第二部 破壊 6
最初に見えたのは、天井のLED照明だった。まぶしいなと思いながら、目を瞬かせる。朦朧とした意識を抱えながら、体を起こし、周囲を見回した。二十平米ほどの部屋で、壁に額縁に納められた風景画が飾ってあった。田舎の川で、青く塗った妙に胴が太い小舟が浮かんでいた。舟には大きな麦わら帽をかぶった男が乗り、櫂を漕いでいた。
伸也が眠っていたのは柔らかなクッションの黒いロングソファで、牛革の匂いがした。どうやらどこかの応接室らしかった。ポケットに手を突っ込んだが、あるはずの携帯電話と財布はない。
「貴重品は私どもでお預かりしています」
声がした方向を見ると机があり、初めて人が座っているのに気づいた。微動だにせず、まるで物のように机と一体化した佇まいだ。最初は人形ではないかと思ったが、目が合い、わずかに微笑んだ。
「気分はいかがですか」
「ここはどこだ」
「教えられません。わざわざ眠ってもらってここへ来てもらったのも、そのためです」
男の肌はやけに白かった。頬骨が浮き出て痩せた顔つきをしている。微笑んでいるのに、三角眼のせいか、目は笑っているように見えない。
「あんた誰だ」
「藤岡と申します。以後お見知りおきを」
「こんなことをしてただで済むと思っているのか、拉致監禁で訴えてやるぞ」
藤岡と名乗った男はクククと押し殺したように笑った。
「いくらでも訴えていただければと思います。その前に、私から宮本さんにここへ来てもらった理由を説明させてください」
背後でカチャリと音がして振り向くとドアが開き、竹井が入ってくるのが見えた。
「目覚ましにどうぞ」
竹井はプラスチックのトレイをローテーブルに置き、コーヒーが湯気を立ている白い陶器のカップを伸也とその向かいに差し出した。芳ばしい香りが鼻孔を刺激した。
「竹井がハンドドリップしたマウイコーヒーです。彼は昔、とある純喫茶で修行したこともありましてね、下手なチェーン店よりもよっぽどうまい」
藤岡は立ち上がり、伸也の向かいに座ると、うまそうに目を細めながら、コーヒーをブラックで一口飲んだ。
「妙な薬は入れていない」
伸也はコーヒーには手を付けず、男を睨み付けていた。
「あんたたちが俺にどんな話をしたいのか知らないが、人を眠らせて無理矢理ここへ連れ込むなんてフェアじゃない。俺は帰る」
「我々の許可が下りない限り、宮本さんはここから出られませんよ」
「だったら勝手に出て行くまでだ」
伸也が立ち上がると同時に、竹井が内ポケットから小ぶりの拳銃を取り出し、伸也に向ける。
「M1906。殺傷能力は低いし竹井は急所を外してくるが、後遺症でダンスに支障が出てくる可能性は否定できない。それに」
藤岡は頬だけをピクリと動かして笑みを浮かべた。「当たるとひどく痛い」
「座れ」
伸也は二人を交互に睨み付けながらソファに座った。
「一体何の話だ」
「宮本さんはこれからグロウと戦っていただきます」
「は? 何を言ってんだよ。グロウだったら警察が散々捜査しているじゃないか。そもそもどうやって俺が戦うんだよ。喧嘩だって強いわけじゃないし、相手が武器を持ってたらどうすんだよ」
「ダンスがあるじゃないですか」
「ダンスって……代々木公園で高藤とバトルしたときのようにか」
「ええ、文字通りのダンスバトルです」
「いったいどうしてダンスで戦えるんだ。なぜダメージを与えられるんだ」
「今のところ教えられません。現状は戦えることだけを認識していただきたい。ちなみにダメージを与えられるのは、透明症患者だけに限られます。健常者には効果がない」
「どうして透明症だけだと聞いても答えてくれないんだな」
「はい、残念ながら」
伸也はため息をついた。
「俺は荒川さんがどうしてDROPを閉めるのか聞きたかったからここへ来たんだ。グロウと戦うためにここへ来たんじゃない」
「そうは言っても宮本さんは戦うしか選択肢がないのです」
竹井が存在を示すかのように、銃を構えたまま藤岡の隣へ移動した。銃口が正面から伸也に狙いを定めていた。
「それに、これから私の説明を聞けば、宮本さんも参加にせざるを得ないはずです」
三角眼の男が立ち上がり、最初に座っていた机に戻った。ノートパソコンを開き、キーボードを打ち始めた。照明がやや暗くなり、右側の棚にあったプロジェクターらしき機械から、アクチュエーターが作動する音が聞こえてきた。
