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第三部 闘争 26

 麻衣子のマンションに着いてから、三日たった頃、奈緒が出て行くと言い出した。

「でも、他に行くところがないんでしょ。好きなだけいていいわよ。ねえ伸也」

「ああ」

「そういうわけにはいかない」

 奈緒はかたくなに首を振った。

 引き留めたものの、伸也も奈緒の気持ちはわかる。伸也と麻衣子は恋人同士。三人でいても、つい二人の世界に入ってしまう。気づくと奈緒が気まずそうに外を見ているときがあった。セックスもさすがに奈緒がいる部屋でするわけにはいかないので、近くのホテルへ行って済ませていた。彼女もそんな二人の行動はわかっているだろう。

 しかし奈緒には身寄りも無いし、住む場所がない。賃貸仲介の店は、家を失った人たちで行列ができていた。無職で保証人もない独り身の女性なんて、ただでさえ借りるのが困難なのに、こんな状態では絶望的だ。

 こんな時に頼りになるのは安田しかいない。しかし、連絡先のデータは携帯電話に入っていたので、連絡のしようがなかった。こんど雄大が来たときに聞くしかない。

 そう思っていた日の夕方、マンションのチャイムが鳴った。インターホンを見ると、見覚えのある巨大な顔が映っていた。安田だ。

「さすが安田さんよね。あたしたちが困っているのをわかっているんだ」

 麻衣子がオートロックを解除した。少しして、安田が入ってくる。

「久しぶりだな、上がらせてもらうぞ」

 安田は少し猫背気味のせいか、いつもより小さく見えた。笑顔もなく、パワフルなオーラは感じない。ソファに座り、クッションが巨体で大きく軋んだ。疲れているのかなと思いつつも、違和感は拭えない。

「今日はお前たちに返すものがあってきたんだ」

 そう言って、革のバッグから携帯電話を三つ取りだし、テーブルに置いた。

「えっ、これは……」

 伸也は自分の顔がこわばっていくのを意識した。

「見ればわかるだろ、お前たちのものだ」

 その携帯電話は、間違いなく伸也たちのものだった。

「俺がおまえたちとの連絡役になれとさ」

「安田さんは藤岡と――」

「細かい話は無用だ。お前たちについて、知っていることもあれば知らないこともある。余計な話は聞くべきじゃないんだ」

「安田さんはEMOの一員なんですか」

「違う、あくまでも協力者という位置付けだ。いろいろあってな、腐れ縁って奴さ」

「じゃあ、最初からグロウの動きも把握していたんですか」

 こみ上げてくる怒りで、声がかすれていく。

「そうだ」安田は頷く。

「伸也に高藤の存在を教えたのも、代々木のデモへ誘ったのも、みんなわざとだったのね」

「藤岡は、伸也が現れたときの高藤梨奈の反応を見たかったそうだ。お前なら、行くなと言われても勝手にホールを探し出して行くだろうという判断だ。もちろんアクシデントのバックアップはちゃんと用意していた。代々木公園の催涙スプレーはバックアップの仕業だ。荒川さんのマンションへ竹井が来たのは、お前に荒川さんと梨奈の関係を知られないために仕掛けた茶番だった」

「早川さんが拉致されるのも事前に知っていたのか」

「警告してくれたら、早川さんも死なずに済んだと思っているんだろ」

「ああ」

「あのときはまだ機が熟していなかった。辻田の意図も判明していなかったし、あいつらの存在が何を意味するのか、誰も理解していなかった。だから敢えて奈緒が拉致されるのを放置したんだ。その中で早川さんが殺されたのは残念だった」

