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第二部 破壊 12

「本日のメニューは十勝和牛の握りとフォアグラの茶碗蒸し、旬の野菜を使用したサラダ、網走湖産のしじみ汁になります」

 黒のシンプルな作りのテーブルに置かれた食事を見て、辻田はわずかに頷いた。最初にお茶を口に含み、次に箸を取って握りをつまみ、口へ運んだ。ゆっくりと咀嚼し、飲み込んだ。

「牛のとろけるような食感と酢飯の絡み具合は相変わらずよいですね。ただ」

 すっと滑らかな動きで隣に立っているシェフを見上げ、切れ長の奥から感情のない目を向けた。シェフの顔が、さっと緊張でこわばる。

「ニンニクの香りはもう少し控えめにしてもらった方がよいかと思います」

「承知しました。次回は気をつけます」

「もう行ってもいいですよ」

「失礼します」

 シェフが最敬礼して部屋を出て行った。

 辻田は一人がけの革張りソファに座りながら、フォアグラの茶碗蒸しをスプーンですくって口に運んだ。濃厚でコクのある味わいを楽しむ。

 白い壁、白い天井に焦げ茶色のフローリング。家具の類いは置いていない。窓はなく、代わりに一枚の絵が飾ってあった。紫の服を着た青白い顔の男が叫び声を上げるように、真っ黒な口を大きく開けている。フランシス・ベーコン「叫ぶ教皇の頭部のための習作」だ。

 無論オリジナルではないが、東京の画廊で見かけたとき、その生々しい迫力に一目惚れして購入したものだ。

 三貫目の牛肉の握りを食べ終えた頃、ノックが響いて男が一人入ってきた。額に脂汗を滲ませ、血走った目をしていた。ひどく疲れたように、背中をまるめて辻田の前に来た。部屋のミニマルな空気とは異質な雰囲気だ。

