第二部 破壊 17
荒川がモニターに向かって、シミュレーション用のプログラミングを作成しているときだった。普段めったに顔を見せない藤岡が研究室に入ってきた。まっすぐ荒川の元に歩いてきた。世間話とは無縁な男なのだから、何か意図があって来たのだろう。少々身構えながら発言を待った。
「荒川先生、お忙しいところ申し訳ありませんが、ちょっと来ていただけませんか」
言葉は丁寧だが、三角眼は有無を言わせぬ冷たい意志があった。荒川はプログラミングの画面を閉じると立ち上がり、藤岡の後をついて行った。
「何でしょうか」
「ここでは話せません」
藤岡の歩みはかなり早かった。表情から感情が読み取れないのはいつも通りだったが、その歩きぶりから、何か重大な問題が起きているような気がして、不安がもたげてくる。
唐突に立ち止まり、右手にあるドアの前に立つ。顔認証で解錠できるようになっているようで、センサーの前に立つと、カチャリと鍵が開く音が聞こえた。特殊な部屋なんだと思う。
「どうぞ、入ってください」
スチールの机と椅子があるだけの、殺風景な部屋だった。拍子抜けした思いと不信感を募らせながら藤岡を見た。
「おかけください」
促され、プラスチックのデスクチェアに座った。藤岡も向いに座る。
「ご自宅でトラブルが起きています。奥様へ電話をしてください」
そう言いながら、入所時に警備員へ預けてある携帯電話を差し出された。いつものように人を馬鹿にしたような皮相な笑みはなく、いつになく冷たく、硬い表情だった。
「ここは他と違って電波が届くようになっています」
それでセキュリティが厳しいのかと思いつつ、携帯電話を受け取った。電源を入れると、不在着信がずらずらと表示された。すべて珠恵からで、一時間前から始まっていた。
「一体何があったんだ」
「お電話して直接聞いていただければと」
最初に思い浮かんだのは梨奈のことだった。禍々しい予感を感じながら、電話を掛ける。コール一度で繋がった。
「どうした」
「やっと……繋がった。梨奈が……」
珠恵は息切れしたように、言葉を切った。
「家で首を吊った……」
激しい衝撃と共に、心の中にあったもろい物が打ち砕かれる気がした。一瞬めのまえが真っ白になり、気づいたときには床へ崩れ落ちていた。
「大丈夫ですか」
いつの間にか藤岡が目の前にしゃがみ込み、そっと背中をさすっていた。荒川は目で頷き、携帯電話の声に意識を集中した。あえぎながら途切れ途切れに発する声が、ひどく遠い場所から聞こえてくる気がした。
「家に帰ってきて、ドア越しに声を掛けたの。いつもなから声が聞こえてくるのに、今日は何にもなくて……眠ってるのかなって思ったんだけど……いつもなら梨奈が許さない限り開けないのよ……ても嫌な予感がして……開けたら……」
「梨奈は……梨奈は大丈夫なのか」
「わかんない。お医者さんが何か言ってるけど、意味がわかんない」
電話から、嗚咽が漏れてくる。
「今はどこにいるんだ」
「立川医療センター」
「すぐに行く。待ってろ」
電話を切って立ち上がり、藤岡と目が合う。
「地上に車を用意してあります」
「ありがとうございます」
藤岡と共にエレベーターへ乗り、霞ヶ関の路上へ出た。西に傾きかけた午後の日差しが正面から当たり、目を瞬かせた。路肩に止まっているシルバーのレクサスを指さす。
「お乗りください」
藤岡に促され、上の空でドアを開けて後部座席へ入った。藤岡も入ってくる。
「行ってくれ」
運転席にいたスーツ姿の若い男が何も言わず、ウインカーを点けてレクサスを動かした。行き先はわかっているらしく、藤岡が指示することもなく首都高を西へ向かって走行していく。
一時間弱で目的の病院へ着いた。荒川は転がるようにレクサスから飛び出し玄関へ向かう。どこへ行けばいいんだと迷っていると、ダークスーツの見知らぬ若い男が近づいてきて「こっちです」廊下の奥を指さした。言われたとおり、若い男と廊下を進んだ。