「残念で済むはずないでしょう。俺を含めて、早川さんに助けられた人はたくさんいるんだ。そんなことはあんただってわかっていたでしょ」

「あの人のことだから、警告すれば奈緒を保護しようとしただろう。それではEMOの意図から外れてしまう。

 あいつらも無意味に放置していたわけじゃないんだ。新宿署が爆破されたとき、竹井から電話があっただろ。あいつらもギャングじゃないから無意味な死は望んでいなかった」

「でもひどすぎる。早川さんはあんな死に方をしちゃいけなかったんだ」

「俺は巨大な機械の歯車の一つだ。下手な動きをすれば、不良品として交換して捨てられる。お前たちだって、もう歯車の一つになっているんだ。だからこそ俺が説明に来た」

「帰ってくれ。あんたの顔なんか二度と見たくない」

「わかった」安田が立ち上がる。「奈緒、こんな話を聞いた後でなんだが、俺はお前の住まいを提供できる。受けるか」

 奈緒は不安げに麻衣子と伸也を見た後、小さく首を振った。

「わかったよ。もし気が変わったらいつでも電話してきてくれ」

 安田が背を向けてドアに歩いて行く。靴を履いた後、動きが止まった。丸まった背中が何かを言いたそうに膨らんだ。振り返り、悲しげな目で伸也を見た。

「伸也、俺がEMOに協力しているのは褒められたことじゃない。ただな、俺が全透協を立ち上げたのは本当に透明症患者を助けたかったからなんだ。実際多くの人を助けてきたと自負している。ただ、俺の情熱だけだったら、あれほど組織を大きくできなかった。それはわかって欲しい」

 安田が部屋から出て行く。ガチャリと音がして、ドアが閉まった。麻衣子が大きく息を吐いた。

「もう、誰も信じられないわ」

 奈緒は肩をふるわせながら小さく泣き出した。

 ひどい疲れを感じて伸也は窓を見た。うろこ雲が夕日に照らされて、深いオレンジ色に染まっていた。混乱した感情が心の中で渦巻く中、上の空で秋の深まりを意識していた。


 安田が来た翌日、伸也と麻衣子は携帯電話を買い換えた。奈緒は変えないという。

「俺、買い換えるほど金持ってないんだ」

 今は男の人格が現れているらしく、低い声で投げやりにつぶやく。

「でもこの携帯、何が仕込まれてるかわかんないんだぜ。気持ち悪くないか」

「いいよ。どんな携帯にしたって、盗聴とかされるんだろ。スイッチが付いてれば場所だって丸わかりだし」

「ま、そうなんだろうけどさ」

 奈緒の人格はこのところめまぐるしく変化していた。ひどいときは十分ごとに変化するので、対応するのに大変だった。

 安田が訪れてから二日後、決定的な事件が起きた。伸也が近くのコンビニへミネラルウォーターを買いに行った後、ドアを開けると、部屋から激しい罵り合いが聞こえてきた。

「何よこのブス。居候させてるからっていい気になりやがって」

「いつあたしがそんなこと言った」

「態度でわかるんだよ」

 麻衣子と奈緒が目を剥いて睨み合っていた。

「おいおい、どうしたんだよ」

 話を聞くと、部屋にBGMで流れていた男性アイドルの容姿を巡っての言い争いだった。「お前ら、馬鹿じゃねえのか。大人げない」

 呆れながらため息をついてみせたが、彼女たちの心理状態もわからなくはなかった。狭い部屋で三人暮らしていたら、ストレスが溜まらない訳がない。ましてや奈緒は多重人格だ。突然人格が変わったら、わかっていても合わせるのに苦労する。

「あたし、麻衣子さんにひどいことを言っちゃったみたい」

 奈緒の人格が変わったらしく、険しい顔つきがすっと消え、柔らかな表情になっていく。ぺこりと頭を下げ、ぽろぽろと涙を流し始めた。

「いいのよ。伸也の言うとおり、あたしも大人げなかったの。ごめんなそい」

 麻衣子はうなだれている奈緒を、ソファに座らせて背中をさすった。

「あたし、これ以上ここにいたら、麻衣子さんたちに迷惑をかけちゃう。ここを出て行きます」

「でも、どこへ行くつもり?」

「安田さんに連絡します」

「安田か……」

「あの人も早川さんを見殺しにしたけど、EMOの方針だったわけだし。あたしがどこにいても場所は把握しているでしょうから、同じだと思うの」

 奈緒は疲れたようにつぶやいた。

 そうじゃない、早川さんを見殺しにした男に世話になることが許せない。おとといの自分なら、迷わずそう反論しただろう。

 でも限界だ。

 東京都にも避難所はあるが、透明症の奈緒にとって、体育館で人目に晒されて生活するのは危険だ。何かのきっかけで透明症がばれたら、命取りになりかねない。透明症に対するヘイトは地震から半月過ぎた今もSNSに溢れている。透明症専門の病院は反透明症団体に二十四時間監視され、再開できないでいた。こんな状況では、安田の世話になる以外、選択肢はない。

