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第二部 破壊 26

「課長、荒川梨奈たちの動きがおかしいです。廊下を外れて、寮から離れていきます」

 耳に埋め込んだイヤホンから、部下の声が聞こえてきた。藤岡は巨大な円テーブルを囲んた面々をじろりと見回した。官房長官を筆頭に、防衛省事務次官、警察庁警備局長など、錚々たるメンバーが集まっていた。

「申し訳ありません、緊急事態が発生しまして、中座させていただきます」

「一体どういう理由なんだ」

 会見ではソフトな語り口で主婦層に受けのいい官房長官が、不祥事のもみ消しのためなら平気で身内も陥れる本来の凶悪な顔を覗かせ、あからさまに声を荒らげた。

「機密保持のため、お答えは控えさせていただきます」

「俺を誰だと思っているんだ」

 怒鳴りつける官房長官を無視し、一礼して会議室を出た。あの男のことだから、後で様々な嫌がらせを仕掛けてくるだろう。しかしこちらには、三十年に及ぶ議員生活の中で起きたスキャンダルのネタを、片手では足りないくらい掴んでいる。その一つでも示唆すれば、すぐに黙り込むはずだ。

 藤岡がこのポストに就いたのが六年前。とうに異動してもおかしくないのだが、そんな気配すらない。理由は明白で、藤岡が知りすぎているからだ。藤岡がその気になれば、過半数の国会議員と多くの高級官僚を動かしてこの国を動かすことも可能だ。あるいは企業のトップを恐喝し、多額の現金を受け取ることも夢ではない。時折そんなことを夢想したりもするが、実行に移したことはない。

 藤岡はこの職を愛していた。違法行為も辞さず、一歩踏み間違えれば破滅に至る道を、精密なシミュレーションを行い、それでも発生する想定外のトラブルをギリギリで回避しながらミッションを遂行していく。そんなヒリヒリするような世界に浸っているのが好きだった。

 国家に忠誠を誓い、課長という身分をわきまえ、時折その力の一端を周囲に見せつければ、自身が定年を迎える二十年後、いやそれ以降もこの地位にとどまることは可能だと考えていた。国家としても、下手に野心を抱いている人物よりも、藤岡のような男がこの地位に就いていてもらった方が都合がいいだろう。

 遠い昔に体験した結婚生活は苦い思い出しかないし、子供にははなから興味がない。藤岡にとって、この職が人生のすべてだった。

 内閣府庁舎の階段を下り、地下一階に行く。上階の洗練された内装から一転して、地下は建築された昭和の湿っぽい空気感がまだ残っていた。藤岡はそこある資料室のドアを開けた。かび臭い臭いが漂うファイルが収められた棚の間を進み、奥にあるくすんだモルタルの壁に手を当てた。壁の向こうでモーターが作動する振動が伝わってく。

 ゴゴッと音を立てて壁が動き出し、真新しいエレベーターが現れた。右側についているカメラの正面に立つと扉が開いた。中に入り、ドアを閉める。内臓がふわりと浮く感覚を意識すると、インジケーターが下降の矢印を表示し始めた。イヤホンを仕舞い、携帯電話を耳に当てる。

「私だ。荒川梨奈たちはどこへ向かっている」

「現在センターの裏口に来たところです。道路に赤い軽自動車が停車しています」

「誰が乗っているんだ」

「カメラからは確認できません。現在ナンバープレートを照合しているところです」

 ドアが開き、エレベーターを出た。無機質なLEDライトに照らされた白い廊下を歩き始めた。

「車の所有者が確認できました。河田江里。神奈川県相模原市で登録されています」

「河田?」

 頭の中に引っかかるものを感じた後、すぐにそれが何か思い当たった。「蓮村研究室の経理に、透明症の河田という女がいるはずだ。確認しろ」

 B4513と書いてある部屋の前に立ち、センサーで顔を認証させてドアが開く。キーボードを叩く音、電話口で怒鳴りながら話をしている男たちの声が聞こえてくる。藤岡は携帯電話を切り、奥の席へ着いた。

「課長、ビンゴです。経理課の河田江里、二十四歳。神奈川県相模原市出身。登録の自動車ナンバーとセンター裏口のナンバーが一致しました」

「荒川梨奈と河田の接点は」

「確認できません」

「研究室の警備に連絡を取って、河田の部屋を捜索するよう伝えろ。木場は河田の二十四時間の行動をAIに検索させて、異常行動がないか確認しろ」

 承知しましたと木場が自分の席へ戻ると、別の男が来た。

「課長、早田優衣が妙な物を持っています」

「課長、研究室の警備に連絡が取れません」

 木場が叫ぶ。

「引き続き連絡を取れ」怒鳴りながら、同時にモニターへ目をやる。そこには大型のポリタンクを下げて歩く優衣の姿があった。

「早田はどこからどこへ向かっているんだ」

「この方向から推測すると、寮ではないかと」

「荒川梨奈と早田は今日話をしているか」

「教室での授業が終わった後、荒川梨奈が、早田の前でダンスをしています」

「教室での授業? 次は違う場所で授業するのか」

「はい、この後体育館で体育の授業が始まります」

「赤い車が荒川梨奈たち三人を乗せて走り出しました」


 河田江里は作り物のように表情のない透明な目をして車を運転していた。助手席には梨奈が座り、後部座席には辻田と藍田がいた。辻田と藍田は茫洋とした表情で前を向いている。

