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第三部 闘争 16

「ここでよろしいでしょうか」

 運転席の男はやや困惑した目つきでバックミラー越しに辻田の顔を見た。

「ああ。大丈夫だよ。ここで間違いない」

 辻田は軽く微笑みを浮かべながら後部座席のドアを開け、車外に出た。一瞬目眩がしてよろめきかけ、ドアを掴んで体を支えた。運転席を見たが、ドライバーが気づいている様子はない。辻田は肩を動かさないよう意識しながら、ゆっくりと深呼吸をした。

 脂汗こそ出なくなったものの、息苦しさは相変わらずだった。

 太陽は西に傾き始め、日差しはオレンジ色に変わり始めていた。首を動かししながら、背中にたまり込んだこりをほぐした。

 目の前には白くて小さな花を付けた蕎麦畑が一面に広がり、風に揺れていた。道路を挟んだ反対側は雑草が生い茂った空き地が広がっている。辻田はメルセデスを回り込み、何もない空き地を目を細め、わずかに微笑みながらて見ていた。

「あの……あまり長居をしない方がよろしいかと思いますが。警察に通報されるとやっかいですから」

 黒くて巨大なメルセデスのSUV。グレイのセットアップにカールした長い髪。そして左手に包帯を巻いた姿は、この田舎ではあまりに違和感があった。時折通り過ぎる軽自動車のドライバーが、あからさまに訝しげな表情して自分を見ているのは辻田もわかっていた。

「もう少し待ってくれないか。ここで待ち合わせをしているんだ」

 道を白いレクサスのセダンが近づいてきた。レクサスは減速し、メルセデスと向かい合うようにして止まった。両側のドアが開く。

 運転席からは細身のブラックスーツを着た藍田が出てきた。助手席からは鮮やかな紫のワンピースに、黒のエナメルのベルトを着けた梨奈が降りてきた。

「こんなところで待ち合わせなんて、どういうつもり」

 梨奈はあからさまに不機嫌な目つきで辻田を睨んだ。

「懐かしいだろ」

「別に。単なる田舎よ」

 草の生い茂った空き地は、十四歳の辻田たちが生活し、多くの生徒が燃えた場所だ。

「龍はロマンチストだな。あいにく、僕も梨奈もそんな殊勝な気持ちは持ち合わせていないんでね」

 藍田がポケットに両手を突っ込み、わずかに口角を上げながら、目を細めて空き地を見ていた。

「そうか。済まなかったよ」

「で、これから何をするのよ」

「研究所にEMOと宮本たちがいる。奴らを全員殺す」

「だったら反物質を使った方が早いんじゃないの?」

「トラブルがあって使えなくなったんだ」

 梨奈は辻田の顔を訝しげに見た。

「ひどく顔色が悪いわね。左手の影響だけじゃないようね。何があったの?」

「蓮村という男の身体場に取り憑かれたんだ」

 辻田は二人に経緯を話した。

「それって結局、玄が宮本たちの殺害を望んでいないということじゃないのか」藍田が面倒くさげにつぶやいた。「そうでなけりゃ玄がお前の邪魔を許すはずがない」

「最初は僕もそう思ったよ。でも、考えを改めたんだ」辻田は青白くやつれた顔で微笑んだ。「玄は僕にあえて苦痛を与えているんだ。僕を破綻させるために」

「お前が痛いのは勝手だが、俺たちにまで自分の趣味を押しつけるなよ」

「痛み、苦しみ、そして悪は善。玄から学んだはずだ」

「ああ」

「僕はこの左指の欠損で悟ったんだ。究極の善は他人の苦しみを眺めることではなく、自分の苦しみを体験することだと」

「残念だが、幸か不幸か俺はそんな境地に立っていないんでね」

「あたしは乗るわ」

 それまで黙って聞いていた梨奈が口を開いた。

「おいおい、本気かよ」

 梨奈は問いかけに答えず、辻田たちに背を向けて道路を歩き出した。空き地の中央の前まで行くと、睨むようにして見ながら、背筋をピンと伸ばし、すらりとした長い指を頭上に掲げた。

