第二部 破壊 14
「ビフレストプロジェクトはご存じですね」
がらんとしたオフィスで、藤岡は表情のない目で荒川を見つめていた。
「ああ。プロジェクトの活動については、常時チェックしているよ」
「我々はビフレストプロジェクトの運営を担っております。蓮村さんにはこの研究に従事していただいております。」
荒川は頬に冷ややかな笑いを浮かべ、ため息をついた。
「こんなに手間暇をかけて私と会うのなら、もう少しうまい嘘をついてくれよ。家に不法侵入したぐらいなら、私のネット検索履歴も見ているだろ。私はプロジェクトの海外のサイトやニュースも含めてチェックしているんだ。蓮村さんがプロジェクトに参加しているなんて一切出ていないよ」
「荒川さんが疑問に思うのも無理はありません。蓮村さんや我々の活動は一切表に出ていないのです。この点については、蓮村さんから説明していただいた方がよいでしょう。私では、いくら説明しても嘘くさくなってしまう」
蓮村は小さく頷いた。荒川は怒気と疑念に満ちた視線を送ったが、怯むどころか目を輝かせて話し始めた。
「私が大学を辞めるときに研究していたテーマは覚えているね」
「人間の創造性と超弦理論の関わり……ですね」
忘れるはずがない。それこそが蓮村が大学を追われた理由なのだから。
「創造性、それは人間だけが持つ能力であり、我々の文明を作り上げる原動力となってきた力だ。その泉源は無意識あるいは暗黙知といった言葉で語られてきたが、概念は極めて曖昧で、自然科学として記述できるレベルではなかった。それを私は超弦理論を使って、創造性のありかを指し示した。
私の論文が「ネイチャー」に掲載されると、世界から驚愕と熱狂を持って迎えられた。マクロを記述する一般相対性理論と、ミクロを記述する粒子力学を統合した超弦理論が、生物学や社会学をも飲み込もうとしていると。
しかし、こうした反響は程なくして非難へと転換していった。事情は君もわかっているね」
荒川は頷いた。
蓮村は生物の身体を量子的な揺らぎを持つ一つの場として捉え、身体場を構成しているものが、弦の振動であると考えた。生物が馬であったり人であったりするのは、弦の振動パターンによるものだと言う。さらに人間の意識や個性、創造性とーも弦の振動によって説明できるとした。
ところが、発表から半年ほど経過した頃、根拠となるデータについて、ねつ造があるという告発がSNSでされた。論文では身体場と弦の振動パターンが一致しているとされていたが、身体場のデータがねつ造だというのだ。告発は世界中に拡散され、程なくして告発者が特定された。その人物は蓮村の下でデータの計測を行っていた大学院生だった。同時に蓮村の理論に関して検証が行われ、告発の通り、データに疑義があることが確認された。
ねつ造疑惑について蓮村教授は否定したものの、告発した大学院生が失跡するにいたって、疑惑の検証が難しくなっていった。同時に蓮村が所属する帝都大学へ感情的な非難が殺到し、蓮村は辞任に追い込まれた。
それが一年前の話だった。
「あれは真実だったんだよ」
「そう言われましても……」
自信ありげに語る蓮村に、荒川は戸惑いの顔を浮かべるしかなかった「正直、私には先生の言葉を肯定できるだけの根拠を持っていません」
「すべてはこの藤岡さんが仕掛けた罠だった」
「えっ?」
にこやかに語る蓮村と、意味ありげな笑みを浮かべる藤岡。
「どういうことですか。深刻なトラブルでしたから、冗談を言えるような類いの話ではないでしょう。仮に陥れたのが藤岡さんだとしたら、蓮村先生が一緒にいるのは正直言って解せないです」
「君の疑問はもっともだよ。最初は私も藤岡さんの告白に怒り狂ったが、彼が私を陥れた意図を知って納得したんだ」
「そして今、私どもの下で研究を続けている」
「荒川君、私が世間に発表した理論は、私が思う以上に危険なものだったんだよ。それを察知した藤岡さんたちのグループが、隠蔽を行ったんだ。
私は生命現象を規定するのに身体場という概念を用い、その構成要素が超弦の振動であるとした。超弦理論を説明するためには、多次元空間を想定しなければならないのは承知しているね。様々な生命の形、進化、創造性は多次元からもたらされているんだ」