「梨奈、僕たちこれからどこへ行くのさ」

 辻田は前を向きながらも、正面にいる梨奈には焦点が合っていない。まるで違う人物に話しかけているかのようだ。

「あたしのお父さんが道を開いてくれたの。あたしはその道を通って、真実へたどり着いた。あなたたちも真実を見たいでしょ」

「僕は……よくわからないよ」

「あなたたちにはわからなくても、玄がわかっているわ」

「言っている意味がわからないよ」藍田が宙を見つめながらつぶやく。「玄ていうのは何なんだよ」

「会ってみればわかるわ」

 梨奈はキラキラとした目で微笑んでいた。しかしその目の奥は無機質で、底の見えない暗い影を宿している。

 江里の運転する軽自動車は、曲がりくねった山道をゆっくりしたスピードで走っている。後続車が来て車間距離を詰め、いらだつようにして追い抜いていった。そのとき、河田ははっとしたような顔をしてブレーキを踏んだ。

 隣にいる梨奈を初めて見たとでも言うように、驚いた表情で見る。何か言いかけたときだ。

 梨奈が妖しげな笑みを浮かべながら、両手を江里の前に差し出し、フィンガータットを始めた。リズミカルに、機械のようなメリハリのある動きをしたかと思えば、唐突に違う生き物のように指をくねらせていく。

 江里のこわばった頬が緩んでいく。目から再び表情が消えていった。

「さあ、車を出してちょうだい」

 江里はアクセルを踏んだ。ガクンとぎこちなく車体が揺れ、車が走り出した。

「ちょっと臭いわね」

 梨奈が助手席の窓を開けた。冷たく乾いた風が侵入し、梨奈の短い髪の毛をゆらした。


「梨奈が早田の前でダンスをしている映像を映せ」

 モニターに梨奈がステップを踏んでいる映像が映し出される。

「早田の机に置いてある紙。あれは便箋じゃないのか。拡大できるか」

 映像が停止し、机の上が拡大される。

「画像が粗い。皆川、AIで処理できるか」

「少々お待ちください」

 画面が切り替わり、白くなった。そこに文字が次々と表示されていく。


優衣様

 いきなりお手紙をしてごめんなさい。急ぎで連絡を取る必要が出てきたんです。

 どうやら美佳さんが、僕たちのことを不純な付き合いをしていると先生に話すみたいなんだ。

 僕たちの関係は手紙だけなんていうのに、ひどい話だよ。でも先生たちはきっと美佳さんのことを信じるだろう。僕たち退所に追い込まれて離ればなれになっちゃうよ。

 逃げてもだめだ。あいつらは僕たちの仲を引き裂きたいからね、必ず追いかけてくる。

 僕たちが結ばれるには、一つしかない。あいつらを全員排除するんだ。

 この後体育の授業でみんな寮に戻って着替えをする。そのときに火を点けるんだ。

 センターの裏口に、赤い軽自動車が止まっている。その車に乗っている女性からポリタンクとライターを受け取ってほしい。

 男子のゲートから廊下に向かってポリタンクの中身を放ち、火を点けるんだ。そうすれば男子はもちろん上の階にいる美佳たち全員が死ぬだろう。

 やり過ぎだと思っているかもしれないけど、僕たちが結ばれるにはこれしか方法がないんだ。

 不安かもしれないけど、僕と結ばれることを夢見れば、どんな困難も乗り越えられるはずだよ。

 龍。


「入所者はどこにいる」

「全員寮で着替えをしています」

「早田を止めろっ、ポリタンクの中はガソリンだ」


 入所者のカルテをチェックしていた田上は、突然の電話に戸惑いながらも、切迫した声に押されるようにして、診察室を出た。教室のあるビルを突っ切り、渡り廊下に出る。

「情報は本当なのか、ここにガソリンなんか置いていないぞ」

「ガソリンは外部から持ち込まれている。それを早田が受け取ったんだ」

「外との連絡なら、あんたたちがずっと監視しているはずじゃないか。どうして事前にわからない」

「それは調査中だ。ともかく今は早田を阻止してくれ」

 寮に入ったが、一階には誰もいない。階段を駆け上がった時、警報音が鳴り響いた。二階の男子ゲートの向こう。少女が一人、廊下に立っている。

「早田さん、なぜここにいる」

 声を掛けられて振り向いた優衣は、ぼんやりとした目で田上を見た。足下にはポリタンク。ガソリン臭いが立ちこめていた。

 ポンとポリタンクを蹴った。

 ポリタンクが倒れ、透明な液体がこぼれ出す。

 息もできないくらい、むせかえるような刺激臭が襲ってくる。

 優衣の手には、小さな長方形をした物があった。

 ライターだ。

「よせっ」


 田上が駆けよろうとしたとき、ボンと音を立てて、炎が爆発した。

 田上は全身に燃えさかる爆風を浴びながら、階段の踊り場へたたきつけられた。

 炎は全身を包み込み、容赦なく皮膚を焦がした。口から侵入した熱気が喉と気管を焼いていく。地獄のような痛みにもだえ苦しみながら、田上は絶命した。

 寮から黒煙がもくもくと立ち上り始めた。三十人いる子供のうち、窓から飛び降りて逃げ延びた子は五人だけだった。多くが煙に巻き込まれ、一酸化炭素中毒で亡くなった。美佳は窓から飛び降りたものの、コンクリートにたたきつけられショック死した。


