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第三部 闘争 10

 辻田の身体は五次元の世界を漂っていた。その下には、Dブレーンを形成する広大な地平が広がっている。

 表面に近づき、そっと表面に触れた。手のひらがじりじりと痺れるような感覚に襲われる。この感覚が心地よかった。どうしてなんだと思っていたが、さっきその意味がわかった。

 辻田の目の前に広がるDブレーンは、反物質で構成された世界だ。辻田がわずかに触れることにより、陽電子が身体を構成する電子と反応して対消滅を起こしていた。このまま中に入れば、対消滅で膨大なエネルギーを発し、辻田の体は消滅するだろう。

 一旦Dブレーンの表面から離れ、周囲を見回すと、地平の切れ目に盛り上がった部分を発見した。重力波をコントロールしながら、盛り上がりに近づいていく。

 それは反物質世界の透明症患者だ。辻田はDブレーンからにじみ出ている重力子(グラビトン)の波に身を委ねた。人差し指を透明症患者の隆起に向け、ゆったりと呼吸しながらタイミングを待つ。

 波が落ち着き、指先と隆起がピタリと一直線に繋がった感覚になる。今だ。

 指先から感情子(エモビトン)が放たれる。重力子(グラビトン)が追従して隆起に向かった。

 重力子(グラビトン)は隆起をかすめていく。

 辻田は手応えを感じながら隆起へ近づいた。透明症患者に変化はなかったが、隆起の手前で立ち止まり、周辺を注意深く見た。

 隆起の上でわずかに塵のような物が漂っていた。満足げに笑みをこぼすと、塵を両手の間へ収めるような体勢で、わずかに感情子(エモビトン)を放出した。感情子(エモビトン)と共に重力子(グラビトン)が働き、塵は前へ押し出された。

 塵は隆起していた男の皮膚だった。辻田は最初に放った感情子(エモビトン)で、男の皮膚を削り取っていた。手の平で感情子(エモビトン)をコントロールしながら、皮膚の断片を移動させた。反物質で構成されたDブレーンから遠ざかっていく。変わって、別のDブレーンが見えてきた。広大なブレーンの表面を漂いながら、にじみ出てくる感情子(エモビトン)を感じた。様々な振動の感情子(エモビトン)の中で、記憶に残っている振動を探した。

 あった。激しく乱れた振動だが、周期的なパターンがあった。辻田はその感情子(エモビトン)を辿りながら移動した。程なく隆起が見えてきた。痛みで苦悶の表情を浮かべている若い男。さっき辻田が太ももを撃ち抜いた男だ。激しい痛みで強い感情子(エモビトン)が放たれているので、容易にたどり着くことができた。

 辻田は反物質の皮膚を男に向けて放った。ゆっくりとしたスピードで皮膚が離れていく。

 皮膚が接近すると、男は痙攣を起こし始める。目に見えない皮膚の断片を構成する陽電子が、男の電子と反応して対消滅を起こしているのだ。

 男の胸が反り返り、血が溢れてくる。襲撃者が男を殺したのだろう。しかしもう遅い。肉体が生命活動を停止しても、身体場は半日ほど残存しており、五次元に組み込まれた身体も身体場に合わせて徐々に四次元時空へ戻っていく。

 これだけの反物質があれば、あのアジトなど、山ごと吹き飛ぶだろう。


 竹井はかつて結婚していた時期がある。多くのエージェントがそうであるように、度重なる潜入捜査で疎遠になったあげく、別に女を作って結婚生活が破綻するというお決まりのパターンだった。きっかけは自分とはいえ、元妻の顔を思い出すたびに、離婚の申し立てをされたときの屈辱感が蘇り、気分が悪くなった。

 しかし、死を目前にして思い出すのは、結婚した当初の妻との思い出だった。秋風が吹く季節外れの海岸で手を繋ぎ、何も言わず歩いていたときの一体感。胸に顔を埋めて眠っている妻の体温。らしくないと心の片隅で意識しながらも、思い出の奔流は止まらない。今思えば、幸せのピークはあの頃だったのかもしれない。