「それが事実だとしたら、革命的な概念ですね。でも、どうしてそれを隠蔽しなければならないんでしょうか」
「生命のあり方が高次元によってもたらされているのは話したとおりだ。問題は社会に対する影響なんだ。
二十世紀末にブレーンワールドという概念が提唱され始めた。これは君の研究に重なる話だから、私以上に詳しいだろう」
「超弦理論を発展させたもので、宇宙は高次元空間の中に存在している巨大なブレーンで、我々の宇宙が三次元のブレーンとして高次元世界の中に埋め込まれているという説です」
「ブレーン理論から、私と同じ結論に達した学者がアメリカにもいたんだよ」
「そこから先は、私から説明させていただきます」
藤岡が二人の間に入ってきた。
「今から二年程前のことでした。ウィリアム・アンダーソンというアメリカの理論物理学者をご存じですか」
「何年か前、ネイチャーにも論文が掲載された人ですよね。我々も気鋭の物理学者だと注目していたのですが、最近は音沙汰がないようで」
「公式には失跡して、一年前には所属していた大学も失職扱いとなっています。現在は我々の提携先がアメリカ国内で保護して研究をしています。彼が危険な発見をしたからです」
「危険な発見というのは?」
「彼は我々が住むブレーン空間と高次元の間で、重力以外のエネルギーをやりとりしていることを突き止めたのです」
「しかし、三次元から高次元伝播するのは重力だけじゃないですか」
「それだけではありません。感情のエネルギーが流出しているのです」
「感情のエネルギー……一体それはなんでしょうか」
「怒りや悲しみ、喜びなど、生物は様々な感情を発現します。その際に放たれるのが感情のエネルギーです。
感情のエネルギーを計測することはできません。なぜなら、感情は物質でないからです。これまで感情のエネルギーが発見されなかったのも、物質でなかったため、科学者にはエネルギーと認識されなかったからです。
しかし、ブレーン理論の研究が進む中、高次元空間上で感情のエネルギーが数値化されるのを発見したのです。アンダーソンはその単位を感情子と呼びました。
お話ししたとおり、感情は物質ではありません。しかし、ある種の揺らぎとして捉えることができます」
「すると、蓮村先生が提唱した身体場が関わってくると考えられますね」
「その通りです。蓮村先生とアンダーソンは、同じ現象を研究していたのです。
感情や創造性、生命と言った非物質的と思われた現象は、身体場の揺らぎを通じて高次元空間とつながっていたのです」
「それがどうして危険なんでしょうか」
「高次元からもたらされるエネルギーは、我々の三次元空間で言語化される時、時代や社会状況によって、様々な形に解釈されるのです。神を信じるものであっては神からのメッセージであったり、科学を信奉するものには新たな発見として。宗教と科学は水と油のように、相容れない関係だとされていましたが、本来は同じものであって、高次元からのメッセージを、違う面から捉えたものに過ぎないのです。
では、どうして今までわからなかったのか。それは高次元からのメッセージが三次元の我々の解釈で言語化するのが困難だったからです。ただ、メッセージそのものがあることは理解します。そうすると、個々の人々にとって、具体的な解釈が異なる形で表出するのです。この発見は革命的でありますが、同時に危険なものでした」
「どうしてですか? 宗教や科学が同じものであるとするなら、従来の対立が解消され、平和になるのでは」
藤岡は微笑みながらゆっくり首を振った。「アメリカ連邦政府の見解は真逆で、世界が大混乱に陥るという結論でした。
人類すべてが聡明な知性を持っているのなら問題ありません。しかし大半の人間は新しい思想や考え方に対して偏見を持ち古い思考にこだわります。中でも原理主義的な思想を持つ人々は、自分の信念が否定されると考え、暴力的な行動を起こす可能性が高い。状況によっては、体制が崩壊する国家も出てくるでしょう。