「研究所の監視室にはカメラは置いていないのか」

「残念ながら」

「監視室の前は」

「少々お待ちを」

 画面が切り替わり、監視室の前の映像が映し出された。

「時間を遡って、出入りを調べろ」

 右下の時刻が高速で遡っていく。三十分前で後退しながら監視室に入ってく男の映像が映り、ストップした。

「久我尚人、透明症の医師です」

「奴が入るところを映せ」

 映像が更に遡り、ドアが開いて後退する久我の映像が映って停止した。

「手を拡大しろ」

 久我の手に、シルバーの水筒があった。

 藤岡は携帯電話を手に取り、電話をかけ始めた。


 荒川は透明化現象に関わるシミュレーションプログラムの修正を行うため、パソコンに向かっていた。

「荒川君」

 振り向くと、携帯電話を持った蓮村が深刻な顔をしているのが目に入った。

「どうかしましたか」

「ちょっと来てくれないか」

 蓮村のただならぬ雰囲気に、慌ててプログラムを保存して立ち上がった。部屋を出て行く蓮村を追いかけた。足早に進む蓮村に追いつき「何かあったんですか」と声を掛ける。

「藤岡君の話だと、娘さんがここへ向かっているらしい」

「梨奈が。一体どうしてですか」

「わからない。ただ、彼女に関連して、大きなトラブルが発生しているらしい」

 蓮村はなぜかエレベーターを使わずに、階段を下り始めた。しかもひどく何かを警戒しているかのように、前方を注意深くのぞき込みながら進んでいた。

「澤入君、久我君、河田さん。彼らは我々に危害を加えてくる可能性があるから注意してくれ」

「どういうことでしょうか。透明症になにか関連でもあるんですか」

「まだ何もわからないんだ。ただ、ここがひどく危険な状態であることは確かだ。そしてその原因が彼らである可能性が高い」

 二階に来た。蓮村は周囲を見回しながら監視室の前に来ると、センサーの前に立ち、顔認証でドアを開けた。

「あっ」

 声をあげたまま、体が金縛りになったように動かない。金気臭さと生臭さがむせかえるように鼻孔から喉へ殺到し、吐き気がこみ上げてくる。力が抜け、そのまましゃがみ込みそうになる。

 監視室には真っ赤な鮮血がぶちまけられていた。その中に三人の男が苦悶の表情を浮かべて倒れていた。彼らは瞳孔が開ききった目を見開いたまま、微動だにしない。明らかに死んでいた。

「何が起きたんですか」

「藤岡君の話だと、久我が毒を仕込んだ飲み物を振る舞ったそうだ」

「久我君が? 彼が人殺しなんてあり得ないですよ」

 いつも穏やかで、少々気弱な印象な久我の顔を思い浮かべた。彼と殺人なんてどう考えても結びつかない。

「私もそう思ったが、藤岡君は梨奈さんが久我たちを操っていると考えている」

「梨奈がですか……」

 言葉がボディブローの様に、ずんと腹の底を打ち抜いた。

「そうだ」激しく動揺する荒川を、蓮村はまっすぐ見つめる。「徳山と赤沢の殺し合いについて、梨奈さんが彼らをコントロールしていた可能性は以前から議論されていたことだ。残念だが、今回もその可能性が高い。

 高次元では空間の概念がこの三次元空間とはそもそも違っている。三次元では離れた距離であっても、高次元では至近距離、あるいは離れた二つの物体が繋がっていることもあり得る。梨奈さんは高次元空間で、久我に何らかのアプローチを行ったんだ」

「でも、梨奈がどうしてこんなことをするのか理由はわからない」

「その議論はひとまず置いておこう。今は梨奈さんがこれを引き起こしたと仮定して対応をしていかなければならない。現在藤岡君の部下がヘリと車でここへ向かっている。梨奈さんが最終的に何をしようとしているのかわからないが、彼らが来るまで、我々が彼女を拘束する必要があるんだ」

「承知しました」

 荒川は振り返り、もう一度血を吐いて倒れている男たちを見た。

 梨奈よ、これは本当にお前が指示したのか。吐き気をこらえながら、絶望が重く肩へののしかかっていくのを意識した。

 不意に監視室から耳に突き刺さるような警報音が鳴り響きはじめた。同時に、女性の合成音声が発せられる。

――施設内に不審者が侵入しました。場所は正門前です。現場へ急行してください――

「荒川君、行こう」

 蓮村が階段を下りていく。荒川も後に続いた。一階に下り、外へ出ようとしたときだ。玄関ロビーに一人の男が立っていた。

「久我君」

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