第三部 闘争 15
目が慣れてくると、北村は道に立っているのに気づいた。右手が工場の壁で、左手が
雑木林だった。日差しは強く、雑木林からはミンミンゼミの鳴き声が響き渡っていた。
目の前を凄い勢いで、何かが通り過ぎていった。通り過ぎていった先を見ると、少年が道の真ん中で頭を抱えながら、うずくまっているのが見えた。そこへ石が飛んできて、脇腹へ当たった。石が飛んできた先を見ると、派手な格好をした少年たちが、石を投げていた。
「あなたたち、止めなさい。あの少年が怪我をするじゃありませんか」
北村が怒りながら近づいていくと、少年たちが訝しげな顔で見た。「おまえ、誰だ」
「わたくしは北村と申します。何があったのか知りませんが、集団で一人に向かって石を投げるのはいけません」
「おっさん、俺らに意見しようってのか」少年たちがニタニタといやらしい笑いを浮かべた。「おもしれえ。やってやろうじゃねえか」
少年たちは北村に向かって石を投げ始めた。
「ああっ、止めなさい。痛いじゃないですか」
北村は頭を抱えるようにして少年たちから逃げた。投石されていた少年は雑木林の中へ逃げようとしている。北村も彼に倣って雑木林へ入っていった。
少年の後ろ姿が見えている。下草をかき分けながら、少年に追いつき、肩に手をかけた。
「少年、お待ちください」
振り向いた少年は投石している連中と同じくらいの年齢だ。痩せていて、筋肉が付いていない細い腕をしていたが、鼻筋が通ったきれいな顔立ちは見覚えがある。
「宮本先生ですね」
「えっ、俺は宮本だけど……あんた誰?」
戸惑いの表情を浮かべている伸也を見て、夢の中で会った蓮村とのやりとりを思い出す。そう、あのときは自分も蓮村先生が誰かわからなかったんだ。宮本先生も同じだろう。
「失礼しました。宮本先生、いや宮本君。わたくしはあなたを助けに来たのです」
「だったら俺を止めるなよ。ほら、奴らが来たじゃねえか」
バシッと音がして、木の枝が揺れた。道路を見ると、少年たちが集まって石を投げていた。
「ひどい奴らですね。何であんなことをしているんですか」
「きっとあいつが焚きつけたんだ」
伸也が憎しみの表情を浮かべて指差した。その先には、二十代とおぼしき男がビデオカメラで伸也を撮影していた。
「透明症患者に暴力を振るっている動画を有料で配信している連中がいるんだ。結構フォロワーがいるらしいんだってさ」
「ひどい奴がいるもんですねえ。彼に意見してきましょう」
北村は下草をかき分けて、ビデオカメラの男に近づいた。
「おい君、今すぐ撮影を止めなさい」
それでも男はカメラを構えたままだった。北村はカメラを掴み、引っ張った。
「ぎゃあっ」
北村は悲鳴を上げて尻餅をついた。
男の顔が、画像を加工したように白くぼかしが入っていたからだ。
「な、な、何ですか」
男は答えず、まるで撮影を続行しているかのように、顔の前で、空になった右手を構えていた。北村の手にあったはずのカメラは、なぜか消えていた。
そうだ、これは宮本先生が脳内で思い出している光景なんだ。宮本先生は、当時撮影していた男の顔なんか見ていなかったんだ。だからこんな風にぼやけた顔になっているんだ。
北村は立ち上がり、周囲を見回した。伸也の姿は見えない。投石していた少年もいなかった。
「宮本先生……もとい宮本君。どこにいるんですか」
頭上から強い日差しが照りつけていた道路とは違い、雑木林は薄暗い。風もなく、ひんやりとしてやや湿り気を帯びた空気が沈殿していた。さっきまでうるさいぐらいに鳴いていたミンミンゼミは沈黙し、静寂が周囲を支配していた。
「おーい、どこにいるんですか」
声は暗い雑木林の奥へ吸い込まれていった。これからどうやって宮本先生を探したらいいんだろうと思いながら、ふと振り返ると、いつの間にか道路が見えなくなっていて、暗い空間が広がっていた。カメラを構えた男もいない。道路から入って五十メートルも歩いていないはずなので、道路が見えなくなるなんてあり得なかった。
