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第三部 闘争 8

 壁に取り付けられた巨大なモニターに、十六の画面が分割されている。いずれも夜で、人々が殴り合い、いがみ合っている姿が映し出されていた。怒声、悲鳴、鳴き声が重なり、混沌となって室内に響いていた。道路にたたきつけられ、血を流している男。悲鳴を上げ、命乞いをしながら、殴られ続けている女。突進してきた車にバラバラとはねられる人々。

 辻田はその光景を見ながら、輝きを放つ目から涙を流し見ていた。

 ティッシュペーパーで涙を拭い、口元に笑みを浮かべる。「とうとうこんな光景が見られるなんて……素晴らしい。感動したよ」

 電話が鳴った。不機嫌そうに顔をしかめながら、テーブルの上に置いてあった携帯電話を取った。

「どうしましたか」

「北村の顔が急に穏やかになりました。ご報告しておかねばと思いまして」

「ほう。なぜでしょうか」

 辻田の顔に鋭さが戻った。立ち上がり、部屋を出た。廊下を進み、右側のドアを開けた。

中には三つの簡素なベッドが置かれており、伸也と奈緒、北村が眠っていた。ベッドの前に立っていた若い男が、緊張した面持ちで辻田を見ていた。

「ご覧ください。こんなにも穏やかで」

 伸也と奈緒は苦悶の表情を浮かべていたが、北村だけはうっすらと微笑みを浮かべているように見えた。

「外部から刺激を与えたましたか?」

「いえ、こいつらには一切手を触れていません。本当です」

 激しく首を振る男を手で払うようにしてどかせた。男は手を避けようとして、足をもつれさせ、床に倒れこんだ。

 北村をのぞき込む。規則正しい寝息を立てていた。どう考えても、苦しい夢を見ているようには思えない。

 辻田は目を閉じた。体が透明になっていく。

 北村の鳩尾の上に右手をかざした。緩やかに呼吸を整え、手を押し込んだ。

 鳩尾の中に右手が沈む。

 辻田の眉間に皺が寄り「なんてことだ」と小さくつぶやいた。


 暖かな春の風が窓から吹き込んでいた。部屋は六畳ほどで、テレビやタンス、ドレッサが雑多に置かれた生活感が濃厚に漂う部屋だった。部屋の中央では小太りの中年女性が横座りになり、小学校中学年ぐらいの男の子が腿の上に頭を預けていた。男の子は泣いており、女性は優しく彼の髪の毛を撫でていた。

「きみちゃん、あなたが精一杯頑張ったのはお母さんわかっているわ。それでもだめだったのは仕方のないこと。発表の時、うまく喋れなくて笑われたって気にすることなんかないわ」

「うん」男の子がにこりと微笑んだ。「僕、頑張る。明日も学校に行くよ」

「ありがとうキミちゃん。お母さんも頑張るからね。さ、これから夕ご飯を作らなくちゃ。今日はきみちゃんの好きなカレーにするからね」

「やったあ」

 女性は満面の笑みを浮かべる男の子に優しい笑みを投げかけると、台所へ歩いていった。

――体これはどういうことだ――

 辻田は怒りに体を震わせながら、母と子の様子に鋭い視線を投げかけていた。男の子は立てかけてあった折りたたみのちゃぶ台を組み立てて部屋の中央に置き、教科書とノートを広げて勉強をし始めた。

 丸い顔とシジミのように小さな目。子供だが、間違いなく北村だ。苦しい思い出を引き出すようセッティングしたというのに、どうしてこんな風になってしまったんだ。

 北村の無意識の更に底へ降りていかねば。辻田は目を閉じ、片膝をついて両腕を体に巻き付けるようにして前屈みになった。辻田の体がカーペットの中へ沈んでいく。

 全身が沈み込んで、真っ暗な世界へ入り込んだ。体が高速で落下して行く感覚があった。

 下方に小さな輝きが見えて来たかと思うと、それはいきなり様々な光景となって辻田の視覚に飛び込んできた。

 雪の坂をそりで下りていく様子。ベルトコンベアで流れてくる荷物を都道府県別に仕分ける様子。秋風が吹くビルの間を颯爽と歩く、モデルのような美しい女性。数え切れないほどの大量な光景が、めまぐるしく現れては消えていった。すべての光景には感情が伴っている。そりの光景には興奮。荷物の仕分けには倦怠感。美しい女性には憧れと恋愛の感情。

 これらを体験していると、やがて怒りや悲しみ、苦しみといった負の感情を伴った光景が現れる。これを捕まえて、眠っている意識の元に届ける。そうすれば負の連鎖が起きて、北村はネガティブな世界へ沈んでいく。

