第二部 破壊 23
龍さま。
あたしの夢は保育士になることです。昔から子供と遊ぶのが好きなんです。十歳年下のいとこがいて、すごくかわいいんです。おむつも交換したし、お風呂に入れたこともあるのよ。でも、発症してから会えなくて、さみしいです。
あとはパティシエもいいなあ。お店に行くと食べるのももったいないくらいきれいなお菓子があるでしょ。ああいうのも作ってみたいな。
でも、どっちも透明症じゃあだめね。子供には触らせてくれないだろうし、透明症が作ったお菓子なんか、誰も食べてくれないわ。
はあ、なんか愚痴になっちゃったわ。あたしたちが大人になるまでに、透明症の治療薬が出ればいいんだけど、どうなのかなあ。
それと、もう一つ夢があるんです。田舎の家に暮らすこと。近くに川があって、旦那さんが川で魚を捕ってきて、あたしは菜園で野菜を育てる。子供が二人いて、いつも賑やかで、笑いが絶えない家庭。将来そんな暮らしができたらいいなあ。
でまた、お手紙します。
優衣
優衣は手紙を書き終えると、封筒にしまい、きっちり糊で封をした。
最後の夢。旦那さんはあなたって書きたかったけど、やっぱり書く勇気はなかった。でも、きっと龍君ならわかってくれるわ。高鳴る胸を押さえて、手紙を机の引き出しへしまった。
時計はすでに十一時を指していた。あんまり遅くまで起きていると、寮長さんから指導が入っちゃう。早く寝なきゃ。優衣は照明を消してベッドへ入った。
どれくらい立ったのだろうか。不意に目が覚め、上半身を起こした。閉めるのを忘れていたのか、カーテンが開かれたままで、青白く澄んだ月明かりが差し込み、部屋は薄闇に包まれていた。体を伸ばしてカーテンを閉めようとしたときだ。ドアからトントンと静かなノックの音が聞こえた。
「誰……」
時間はわからなかったが、こんな真夜中にトイレ以外の目的で廊下に出たら、寮長さんから叱られてしまう。
トントン、再びノックする音が聞こえる。
「僕だよ」
ささやくような声が聞こえてきた。心臓が激しく鼓動し始める。
「龍だよ」
「どうしてここにいるの?」
女子のいる階は男子の上で、階段の踊り場でゲートが設置されている。顔認証ではねられると、けたたましい警報が鳴り響くはずだ。男子が入れるはずがない。
「早く開けてくれないかな。誰かに見られたら、大変なことになっちゃう」
優衣は飛び起きて、ドア口へ駈けていく。ドアレバーを掴み、解錠スイッチをに指を置いた。
「さあ、早く」
躊躇しているのを先回りするように、ドアの向こうから声が聞こえてきた。カチャリと音が響く。いつの間にかボタンを押していた。レバーを押し開く。
闇の中、辻田の姿が浮かび上がる。頬は青白かったが、優しげな笑顔を浮かべていた。
「入るよ」
言葉で操られるように、梨奈は体を空けて辻田を引き入れた。音もなくドアが閉まる。
「龍君、どうしてここへ来られたの?」
「いろいろと方法があるのさ」
辻田の爽やかな笑顔を見ていると、体が痺れ、そんなことなど些細な疑問だと思えてきた。梨奈は「そうなの」とつぶやいた。
「それより、僕は優衣さんに会いたかったんだ。自分で言うのもなんだけど、やっぱり手紙だけじゃあつまんないよ。ずっと前から梨奈さんの部屋に行きたかったんだよ。誰にも知られずにそれを実現するには、夜中にこっそり行くしかなかったんだ。そうだろ」
喉がカラカラになり、声が出なかった。優衣はただ強く頷いた。
辻田は部屋をぐるっと見回した。「すてきな部屋だ。思った通りだよ」
奥まで歩き、ベッドへ腰掛けたると、涼しげな目で優衣を見た。「おいで」
一瞬、心臓が止まった気がした。喉がカラカラなのに、つばを飲み込もうとする。頭の中ではどうしようかと迷っているが、体が勝手に動き出す。
隣に座った。優衣の心臓は破裂しそうなほど激しく鼓動していた。
「優衣って呼んでいい?」
ささやくようにつぶやき、熱い吐息が耳を刺激した。
優衣はうつむきながらも激しく頷いた。
「好きだよ。優衣」
辻田の右手が背後へ回り、優衣の肩を包み込むようにして抱きしめた。
「龍君……」
「僕が優衣って言っているんだから、優衣も僕のことを龍って呼んでくれなきゃ」
「り、龍」恥ずかしいほど声がかすれていた。
のぞき込むようにして辻田の顔が近付いてくる。優衣は目を閉じた。
ドンドン。
激しい音がドアから聞こえてきた。
はっとして顔を上げるとドアが開いていて、廊下からの光が差し込んでいた。戸口に、数人の人影があった。ずかずかと入り込んで照明を点けた。
「みんな……」
美佳、綾乃、凉子。同級生たちを始め、同じフロアにいる女子たちが優衣の部屋へ入り込んで、取り囲んでいる。怒りに満ちた目、冷ややかに笑う顔。容赦ない視線が優衣に注がれる。
