第三部 闘争 12
自動車が停車する感覚を覚え、荒川は目を開いた。フロントガラスから差し込んでくる日差しに目を瞬かせながら、交差点が見えているのに気づいた。左手に「ゆっくり走ろう信濃路」と書いてある巨大な立て看板があった。見覚えのある風景だった。
「お目覚めですか」
隣で座っていた藤岡が声をかけた。頬は笑みを浮かべているが、目は相変わらず冷ややかなままだ。
「申し訳ない。つい眠ってしまった」
「謝ることではありません。むしろ、健康のためにはもっと眠っていただきたかった。全国連続爆破テロ事件以降、荒川先生は全く眠っていませんでしたから」
信号が青に変わり、ランクルが動き出す。初老の運転手がハンドルを切った。ランクルは右折し、飲食店や量販店が立ち並ぶ道を進んだ。
「諏訪インターから出てきたのですね」
「その通りです。これからどこへ行くかわかりましたね」
「ええ。ビフレストプロジェクト茅野研究所ですね」
過去を思い出す。あのとき、透明症によって壊滅した家庭の廃墟の養分を吸い、梨奈が怪物へ生まれ変わった。胃に鉛が堆積したような重さを意識し、軽い吐き気を覚えた。
「EMOの機能をすべてそこへ移管しろという上からの指示です。地上で破壊された施設の補完を裏霞で行うため、我々が移動しろという理由ですが、要するに体のいい厄介払いです。グロウに狙われている我々を、これ以上裏霞に置いておくのは危険だという判断でしょう」
「あの場所で辻田たちを迎え撃つのですか」
「可能ならばの話です」藤岡は憤懣やるかたないという風に鼻を鳴らした。「彼らがこの地球上で存在する最強の兵器を所持していることが判明したのです。現在官邸は対応に右往左往しているとところです。どうやら米国にも情報が漏れてしまったようだ。それが本当なら、米軍が介入してくることも充分考えられます。案外既に話は付いていて、我々がおとりにされている可能性もありますね」
「だとすれば、グロウが我々を襲ってきたとき、米軍が戦いに参加する可能性があるということですか」
「いえ、米国はそんな派手なまねはしないでしょう。我々が殺されようとするのを黙って観察しているはずです。そのうえで、グロウの全貌を把握して、一気に叩く。少なくとも私ならそうします。
ただ、我々も簡単に潰されるつもりはありません。彼らが反物質を使って対消滅を引き起こす技術を持っているのは確かですが、何らかの理由があって宮本たちを殺害できないでいる。彼らと一緒にいれば、爆殺される可能性は低くなります。宮本たちも茅野研究所へ来る予定です。
荒川先生も我々と一緒に戦っていただくことになります。ご協力いただけますね」
「もちろんだ。個人的にも片を付けておかなければならない人物がいる」
「梨奈さんですか」
「ああ」
「殺し合いになるかも知れませんが」
「承知しています」
息苦しさを感じ、スモークガラスを半分引き下げた。思いのほか冷たい風が入り込んできた。まだ夏だと思っていたが、高原はもう秋に移り変わろうとしていた。
ランクルは幹線道路から狭い道に入っていった。しばらく住宅や畑が連なっていたが、やがて森とその中に建てられたペンションが目立ち始めた。さらに走っていくと、ペンションもなくなり、森の密度が濃くなり、野性味を帯び始めてきた。
前方にさびが目立つ鉄柵が見えてきた。「私有地に付き立ち入り禁止」という看板が取り付けられていた。ランクルが停車すると、何年も放置されていたようにしか思えない柵が、ゆっくりと自動で奥に向かって開いた。どこかに監視カメラがあって、誰かが認識しているのだろう。
道は落ち葉が散乱して、ひび割れから雑草が伸びていた。当時は「徐行」という文字が書いてあったはずだと上の空で思い出した。記憶は一瞬浮かんだ懐かしさと共に、川へ流されるように消えていた。ランクルはゆっくりと、道を踏みしめるように進んでいく。
緩いカーブを曲がったところで、道の脇に人の大きさほどの機械が見えてきた。錆び付いて、周囲には雑草が生い茂っている。かつてゲートだった残骸だ。
目の前に三階建てのビルが見えてきた。全体がくすんでいる。正面玄関は爆発が起きたときのままでドアがなかった。禍々しい黒い煤がまだ枠に染みついていた。かつて花壇だったところは草が生い茂り、駐車場も割れ目から盛大に草が生えていた。自然は確実にこの建物を飲み込もうとしている。