左側の壁に映像が映し出される。まだあどけない表情をした三人の子供が映し出された。まだ中学生くらいだろうか。男の子が二人と女の子が一人。笑顔を浮かべているが、どこかぎこちない印象だ。三人ともTシャツにジーンズのラフな格好で、背景には木々が映っている。休日にキャンプへ出かけたといった印象だ。このうち二人は、先日見かけた人物の面影があった。
「女の子は高藤。男の子の一人は藍田か」
「その通り。あと一人は誰かわかりますか」
「わからないよ」
「辻田龍。グロウのリーダーだ」
向かって右側の子供だ。口元は笑っているが、奥二重の目は暗く鈍い輝きを放っていた。
「この三人は幼なじみなのか」
「まだ詳しくは言えないが、三人が知り合いと言うことだけは知っていてほしい」
画面が切り替わり、動画が映し出される。黒人の群衆が、逃げ惑っていた。スピーカから悲鳴と発砲音が響き渡り、片隅に映っていた男が転がるように倒れた。画面が移り変わり、赤茶けた土の上に仰向けになっている男が映し出された。男はシャツが真っ赤な鮮血で染まり、瞳孔が開ききっている。
「先週南スーダンの首都ジュバで起きたデモで、暫定政府軍が群衆を無差別発砲している様子だ」
「ニュースでも大きく取り上げられていましたね。国連で非難決議が採択されたとかアナウンサーが言っていた気がするけど」
「その通りです。暫定政府の腐敗に抗議した民衆によって組織されたデモを、軍が武力で鎮圧しているとの報道が世界に駆け巡り、各国から非難されている状況です。しかし、詳細を調査すると違う構図が浮かび上がってきました。
今回のデモを主導したのはトマスと名乗る呪術師で、アフリカ大陸を放浪する透明症コミュニティーの長を務めている。トマスは透明症は神の子供であり、やがて世界を主導していくと主張している」
「透明症系の宗教団体ではよくある教義ですよね」
藤岡が頷く。
「通常ならこうした教義は透明症コミュニティーの中だけで信じられているのだが、今回は南スーダン内で透明症以外の人々にも共有され始めていた。それが今回反政府デモとして勃発したんだ。現在南スーダン国内では、苛烈な透明症狩りが行われている。透明症だと密告があれば、有無を言わせず軍が対象者の家に踏み込み、射殺されるという」
「ひどい話だな。そこまでやることはないだろうに」
「それだけ政府が透明症患者に対して恐怖を抱いているということだ。なぜこんなことを宮本さんに説明するのかわかりますか」
伸也は訝しげな目で首を振る。「見当もつかないな」
「アメリカではELIMINATION OF GHOST DISCRIMINATION 略してEGD運動が以前から盛んに行われているのはご存じですね。ワシントンやニューヨークで年に何度かデモ行進が行われていましたが、常に秩序だって平和なデモでした。ところがですね」
プロジェクターの動画が再び切り替わる。透明になった顔を晒しながら、鉄パイプを使って路上駐車してある車を破壊している集団が映し出された。警官に連行される透明症。興奮して雄叫びのような声を上げる透明症患者。
「これは先週シアトルで撮影された動画です」
「EGD運動が今年に入ってから過激化しているのです。要因は複数ありますが、最も大きなものは、反透明症団体である『Tカラーズ』が勢力を広めていることです。彼らは透明症が将来世界を支配するという陰謀論を展開し、SNSで主張を展開しています。SNSの運営は差別表現だとして、こうした主張をする人物のアカウントを片っ端から停止しています。しかしそういう人たちは新たなアカウントを作って投稿するという、いたちごっこが続いています。
これにより、透明症患者に対する暴力事件が全米で急増し、対抗する透明症団体も過激化していきました。
取りあえず二つの国と地域を取り上げましたが、他の国や地域、事情は様々ですが、全世界的にここ数ヶ月で透明症患者と健常者の間で対立が激化しています。日本もグロウの件で対立が激化しているのはご承知の通りですね」
「ああ。事件の関係者だからな」
「透明症患者の人口は三億二千万人。およそ世界人口の4パーセント程度です。今はまだ小さな対立ですが、これを放置していたら、大変な混乱に陥る可能性があります。我々はそれを阻止しなければならないのです」
「で、俺がグロウと戦えと」
「その通りです。警察はグロウ壊滅に力を注いでいますが、辻田をはじめとする幹部は未だに行方が掴めていない。我々の分析では警察が彼らを確保できる可能性は極めて低い」
