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第二部 破壊 19

 黒い煙が立ち上り、薄暗くなった空に溶け込んでいく。くすんだ窓の向こうにはチロチロとオレンジ色の炎が見え始めていた。

「早く移動しましょう。そのうち火事に気づいた人が来ます」

 茫洋として炎を見ていた蓮村は、藤岡に声を掛けられてはじかれるように頷いた。それでも緩慢な動きに、藤岡は頬に苛立ちの色を浮かべながらも背中をそっと押した。ぎこちない動きで歩き出したが、途中、小石に躓いてつんのめるようにして倒れた。膝に痛みが走ったが、どこか他人事のような離人感があった。

「大丈夫ですか」

 差し出された手を掴み、引き上げてもらう。礼を言ってまた歩き出した。

 所々、ひび割れた場所から雑草が覗いている道路に、黒のランクルが止まっていた。背後から押し込まれるようにして後部座席へ乗り込んだ。

「出してくれ」

 運転席の年配の男が何も言わずにエンジンを掛けた。ディーゼル特有のガラガラというエンジン音を響かせながら、ランクルは進み出した。道は暗く、街灯もないにもかかわらず、ランクルはライトを点灯していなかった。それでも狭く曲がりくねった道を、正確にためらいなく進んでいく。

 やや広い道へ合流したところで、ようやくライトを点灯させた。蓮村は火のついた小屋がある場所を見上げたが、まだ火災が起きている様子は確認できなかった。

「漏電が原因であるよう細工をしていますし、多少痕跡が残ったとしても、連中は死体がなければ深く検証しないでしょう」

「いや……そういう問題じゃなくて」

 藤岡の言い草に怒りがわいてきたが、感情と言葉がリンクせず、独り言のように静かにつぶやいた。思考が混乱しいてるんだと上の空で思う。

 ランクルは共光会病院研究センターの正門を通り過ぎ裏へ回って止まった。蓮村と藤岡はランクルから降りて「通用口」と書いてあるドアの前に立った。カードキーをかざしてドアを開け、中に入っていく。白い壁の建物があり、ドアをまたカードをかざして入った。無機質なLEDライトで照らされている殺風景な廊下を進み、右のドアを開けて入る。中には田上が折りたたみ椅子に座り、頭を抱えてうずくまっていた。近くで見ると、背中が小刻みに震えていた。

「田上さん」

 声を掛けられて、田上がゆっくりと顔を上げた。死人のように血の気のない頬をしていた。うつろな目で蓮村を見上げる。

「荒川さんはどうしていますか」

「シャワーを浴びさせました。さすがにあの服はまずいですから、取りあえず手術用のガウンを着せてあります。今は隣の部屋で待機させてあります」

「行きましょう。彼女にはいろいろ聞きたいことがある」

 藤岡は再び廊下へ出た。蓮村たちも後に続いていく。

「その部屋です」

 田上が指し示した部屋のドアを藤岡は無造作に開けた。

「いませんね」

 藤岡が振り向き、三角眼から鋭い視線を田上に向けた。

「えっ、そんなバカな」

 田上がドア口にいる藤岡の脇をすり抜け、部屋へ入った。折りたたみの机と椅子、壁際にスチールキャビネットがあるだけの部屋だった。誰もいないのは一目瞭然だった。ブラインドが揺れ、乾いた夜風が吹き込んでいた。藤岡は開いたままの窓から身を乗り出し、外を見回した後、岩のような厳しい顔で戸口に戻って携帯電話を取りだした。