不安だったが、伸也を見つけてこのネガティブな世界から連れ出せば、きっと解決するんだと言い聞かせた。
薄暗い周囲の中で、更に暗くなっている部分があった。予感がして、北村は暗くなっている場所へ歩き出す。
下草の隙間から、二本の足が見えた。北村は足を速めた。
「宮本君」
伸也は下草の中で、目を開けて仰向けに横たわっていた。声をかけても反応しない。もしかして死んでしまったのかと思ったが、胸はわずかに上下している。
魂が抜けてしまったのかなと思ったところで、宮本先生は別の記憶へ移動したんだと気づいた。
鳩尾には黒くて小さな穴が空いている。
「どうか、宮本先生の元へ連れて行ってください」
北村が穴に手を押し当てると、体が穴へ吸い込まれていった。
いつの間にか廊下に立っていた。廊下の幅は広くややクリーム色がかった白い壁と床はやや古びた印象があるものの、清潔に保たれていた。窓はなく、両側にあるスライドドアには番号が振ってあった。かすかに消毒液の臭いがしている。きっとここは病院なんだろう。廊下の突き当たりにベンチが置いてあり、若い男が頭を抱えながら座っているのが見えた。そっと近づいていく。
「宮本先生」
伸也は訝しげな顔をして顔を上げた。「俺は宮本だけど、先生じゃないよ」
「ああっ……失礼しました。宮本さん、わたくしは北村と申します。以後お見知りおきを」
「で、何の用なの? 俺、あんたを相手にしている余裕がないんだけど」
明らかに迷惑そうな表情をしている伸也に怯むが、これで引き下がるわけにはいかない。
「わたくし、宮本さんをお助けに参りました」
「はあ? あんた、俺の何を知っているって言うんだよ」
「事情をお話ししていただければ、解決策が見つかるかと」
「あんたアホか」伸也の目に、怒りの色が浮かんできた。「なんで見も知らない男に俺の悩みを話すっていうんだよ」
伸也はいきなり立ち上がった。「とっとと失せろ」
「ひぃっ」
北村はたじろき、思わず後ずさりした。伸也は拳を握りしめ、今にも殴りかかりそうな剣幕だった。
「あの……。わたくしにお話ししなくても、どなたか相談する方はいらっしゃいませんか」
「余計なお世話だよ」
「例えば……麻衣子さんとか」
「麻衣子? そんな奴知らねえよ」
「麻衣子さんは宮本さんとお付き合いしているはずですが」
「俺の彼女はそんな名前じゃない。話す相手を間違えてんじゃないのか」
突き放すように言い放った伸也の眉間に、わずかな皺ができた。「お前、さっき俺らを見ていたのか?」
「は? さっきって……」
「ドラッグストアだよ。確かにさっき山野に買い物を手伝ってもらったけど、あの子は彼女じゃない。どこで俺たちの名前を知ったか知らないけど、いい加減なことは言わないでくれ」
「ああ、やっと理解しました。宮本さんはまだ麻衣子さんと付き合っていなかったんですね」
「付き合うも何も、彼女は俺と同じダンサーの後輩だ。それ以上でもそれ以下でもない。変なことを言わないでくれ」
「いえいえ、彼女はちょっと気の強いところもありますが、大変頼りになる女性であります。宮本先生にはぴったりな彼女です」
「山野麻衣子か」
ため息を吐くようにつぶやいた。伸也は再びベンチに座り、腕を組む。
「確かに才能がある子だと思っていたけど、あくまでも後輩ダンサーの一人っていうだけで、そんなに意識はしていなかったんだけどな」
「今の彼女さんには悩みを打ち明けられないのですか」
「彼女は健常者だからね。透明症には偏見を持っていないけど、さすがに母親が自殺未遂したって言ったら引くんだろうな」
「それで今病院にいるのですね」
「そうだよ」伸也は目を閉じて天上を向いた。「俺が透明症にならなきゃこんなことは起こらなかったんだ」
「宮本先生、横に座ってよろしいでしょうか」
「ああ。それと、繰り返すけど俺先生じゃないからね」
「失礼しました。宮本せんせ……いや宮本さん」北村はベンチに座り、伸也に向き直った。「透明症になったのは、宮本さんのせいではありません。
「わかってるけどさ」
