第二部 破壊 13
「どうして荒川さんがここにいるんですか」
「それをこれから説明しますが、まずはお二人について紹介しましょう。まずは荒川和久さん。宮本さんと山野さんはよくご存じでしょうですが、オーロラダンスを考案し、世界に広めた方で、ダンスホールDROPのオーナーでもあります。
隣の方は蓮村啓介さん。物理学者で、かつて帝都大学で教授を務めていた。荒川さんとは、帝都大学時代の指導教授の間柄です。
それでは経緯について説明いたしましょう」
「それは私がする」
荒川が硬い表情のまま、右手を挙げた。藤岡が頷く。荒川は全員が自分に注目するのを確認すると、話し始めた。
「透明症が発見されたのは四十年前のことだ。それ以来、地域や人種を問わず爆発的に増え、多くの軋轢を生み出してきた。これを解消するため、様々な個人や組織が原因の解明を試みてきた。その中で二十年前、日米欧の共同で立ち上げた「ビフレストプロジェクト」があったのは覚えているだろ」
「三百億ドルを投じて、五年以内に治療薬を開発する目標を掲げたプロジェクトですね。ひどい結果に終わったようですが」
「ビ、ビフフェフト……何ですかそれは」
北村の目が点になる。
「ビフレストは北欧神話で虹の橋を意味しているんです。透明症による断絶は今後人類最大の問題になり得ると考えたG7、中国とEUは共同でこのプロジェクトを立ち上げ、ストックホルムに巨大な研究センターを立ち上げた。金に糸目をつけず、世界から有望な人材を集め、研究が進められました。
ところが、使われた資金に巨額の使途不明金があることが発覚しました。直後に会計責任者と部下の五人が行方不明になり、ハッカーが研究所のシステムに侵入して、会計に関するデータを破壊した。これで使途不明金の行方は掴めなくなったけれど、関係者の証言から、さらなるスキャンダルが発覚しました。
一部の研究者がセルビアやアゼルバイジャンといった所得の低い国から透明症の少年少女を購入して、人体実験を行っていたんです。
透明症は人間固有の病気です。癌にしろ、感染症にしろ、人間以外の動物も発症するから、動物実験が有効だ。原因や対策も動物を使って究明することができる。だが、透明症の場合はそれができない。人間を調べて原因を突き止めるしかないんです。しかし、研究で人間を実験対象にするのは厳しい規制がある。ましてや人体に悪影響を及ぼすのは御法度です。一部の研究者は金で釣って研究所へ連れ込み、違法な実験へ手を染めたようなんです。
人体実験へ関わった研究者は、警察が事情を聞く段階で何者かに射殺された。
使途不明金は少年少女を手配するためにロシアのマフィアに渡ったらしいけれど、真相は闇の中です。証拠を隠滅し、関係者を殺害したのもロシアマフィアと言われています。
人体実験を受けた子供たちの研究所への入退院記録は残っているが、その後の行方はわかっていない。真夜中にストレッチャーで人が運び出され、バンに積み込まれて行く様子が何度も目撃されている。おそらく彼らが子供たちだと言われています。
結果、ビフレストプロジェクトは壊滅しました。警察は自国以外の捜査が進まず行き詰まり、まとめなければならない政治家と官僚は責任逃れに終始して、捜査協力ができないまま、今に至っている。そんなところですか」
「そうだ」荒川は頷く。「あのスキャンダルが発覚した経緯は知っているかな」
「最初にすっぱ抜いたのは、イギリスのタブロイド紙でしたね。最初はみんなガセだと思っていたけれど、調べたら本当で、大騒ぎになった」
「タブロイド紙にUSBメモリが送られてきて、開いたら、使途不明金を作る手口が詳細に記載され、架空請求書のコピーも入っていた。明らかにインサイダーからの通報だったが、誰だったと思う」
「僕が読んだ本では、わからないということでしたが」
「あの当時、深刻な問題が起きていたんだ。それを巡って、プロジェクトを即刻中止しようとする派閥と、進めて行くべきだという派閥が生まれて、鋭く対立していた。タブロイド紙にメモリを送ったのは、中止させたい派閥だった。結果ひどく乱暴な形ではあったが、プロジェクトは中止に追い込まれた」
「荒川さん……何を言っているんですか」伸也が眉間に皺を寄せて荒川を見た。「まるでプロジェクトに参加していたような言い草じゃないですか」
「私は、研究者としてビフレストプロジェクトに参加していたんだよ」
「日本でもあのプロジェクトに参加していた人がいるのは知っています。告発サイトには今も参加者の実名が出ていますから。でも、そのリストに荒川さんは掲載されていなかった。しかも荒川さんは当時物理学者だったじゃないですか。透明症とは畑違いですよ」
「非公式だったんだ。資金は裏金から捻出されていた」
「だったら物理学者がどうして人の体を研究していたんですか」
「量子生物学という分野は知っているか。ここにいる蓮村先生の研究分野だ。蓮村先生は優秀な人でね、元々理論物理学者で、一時期はノーベル賞の候補にも取り沙汰されていたほどだ。五十代の半ばで生物物理学へ研究のテーマを移し、生命内での量子的な過程を研究していた」
「生命内での量子的な過程……何ですかそれは」
「量子力学は二十世紀初頭から物理学の世界を一変させた理論だ。それまでの科学はニュートンの法則を基にした古典力学が主体だった。ところが原子や素粒子など微視的なレベルではニュートンの法則が機能しないことがわかり、量子力学が構築されていったんだ。
生命活動にもこの量子的な過程が働いているんだ。例えば植物の光合成だ。この中で量子的な揺らぎを利用している。そうした現象を研究するのが量子生物学だ。
私は蓮村先生からビフレストプロジェクトの非公式研究員にならないかと誘われたんだ。私はその誘いを受け、帝都大学を辞めた。
「生物と物理学に関連があるのはなんとなくわかりました。でも、どうして非公式の研究員なんですか。あえて裏金で活動する意味がわからない」
「大衆に知られたくなかったからだ。真実を知ればパニックが起こる」
「それは一般人と透明症の断絶についてですか」
荒川は首を振った。「断絶はこの問題の一要素でしかない。もっと根本的な問題だ」
「それは一体何なんですか」
「二十年前のことから話さなければならない。少し長くなるが、許してくれ」
話し始めた荒川は、突然ひどく年をとってしまったような顔をしていた。
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