「荒川梨奈が逃走した。至急センターの防犯カメラをチェックしろ」

「我々も防犯カメラをチェックしましょう」

 走り出し、階段を三階まで駆け上っていった。蓮村は走るだけの体力はなく、藤岡と田上の後を追った。

 三階にある管制室に入ると、藤岡が携帯電話を耳に押しつけながら、身を乗り出し、田上が操作するモニターを凝視していた。

「我々も確認した。後は我々が対処する」

 藤岡は珍しく、疲れたような顔ではあっと大きく息を吐いた。携帯電話をポケットにしまい、蓮村を見た。

「見てください。食堂にいます」

 モニターをのぞき込むと、テーブルについて、夕食を食べている梨奈の姿が映っていた。服は手術用ガウンではなく、普通のワンピースだった。

「どうやって着替えたんですか」

「玄関ロビーから堂々と入って自分の部屋で着替えたんだ。夕食中だから、誰もいないのをわかっていたんだな。極めて冷静な判断だ」

「しかも、食事をしているなんて……ありえない」

「たいした玉ですね。我々の中には現場を見て嘔吐した者もいるというのに」

 ほんの二時間前、地獄のような光景の中、血まみれのスエットを着ていた梨奈がいた。あのときの彼女とは別人ではないかと疑うほどだったが、今思えば、うろたえていたのはむしろ田上の方で、梨奈がショックを受けた様子はなかった。ただ、淡々と駆けつけた藤岡の指示に従っているだけだった。

 男が一人、食堂へ入ってきて、梨奈に話しかけはじめた。

「あれは?」

「吉岡君です。徳山君の、まあ……子分みたいな子です」

 徳山たちが何をしようとしていたのか知っているんだろうな。親分がいなくなって不審に思っているんだろう」

 他の人に聞かれたくないのだろう。吉岡は周囲を見回して、食堂から出て行った。しかし、別のカメラには、食堂前の廊下に寄りかかっている吉岡の姿が見えていた。

「荒川さんに注意しましょう」

 藤岡が、立ち上がり掛けた田上の肩を押さえた。

「このままにしてください。彼女がどんな反応をするか興味がある」

「しかし、あの二人に何が起きたか吉岡君が知ったら、大変なことになる。我々もただじゃ済まない」

 不安げに見上げる田上に、藤岡は首を振る。

「これまで見てきた彼女の冷静な判断力から考えれば、当然吉岡が引き下がらないのはわかっているはずでしょう。ところが、今の彼女は極めて落ち着いている。対策を考えていると思います」

「すべてをさらけ出して、我々の隠蔽を告発することもあり得ませんか」

「それならそもそもセンターへ連絡を取らないでしょう。私だったら近所の家に駆け込んで、警察を呼んでもらう」

「ただ、彼女にはもっと事情を聞かなければいけないでしょう。あそこでなにが起きたのか、我々はまだすべて把握しているわけじゃない。今のうちに彼女を連れ戻して、詳しい事情を聞いた方がいいんじゃないでしょうか」

 蓮村の言葉に藤岡は頷くが、三角眼には感情がない。

「確かにその通りですが、彼女は我々に対して、突然二人が喧嘩を始めたんだと説明しました。何の感情も示さずにです。もちろん詳しく事情は聞かなければなりませんか、彼女からそれ以上の言葉を引き出すのは極めて困難かと考えています。それに、もしも彼女がこの事件の加害者だった場合、我々に危害が及ぶ可能性も否定できません。何しろ彼女は未知の領域から戻ってきたのです。新たな能力を獲得している可能性も否定できません」

「だったら吉岡君たちを危険にさらしているということじゃないですか。それなら彼女を隔離するべきだ」

「そんなことをしても、彼女の能力はわからない」憤る田上に、藤岡はうっすらと微笑んだ。「このセンターを設立した意図を思い出していただきたい」

「そんな……」

「廊下にマイクは設置されていませんでしたね。少々残念ですが、じっくり観察しようじゃありませんか。蓮村さん」

 蓮村は背筋におののきを感じながらも、頷くしかなかった。

「食事が終わったようですね。出て行きますよ」


 吉岡は壁に寄りかかりながら、ふつふつと怒りがわくのを押さえながら、じっと食堂の入り口を見つめていた。

 人が心配しているのに、あの人を馬鹿にしたような顔。思い出すと腹が立ってくる。

 最初に話を持ちかけたのは徳山の方だった。由李亜もさすがに入所して間もない子を徳山に差し出すのを躊躇したが、いい女だし、徳屋は我慢できなかったのだ。

 午後から徳山とは連絡が取れていない。五時頃までは梨奈が徳山に犯されている様子を想像して興奮していたが、六時を過ぎても連絡がないので不審に思い始めた。小屋へ行ってみようかと思ったが、あの距離だと歩きでは門限の七時に帰ってくるのはちょっと厳しい。あれこれ考えているうちに、七時が過ぎてしまった。結局徳山と由李亜は帰ってこない。