一部草が押し潰され、道になっているところがあった。ランクルはその道を通っていった。回り込んだところで、灰色で、蒲鉾形の巨大な建物が見えてきた。シェルターだ。シェルターは防蝕処理を厳重に行っているせいか、古さは感じられなかった。芝生や花が植えてあった周囲は雑草に覆われ、ちらほらと低木も生えている。
ビルの黒く煤けた通用口を見た。熱風に吹き飛ばされた瞬間、黒煙を放つ通用口、倒れている蓮村。そして、冷ややかに自分を見下ろしていた梨奈。まざまざと記憶が甦ってくる。
ランクルは車体を揺らしながら、草木が倒れてできた道をシェルターに向かって進んでいった。
シェルターの前は草木が刈り取られ、トラックやバンなど、すでに五台の車が止まっていた。ランクルは空きスペースに停車した。
ドアを開けて外に出る。街で感じた時よりも、更に冷たい風が首筋から体温を奪っていく。シャッターの横にあるドアは取り替えられ、真新しいセンサーが取り付けられていた。藤岡がセンサーに顔を近づけると、カチャリと解錠する音が聞こえた。
「荒川先生の虹彩は登録済みです。ドアが完全に閉まってからチェックを受けてください」
ドアが閉まると、荒川はセンサーに顔を近づけて解錠してシェルターへ入った。当時存在していた機械や計測器の大半は取り去られていたので、中は思いのほか広々としていた。機械があった場所にはモスグリーンの小型トラックが搬入され、迷彩服を着た屈強な男たちがその周りで銃のメンテナンスを行っていた。彼らが手にしていたのはM16A2アサルトライフルだ。その横にはYシャツとスラックス姿の男女がいて、折りたたみ椅子にノートパソコンを並べてキーボードを叩いている。その数は五十名ほどだろうか。荒川は彼らの姿に絶句した。
「驚いた顔をされていますが、どうしましたか?」
「あなたたちは兵隊まで組織しているのか」
藤岡は右眉を持ち上げ、わずかに頬を緩ませた。
「日本国に兵隊も兵士もおりません。彼らは特殊処理班という名称です。もっとも、アメリカの海兵隊と遜色ない能力を有しておりますが。
我々が関わってきた案件は、九十九パーセントがネットでの情報収集と実働班による調整で解決できます。しかし、ごくわずかですが彼らの力を発揮しなければならないことがあるのです」
「しかし、日本であんな銃を使ったら、目立ってしょうがないでしょう」
「別に日本での作戦とは限りません。おっと、余計なことを喋ってしまいました」藤岡はいたずらをした子供のような笑みを浮かべた。「ともかく、我々は業務を遂行するにあたり、様々なスタッフを抱えているのです。彼らもその中の一つです」
ふと視線を奥に向けると、まだ当時からの機械が残されているのに気づいた。荒川は心臓が激しく鼓動するのを意識しながら指差した。
「あれは……もしかして」
「ニュートリノマシンです。二十年間定期的にメンテナンスを行っていますので、現在も使用可能です。移動先でも蓮村先生の追跡は可能だと言った意味を理解していただけましたね」
「ああ」
上の空で答える。血を吐いている河田の横を通り抜け、蓮村とマシンに乗り込んだ記憶が甦っていた。
「藤岡課長、お疲れ様です」キーボードを叩いていた男が立ち上がり、背中を丸めて近づいてきた。青白い顔で体全体から疲労感を発散させていたが、目だけは爛々と輝いていた。「あと一時間ほどで竹井主任の班が到着します」
「保護した四人の状況に変化はないか」
「北村の体温、脈拍の数値が上がっています。ほぼ起床時と同様ですが、まだ意識はありません。他の三人に、体調の変化は変化ありません。小野は相変わらず黙秘しています」
「承知した」
男が言ったとおり、きっかり一時間で竹井が到着した。三台のストレッチャーに伸也たちが載せられ、貴斗は後ろ手に手錠をかけられていた。ストレッチャーの三人は女性医師と看護師に引き渡され、パーティションで仕切られた区画へ連れて行かれた。
「小野を連れてこい」
竹井が隊員に囲まれて文句を言っている小野を引っ張ってきた。
「おい藤岡さん。あんたここの責任者なんだろ。いい加減この手錠を外してくれよ。確かに俺はグロウのアジトから出たときに逃げようとしたけどさ、あれはお前らが銃を持ってたからだよ。周りで銃をぶっ放してグロウの奴らを殺しまくってたら怖くなるのもわかるだろ」
「竹井、彼の手錠を外してやれ」
「承知しました」