「警察が捕まえる可能性が低いんだったら、俺が捕まえられる可能性はさらに低いぜ」
「ところがそうとも限らないのですよ。宮本さんにはチームを組んでいただきます」
藤岡が竹井に目で合図する。竹井はポケットから携帯電話を取りだし、片手で操作しながら電話を掛けた。電話へ視線を落とした瞬間、飛びかかろうと腰を浮かせたが、「動くな」とぶっきらぼうな物言いで牽制された。
「彼はいろんなところに目がある。気をつけた方がいい」
藤岡の口元は笑っていたが、三角眼の底は、冷ややかな鈍い光をたたえていた。
背後でカチャリとドアの開く音がして振り向くと、男女二人が押し出されるようにして入ってきた。男は北村、女は奈緒だ。
「ああっ、宮本先生。どうしちゃったんですか。先生もこいつらに拉致されちゃったんですか」
「そうだよ。北村さんもか」
「そうなんですよ。安田さんに提供されたアパートに引きこもっていましたら、ガスの検針と言われまして。オール電化なのにどう手なのかと思ってドアを開けましたら、作業服の男にいきなりチクリと針を刺されまして。気がついたらここにいたというわけです」
「あたしの場合は宅配便。ドアを開けたら何か刺されて意識を失ったわ」
伸也は胡散臭げな顔をして藤岡を見た。
「この三人でチームを組んで戦うのか。だが、さっきあんたはダンスで戦うと言ったよな。この二人にダンスはできないぞ」
「しかし宮本さんと栗山さんに北村さんは『選ばれし者』です。何か意味があるはずです」
「何か意味があるって……。そんな理由で俺たちを戦わせようって言うのか? そもそも『選ばれし者』とか言っている玄ていうのは何なんだよ」
「玄が何かは、今との頃我々にもわかっていません。ただ、玄はこの件に関して、最初から深く関与しております。そして玄が皆さんを『選ばれし者』という限り、この戦いに関して、皆さんは何らかの役割があると考えています。玄に北村さんは宮本さんの傷を治し、伊豆へ瞬間移動した」
「どっちにしても、俺は戦わないぜ。危ないまねはごめんだし、メリットもない」
「確かにその通りです。しかし我々は、状況が進んでいけば、宮本さんも戦いに加わるほかないと考えています」
「勝手に考えてろ」
伸也は腕を組み、鼻白んだ顔で睨み付けた。「そもそもお前たちはどこの組織なんだよ」
「まだ上から皆さんへ全貌を開示する許可が出ていないため、お知らせできません。政府系の機関だと認識していただければと」
「政府機関が市民を拉致して拳銃を向けるのかよ。警察に訴えてやるからな」
「どうぞご自由にしてください」
藤岡は怯む様子もなく、口元に余裕の笑みを浮かべて伸也を見つめている。
室内にバイブレーションが響き始めた。藤岡は顔をわずかにしかめ、机の上にあった携帯電話を取り上げた。
「はい、藤岡ですが」
話の内容はわからなかったが、表情から笑みが消え、次第に眉間の皺が深くなっていく。彼にとって、不快な話であるのは想像がついた。携帯電話を耳から離し、放り投げるように机の上に戻した。
「竹井、宮本さんたちを解放しろ」
「えっ?」
「上からの命令だ」
「承知しました」
藤岡が伸也に向き直る。「そういうことだ。君たちの仲間が相当騒いでくれたおかげで、上層部が日和り始めた。あいつらも今が非常事態であることを認識していない。ことが起きてからじゃ遅いんだ」
竹井が電話を掛けると、すぐに黒いアタッシュケースを持ったスーツ姿の男が入ってきた。恵比寿駅前でレクサスに乗っていた若い男だ。彼は無言でテーブルの上にケースを平置きして鍵を開けた。中には駅の入った小瓶と注射器がウレタンスポンジに固定されて入っていた。
「おいちょっと待て、これを俺に打とうっていうのか」
「この場所はお前たちに知られちゃまずいんだ。少しの間眠ってもらう」
竹井が一歩踏み出し、拳銃を顔面に向かって突き出した。思わずのけぞる。若い男は二人の様子を気にすることもなく、淡々と注射器に薬液を注入している。固まっている伸也の髪の毛を無造作に掴み、後ろに引いた。露わになった首筋へ、おもむろに薬液の入った注射を刺した。
チクリと痛みが走った後、強い酒を一気にあおったときのように、目の前がチカチカし始め、伸也は意識を失った。
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