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第三部 闘争 17

 午前二時、明かりは自動車ライトとシェルターから漏れる明かりだけ。オフロード車はゆっくりと坂道を進んでいた。ジーンズにTシャツをきた男が車を運転し、助手席には同じくTシャツとジーンズの若い女が座っている。

 一見観光に訪れたカップルに見えるが、グローブボックスには拳銃が入っていた。サイドパネルは装甲を施し、ガラスは防弾仕様だ。屋根にくくりつけてあるキャリアバッグの中には三百六十度撮影の赤外線カメラが収納してあり、送信されたデータでAIが異常の有無をチェックしている。

 装甲で重い車体が更に重くなり、アクセルを踏むたびディーゼルエンジンが苦しげなエンジン音を立てた。ミシリミシリとタイヤが道路を踏みしめる音が響く。

 運転する滝本は今夜三回目のパトロールだった。課長は今夜必ず攻めてくると行っていたが、その兆候は全くなかった。たまにセンサーが反応したかと思えばイノシシか猿だ。今もカーナビ用の画面に映る映像には異常は見られない。

 チラリと横に座る菜都実を盗み見る。計器のわずかな光から見える、Tシャツ越しの胸の膨らみはかなりなものだ。これがプライベートだったらいいのにと思う。

「ねえ、さっきからじろじろ見るのは止めてくれない?」

 菜都実が冷ややかな声で言い放った。

「見ちゃいねえよ」

「あんたになんか、一ミリも興味なんか持っていないんだからね」

「自意識過剰だ」

 ぞんざいに答えながらも、内心ひやりとした。鋼鉄の女という陰口をたたかれるだけあって、ちょっとした隙も与えやしない。この女、過去に上司をセクハラで抹殺している実績があった。気をつけねばと思う。

 事前に決まったルートに従って、別荘が連なる区域まで坂を下った後、再び登りに転じて旧研究所へ向かった。

 滝本は運転しながら、さっきの菜都実との会話がひどく腹立たしく感じられてきた。何が一ミリも興味がないだ。馬鹿にしやがって。多少いい女だからだって、調子に乗っているんだ。

 二十年近く前、まだ滝本が中学生だった頃、好きだった女の子に出したラブレターを回し読みされた。回り回って男友達にまで内容が伝わり、盛んにからかわれた。

 あのときの怒りと恥ずかしさが不意に甦ってくる。

 俺が巡り会う女はこんな奴ばかりだ。友人のあらかたはいい相手を見つけて結婚しているって言うのに、俺は女運が悪い。

「なあ、謝ってほしい」

「え?」

 わずかな明かりの中、訝しげに眉をひそめる菜都実に、まずいことを言ってしまったと思いながらも、怒りが増幅されていく。

「謝ってほしい」

 爆発的に膨らみ上がった怒りによって、躊躇する気持ちは片隅に追いやられていた。

「あんた、何言ってるの」

「俺を馬鹿にした。謝ってほしい」

 滝本はブレーキを踏んだ。

「あんた、何やってんのよ。司令室から問い合わせが来るわよ」

――どうした、停止した理由を説明しろ――

 左耳に装着したイヤホンから声が聞こえてくる。

「滝本さんが突然怒りだしたんです」


「藤岡課長、パトロール車両Aに異変です。我々の許可なく道路上に停止しています」

 迷彩服の男が駆けよって報告した。

「理由は」

 折りたたみ机にセッティングされたノートパソコンに向かっていた藤岡は、表情のない三角眼を男に向けた。

「助手席の峯川が自分を見るなといさめたのをきっかけに、言い争いになっているそうです」

「それで車両を止めたと」

「峯川はそう説明しています」

「滝本は何と言っている」

「問い合わせても答えません」

「滝本のイヤホンを閉鎖。峯川は危険だ。滝本を拘束するよう伝えろ。方法は問わない。合せて武装した隊員を四名現場に派遣して、峯川を補助するように」

 予想外の指令だったのだろう、男はわずかに怯んだ表情を見せたが、「承知しました」と言って走り去っていった。

 藤岡はパトロール車両の音声が聞けるチャンネルを開いた。


 拘束しろだって? 課長も大げさなことを言うと思いながらも、菜都実はいつのまにか滝本の目が据わっているのに気づいた。

――文句を言ったらぶん殴ってやれ。課長の命令だから後で揉めることはないからな――

 イヤホンから係長の呑気な声が聞こえてくるが、滝本の心理状態は明らかにおかしい。そもそも彼だって、作戦中に感情をコントロールする術は学んでいるはずだし、この後激しい叱責が待っているのもわかっているはずだ。