「頭ではわかっているけど、感情がついていかないというやつですね。わたくしも透明症ですのでよくわかります」
北村はニット帽をずらした。生え際が透明になっている。
「あんたも透明症なんだ」
「はい、ですから宮本さんの無念な思いは痛いほどわかります。わたくしの母はすでに亡くなっておりますが、わたくしが透明症になったと聞いたら、生んだ自分が悪いのではないかと思い、ひどく嘆き悲しむでしょう。でも、こういうときほど意識して自分のせいではないと意識していくべきなのです。きっと麻衣子さんも同じことを言うでしょう」
「だから山野は彼女じゃないって」
「ですから麻衣子さんはこれから宮本さんの彼女になるのです」
「占い師みたいなことは言わないでくれよ」
「少しは元気になりましたか?」
「ああ。人と話すとすっきりしてきたよ。さっきは怒って悪かった」
「宮本先生、あなたはネガティブな意識の中に閉じ込められているのです。この殻を破って目覚めなければならないのです」
「だから俺は先生じゃないって」
「いえ、現実の世界では、わたくしにとって先生でなんです。目覚めて、一緒に戦っていかなければならないのです」
「戦えと言われてもな、一体何と戦わなきゃならないんだ?」
「辻田たちとであります」
「辻田?……誰だよ」
「それでは麻衣子さんを思ってください」
「麻衣子か」
伸也は考え込む様に少しうつむき、少し息を吐いた。
「ときめきませんか?」
「ちょっと意識はしてきたかな」
伸也が微笑んだ。
そのとき、空間が歪み始めた。
「目覚めて、一緒に戦っていかなければならないのです」
隣で見知らぬ中年男が真剣な目で伸也を見つめていた。見覚えがあるような気もするが、どんなときだったかまでは思い出せない。
「戦えと言われてもな、一体何と戦わなきゃならないんだ?」
「辻田たちとであります」
「辻田?……誰だよ」
「それでは麻衣子さんを思ってください」
「麻衣子か」
「ときめきませんか?」
「ちょっと意識はしてきたかな」
唐突に目の前が真っ白になり、ドラッグストアで会った麻衣子の姿が現れた。次に踊っている麻衣子の姿。必死な表情でエアロバイクを漕いでいる姿。白昼夢のように次々と現れる。
笑う麻衣子。
子供のように抱きついてキスをねだる麻衣子。
心の中で何かが弾けた。
そう。俺には麻衣子がいるんだ。
麻衣子がステージで踊っていた。
俺も歓声を浴びながら踊った。
再びあのステージに立たなければ。
暗い水底の様な世界で、頭上に輝きが見えていた。伸也は底を蹴り、輝きに向かって浮かび上がっていった。
天上から降り注ぐLEDライトの輝きに目を瞬かせた。伸也は大きく息を吐くと半身を起こした。軽いめまいを感じながら、白いパーティションで仕切られた周囲を見回した。ベッドは三つあり、一つは空で、もう一つには奈緒がひどく苦しげな表情で寝ていた。
一体どこにいるんだと思っていると、パーティションの間から、白衣を着た男、そして藤岡と荒川が入ってきた。
白衣の男は慣れた手つきで瞳孔をチェックし、名前と生年月日、体調を聞いてきた。伸也が答えると頷いてタブレットに入力した。
「バイタルサインはすべて正常値、意識障害もありません」
藤岡は男の報告に頷き、席を外すように指示した。男が出て行くと、藤岡が冷たい三角眼を伸也に向けてきた。
「お目覚めのところ申し訳ない。現在の状況を説明しましょう」
藤岡は辻田から伸也たちを奪還して、現在長野にいること、北村が伸也の意識を取り戻すため、五次元へ向かったことを話した。
「思い出した。俺が病院のベンチにいるとき、男が話しかけてきたんだ。あれは北村さんだった。落ち込んでいた俺を励まして、目覚めさせてくれたんだ」
「北村さんはどこへ行ったのかわかるか?」
荒川の問いかけに伸也は首を振った。「わからないよ。目覚めかけたときには、もういなかったんだ」
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