 あの女の様子だと、とても徳山さんに犯られた様には思えない。徳山さんがあの女にボコボコにされて、小屋で倒れてるとか。そんなことはあり得ない。徳山さんは透明症にならなかったら、プロボクサーになれた程の腕前なんだ。

 ナイフを使ってもあり得ない。互角に戦えるかもしれないが、梨奈もダメージを受けるはずだ。由李亜がいるのだから、背後から一気に刺すなんて事もできないだろう。

 梨奈が食堂から出てきた。目が合ったところで声を掛けた。

「おい、さっきまで、徳山さんと一緒にいたんだろ」

「知らないって言ってるでしょ」

「そんなわけない」

 通り過ぎようとする梨奈の腕を掴んだ。

「あっ」

 吉岡は叫び、梨奈の手を離して尻餅をついた。

 薄闇の中で、冷たい笑みを浮かべながら見下ろす梨奈。

 全身に、ざらついたような震えが走っていた。

「お前……何をした」

 心臓が激しく鼓動している。体に力が入らず、階段へ向かう梨奈の後ろ姿をじっとじっと見送るしかなかった。

 体の内側を撫でられたような気がした。

 今まで、体験したことのない感覚だった。

 このまま倒れているわけにも行かず、壁に寄りかかりながらなんとか立ち上がった。

「吉岡君、どうしたんだい」

 不意に声を掛けられて振り向くと、いつの間にか田上が傍らに立っていた。

「荒川さんと何かあったんですか」

「いや……あの子は関係ないと思います」

 徳山の件を話すわけにはいかない。

「じゃあ、どうして倒れたのかな」

「それが……体の奥のところを撫でられたというか。ちょっと妙な感じだったんです。初めてな感覚で、パニックになって気がついたら倒れていたんです」

 田上は考え込むようにうつむくと、再び吉岡を見た。

「もしかしたら、病気の兆候かもしれない。一度精密検査を行おう」

「えっ、そうなんですか」

 田上は有無を言わせぬ調子で吉岡の背中を押した。

「さあ、検査室へ行こう」

「はい……」

 田上からそう言われると、急に恐ろしくなり、宿舎を出て、研究棟へ入った。建物は日曜日の夜だというのに、明かりが点き、白衣を着たスタッフが待ち構えていた。吉岡は早速検診衣に着替えさせられ、様々な検査を受けることになった。最終的にすべて終わったのは伸也十二時を過ぎていた。

「これで終わりだ。ご苦労様」

「あの……俺、なんかの病気なんでしょうか」

「それをこれから調べるんだ。わかったらすぐに君へ連絡するよ」

「よろしくお願いします」

 寝静まった宿舎へ戻り、不安であまり寝付けないまま月曜日の朝を迎えた。結局、徳山と由李亜は結局宿舎へ戻ってこなかったらしい。寝不足であまり食欲はなかったが、ちょっとでも食べておいた方がいいと思い、食堂へ行った。パンとコーヒーだけを受け取り、テーブルについたとき、梨奈が入ってきた。

 一瞬目が合う。冷たく、感情のない視線が鋭いナイフのように、すっと胸の奥に入っていく気がした。

 昨日の感覚がよみがえる。体の内側を撫でられるような感覚。すごく怖くて、思わず目をそらした。

 昨日田上先生に話したとおり、彼女が触ってきたわけではないし、偶然こんな感覚が起きたのかもしれない。でも、直感はそれを否定していた。梨奈があの感覚を引き起こしたんだ。だからあの女を見て怖くなった。徳山さんと由李亜がいなくなったのに、梨奈が関わっているのは間違いない。それについては田上先生も知っているんじゃないのか? 廊下でこけたとき、田上先生はすぐにやってきて、俺を検査した。あらかじめ、何かが起こるのは想定していたから準備していたんじゃないのか。

 コーヒーを一口飲んだ。熱さだけは感じるが、味はしなかった。パンも味を感じない。無理矢理食道へ流し込んだが、これ以上食べる気になれず、食事を遺したまま、トレイを返却口に戻し、食堂を出た。


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