「おい、何か言えよ」

 滝本の声が興奮でうわずり始めていた。

「そんなこと言ったって……」

 あえてか細い声で答えた。

「何だと」

 ニタリと顔を歪ませるようにして笑い、身を乗り出してきた瞬間を逃さなかった。

 滝本の死角になるよう左手を下から繰り出し、喉元を貫手で突いた。

「グウェッ」

 柔らかな部分へ小指の先までめり込む。

 間髪入れず、驚きで目を見開いている顔に右肘をたたき込んだ。

 滝本の頭がのけぞったところで無防備になった腹へ左の拳で突く。

「お前っ……」

「上からの命令だ。お前をこれから拘束する」

 腹を抱えるようにうずくまっている滝本に冷たく言い放った。拘束すると言っても、車内に手錠はない。助けが来るまで拳銃で脅しておくしかないだろう。視線をグローブボックスに向けたときだ。

 滝本が猛然と動き出す。

 振り向いたとき、既に両手が菜都実の首に回っていた。

 滝本がのしかかるようにしてドアに首を押しつけた。

 はったりではない。確実に殺しにかかっている力だ。

「死ねっ、死ねっ、死ねっ」

 鼻血を垂らし、鬼のような形相で睨み付けている。

 急速に酸素が失われ、視界がチカチカと点滅し始める。

 膝で金的を試みるが、両手の力は衰えなかった。

 左手を伸ばし、ドアロックを探した。

「させるかっ」

 右肘を使って、菜都実の手を潰そうとする。

 一瞬手が緩んだ。息を吸いながら体を捻り、右の拳を滝本の右耳にたたき込んだ。

 滝本がよろけながらグローブボックスに倒れたところで、ドアロックを解除し、車内から転がるように出た。

 激しく呼吸をしながら起き上がって車を見ると、滝本が降りようとしていた。右手には拳銃を持っている。

 ニタリと微笑み、銃口を菜都実に向けた。

 逃げる時間も隠れる場所もない。菜都実は死を意識した。

 ブシュッと鈍い音が響く。

 大きく目を見開き、驚いた表情をしながら滝本が崩れ落ちた。

 闇の中から全身黒ずくめの男が現れた。サイレンサー付きの拳銃を持っている。痙攣し始めた滝本に銃口を向けながら、近くに落ちていた拳銃を蹴り飛ばした。

 別の男たちが次々と現れ、周囲を警戒しはじめた。

「だめだな。この出血だと、肝臓をやられてるだろう。生かして聴取したかったんだが」

 しゃがんで滝本を懐中電灯で照らしている男がつぶやいた。

「緊急事態で暗闇、しかもサイレンサー付きの銃だ。急所を外してこいつを無力化させるなんてできるわけないだろ」

「別にお前を責めているわけじゃない」

「わかってるよ」

 彼らのやりとりを聞きながら、菜都実は初めて助かったことを実感した。腰の力が抜け、地面に尻を着けた。滝本から生暖かい血だまりが広がり、尻を濡らしていく。


 パーティションの中では、藤岡と竹井、主任アナリストの皆川、特殊処理班長の片岡が小さな折りたたみ机を囲んでいた。

「藤岡課長、メンバーの間で不安が広がっています」片岡が話し始めた。「きっかけになった発言は、それより三分前にしたものです。滝本は短気な性格で、怒るとすぐに口に出るタイプでした。ただ、時間差で怒り出すなんて、あいつらしくない。ましてや峯川を殺そうとするなんてあり得ない。何者かにコントロールされたとしか思えません」

「わかっている。滝本は辻田によって精神のバランスを崩された。問題はどこでやられたかだ」

「EMOデータベース及びXKEYSCOREで抽出した直近一年間の滝本の行動記録をAIで精査しましたが、特に問題になるような点は見受けられませんでした」

 皆川がノートパソコンをのぞき込みながら言う。

「だとすると、パトロール中に仕掛けられたとしか考えられない。ルート沿いの別荘について、直近十二時間のデータは調べているか」

「はい。該当の別荘のうち四棟は貸別荘で、運営元のシステムではすべて宿泊者の登録はありませんでした。残りの二棟は個人の所有ですが、彼らのSNSからは言及を確認できませんでした。周辺に監視カメラはありません」

「別荘はセキュリティ契約をしているか」

「貸別荘については標準的なセンサーを付けていますが、個人についてはそのような出金記録は確認できませんでした。施錠のみの確率が極めて高いかと」

「片岡、個人所有の二棟について調査を行え。不審者を発見した場合、速やかに処置するように」

「承知しました」

 片岡は立ち上がり、一礼して出て行った。

「竹井、お前は特殊処理班が調査している周辺を警戒するんだ。逃走車がいた場合、追跡しろ」

 竹井が目で頷き、静かに立ち上がってパーティションから出て行った。

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