「宮本と北村、栗山の状態が判明しました。彼らは全員生存しております」

「ほう。間違いないのか」

 辻田の目の奥で、わずかだが鋭い輝きが放たれた。

「信頼の置ける情報であります。彼らは長野県青木村におり、現在EMOが回収に向かっているところです」

「先制して彼らを殺害することは可能ですか?」

「EMOはヘリコプターを使っているようですので、さすが間に合いません」

「彼らはどこへ連れて行かれるのでしょうか」

「現在調査中です」

「すると、到着地で待ち伏せという手もできませんね」

「はい……残念ながら」

 辻田は小さくため息をついた。「仕方ありませんね。ひとまず責任者に責任を取ってもらわなければなりません」

「しかし、あいつらは爆発が起きる寸前まで確かにそれぞれの家にいたんです。それが一瞬で長野県へ行くなんてあり得ません。完全に想定外です」

「でしょうね。でも、いくら理不尽であっても何らかの示しを付けておかないと、組織は維持できません。誰かに責任を取ってもらいます」

「承知しました」男の目が暗さを帯びてくる。「責任者をお呼びします」

 男がドアを開け、「入れ」と言った。

 入ってきたのは二十歳過ぎだろうか。まだあどけない顔立ちで、半袖Tシャツの右肘から、透明な部分を覗かせていた。透明症チンピラがよくやるゴーストタトゥーだろう。

「東京破壊計画第三グループグループ長の足立です」

 足立は状況を把握していないようで、キョロキョロと珍しそうに周囲を見回しながら、中途半端なお辞儀をした。

「彼が宮本たち殺害の責任者なんですね」

「はい」

 睨み付ける男を見ながら、怯えた表情で頷く。

「今回の失態は、お前の責任だ。そうだな」

「はい……すんません」

「古川さん、彼は責任者じゃありませんね」

「えっ、でも……こいつは今回の計画を指揮してまして……」

「足立さん、その通りですか」

「はい……その通りであります」

 足立は怖いのか、盛んに古川の顔色をうかがっている。

「そうですか。私が把握している情報とは違いますね。足立さんは宮本さんの後輩を拷問して、電話をかけさせる役目ではありませんでしたか?」

 古川の目が大きく見開かれ、大量に脂汗がにじみ出て、顎からしたたり落ちた。

「いえ……そんなはずはありま……せん」

 古川の体ががたがたと震え始める。

「意見の相違はありますが、時間がありません。ここは古川さんが責任者ということで、責任を取ってもらいます」

「そんな、お願いで――」

 辻田に歩み寄ろうとした古川は立ち止まり、体をぶるっと痙攣させた。

「ウゲェェェ……」

 呻きながら目を見開き、古川は首が上に引っ張られるようにして延びた。

 頭を左右に振り始めたかと思うと、口から血を吐き始める。隣で足立が呆気にとられてその様子を見ていた。

 古川の頭が三百六十度一回転した。まるで頭がねじ切られるかのように、首がちぎれ、大量の鮮血が噴射した。血は天井まで達し、床も汚していく。

「アアァァァー」

 足立が狂ったような甲高い声を上げ、目に恐怖を漲らせながら、鮮血がほとばしる古川の胴体を凝視していた。

 血の勢いが落ちていくと共に、古川の胴体は血だまりの中へうつ伏せに倒れた。横に瞳孔の開ききった目をして、天井を睨み付けている頭部が転がっている。

 足立は叫び続けていた。辻田はそれを穏やかな笑みを浮かべ見ていた。

「よい表情です。額に飾ってあるベーコンの絵にも勝るとも劣らない。その感情はやがて天上に届き、素晴らしき滋養となるでしょう」

 椀を持ち、箸で沈殿した味噌をかき混ぜながら一口すすって苦笑した。「血の臭いで、しじみ汁の香りが台無しですね」

「久保山さん、後始末をお願いします」

 隣で一部始終を見ていた秘書の久保山は、見慣れた光景ということもあり、取り乱してはいなかったが、それでも顔をこわばらせている。

「あのガキはどうしましょうか」

「ここで起きたことは口外しないよう言い含めた上で、適切な治療を受けさせてください」

「承知しました」

 お辞儀をしている大久保を横目に、辻田は奥にあるドアを使って部屋を出た。血の臭いが付着した服を脱ぎ捨て全裸になり、シャワー室に入ってハンドルを捻った。熱い湯がシャワーヘッドから吹き出し、室内が上気で満たされていく。辻田は頭から湯を浴び、昂ぶった神経を落ち着かせた。

 足立を始末しない限り、今起きた状況は何らかの形で漏れ伝わっていくだろう。しかしそれでいい。恐怖が伝播するのは悪いことではない。

 わずかにめまいを感じた。のぼせるほどシャワーを浴びたわけでもないのにと思いながら、ハンドルをひねって湯を止めた。

 湯気が切れて視界がクリアになったところで、目の前にもやのようなものが残ってるのに気づいた。水蒸気ではない。空間そのものが歪んでいる様に見えた。訝しげに見ていると、歪んだ場所から沸騰するように、泡のようなものが現れては消え始めた。体が透明に変わりだし、周囲がベールを被ったように暗くなっていく。沸騰した場所だけは光を放ちながら存在感を増していた。訝しげに見ていた辻田だが、それが何かを理解して、納得したように微笑んだ。

「久しぶりですね。宮本たちを逃したのはあなたですね」

――その通り――

 玄は静かにつぶやいた。

「どうしてあんなことをしたんですか? あなたは我々の味方かと思っていたのですが」

――私は君の味方だ。悩める君を(タオ)へ導いた。これからも導いていくだろう――

「ではなぜあんなことをしたのですか」

――彼らを殺してはいけない。彼らは利用するため生かさなければならないのだ。今日は策を預けるために現れた――

「と、言うと?」

 玄は辻田に対して策を伝えた。

「素晴らしい考えです。改めて敬服しました」

 沸騰した場所が、すっと縮んでいったかと思うと、一点に集約され、消えていった。同時に室内が明るくなっていく。玄が現れた痕跡は、辻田の頭の中以外、すべて消えていた。

 シャワールームを出てガウンを羽織り、タオルで水がしたたり落ちる髪の毛を拭きながら書斎に戻った。すでに脱ぎ捨てられた服はない。机の電話を取った。

「これから計画の変更を行う。幹部全員招集をかけてください」

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