第三部 闘争 14
貴斗を竹井に監視させ、荒川と藤岡は北村たちがいる区画へ入った。伸也と奈緒が眉間に皺を寄せ、苦しげな表情で眠っている中、北村だけは上半身を起こし、物珍しげな顔をして辺りを見回していた。
「あっ、藤岡さん。荒川先生も。お疲れ様です」
北村がニコリと微笑む。相変わらず場違いな挨拶をする人だなと思い、思わず笑いがこみ上げ、緊張がほぐれた。
「安心してください。ここは長野にある我々の施設です。北村さんたちが眠っている間、我々が皆さんをグロウから奪還して連れてきました」
「それはよかった。一時はどうなることかと思いましたよ」
北村は微笑みながら、ほっと息を吐いた。
「早速ですか、これまでの経緯をお聞かせ願えますか。一刻も早く、隣の二人を目覚めされなければなりません」
隣で眠っている伸也たちを見て、北村は真顔に戻って頷いた。
「わたくしも最初は宮本先生のように苦しんでおりました。嫌な記憶や恥ずかしい記憶など、思い出したくない思い出ばかり夢に現れたのです。そんな状態を救ってくれたのが蓮村先生でした」
荒川と藤岡は顔を見合わせた。
「北村さんは夢の中で蓮村さんとお会いしたのですね」
「はい。落ち込んでいたわたくしを元気づけて、ポジティブな世界へ導いていただきました。そういえば、蓮村先生はどうされましたか?」
北村がキョロキョロと辺りを見回し始めた。
「それは我々が聞きたい」藤岡が答える。「蓮村先生は、ニュートリノマシンで五次元へ行ったまま戻ってきていないのです。先生がその後どうなったかご存じではないですか」
「はい。夢の中でわたくしは公園のベンチに座って泣いておりました。そこへ蓮村先生がやってきて、慰めてくれました。わたくしが唯一無二の存在であり、選ばれし者であることを悟らせてくれました。そのあと、わたくしは素晴らしい夢の中にいたのですが、蓮村先生のことは……申し訳ありません、すっかり失念しておりました」
「北村さんが謝る必要はありませんよ。恐らく蓮村先生は、北村さんが元気になったので、離れていったのでしょう」
眉毛をハの字にして申し訳なさそうな顔をしている蓮村に、荒川が答えた。
「蓮村さんの件は置いといて、まずはこの二人を目覚めさせなければなりません。北村さんは方法を知っていますか?」
「やってみましょう」
北村はベッドから降り、ふらついた足取りで伸也のベッドの傍らに立った。胸の上に手をかざす。
「玄様玄様、宮本先生を起こしてください」
北村は眉間に皺を寄せながら、ぎゅっと目をつぶってつぶやいた。両手がかすかに震え始めた。
一分ほど経過すると、北村の肩から力が抜け、大きく息を吐いた。目を開け、悲しげな目をして荒川たちを見た。
「だめでした。わたくしの手かざしは、当人に治ろうという気力がなければ直すことができません。宮本先生はさっきまでのわたくしと同じく、ネガティブな考えにはまっていらっしゃるのでしょう」
奈緒にも手をかざしたが、結果は同じだった。
「この二人はどうしても目覚めさせなければなりません」藤岡が冷たい目で北村を見る。「この日本、いや、世界の存亡に関わっているのです」
「そうおっしゃられても、わたくしにはどうにもなりません」
困惑した表情の北村に、藤岡の目は氷点下の冷たさを帯びてきた。
「一つご提案があります。蓮村先生はニュートリノマシンで五次元に行き、北村さんを助けました。北村さんも蓮村さんと同じことが可能ではないですか」
「藤岡さん、蓮村先生と連絡が取れない中で、更に北村さんを送り込むなんて、あまりに危険です。それに、北村さんが五次元へ行ったとして、伸也の無意識に到達できるか何の保証もない」
「荒川先生がおっしゃるのはごもっともです。しかし、蓮村先生は何の保証もない中、一人マシンで五次元へ行き、北村さんを助けたのです。北村さんにも同様なことができる可能性がある」
「あれは玄が導いてくれたからです。北村さんには何の手助けもない。無謀です」
「みなさん、少々お待ちください」北村の顔つきが真剣味を帯びてきた。「わたくしのウルトラマンはございますか」
「あれですか」
藤岡がパーティションの外へ顔を覗かせて「ウルトラマンを持ってこい」と叫んだ。若い男が駆けよってウルトラマンのソフビを渡した。
「これですこれです。ありがとうございます」
ウルトラマンのソフビを受け取った北村はニコリと微笑んだ。ウルトラマンを両手で包み込むように持つと目の前に掲げた。真剣な目でウルトラマンを見つめる。
「玄様玄様。どうか宮本先生と奈緒さんをお助けください」
子供のように、ぎゅっとこめかみに力を込めて祈り始めた。荒川は戸惑いながら、その様子を見守るしかなかった。
ウルトラマンの頭部が細かく震え始めた。やがて震えは北村の全身に広がり始める。
不意に北村が「はあっ」と大きく息を吐き、キラキラと輝く目を開けた。
「わたくし、五次元に行かせていただきます。玄がこっちへ来なさいと申しております」
「北村さん。もしかしたら戻れないかも知れませんよ」
「大丈夫です。玄様が言っているのですから間違いありません」
「それでは早速準備に取りかかりましょう」
藤岡はパーティションから出ようとした。