「優衣、やっちゃったわねえ」
美佳が腕を組み、蔑んだ目で見下ろしていた。
「ひどい抜け駆け。みんな辻田君が好きだってわかっていたでしょうに」
綾乃が吐き捨てるようにつぶやく。
「しかもこんな夜中に会ってるなんて、ほんと嫌らしい子」
凉子は汚い虫でも見るように、顔をしかめていた。
三人の間から年配の女性が姿を見せる。寮母さんだ。いつもは優しい顔をしているのに、今日は能面のように表情がない。
「あなたたち、今何時かわかっていますね。午前二時三十分ですよ。この時間に男子を部屋に入れる行為が、どんなことになるかわかっていますね。即退所です」
女子たちから歓声や笑い声が上がる。頭が真っ白になっていた。逃げ出したいが腰へ力が入らない。
「龍っ」
左を見たが、辻田がいたはずの場所は誰もいなかった。女子たちの間を必死で探ったが、辻田の姿はない。
「退所、退所、退所」
シュプレヒコールが孤独な優衣の心へ突き刺さる。
「さあ、荷物をまとめて今すぐ出て行きなさい」
「そんな……お母さんに電話させてください」
「ここから出たら、いくらでも電話していいわ」
「ほら、早く出て行きなさいよ」
棚にあった本が投げつけられた。バッグや服が次々と飛んでくる。
「やめてお願い」
「ああっ、ねえねえこんなのがあるよ」
ニタニタいやらしい笑みをうかべた美佳が見覚えのある封筒を取りだした。寝る前に書いた辻田宛の手紙だ。手を伸ばすが届かない。美佳は封を破り、便せんを広げる。美佳がけたたましく笑い声を上げた。
「ねえねえ見てよ。超恥ずかしいんだけど」
「お願いよ。やめて」
「読み上げるよ。龍さま。私の夢は――」
「やめてっっ」
半身を起こした。周囲は真っ暗で、静寂に包まれていた。部屋の中にいるのは優衣一人。今起きたことは夢だったんだ。思い切り天に舞い上がったあげく、地面にたたきつけられた気分。それにしてもリアルだった。まだ心臓が激しく鼓動しているし、体も震えている。
はっとしてベッドから飛び出して、机に駆け寄った。引き出しを開けて手紙を取り出す。封がされたのままなのを確認して、ほっと息を吐いた。当たり前じゃないのと言い聞かせられながらも、安堵する自分を止められなかった。
汗をかいたせいか、ひどく喉が渇いていた。机の上に置いてあった飲みかけのミネラルウォーターのペットボトルを手に取った。口を付けて、ごくごくと胃に流し込む。
再び大きく息を吐く。早く寝てしまおう。ペットボトルを置いて、ベッドへ向かう。
けたたましい美佳の笑い声が響く。
不意に後頭部を殴られたようなショックを受けながら、周囲を見回す。
誰もいない。気のせいだと言い聞かせながら、ベッドに入る。しかし、ショックは残ったままで、じわじわと汗がにじみ出てくる。
美佳の笑っている姿が、リアルに思い出されていく。
「馬鹿にしないでよ」
夢だとわかっていた。しかし感情が暴走し、怒りがふつふつと沸き起こってくる。
「馬鹿にしないでよ」
なぜか涙が溢れて来た。
澤入はルークに関する今週のデータや行動についてのレポートをまとめ上げ、アプリを閉じた。すでに時刻は午後十一時を過ぎている。最近はまっている配信ドラマの「空飛ぶ猫クールーの大冒険」を見たら、確実に午前一時を過ぎてしまう。今日は諦めて寝てしまおう。
携帯電話からSNSをチェックして、友人から届いたメッセージを入力する。友人たちには外資系半導体メーカーの研究開発をしており、契約上勤務地や業務内容は教えられないと説明していた。このため、このため、メッセージの内容に矛盾がないか気をつけなければならない。
問題なし。メッセージを送信した。契約上、あの三角眼の男にすべての通信内容はチェックされている。気持ちいいものではないが、この仕事はそうしたデメリットを上回るやりがいがあった。なにしろ透明症の治療方法が見つかるかもしれないのだ。自分を含め多くの人々が透明症に苦しんで来た。それが解消されれば自分は歴史に名を残すんだ。
シャワーを浴びてパジャマに着替え、ベッドに入って眠りにつく。まどろみ始めた頃だ。脳裏に一人の女性が浮かび上がってくる。ぼんやりした画像が徐々に形取り始めていく。
――梨奈さん?――
現れたのはあどけない顔をしたショートボブの女の子。脳死状態でしか見た事がなかったが、間違いなく梨奈だった。白いワンピース姿で、澤入に向かって微笑んでいる。
――意識を取り戻したと聞いているけれど、体調はどうですか――
心の片隅ではこれが夢だと意識していたが、あまりにリアルで、思わず話しかけてしまう。
――おかげさまで、すっかり元気です――
輝くような笑顔を浮かべた。
――今日は、どうして僕のところに来たの?――
――お友達になりたかったから――