角を曲がったところで、見慣れたワインレッドのショートブルゾンを服を着た女性が、背中を丸め、ベンチへうずくまるようにして座っているのが見えた。
「珠恵」
声を掛け、横に座る。首をかしげるように見上げた珠恵は蒼白な顔をしていた。傷を負った獣のように凶暴な目をしていたが、口は呆けたように半開きだ。涙でマスカラとファンデーションが混じり合い、頬を醜く汚していた。お守りのように両手でぎゅっと携帯電話を握りしめ、小刻みに震えている。その姿に思わず息をのんだが、落ち着けと言い聞かせ、意識しながら大きく息を吐いた。
「梨奈の様子を教えてくれ」
珠恵は何も言わずに立ち上がった。酒に酔ったように、足下がふらついている。荒川は珠恵の肩を抱き寄せ、体を支えた。おぼつかない足取りで、集中治療室と表示されている部屋へ入った。パソコンが置いてある机に医師や看護師が座っている。荒川たちに気づくと、立ち上がって近づいてきたが、珠恵は彼らを無視して、奥へ進んだ。突き当たりのガラス越しにベッドが見える。そこに人工呼吸を始め、様々な計器に繋がれて目を閉じている梨奈がいた。
「梨奈ぁ……梨奈ぁ……」
珠恵がか細い声で呼びかけるが、反応することはない。珠恵から大粒の涙が溢れてくる。
「お父様でしょうか」
背後から声を掛けられて振り向くと、白衣を着た若い医師が立っていた。
「そうですが」
「こちらへいらしていただけますか」
医師に促され、看護師が用意した椅子へ、呆然としている珠恵を座らせた。荒川も隣の椅子に座る。
「娘さんが首を吊ってここへ緊急搬送されたのはご存じですね」
淡々と話す医師の言葉に頷く。
「娘さんがここへ到着してから、必要な処置は行いましたが、極めて重篤な状態です。これを見てください」
医師がパソコンのモニターを指さした。
「娘さんの現在の脳波です。現在呼吸はできているものの、このように脳波平坦となっています。そのほか様々な検査をしていますが、データはすべて脳死であることを示しています。
「でも……梨奈は息だってしてるし、脈もあるでしょ」
「娘さんは自発的な呼吸ができない状態です。恐らく十日以内にはすべての機能が止まるはずです」
「ねえ……あなたもなにか言ってよ。梨奈はまだ、生きているんでしょ」
荒川はすがるように見つめてくる妻の手を握りしめながら、ゆっくりと首を振った。「先生がそう言っている以上、もう無理なんだよ」
珠恵の目が焦点を失い、か細い悲鳴を上げながら、ゆっくりと椅子から崩れ落ちようとした。荒川が抱き留め、近くにいた看護師が駆け寄ってくる。
「診察台へ寝かせてください」
医師も手伝って、珠恵を診察台に乗せた。
過呼吸を繰り返し「梨奈……梨奈……」とつぶやいている珠恵に医師は鎮静剤を注射した。
「しばらくこのまま寝かせておきましょう」
荒川は医師に礼を言い、自分もふらつく足取りで集中治療室を出た。廊下には藤岡と若い男、それに蓮村がいた。荒川は体の芯が熱くなるのを抑えるように、大きく呼吸しながら、彼らに近づいた。
「荒川君、お気の毒だ」
「梨奈の状況はわかっているんですね」
「脳死状態だと聞いている」
暗く強い目で蓮村を見ていたが、不意に藤岡へ向き直ったかと思うと、スーツの襟を掴んでぐいと引き寄せた。
「お前がやったのか」
廊下に荒川の怒鳴り声が響いた。声を聞いて、看護師が怯えた顔を覗かせた。藤岡の表情は変わらず、冷静な目で荒川を見つめている。横から若い男の手が伸び、襟を掴んだ荒川の手を包み込むように握った。
甲の関節に激しい痛みが走り、思わず手を離した。更に突きかかろうとした荒川を、男は背後から抱きかかえてきた。振り払おうとしたが、思いのほか力が強い。叫ぼうとするのを察したかのように、左手が喉へ伸びてきた。息が止まる。目の前が霞み始めたところで腕が離れた。思わず膝から崩れ落ち、両手を廊下に着いて咳をした。