「電話しますね」

 奈緒はその場で電話した。その日の夕方、安田の知人を名乗る男が来て、奈緒を引き取っていった。

「麻衣子さん、宮本さん、ありがとうございました」

 奈緒が頭を下げる。

「いいの、それより連絡は絶やさないようにして。危険だと思ったら、迷わず逃げて」

「はい」

 奈緒が出て行くと、緊張がほぐれていくと同時に空疎な空気が部屋を満たしていった。疲れを感じてソファに座ると、麻衣子が寄りかかってきた。そっと彼女を抱きしめる。

「あたしたち、どうなっちゃうのかしら」

「みんなが落ち着くのを待つしかないよ」

「そうよねえ」

 麻衣子がため息をつく。

 全国のオーロラダンスホールはすべて焼き討ちに遭っていた。雄大は再開させると言っていたものの、ハードルはあまりに高い。透明症ヘイトの盛り上がりが収まらなければ、常設のホールはもちろん、イベントの開催すら難しい。冷静になればなるほど不安が募ってくる。

 翌日の午前中、二人にSNSで奈緒から連絡が来た。高円寺駅の近くにあるアパートへ入居したという。安田が所有するアパートで、伸也も昔友人が住んでいたので場所は知っていた。家財道具は一通り揃っていたがテレビは地震で転倒して壊れてしまったとのこと。買いに行ったが、既に在庫がなく、工場も操業を停止しているため、入荷のめどが立っていないなど、何度もメッセージを送ってきた。

 雄大からはステージに備えてトレーニングを怠るなと、うるさいぐらいにメッセージを送ってくる。ほとんどのレッスンスタジオは閉鎖されたままだが、川崎市にあるスタジオが開いていて、なおかつ透明症に対しても理解があった。雄大が週二回スペースを押さえてあり、DROPの主要メンバーはそこでレッスンを行っていた。スタジオへ行けない時も、毎日のランニングとジム通いは欠かさない。将来への不安はこびりついた汚れのように、心の内側へべったりと貼り付いていたが、トレーニングに打ち込む事で忘れられた。

 奈緒が出て行ってから一週間ほど立った頃、彼女からご飯を食べに行こうと言ってきた。伸也は最近営業を再開した「なかきよ」を予約した。

 待ち合わせ場所に現れた奈緒は、元気そうに手を振ってみせた。出て行った頃より表情は明るい。「なかきよ」に入ると、奈緒は息せき切って喋り始めた。

 近くで安くておいしいパンを売っている店を見つけたことや、アパートの前家にやたらと吠えるイヌがいて怖いこと。隣に住んでいる透明症夫婦が喧嘩をして、奥さんが透明なまま廊下へ出てきてしまった話。昨日は安田に仕事を紹介してもらって、面接に行ってきたという。

「ホテルのベッドメイキングの仕事よ。こんな状況じゃあ透明症を雇ってくれる人なんてほとんどいないし、安田さんには感謝しているわ」

 安田は新たに「日本透明症互助協会」という組織を立ち上げていた。全透協は藍田の件もあって活動停止状態で、脱会者が急増していた。置き換わるようにして日透協が組織を拡大させていた。各地に支部もできはじめている。

 お品書きをみた。料理は地震の頃から比べて明らかに種類が減っていたのに加え、三割近く値上げしていた。それでも日本は外食が成り立つだけ状況はいいのだろう。

 ニューヨークはこれまで地震がなかったこともあり、建物の耐震設計が甘く、ほとんどのビルが倒壊していた。一ヶ月近く経過した今も、正確な死者数は確認できていなかった。恐らく復興はできないだろうという意見がSNSで飛び交っていた。