そこでNSCが主導して、その理論を隠蔽することとなったのです。
ところが、新たな発見や思想というのは面白いもので、同時期に何の関連がない別々の人々からもたらされることがある。――恐らくそれも高次元のメッセージに関連していると思われますが――このときも同じことが起こった。
それが蓮村さんでした。情報を掴んだNSCは日本政府に働きかけ、蓮村さんの理論をフェイクだと仕立てることにした。実務を担当したのが私どもです」
藤岡は悪びれるどころか、穏やかにも思える笑みを浮かべた。
「私が怒っていない理由がわかったでしょう。私の名声よりも、人々の命の方が遙かに大事だ。それに私には、当時よりさらに充実した環境で研究の場が与えられたんだ。元々人の目などあまり気にしない私にとって、今は理想的な研究生活を送っているんだよ」
「話を信頼するしないは別として、趣旨はわかりました。それがどうして透明症と関わりがあるんでしょうか」
藤岡が蓮村の視線を受けて、目で頷いた。蓮村が話し始める。
「現在透明症について、公の研究は分子レベルにとどまっている。我々のグループは身体場の理論を用いながら透明症の原因について調べ、一つの仮説を打ち立てた。
透明症患者の身体は高速で消滅と生成を繰り返していると思われる。間隔はおよそ1から10ゼプト/秒。10のマイナス21乗/秒だ。生成と消滅は三十対七十の割合と考えている。消滅している間は身体があった場所を光が通過し、結果体が透き通って見えるんだ。ただ、三十パーセントの割合で身体は存在しているので、うっすらと存在が確認できるし、触れれば感触もある。
つまり、透明症は生物学的な現象ではなく、物理的な現象だということだ。これは現在の透明症研究ではすっぽりと抜け落ちていた発想だ。
消滅した身体は、高次元空間へ移動していると思われる。ではなぜ透明症患者に高次元の記憶がないかと言えば、身体そのものが高次元の存在となっているから、我々が住む次元の意識では捉えられないのだ」
「それは本当なんですか。だとしたら、透明症の治療方法も見つかるんじゃないでしょうか」
「その通りだ。それでこのプロジェクトに、君も参加してもらいたいと考えている」
「ただし」藤岡が冷たい声で割って入る「最初にお話ししたとおり、このプロジェクトは極秘に進められている。資金は潤沢にあり、研究も自由に進められるが、公表はできない。従って、現在先生が勤めている大学もお辞めいただかなければならない。もちろん給与、社会保険等の保証はいたします。ただし、これまでの人的交流も含めたキャリアは捨てることになります」
「しかし――」荒川は戸惑いながら蓮村を見た。
「荒川君が躊躇するのはもっともだ。しかし、藤岡さんのプロジェクトは国家が絡んでいる。けっして詐欺なんかじゃない。充実した研究が送れるのは、私が保証する」
「プロジェクトの性質上、研究者なら誰でも参加できるようなものではありません。その中で、先生はすべての条件に見合っているし、研究に向かう動機も十分だ」
「申し遅れて申し訳ありません。私、こういう者です」
差し出された名刺には「一般財団法人新世代エネルギー研究所 所長 藤岡純一」と書いてあり、住所と電話番号が載っていた。
「ちょっと、考えさせてもらえますか」
「一週間お待ちします。ただし、ここでお話しした内容は決して口外しないように。情報が漏れた際は、蓮村先生と同様のトラブルが生じます」
荒川は一人部屋を出て、誰もいない廊下を歩いた。頭の中が混乱して、地に足がついている感覚がしない。自らの手で、透明症の治療方法が見つけられるかもしれない。しかしそれは大がかりな詐欺かもしれない。話に乗れば、自分のキャリアを失う。
ビルの外に出ると初夏の日差しが照りつけ、まぶしくて目を細めた。湿った風が吹き付け、前を走る宅配便のトラックのエンジン音が現実へ引き戻した。心の片隅に押し込んでいた重いものが、おもむろに黒い翼を広げ、背中へ覆い被さっていく。
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