竹井が手錠を外し、貴斗はふっと息を吐きながら手首をさすった。
「さすが藤岡さんだ。話がわかる」
「どこミーティングする場所はあるか? 小野と話をしたい」
「あのパーティションの中に打ち合わせようの机と椅子があります」
「ありがとう。小野君、行きましょう。荒川先生もお願いします」
藤岡はパソコンに向かっていた女が指差したパーティションの中へ入っていた。荒川と貴斗も入った。中は十人ほど座れる折りたたみの椅子と机が置いてあった。荒川と藤岡は貴斗に向かい合う形で椅子に座る。
「さて、例の三人がどうして意識不明に陥っているか、説明していただけますか」
「あんた、竹井と連絡を取っているのか?」貴斗は足を組んで椅子に座り、馬鹿にしたような目で見ていた。「あいつらがどうなったかなんて、全然知らねえって言ってるだろ」
「我々は君が嘘をついていると考えている」
「へっ、どこにそんな証拠があるっていうんだ。拷問でもして吐かせようってのか」
「そんな野蛮なまねはしません。ただ、脅すことは可能です」
藤岡は唇にわずかな笑みを浮かべ、三角眼を冷ややかに輝かせた。
「裏霞にいた時、何を食べたか覚えていますか」
「えっ……」唐突な問いかけに戸惑いながら答える。「ハンバーグだったな。いかにもレトルトって感じで固かったよ」
「もう一品コーンポタージュもあったかと思いますが」
「ああ、そうだったな」
あのポタージュに、我々は十個のマイクロロボットを混入しました。このうち八個が小野さんの体内に留まっていることが確認されています」
「なんだと」貴斗は目を剥いて睨んだ。「俺の体に何をしたっていうんだ」
「まだ何も起きていません。ただ、小野さんの今後の身の振り方では何か起きるかも知れません」
「その何かってなんだよ」
「小野さんの体内にあるマイクロロボットには、0.1ミリグラムのA型ボツリヌストキシンを含有しています」
「ボ、ボツリヌス……ってなんだよ」
「現在発見されている毒素では、地球上最強と言われています。一つでも毒素が解放されれば、間違いなく一時間以内に心肺停止するでしょう。下剤を飲んでも無駄です。現在マイクロロボットは小野さんの胃壁へ食い込んでいる状態です。我々が操作しない限り、体外から排出されることはありません」
「お前……ふざけやがって」
貴斗は相変わらず藤岡を睨んで虚勢を張っていたが、目は震え、明らかにうろたえていた。
「今後、マイクロロボットが排出されるまで、我々の指示に従っていただきます。まずは三人がなぜ意識不明となっているか説明していただきましょう」
「だから……知らないって――」
「まだしらを切るつもりですか。移動中にした竹井の質問に対して、脳波、心拍数、音声すべてに変化がありました」
貴斗は大きく息を吐いた。「わかった。全部ゲロするよ。辻田は五次元から伸也たちの精神に入り込んで、ネガティブな感情を引き出しているんだ。それであいつらの精神は退行して意識不明になっているんだ。伊豆で死にかけた奴らがたくさん出てきただろ。あれがそうさ。何日かすれば伸也たちもああなっていく」
「だからお前はグロウの側に付いたんだな」
「俺がいつグロウに付いただなんて言ったんだ」
「お前がこうして喋っていられるのはグロウの側に付いたからだ。違うか」
貴斗は唇をわずかに震わせながら睨み付けたが、反論しなかった。
「これから君は別の場所に移動してもらう。裏霞の時のように脅されたら敵わないからな」
竹井が呼び出され、再び手錠を嵌められた。
「お前……やり方が汚えぞ」
「あなたからそんな言葉を聞くとは思いませんでしたね」
睨み付けながら出て行く貴斗を、藤岡は薄笑いを浮かべて見送った。
「荒川先生、お聞きになりましたね。宮本たちの意識を戻す方法はありませんか。あのままでは、世界の混乱が加速していくばかりです」
「私も伸也を助けたいのはやまやまだ。しかし、伊豆で救出された人々は様々な外部刺激や薬物の投与を加えてもあのままだった。もしできるとすれば辻田と同じように、五次元の世界から彼らの意識に入り込むことだが、私にはどうやったら彼らの意識にたどり着けるのかわからない」
こんこんとパーティションを叩く音がして、再び竹井が顔を覗かせた。「藤岡課長、来てください。北村が意識を取り戻しました」
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