第三部 闘争 25
揺れが止まった。
職員たちから安堵の声が上がった。伸也は注意深く立ち上がり、ニュートリノマシンへ向かった。体が揺れになれてしまったせいで、歩みが少しふらついた。竹井は銃口を下げ、伸也の様子を見ている。
ハッチが開き、台がせり出してくる。そこにはなにもなかった。伸也はマシンを操作していた男を見た。
「北村さんはどこにいるのかわからないのですか」
問いかけられた男は困ったように眉根を寄せて首を振る。
「今のところ、五次元内を調査できる技術はありません」
「じゃあ、北村さんを助ける方法はないんですか?」
「ええ。残念ながら」
伸也は振り向き、藤岡を睨み付けた。「あんたは北村さんを見殺しにしたんだ」
藤岡が顔をこわばらせた。目に怒りの感情を溜め、つかつかと歩み寄ってきた。
そのままの勢いで、いきななり伸也の顔面を殴りつけた。不意を突かれた伸也は避ける間もなく、まともに拳を受けた。よろめいて背中からマシンにぶつかった。
「他にどんな選択肢があるのか言ってみろ。お前は北村が五次元に行ったから今生きていられるんだ」藤岡は珍しく声を震わせながら怒鳴った。「俺はお前みたいな偽善者を見ると反吐が出る」
興奮で荒く息をしていた藤岡は落ち着きを取り戻し、いつものように冷たい爬虫類のような三角眼に戻る。
「俺は行く。他にやらなければならないことが山ほどある」
きびすを返し、去って行った。声をかけようとしたとき、竹井が腕を掴んだ。
「話し合いはこれで終わりだ。後は私の指示に従ってもらう。抵抗しなければ全員無事に戻れる」
職員が慌ただしく撤収を始める中、伸也たちは外へ連れ出された。既に夜は明け、まぶしくて目を細めた。辺りは消火され、黒く焼けた草むらが広がっていた。ガソリン臭と焼け焦げた臭いが入り交じり鼻につく。荒川と梨奈が死んだ場所に死体はなく、血も洗い流されていた。
白いミニバンが伸也たちの前に横付けされた。竹井がドアを開ける。「入れ」
伸也と麻衣子、奈緒は言われるまま、ミニバンに乗り込んだ。三列シートの後部には既に若い男がいて、三人は目隠しをされた。ドアの止まる音がする。
「我々が指示するまで目隠しを外さず、不用意な行動は行わないこと。これまで起きたことは口外禁止。情報を漏らした場合は、相応のペナルティがある。最悪の場合、命を失う可能性と思え。今後、二十四時間体勢でお前たちの行動、通信内容は監視される。了解したらはいと答えろ」
「はい」伸也たちに選択肢はなかった。ミニバンが動き出す。
時間の間隔がわからなくなっていく。車は左右に揺れ、時折突き上げるような振動を感じた。恐らく山道を進んでいるのだろう。
腰が痛くなり始めた頃、揺れが止まった。ストップする時が増え始める。市街地へ入ったのだろうか。
「目隠しを外せ」
背後から声が聞こえてきた。言われたとおり目隠しを外す。サイドガラス越しの外は暗く何も見えないが、フロントガラスから、ヘッドライトに照らされて自動車が見えていた。振り返ろうとすると、
「振り返るな」背後から聞いたことのない男の声が聞こえる。「ここでお前たちを解放する。ドアを開けて外へ出ろ。出発時の言葉を忘れるな」
スライドドアが開き、伸也は外へ出た。ヘッドライトの光でここが屋内駐車場の中ということはわかったが、照明は付いておらず、他に人の姿も見えなかった。
奈緒が出るとドアが閉まり、ミニバンは走り去っていった。
「ここはどこ?」
「わからないよ」
ミニバンのライトが無いと、周囲は暗闇に包まれてしまった。伸也は手探りで麻衣子の手を繋いだ。
「ともかく動き出そう。麻衣子は奈緒の手を繋いでくれ」
伸也たちは慎重に歩き出した。駐車している自動車に触れたところで、右手に誘導灯が見えた。ほっとしながら矢印に従って歩いて行くと、スチールドアにたどり着いた。ドアを開け階段を上り、突き当たりのドアを開ける。強烈な日差しに目を瞬かせながら外へ出た。
太陽は頭上まで昇っており、強い日差しが降り注いでていた。アスファルトの道路に割れたガラスが散乱し、Yシャツ姿の男が呆然とした表情で歩いていた。道の端の日陰では横たわっている人がいたが、目を閉じたまま、微動だにしていない。