「私は反対だ。少なくとも、蓮村先生の安否を確認したあとでなければ、五次元へ行くべきではない」
藤岡が振り向き、三角眼から突き放すような視線を向けた。「荒川先生、ご意見は参考にさせていただきますが、ここでの指揮権はすべて私にあります。ご承知置きを」
パーティションを出た藤岡と北村は奥のニュートリノマシンへ向かっていった。ここで無理矢理止めようとしても、他のスタッフに止められてしまうだろう。なにより北村がその気なら止めようがない。仕方なく二人のあとを付いていった。ニュートリノマシンにはグレイの作業服を着た見知らぬ若い男が二人で機械を操作している。
「これから北村さんをマシンにかける。準備しろ」
若い男たちは「承知しました」といい、機械を操作し始めた。彼らの表情は緊張していたが、手順を間違えることはなかった。
「以前から使っていたんですか」
「ええ。ただ、さすがに人間を送り込むのは初めてですが」
「準備完了しました。北村さん、こちらへ」男の一人が北村を台に導いた。「横になってください」
「はいっ、靴は脱いだ方がよろしいでしょうか」
「どちらでも構いません」
「それでは靴は脱がせていただきます。土足で台に載るのは忍びないので」
北村は薄汚れた白いスニーカーを脱ぎ、台に横たわった。
「よろしくお願いいたします」
作業服の男がキーボードを打つと、マシンがうなり声を上げ、台が動き始めた。緊張した面持ちの北村が、機械の中へ吸い込まれていった。
気がついたとき、北村は闇の中にいた。上下左右の感覚もない。
「あわわわわ、真っ暗じゃないですか。わたくし、お化けが出てきそうで、こういうのがものすごく苦手なんです。寝るときは、いつも必ず豆電球を点けておくタイプなんですよ」
――キミちゃん、落ち着きなさい。お化けは出てきませんから大丈夫です――
「ああっ、玄様ですね。どうかわたくしをお助けください」
――それでは、少し周りを明るくしましょう――
まるでパソコンのモニターを調整するように明るさを帯びていく。ただ、地面は確認できなかった。薄明かりの中、無重力状態で北村の身体が浮かんでいる。
――蓮村先生のイメージを借りてきたので、真っ暗になってしまったのです。失礼しました――
「蓮村先生が見た世界を、わたくしが追体験しているのですか?」
――その通りです。五次元の世界を四次元時空のレベルにいる存在が認識することはできません。このため身体に入ってくる五次元での刺激を脳内で変換するとき、脳は独自に解釈して意識に反映します。例えば、ありとあらゆる形の物体がめまぐるしく生成しは消滅していく世界で認識した者もいます。過去には天国や桃源郷として認識した者もいます。しかしそれらはすべて脳内で作り出したイメージでしかありません――
「はあ……そうなんですか。よくわかりませんが、わたくしがここへ来たのは宮本先生を起こすためなんです。宮本先生はどこにいらっしゃいますか」
――前に進んでください――
「前に進めと言われましても……地面もありませんし、どういう風に前へすすめばよろしいのでしょうか」
――前へ進めと念じればいいのです――
「へえ、そんな簡単なんですか。では念じてみます」
前へ進めと北村は念じる。
「あの……何にも変化しませんが」
――いいえ、キミちゃんは確実に前へ進んでいます。やがて宮本先生が現れるはずです――
「そんなものでしょうか。ではもう一回」
前へ進めと念じる。
「うわっ」
唐突に緩やかに湾曲した広大な地平が現れた。あまりに広くて湾曲の先は見通すことができない。
――Dブレーンと言って、五次元から見たキミちゃんが本来存在している世界です。今は次元を一つ落として、キミちゃんの存在している世界は二次元として意識の上に上がっているのです――
「ますます訳がわからなくなってきました。それで、わたくしはどのようにして宮本先生を助けるのですか」
――もう少し前へいいんでください――
「はい」
――進みすぎです――
「あ、失礼しました」
――後退しすぎです――
「はいっ」
――もう少し右へ――
「承知しました」
――ああ……。だめですだめです。前にずれています――
「申し訳ありません」
何度も繰り返した後、地平にできもののような盛り上がった部分が見えてきた。
――あの場所へ移動してください――
北村は見失わないよう慎重に移動し、盛り上がった部分へ移動した。
「ああっ、宮本先生。どうしちゃったんですか」
――宮本先生の五次元に繰り込まれている部分です。鳩尾から彼の心に入ることができます――
「そういえば、宮本先生の鳩尾に、小さな穴が空いていますねえ。でも、わたくしが入るには小さすぎやしませんか」
――大丈夫、今キミちゃんが見ている風景は、脳が解釈した世界なのを思い出してください。実際は穴の中に入れるような構造になっているのです――
「そうなんですか。では入らせていただきます」
北村が鳩尾の穴へ手を伸ばすと、吸い込まれるようにして入っていく。
一瞬の暗闇のあと、北村は光に包まれた世界に立っていた。
「わたくしはどこへ来てしまったんでしょうか」
問いかけても、答えは返ってこなかった。
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