「大丈夫ですか?」
看護師が様子を見に来たが、若い男は荒川の前に立ちはだかった。
「問題ありません。事が事だけに、荒川さんはちょっと興奮しているようです。我々が対処します」
言葉は丁寧だったが、男と藤岡が発散する胡乱げな空気は隠しきれなかった。怯えた顔をして、看護婦は去って行った。
「荒川先生は誤解しておられるようだ」藤岡は神経質な手つきで乱れた襟を直しながら、荒川を見下ろしていた。「娘さんを自殺に追いやり、脳死したタイミングで奥様に発見させる。そんな芸当はさすがに我々でもできません。確かに我々はセキュリティの観点から、荒川先生のお宅を盗聴していました。しかしそれだけです。お宅の異常を感知したAIのアルゴリズムが警報を発し、担当が改めて内容を確認した。奥さんの悲鳴と娘さんの名前を連呼する声を聞けば、何が起きたかは容易に想像がつきます。我々の手際がよかったのは、そのためですよ」
蓮村がしゃがみ込み、荒川の背中に手を置いた。顔を傾け、悲しげだが、真摯な目をして覗き込んでくる。
「我々が以前から、娘さんのような状態の方を探していたのは事実だ。でも、だからといって君たちを陥れるようなことはしていない。わかってくれるね」
荒川は黙って頷いた。
「今回の件に関しては本当に同情するよ。しかし、起きてしまったことは覆りようのない事実で、現在の医療で娘さんが回復する見込みはない。でも、我々にはできるかもしれない。心臓が動いているのだから、身体場もまだ存在しているはずし、娘さんは透明症だ。三十パーセントの脳は壊滅しているかもしれないが、七十パーセントはまだ大丈夫かもしれない。娘さんを助けると確約はできないが、少なくとも我々にはその可能性がある。
どうだ、我々に娘さんを預けてくれないか」
荒川の目から大粒の涙がしたたり落ち、廊下を濡らした。
「お願いです。どうか梨奈を……梨奈を助けてください」
翌日荒川は梨奈の転院の手続きを行った。生命維持装置を装着されたまま梨奈は搬送車に乗せられて、長野県茅野市にある施設へ運び込まれた。山林を切り開いた五ヘクタールの土地に建てられた施設で、公式には製薬会社の研究施設とされていた。
梨奈はここで精密検査を受けた後、施設内にある巨大な灰色の建物へ運び込まれた。断面が半円の蒲鉾形の施設で、形がチェルノブイリ原発の封じ込め施設に似ていることからシェルターと呼ばれていた。
シェルター内は広大な空間が広がり、様々な機械が稼働していた。梨奈はその中の一番奥にあるとりわけ大きな機械の前に連れて行かれた。
「では、始めましょう」
蓮村の指示で梨奈の生命維持装置がすべて外され、寝台から機械の台に移動させられた。若い男がコンソールを操作すると、台が動き始める。多くの関係者が見守る中、梨奈は機械の開口部へ吸い込まれていった。
ソファの背もたれにもたれ掛かった荒川は、ひどく疲れたように息を吐いた。竹井が差し出したコップの水を一口飲んだ。
「娘さんの名前、高藤梨奈と同じじゃないですか。もしかして――」
荒川は頷いた。「彼女は私の娘だ。高藤は別れた妻の旧姓だ」
「娘さんは脳死状態からから生還したんですね」
「ああ。ビフレストプロジェクトの裏金で運営されていた我々のプロジェクトは当然ながら、法的な規制はなかった。EUで人体実験が行われていた事は伸也が話してくれたが、同様な行為がアメリカや日本でも行われていたんだ。日本では、梨奈が最初の本格的な被験者になった」
「でも、どうして梨奈さんはあんなふうになってしまったんですか」
「これからそれを話そう」
荒川は苦悶に満ちた暗い目をしていた。こんな顔をしている荒川を伸也は初めてだった。
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