「あの……」伸也は男に声をかけた。「ここはどこですか」
男は一瞬警戒心を露わにした目で伸也を見たが、納得したように軽く頷いた。
「ショックでここがどこかわかんなくなっちまったのか。わかるよ。ここは名古屋の栄さ。この道をまっすぐ行くと白川公園があって、臨時の避難所が設営されているから」
再び歩き出した男に礼を言い、麻衣子と奈緒を見た。
「取りあえず東京へ戻らなければならないな。名古屋駅へいこう」
携帯電話は没収されたままだが、財布は返却されていた。現金とクレジットカードはそのまま残っている。三人は歩き出した。
被害は想像以上だった。古いビルが倒壊し、道を塞いでいた。その前でしゃがみ込んですすり泣きをしている女性がいる。道ばたに座り込み、呆然として宙を見つめている若い男、歩道に寝転んで、痛い痛いとつぶやいている老人。倒れている人の中には、瞳孔が開ききり、明らかに死んでいる人もいる。
消防車や救急車のサイレンが遠くから鳴り響いていたが、姿は見えない。焦げ臭い臭いがしてくるので、どこかで火災が起きているらしい。
伸也たちは元気な人から場所を聞き、名古屋駅にたどり着いた。しかし、すべての路線は全面運休となっていた。
「新幹線は高架の一部でひび割れが見つかっているらしい。東海道線は静岡で土砂崩れが起きているよ。鉄道は当面だめだな。一般道はビルの倒壊や陥没でお話にならない。東名も路面にひび割れができているらしい。今のところ、新東名が一番ダメージが少ないらしいが、豊田まで行くのは絶望的だよ」
小太りの中年男性が、携帯電話片手に額に汗を滲ませながら、興奮した様子で不安げな顔をした人々に喋っていた。彼の話が本当なら、当面東京への移動は絶望的だろう。
「どうしよう。この調子だと、ホテルも営業しているかわからないし。伸也はこの名古屋に知り合いはいないの?」
「フロストのメンバーとは交流があるけど、あいつらの家を知っているわけじゃないからな。携帯電話がないと連絡も取れないよ」
フロストは名古屋を拠点とするオーロラダンスグループだ。伸也はゲストとして、何度かフロストのステージへ立ったことがある。
「そうよねえ」
ふと横を見ると、奈緒がしゃがみ込んで膝に顔を埋めていた。
「おい、大丈夫か」
「ちょっと……疲れちゃって」
髪の毛の間から除いている耳が、透明になっている。
「おい、待てよ」
ただでさえ透明症が忌避されている上に、前日には日本各地で反透明症の暴動が起きている。ここで伸也たちが透明症であることがばれたら、何が起きるかわからない。
「彼女を隅に寄せよう」
麻衣子が頷き、二人でゆっくり壁際まで押して座らせた。
「ねえ、どうしよう」
「フロストのホールへ行ってみる。もしかしたらメンバーの誰かがいるかも知れない。麻衣子は奈緒を見ていてくれ」
「わかった」
麻衣子は奈緒を覆い被さるようにして抱きしめた。伸也は走って名古屋駅を出た。一年前に一度行ったことがあるが、住所は覚えていない。確か名古屋駅の近くにあったはずだ。うろ覚えの記憶を頼りにフロストへ向かった。
何度か行きつ戻りつしてホールのあるビルを見つけた。しかし、入り口は黒く焼け焦げていた。ホールがある階の窓も焼けている。ここも焼き討ちに遭ったのだ。メンバーやスタッフは無事なんだろうか。呆然としていると、右横から視線を感じた。サングラスをかけた若い男が、じっと伸也を見つめていた。
「もしかして……伸也さんですか」
「ああ、そうだけど」
突然男が近づき、腕を掴んで引っ張り始めた。
「おい、なんだよ」
「俺、フロストのダンサーで、吉井っていいます。覚えていますか?」
サングラスを上へ外し、顔を見せた。
「ああ。思い出したよ」
フロストの若手メンバーで、リハーサルの時に伸也を食い入るように見ていた男だ。
「ここは危険です」
そう言われて、抵抗するのを止めて吉井に付いていった。誰もいない路地に入り、一息ついた。
「本当はあそこへ近づくなって言われているんですけど、この地震でどうなっているか心配で、様子を見に来たんです」
「メンバーは無事か?」
「ステージが終わった後に襲撃されたんで、大半の人は帰っていたんですけど、田口支配人といのこりで練習をしていたメンバー三人がやられました」