 ヨーロッパのこれまで地震がなかった地域も深刻だ。アムステルダムやパリ、ベルリンなど、多くの都市が壊滅状態だった。中東やアフリカは更にひどい。政府が機能を停止している国が多数あり、治安が悪化していた。エジプトでは政府の遅い対応に業を煮やした軍がクーデターを起こし、戒厳令が敷かれた。ナイジェリアではイスラム過激派が勢力を強め、東北部を中心に支配地域を拡大させている。災害学の専門家によると、この地震により、人類の一割が死亡したという。

「北村さん、どうしちゃったのかなあ。生きてるのかしら」

 飲み物がビールから梅酒のロックに変わった頃、奈緒がポツリとつぶやいた。

「さあな。俺たちには調べようがないよ」

「あの人のことだから、何かの拍子にひょこっと出てくるかも知れないよ。『宮本先生、お久しぶりです』とか言ってさ」

「そうかもしれないな」伸也が小さく笑った。

 午後九時が過ぎ、三人でカラオケに行こうという話になった。奈緒は何度か歌ったものの、あの戦いの時のような強い歌声は出ていないという。居酒屋を出て、近くのカラオケ店へ入った。

「やっぱり最初はあの曲を歌ってもらわなきゃ」

 麻衣子が端末で曲を呼び出す。聞き慣れたイントロが流れ出す。「恋するフォーチュンクッキー」だ。奈緒がマイクを持って歌い出す。

 奈緒の声は伸びがあって美しく、素人のレベルを超えていた。しかしそれ以上ではない。あの戦いの時のような痺れるような力はなかった。

「どうしあのときみたいなすごい声が出てこないのかしら」

 麻衣子の言葉で奈緒の顔が暗くなる。

「もちろん今の歌が悪いって訳じゃないのよ」麻衣子が慌てて取り繕うように言葉を継ぎ足した。「ただ、ああいう凄い力は出てこないのかなって」

「きっとあたしの中に、ああいう声を出せる人格があると思うの。でも、なかなか現れない。あたしも一日一回は歌っているんだけど」

 その後も何曲か歌ったが、特別な声は出てこなかった。最初は高かったテンションがどんどんと下がっていく。結局、歌い始めて一時間ほどでお開きになった。

「奈緒、今日はウチへ泊まっていきなよ」

 奈緒は微笑みながら首を振る。「大丈夫。まだ電車だってあるし」

「酔っ払っているんだから、途中で色がとれたら大変よ」

「そうだよ。一緒に帰ろう」

「あたし、お酒に強いし、歌ったら酔いもすっかり冷めちゃったから」

 奈緒は手を振りながら、足早に歩き出した。

「あの子、大丈夫かしら」

 麻衣子が奈緒の後ろ姿を見ながら、不満げにつぶやいた。

「あいつも大人なんだから、無理矢理連れて行くわけにはいかないだろ」

「そうよね」

 麻衣子は奈緒の背中に向かって叫んだ。「奈緒、家に着いたら連絡してよ」

 奈緒が振り向き、笑顔で手を振った。やがて角を曲がって姿が見えなくなった。

「さあ、俺たちも行こう」

 歩き出したとき、ポケットがバイブレーションし始めた。伸也は携帯電話を取り出して画面を見た。

「なんだよこれ」

 訝しげに眉間に皺を寄せる伸也に、麻衣子が画面をのぞき込んだ。

「あら、非通知になってるじゃん」

 バイブレーションは続いた。迷ったが、電話に出てみることにした。

「私だ」聞き覚えのある声、藤岡だ。

「今から二分前、お前が立っている辻向いのコンビニの防犯カメラに貴斗らしき男が確認された。対象は眼鏡とマスクをしていたが、AIの分析によると、九十七パーセントの確率で本人だと出ている」

 伸也は携帯電話を耳に押しつけながら、周囲を見回した。それらしき男は見当たらない。

「どうしてあいつはここにいるんだ」

「不明だ。職員を派遣しているが、到着までに最低十五分はかかる。それまでに奴が何か仕掛けてきたらお前たちで対処しろ」

 電話が切れた。

「どうしたの?」

 麻衣子がただならぬ様子の伸也を不安げに見ていた。

「貴斗がこの辺りにいるらしい」

「何よそれ」

 麻衣子が辺りを見回す。

「いないわ」

「奈緒のところへ行こう」

 走り出そうとしたとき、遠くから悲鳴が上がった。


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