「竹井隊長っ」

 呼ばれて我に返り、不安げに自分を見ている部下を見返した。

 男の痙攣は止まらない。

 しかし、爆発もしていない。

「あれからどれくらい経過した」

「えっ、あれからと言いますと?」

「痙攣が始まってからだ」

「三十秒程度かと」

 妙な感傷に浸ってた自分が馬鹿だった。三十秒あればここから逃げられたかもしれなかったのに。

「全員退去する。江川と白井は栗山と北村を担げ。俺は宮本を背負う」

 竹井は宮本を肩に担ぎ、出口へ向かって走り出した。


 反物質が触れる直前だった。

「何っ」

 大きな重力子(グラビトン)の波動が渦となって辻田を襲った。バランスを崩して一回転する。皮膚も四散して辻田の目の前をかすった。すこしでも触れれば対消滅して爆発を起こす。周囲に注意を巡らせながら、皮膚を避けた。

 そのとき、視界の隅に一人の老人が漂っているのが見えた。脇腹を押さえながら辻田を睨み付けている。蓮村だ。

「まだ生きていたんですか」辻田は口元に笑みを浮かべた。「死んでしまった方が楽だったのに」

「私はお前を止める義務がある」

「残念ですが、それは無理です。蓮村さんに残された選択肢は二つしかない。あっけなく死ぬか、苦しんで死ぬかです」

「ならば苦しんで死のう。お前の活動をできうる限り止めることに意味がある」

「僕と意見が一致しましたね。でも行動に対する意味合いが違う。蓮村さんの怒りの感情を最大限に引き出させ、苦しみの感情を絞り出すこと。これが僕の目的です」

 蓮村が手を振り上げ、辻田に向かって指先を振り下ろした。

「食らえっ」

 重力子(グラビトン)の波がうねり、強烈な力となって襲いかかる。しかし、辻田は風に乗るグライダーのようにひらりと反転しながら躱した。

「強い感情の発露があるのでしょう。力は充分です。でも、残念ですが鋭さが足りない。簡単に予測して避けることができる」

 辻田の目に喜悦の色が浮かぶ。

「受け取ってください」

 振り抜いた指先から、感情子(エモビトン)に引き連れられた重力子(グラビトン)が放たれる。

 蓮村の胸にこぶし大の穴が空いた。

 胸から大量の血があふれ出して、球体となって漂い始めた。目からは輝きが喪失し、広がった手足は力なく宙を漂いはじめた。

「ごめんなさい、結局あなたには選択肢がなかった。あっけなく死ぬしかありませんでした」

 死んだ蓮村に微笑みかけ、ブレーンに向き直る。皮膚の欠片は大半は失われてしまったが、わずかに隆起の上を漂っている物があった。

 これだけか。もっともアジトを破壊するには充分だか。

 手のひらをかざして、皮膚の破片を隆起に向けて押し出す。


 出口だ。シャッターは開け放たれ、暗視スコープには森が見えている。あと少し。窓が破壊された車両の横をすり抜けようとしたときだ。

 轟音と共に、背後から何かがぶつかるような衝撃を受けて吹き飛ばされた。

 伸也の体が持って行かれる。

 為す術もなく、衝撃に身を任せるほかなかった。

 間に合わなかった。柄にもなく感傷に引きずられた自分のミスだ。

 目前に地面が迫ってくる。


「グロウのアジトで爆発が発生した模様。微弱な振動が確認されました」

 皆川の叫びに藤岡はピクリと右眉を上げた。

「竹井とはまだ連絡が取れないのか」

「アジトからの妨害電波が止まりませ――あっ、消えました。GPSが復活、反応あり。十八名全員が外に出ています」

 あちこちから、安堵の声が漏れた。

「櫛山副長と連絡が取れました」

「繋げ」

 モニターが地図から、迷彩服を着た男のアップに切り替わる。頬が岩のように盛り上がった、厳つい顔をした男だ。

「状況を説明しろ」

「拉致された四名を確保しました。そのうち小野を除く三名は意識ない状態で発見されました。隊員はしんがりを務めた竹井隊長を含めた三名が爆風を受けていますが、大きな怪我は確認されていません」

「ご苦労だった。すぐに撤退しろ」

「承知しました」

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