いた。

 ひとしきり泣いた後、落ち着きを取り戻した伸也は個室から出て、手洗い台で顔を洗った。深呼吸をしてトイレから出る。

「おい、早く料理を決めてくれよ」

「すいません、俺、腹を壊しちゃって、今日はコーヒーだけいただきます」

「そりゃ大変だな。じゃあ店員を呼ぶぞ」

 雄大が店員に和風ツナパスタを頼み、伸也はコーヒーを注文した。今度、麻衣子と来ようと思う。今食事をしたら、また泣いてしまうかも知れない。

 焦がした醤油の香ばしい香りが漂ってくるツナパスタをおいしそうに口にする雄大を見ながら、伸也はゆっくりとコーヒーをすすった。

「この間、銀行で口座開設をしたんだけどさ、専務さんと一緒に行ったら支店長はもちろん、本部からも偉いさん来てびっくりしたよ。俺だったら散々窓口でごねて若い奴が出てきただけなのにさ。しかも渋る銀行の偉いさんにも怯まず、理路整然と俺たちが反社じゃないことを説明してくれたんだ。しっかりしているし、頭もいいんだろうな。

 それにさ俺たちのファンだって言うんだけど、あれはガチだぜ。話しているとな、細かいニュアンスでわかるんだ。ほら、記者とかで適当にネットから情報を仕入れてきて、偉そうに喋る奴とかいるだろ。そんな奴らとは違うんだ。単なる付け焼き刃じゃなくて、俺たちのカルチャーの背景とかまでよく知っている」

「へえ」

「そういえば」雄大が伸也の顔をまじまじと見つめる。「専務さん、お前とよく似た顔してたぞ」

「気のせいでしょ」

「そうだよな」

 雄大はあははと豪快に笑った。

「さあ、そろそろ行こうか」

 時計をみた雄大が立ち上がる。リラックスした気分から緊張が走った。店を出て、華やかな店やオフィスが並ぶ通りを進んだ。

「ここだ」

 建ち並ぶビルの中でも、とりわけ新しくモダンなビルを雄大が見上げる。伸也も同じように見上げた。さっきまで迷っていた心が今は消えている。トレミティでの家族の記憶が、自分の背中を押している気がした。

 エレベーターに乗り、三十一階のオフィスに着いた。雄大が受付の女性に訪問を告げ、応接室へ案内された。観葉植物と応接セットがあるだけのシンプルな部屋だったが、磨き上げられた板張りの床に、金属と革を組み合わせたモダンなソファが映えた。大きな窓からは東京の町並みが見渡せる。伸也たちはソファに座り、緊張しながら専務を待った。

 ドアが開き、紺のスーツを着た若い男が現れた。雄大が言ったとおり、伸也によく似た顔をしていた。雄大が立ち上がり、深くお辞儀をした。伸也もそれに倣う。

「お忙しいところ、お越しいただき恐縮です」

 専務が頭を下げる。

「紹介します。こちらがウチのトップダンサーのマレックです」

「は、はじめまして」

 言葉に詰まりながら喋る伸也を、専務が優しい目で見つめていた。

「初めまして、株式会社トレミティホールディングスの今村邦明と申します」

 邦明がお辞儀をしたので、伸也は慌ててお辞儀を返す。

「さあ、おかけください」

「今日マレックさんにお越しいただいたのは当社のスタンスを倉田社長だけでなく、実際に踊るダンサーの方にも直接お話しさせていただきたいと思ったからです。もっとも少々個人的な思いもありまして、マレックさんをご指名させていただきました」

 邦明は伸也のを澄んだ目で見つめた。

「僕も、父も、ずっとあなたのファンでした」

 思わず驚きの声が出そうになったが、喉元で止まってかすれた息が出てくるだけだ。

「あなたが十八歳でデビューしたときから注目してきました。当時から伸びやかで切れのある動きは、他のダンサーでもひときわ魅力的でした。あなたが初めてセンターに立ったとき、僕も父もホールへ見に行ったんですよ」

