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第三部 闘争 11

 気がついたとき、瞳孔の開ききった目をかっと見開き、苦悶の表情を浮かべている男が目に入った。転倒したSUVの屋根へ奇妙な角度で首を押しつけている。その傾き具合が腐ったアイドルのポーズに思え、悪い冗談だと思って笑みがこぼれた。

 ぼんやりしていた記憶が急速に形を取り始め、状況を認識していく。

 立ち上がろうとしたが、途中でめまいを起こして尻餅をつく。

「大丈夫ですか」

 部下が駆けよって背中をさすった。

「ああ、それより宮本はどうした」

「そこです」

 指差した先に伸也が横たわっていた。別の隊員が状態をチェックしていた。

「意識は相変わらずですが、特に外傷は見当たりません。他の二人も同様です。小野は江川が監視しています。隊員は岡田が腿を撃たれていますが、出血はひどくありません」

 竹井は辺りを見回した。暗視ゴーグルは吹き飛ばされていたので、わずかな月明かりだけが頼りだった。担架代わりの毛布に北村を乗せている様子が見えた。アジトの出口は亡霊の口のように、真っ暗な出口が浮かび上がっている。シャッターが開いていたのが幸いだった。閉まっていたら、爆風の圧力で内臓破裂していたかもしれない。

 今度はよろけないよう、SUVのドアを掴みながら立ち上がった。「全員撤収する」

「おい、その前にこの銃をなんとかしろよ」

 貴斗の声が聞こえる方に近づいた。

「この男、俺たちの警告も聞かず、逃げようとしたんですよ」

 江川が目に怒りの色を滲ませながらMP5を構えている。

「爆発が怖くて、少しでも遠くへ行こうとしただけだよ」

「違う、明らかに俺たちから遠ざかろうとしたんだ」

「江川、銃を下ろせ」

 不満げな顔をしながらも、江川は構えを解いた。

「全く。こんなことされると生きた心地がしねえよ」

 貴斗はニタニタ笑いながら竹井に近づいた。

 不意に貴斗の目が鋭くなる。

 竹井を抱きしめるようにしながら、ホルスターから短銃を引き出した。

 後ろに回り込み、襟首を掴んで首筋へ銃口を押しつける。

 周りにいた隊員が、貴斗に向かって一斉に銃を向けた。

「ぼんやりしていたところを悪いが、人質になってもらうぜ」

「なぜこんなことをする。お前がグロウの側についたからか」

「そうだよ。俺がグロウに付けば、グロウが天下を取るんだ」

「わかった。撃てよ」

「何っ」

 竹井が肩を震わせて笑った。「声が裏返ったぜ。度胸もないのに銃なんか向けんなよ」

「お前……。自分の立場がわかってんのよ」

 叫んだ瞬間、貴斗が引き金を引いた。

 発砲音が鳴り響く。

 しかし、竹井は倒れなかった。周囲から笑い声が漏れ始めた。

 竹井はニタニタと笑みを浮かべながら振り返った。「また引っかかったな」

「え?」

 隊員が近づいて貴斗に銃を向け、別の隊員が後ろ手に手錠をかけた。

「荒川のマンションから逃げたあとで、車で拉致されたことがあっただろ」

「あれは……」貴斗ははっとして竹井を見た。「グロウじゃなかったのか」

「俺たちがグロウを装って拉致したのさ。当時、あのままだと全員警察に捕まっていたからな。拘留されている間に殺されたかもしれない。取りあえず北村のアパート付近まで逃したんだ。お前がフェイクの銃を奪ったのも想定内さ。もっとも、あの後伊豆に飛ぶなんて思いも寄らなかったが」

「ずっと前から俺たちを監視していたんだな」

「荒川の関係者は全員監視対象だった」

「隊長、三人を車両に積み込みました」

 すでに空はうっすらと白み始めていた。

「俺たちも車に乗るぞ。小野を連れて行け」

 道を歩いて行くと、4トンのアルミバントラックとランクルが停車していた。隊員と貴斗はトラックの荷室へ入り、竹井はランクルの後部座席へ座った。ドアを閉めると同時に運転席の男はランクルを発進させた。

 ヘッドレストに取り付けてあるモニターが点灯し、無表情な藤岡の顔が現れた。

「ご苦労だった。任務完遂と全員無事だったのは櫛山から聞いた。突入から脱出までの経緯を教えろ」

 竹井は経緯を説明した。

「男の痙攣が三分近くも続いたとはな」

「一体何があったんでしょうか」

「心当たりはある。調べてみよう。しかし三分なら脱出するのも余裕だったんじゃないのか?」

「私のミスです。もう終わりだと思い、感傷に浸ってしまいました」

 藤岡がクックッと押し殺すような笑い声をあげた。「らしくないな」

「申し訳ありません」

「まあいい。無事で何よりだ」

 今度は竹井が笑った。

「ねぎらうなんてやめてください。らしくないですよ」

「そうか。験が悪いな」

 今度は二人で小さく笑った。

 藤岡が無表情に戻る。「これから茅野市へ行ってもらう」

「茅野市というと、もしかしたら」

「ビフレストの拠点だった場所だ。また裏霞へ戻って爆発騒ぎを起こされても困るからな。あそこなら周辺に人家もないから都合がいい」

「あの場所はまだ生きていたんですか? すでに処分していたかと思っていたのですが」

「SMR(小型モジュール炉)があるからな。あれを解体するのがやっかいで、歴代のトップが先送りしていたんだ。住居エリアは廃墟同然だが、取りあえずセキュリティーだけはまともに動くよう調整している」

「しかしあえてあの場所とは。辻田たちも場所は知っているはずですよね」

「その通り」藤岡は眉根をピクリと動かして笑った。「奴らを待ち受けるには最適な場所だろう」

 竹井は息を吐いた。「あの場所で戦うことが前提ですか」

「スパイが誰かわからない以上、宮本たちの居場所が奴らに知れるのは時間の問題だ。茅野で白黒をつける」


 東の空が白み始めている中、真っ黒な黒煙が天へ向かって立ち上っている。心の中に大きな乱れはなかった。恐らくあいつらは全員生きているのだろう。蓮村がちょっかいをかけてくれたおかげで奴らに逃げる隙を与えてしまったのだ。

 また玄にやられてしまった。

 我々が実権を握れば、より多くの感情のエネルギーを得られるというのに。一体どういうつもりなんだ。

 まあいい。我々にはまだ手がある。

 辻田は歩き出した。心臓の鼓動に合せて、激痛が左手から波のように全身へ広がっている。小指と中指は紫色に変色し、傷口は赤黒い血を滲ませていた。すぐに治療をしなければならない状態だったが、辻田は放置するつもりだった。

 今まで他人が苦しむ様を見ていて感動していたが、自分の痛みはその比ではない。自分への痛みは、頭がクラクラするほどの快感だ。このまま死んでしまってもいいと思う。

 自死は生命に対する究極の反逆であり悪なんだ。

 森の中へ入り込み、薄汚れた布きれが枝に結ばれているのを確認する。その下の下草をかき分けると、防水シートが現れた。シートを取り去ると、中から真新しいオフロードバイクが出てきた。

 辻田はバイクを起こしてまたがり、エンジンをかけた。バイクは一発で始動し、野太いエンジン音を響かせた。ギアを入れて走り出す。

 バイクが揺れるたび、左手からめまいがするほどの激痛が走った。辻田は額から脂汗が滲んでくるのを意識しながらも、頬が緩むのを抑えられなかった。

 苦しみと痛みをこの世界に、そして自分にもたらしてやろう。

 それこそが僕にとっての善であり、快感なんだ。


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