 伸也と奈緒の場合は言い聞かせて負の感情しか体験できないことを悟らせなければならなかったが、北村は思い込みが強いから簡単だ。勝手に負の感情を拾ってくれる。

 これだ。

 厳つい顔をした中学校の体育教師が睨み付けてくる。

「おい、リフティングが一回もできないのはお前だけだぞ」

 怒鳴りつけてくる教師に、恐怖の感情が生まれていた。

 辻田は流れていこうとする記憶の空間を手で掴んだ。体育教師の顔が流れに引っ張られて、一瞬ぐにゃりと歪んだが、すぐに戻った。辻田はめまぐるしく動き続ける記憶の混沌の中から、ふわりと浮き上がった。

――辻田、やはりお前だったか――

 暗闇のどこからか、嗄れた老人の声が聞こえてきた。

――あなたは誰ですか――

――私の名前は蓮村。日本での裏のビフレストプロジェクトの責任者だった者だ――

――あなたが僕たちを生み出してくれた方ですか。感謝いたします――

 辻田が柔らかな笑みを浮かべた時、わずかな圧力のようなものを頬に感じた。

 ぐいと頭をそらした瞬間、強烈な力を伴った何かが、鼻先をかすめた。

 掴んでいた体育教師の記憶が、破裂するように四散して消滅した。

――僕を殺そうというのですね――

――そうだ――

――僕はこの五次元の世界で多くの人を殺してきました。しかし、戦うことは初めてだ。凄くわくわくしますよ――

 再び圧を感じ、辻田は体をのけぞらす。

 その直後、連続して圧が襲った。一回転して避けようとしたが、左手に直撃した。

 強烈で灼けるような痛みが広がった。左手の中指と小指の第二関節から先が消えていた。血が溢れ、様々な大きさをした真っ赤な球体となり、撓みながら空間を漂っていく。

 痛みに意識が飛びそうになりながらも、周囲を集中させた。

 北村の無意識に漂う重力子(グラビトン)の波を意識した。波を理解し、波を掴む。

 辻田の唇が開き、凄味を帯びた笑みが浮かび上がり、鮮血のように赤い舌を覗かせる。

――蓮村さん、あなたはミスを犯した。三度の攻撃で、僕を殺すべきだったんだ――

 圧が襲いかかる。しかし、辻田は小首を傾げるようにわずかな動きでそれを避けた。闇を見ている視線が動き続けている。

――隠れても無駄ですよ。僕はもうあなたを見切っている。これがどういう意味かわかりますか――

 おもむろに右手の人差し指を闇に向けた。

 周囲で波となって揺らめいていた重力子(グラビトン)が辻田に引き寄せれ、指先に集まってくる。重力子(グラビトン)の流れが集約され、奔流となって放たれた。

――うぉぉぉっ――

 獣のような叫び声が響きわたり、指差した先に老人の姿が現れた。脇腹を押さえ、苦悶の表情を浮かべている。

――うまく隠れたつもりでも、三回攻撃を仕掛けてくれば、嫌でもどこにいるかわかりますよ――

 辻田は音もなく蓮村へ近づいた。痛みで脂汗を滲ませながらも、笑みは絶やさず蓮村を見つめている。

――重力子(グラビトン)をコントロールするテクニックは、玄から教わったんですか――

 蓮村は苦しげな表情を見せながら辻田を睨み付けていた。

――そうだ――

――僕も彼から教わったんですよ。一体どういうつもりなんでしょうね――

 辻田は苦笑いを浮かべた。

――この五次元の世界では、僕たちが存在する四次元時空と違い、ランダムに揺らめいている。そのなかで僕たちに存在している感情子(エモビトン)を放つことによって、重力子(グラビトン)がその流れに引き寄せられ、追従していく。

 蓮村さんの僕に対する感情はかなり強かったようですから、強度は申し分なかった。直撃していたら、僕の体は引きちぎられていたでしょう。でも、慣れていないせいか、さすがにコントロールはいまいちでしたね。

 僕は一発で蓮村さんの心臓を撃ち抜くことも可能でしたが、それだけではつまらない。ゆっくりと楽しませてもらいますよ。もっとも、僕もこの通り、左手から大量出血していますので、止血をしなければなりません。ですからそれほど長時間というわけにも行きませんが――

 辻田は右手を首に巻き付けるような構えをした。

振り回そうとした時だ。ふいに背後から引っ張られるようにして、辻田の体が飛んでいった。瞬時に蓮村も、記憶のカオスも彼方へ消えていった。


 若い男が、必死の形相で眠っている北村を揺り起こしていた。

「辻田さん、出てきてください。お願いです」

「ううぅ……」

 北村は目を閉じていながらも、小さく呻いた。

 鳩尾の部分がぼんやりと光り始めたかと思うと、急速に膨れ上がり、人の姿へ形成され始めた。

 光は不機嫌な表情の辻田になった。左手の中指から小指が消失し、大量の血が噴き出し、ベッドを汚していた。

「君は何をしていたんだ」

 強い口調と凄惨な状態に男は一瞬たじろいだが、はっとしてうろたえた目をし始めた。

「大変です。このアジトが急襲されているんです」


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