吉井が悔しそうにつぶやき、ボロボロと涙を流し始めた。「ひどいですよ」
「吉井君、助けてくれないか」麻衣子と奈緒が想像以上に危険な状態なのを悟った。「名古屋駅で、知り合いが動けない状態になっているんだ」
吉井の連絡で、名古屋の透明症コミュニティーが動いてくれた。危険を顧みず、十人の透明症患者が名古屋駅に集まり、周囲から奈緒が見えないように、彼女を取り囲むようにして移動させてくれた。人のいないところで担架に載せられ、毛布を被せて運ぶ。人々は死体でも運んでいるのだろうと思って、誰も関心を寄せなかった。
名古屋には一週間足止めされた。新東名は二日で再開したが、インフラ関連の自動車しか通行を許可されなかった。五日後に東名が制限付きで再開して、ようやく一般車も通行可能になった。東海道新幹線は線路の損傷が激しく、開通までに一年以上かかるらしかった。
伸也たちを迎えに来てくれたのは雄大だった。乗ってきた車は、今まで見たことがない白いカローラだ。
「遅くなって悪かったな。俺の車はナンバーがSNSで晒されて危険だったんだ。これはレンタカーなんだが、なかなか予約が取れなくてさ」
「雄大さんの車まで? ひどい話だな」
「この地震も透明症のせいだとか投稿している奴がいるからな。ふざけるんじゃねえって思うよ」
横目で麻衣子が不安げに伸也を見た。伸也は目で頷く。それは真実を含んでいる。しかし、決して話してはいけない。
伸也たちは自分たちを助けてくれた吉井をはじめとする名古屋の透明症コミュニティに礼を言い、名古屋を離れた。新東名は開通したと言ってもひどい渋滞で、歩くような速度でしか進まなかった。
「ところでお前ら、どうして名古屋なんかにいたんだ? ずっと心配していたんだぜ。深夜のマンションは破壊されてるし、電話をしても繋がらないし」
「伊豆へ飛ばされた時があったでしょ。あれと同じことが起こったんですよ。携帯電話もなくしちゃった上に、暴動には巻き込まれるし、地震には遭うし。大変でした」
三人で口裏合わせをした内容を話した。
「東京も大変だったよ。DROPが焼けたのは聞いているだろ。不幸中の幸いというか、DROPが荒川さんの行方不明で営業を止めていたから、客もスタッフもいなかったし。あれで営業していたら大変なことになっていたよ。実際、渋谷のCソニックは高野君が死んでるしな」
「あの高野さんがですか」
CソニックはDROPのライバル店で高野はその看板ダンサーだった。
「ホールは営業が早くに終わったからまだいいけど、クリアバーは悲惨だよ。俺の知り合いが三人殺された」
「犯人は特定できているんですか?」
「防犯カメラの映像は警察が押収しているからなそのうち捕まるだろう。ただ、最初に挑発したのは透明症だって言う説もある。ま、どちらにしても被害を受けたのは透明症なんだから、戦っていくけどな」
恐らく、きっかけを作ったのはグロウのメンバーで、騒ぎを増幅させたのは梨奈と藍田だろう。
「ところで、荒川さんの情報はないか?」
「……いえ。まだ見つかっていないんですか」
「相変わらずなしのつぶてさ。いったいどこへ行っちまったんだろうな」
名古屋を出たのは午前中だったが、東京へ着いたのは深夜だった。
「ありがとうございます。助かりました」
「いいさ。お前らはDROPの看板ダンサーなんだから。またステージへ立つときに備えて、体をなまらせないようにしといてくれよ」
長時間の運転で雄大はさすが疲れた表情をしていたが、目だけは力が漲り、強く伸也を見ていた。
「俺は必ず荒川さんを探してDROPを再開させる。もし、荒川さんが見つからなくても、俺が必ず再開させる」
伸也と奈緒が住んでいたところは爆破されていたので、麻衣子のマンションへ泊まることにした。三人とも疲れが蓄積して、泥のように眠った。
本作品、最大のバトルシーンが終了しました。
けれどまだ物語は続きます。
と、言うより、ここから僕が本当に書きたかったことが始まります。
引き続きお付き合いいただければ幸いです。
本作品の面白いと思った方。
共感していただいた方。
よろしかったら評価とブックマークをお願いします❗