 ハイヒールを履いた足が軽やかなステップを始めた。

 切れのある動きで両手を交差させながら、ショートボブの髪の毛を激しく揺らした。

 視線は空き地から離れず、氷のように冷ややかだ。

 体が透明になり、オーロラの輝きを放ち始めた。

 アスファルトを蹴り、足を大きく振り上げながらジャンプする。

 ふわりとスカートの裾をはためかせながら片膝で着地し、右手を平行に振りながら空き地に差し向けた。

 その瞬間、オーロラが指先に集まり、直線となって進んでいく。

 雑草に触れた時、炎が発生した。

 炎は爆発的に燃え上がり、一瞬で空き地全体へ広がる。

 熱波が圧を伴って梨奈を駆け抜け、髪の毛が揺れた。

 色を戻し、立ち上がった。

 黒々とした煙を立てて燃えさかる横で、梨奈はわずかに微笑みを浮かべて歩き出した。

「どうやってあの空き地を燃やしたんだ」

 目を丸くして問いかける藍田を無視して横を通り過ぎ、メルセデスへ向かった。後部座席のドアを開けて中に入る。

「凄いよ」

 辻田は堪えきれないという風に破顔し、息切れを起こして思わず咳き込んだ。

「辻田君、君にはどうして梨奈があんなことを出来るかわかるのか?」

「君にはわからないのかい」

「生憎だな」

 藍田はフンと鼻を鳴らした。

「僕たちも行こう」

 辻田は荒い息をしながらもキラキラ光る目をして歩き出した。藍田も肩をすくめて歩き出した。メルセデスの後部座席に座った。

「辻田さん、行ってよろしいでしょうか」

 ルームミラー越しに見える運転手の目は、あからさまに怯えていた。

「ああ、行ってくれ」

 メルセデスが動き出す。

「梨奈、素晴らしいよ。君のダンスは至高のレベルまで到達したんだ」

 梨奈は辻田の賞賛を無視し、不機嫌そうな顔で腕を組んで外を見ているだけだった。

 前方に連なる尾根の上には、少しだけ暗さを帯びた青い空の中、ちぎれたような雲がぽっかりと浮かんでいた。メルセデスは北へ向かって走って行く。


「北杜市の北で空き地に火災が発生しています。かつて共光会病院研究センターがあった場所です。道にはレクサスISが乗り捨てられていました。ナンバーは偽造、フレームナンバーから盗難車であることが確認されました」

 若い男が緊張した面持ちで藤岡に話しかけてきた。

「付近の不審車情報は」

「SNSで黒いGLSが写っている画像をAIが検索しました。背後に蕎麦畑が写っています。添付のメッセージによると、こんな車がこの場所を走っているのは珍しいから撮影したとのことです。撮影日時、詳細な場所は不明ですが、アカウントの位置情報は火災場所から100メートル以内を示しています」

「黒のGLSで北杜市及び茅野市内に関わる情報を収集しろ」

「承知しました」

 藤岡は振り返り、伸也たちを見た。「聞いての通りだ。かつてセンターがあった場所が燃えている。しかも道には盗難車が放置されている。偶然ではないだろう、辻田たちが関わっている可能性が高い」

 藤岡がパーティションから出て行った。

「伸也、立てるか。我々も外へ出よう」

 伸也はベッドから降り、ふらつきながらも床に立った。荒川の後についてパーティションから出た。

 そこはちょっとしたホールコンサートを行えるほど広く、多くの人たちが動き回っていた。ノートパソコンに向かってキーボードを叩いている者、携帯電話で話をしている者、壁に補強材の様なものを取り付けている者もいる。藤岡は整列している迷彩服姿の男たちの前に立ち、話をしている。男たちの手にはライフルが握られていた。

 迷彩服の男たちが藤岡に敬礼し、駆け足で外へ向かっていった。藤岡が近づいてくる。

「グロウは今夜にでも仕掛けてくる可能性が高い。我々は皆さんを守る立場だが、彼らは特殊能力を持っている。それに対抗できるのはあなたたちだけだ。戦いに加わってもらう可能性も考えておいていただきたい」

 近くにいた若い男が叫んだ。

「藤岡課長、黒のGLEが富士見町の畑で発見されました。レクサスと同じく偽造ナンバーで、フレームナンバーから、昨夜盗難された車だと判明しています。周囲に防犯カメラはありません。不審車も確認できません」

「そういうことだ。奴らは確実に我々に近づいている」



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