「……そうだったんですか」

 母も来ていた。あのとき、家族が一つの場所にいたんだ。

「こうして来ていただいて、亡くなった父も喜んでいると思います」

 伸也は小さく頷いた。きっと、母も喜んでいると心の中で呟いた。

「世界同時地震以降、現在も世界は混乱の極みに陥っています。日本の被害は比較的軽いと言われていますが、それでも多くの建物が倒壊し、道路や鉄道といったインフラも破壊されました。そして何よりも、多くの人が怪我をしたり亡くなったりしています。復興はまだ道半ばです。人々の心は荒廃し、様々な争いや対立が起きています。その中でも透明症の皆さんに対するヘイトは強いものがあります。グロウのテロにより、ヘイトは暴動へ発展し、未だ傷は癒えません。厚労省のアンケートによると、八十五パーセントの人々が透明症患者に対して、何らかの憎しみや嫌悪を抱いているということです。私どもは社会貢献として、こうした偏見とそれに伴うヘイトを少しでもなくしていきたいという思いで、今回、DROPさんの支援をさせていただくことにいたしました。

 当社の創業者であり、わたくしの父でもある今村誠も歌舞伎町暴動の時に殺されました。新宿店も大きな被害を受けました。当社の社員には、この事実に対してわだかまりを持っていて、DROPさんへの支援に反対している者がいるのも事実です。

 しかしだからこそ、テロと一般の透明症患者は関連がないということを、DROPさんの支援を通じてこの日本に訴えられるのでは思っています。反対する社員も、きっと理解してもらえると思っています。

 もちろん、私たちの支援が偽善でしかないという意見が出てくるのは想定しています。社長の息子として育ってきた私に、安全な立場から物を言って、何がわかるのかと思われるかも知れません。マレックさんがこれまで受けてきた苦労や苦しみを、私が理解できるなどとは思っておりません。

 しかし、私には私の立場があります。全国に展開している店舗と、そこで働いている人々の雇用を守らなければなりません。果たしてDROPさんを支援していいのか悩みました。それによって会社の価値が毀損してしまないか、スルーしてしまった方が波風も立たずにいいんじゃないかと思いました。それでも支援に踏み切ったのは生前の父の思いがあったからです。

 オーロラダンスのファンであった父は、日頃から健常者と透明症患者の対立を憂いていました。子供が突然透明症となって、偏見からバラバラになってしまった家族がいます。彼らがまた一つになれるような社会を望んでいました。私もそれを受け継がなければならない。そう思い、現時点で最善の策として、DROPさんを支援させていただくことにしたのです。

 DROPさんを支援するにあたり、マレックさんには、私どもの思いを理解していただきたい。そんな思いで本日はおいで願いました」

 邦明は強く情熱のこもった眼差しで伸也を見つめてくる。

 重いものを背負い、自らの人生を賭しながら、自分に向き合ってくれていた。泣き虫で、わがままだった十歳の弟が、こんな立派に成長するなんて。

 伸也は溢れ出ようとする思いを胸にとどめ、大きく息を吐いた。

「わかりました。今村さんの申し出を、ありがたく受けさせていただきます」

「よかった」邦明はほっと息を吐き、笑顔を見せた。「これからも、よろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 邦明が差し出した手を伸也が両手で握った。十五年ぶりに握った弟の手は優しくて温かかった。

「あの……ちょっと会っていただきたい人がいるんです」

 邦明は立ち上がり、ドアを開けて出て行った。戻ってきたとき、白いおくるみに包まれた赤ん坊を抱いた美しい女性が後からついてきた。

「私の妻で結菜です」

 女性が頭を下げる。

「この子は今年の一月に生まれた息子で、誠也といいます」

「誠也君、ですか」

 誠也はあどけない顔をして、母親の腕の中で気持ちよさそうに眠っていた。

「それではこれから会議がありますので、今日は失礼させていただきます」

 邦明と結菜がお辞儀をして、出て行こうとした。

「あの……」

 伸也の声に、邦明が振り向く。

「幸せですか」

 唐突とも思える問いかけに、邦明は少し戸惑いの色を浮かべたが、ちらりと妻と子供を見る。そして伸也に向き直り、ニコリと微笑んだ。

「はい、幸せです」

「よかった」

 涙が溢れ、三人の姿がぼやけて見えてくる。


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