――そうなんだ、歓迎だよ。ここには透明症の子が僕を合わせて四人しかいないからね。もちろん健常者の人もよくしてくれるけど、やっぱり透明症同士のほうがわかり合えるところってあるでしょ――
――わかるわ――
――そうでしょ。僕たち透明症には、健常者の人にはわからない苦労があるわけだから。僕の友達に左手の小指だけ色戻法でも戻らない男がいてさ、ヤクザってからかわれたんだ――
――ふふふ。おもしろいわね――
――これなんか、透明症の中では笑い話になるけど、健常者から言われたら差別になっちゃうからね――
――透明症の人は他に誰がいるの?――
――小島君と楢崎さん、それに服部さんだよ。あっ、――
三人の男女の顔が、ふわりと空中に浮かび上がった。
――この人たちだよ。どうしてこんなふうに現れるんだい――
――あなたがそう思ったからよ。この世界は夢だから、思ったことが画像になって現れるのよ――
――へえ、便利なんだねえ――
――これから他の人へも挨拶に行ってくるわ。またね――
梨奈の姿がすっと消えていく。ぼんやり明るかった世界が真っ暗になっていく。
気がついたとき、カーテンの隙間から朝日が漏れていた。梨奈さんの夢、なんだかやけにリアルだったよな。
朦朧とした思考を振り払うように、頭を振りながらベッドから抜け出した。キッチンへ行ってインスタントコーヒーを淹れながら、夢枕に現れた梨奈を思い出し、もう一度会ってみたいなあと思った。
「ねえ優衣、どうかしたの? 顔色が悪いわ」
向かいの席にいた美佳が、心配そうに顔をのぞき込んでくる。
「そうね、目に隈ができてるみたいだし、先生はなんて言っているの」
綾乃が聞いてくる。センターでは、入所者は週に一度透明症の状況について診察を受けることになっていた。そのときに体調不良があれば、治療をしてくれる。
「単なる寝不足よ。睡眠導入剤を処方してもらったんだけど、それでもなかなか寝付けなくて」
「薬をもらっても寝付けないなんて、ちょっと深刻じゃないの」
「もしかしたら、優衣が受けている治療に原因があるんじゃないの」
「そうかもしれない」
「この間、愛美ちゃんの首筋にじんましんが出たじゃない。あの子の話だと、治療方法を変えたら、出なくなったみたいだし」
「そうそう、優衣も疑った方がいいわ」
センターでは、透明症治療の研究という位置づけがなされているため、入所者ごとに違う治療法が試みられているらしい。一応説明はしてくれるが、専門過ぎて、優衣たちには理解できなかった。ただ、お互いの治療内容を比べると、治療内容が微妙に違っているのはわかる。
「特にあの長野にあるフォトン製薬の研究所。変な機械に入れられるし、何やってんのかさっぱりわかんないわ。しかも、企業秘密だから、親にも何を強いるか喋るなって言うし」
優衣以外の子たちが、治療方法で盛り上勝手いる間、優衣はずっと押し黙っていた。
美佳たちを見ていると、怒りがふつふつとわいてくる。下手に何か喋ると、そんな思いが言葉の端から見えてしまいそうになるのが怖かった。
「優衣、喉渇いていない?」
美佳はほとんど空になった優衣のコップをチラリと見て言う。優衣は黙って首を振った。
「そうなの」
美佳は不満げに少し口をとがらせると、立ち上がってウォーターサーバーへ歩いて行った。
「ごめん、疲れてるから先に戻る」
優衣は肉じゃがとご飯を半分残したままトレイを持って立ち上がり、返却口へ置いた。
「あら優衣ちゃん、珍しく残しているわね。体調でも悪いの」
奥から声をかけてくるおばさんを無視して、歩き出す。ぼんやりしたふりをしながら、わざと大回りして辻田と藍田が座っている席へ向かった。
龍君。正面を向きながらも、すべての意識を辻田に向けながら横を通り過ぎた。辻田は優衣が近くへ来たことなど、まるで気づいていないかのように、藍田が話した冗談に笑い転げていた。
本当に龍君は私のことを思ってくれているんだろうか。疑問がわいたが、すぐに打ち消す。そんなこと思っちゃだめだめ。疑問がひどく汚らわしいもののように思え、意識の外へ追いやった。
階段を上り、ゲートをくぐって自分の部屋へ戻ると、ベッドへ倒れ込むように寝転がる。ひどく疲れていた。食堂ではなかなか寝付けないと言ったが、実際はもっと深刻だった。眠ろうとすると、例の夢――辻田が部屋に現れたあと、美佳たちがやってきて、非難する――が蘇り、睡眠を妨げた。
熱い怒りが心の底から立ち上り、指の先まで浸透していく。怒りが的外れなのは充分わかっていたが、意識が体から切り離されてしまったような感覚で、怒りが抑えられない。
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