第二部 破壊 5
荒川からは、夕方になってメールがあった。マンションへ戻ってきたので心配するなと書いてあった。それでも一回顔を見ないと心配だったので、鍵を返すという理由で、麻衣子の車に乗って荒川のマンションへ行った。荒川は疲れた顔をしていたが、ちゃんとマンションにいた。
「あの後、何があったんですか?」
「答えられない」
荒川は厳しい顔で答えた。
「警官が拳銃を持って無断で上がり込むなんて、異常ですよ。警察へ訴えましょう」
「大丈夫だ。今日は帰ってくれ」
それでも食い下がろうとしたが、荒川から半ば追い出されるようにして帰らされていた。
翌日の朝だった。
「伸也、ちょっと起きて」
麻衣子の切迫した声が聞こえ、体を揺さぶられた。伸也は目を開けた。不安げな顔をした麻衣子の顔が見えた。
「どうしたんだよ」
「荒川さんからスタッフへ、一斉にメールが来ているのよ」
「はあ?」
体を起こし、ふらつく頭で携帯電話を探す。麻衣子が机から伸也の携帯電話を手に取って渡した。麻衣子の言うとおり、荒川からDROP契約ダンサーとスタッフ宛に、メールが送信されていた。今日の午前十時、スタジオに集まってほしいとのことだった。
「荒川さん、みんなを集めて何をしようというのよ」
「わからないよ」
「昨日、荒川さんからこれに関する話は出てこなかったの?」
「ああ。DROPの話はなかったよ」
「なんだかいやな感じがするんだけど」
「俺もそう思う」
全員を集めて直接話すのだから、相当重要な話なのだろう。昨日の騒動があっただけに、とてもいい方向の話とは思えない。
どうせ駐車場は空きがなくなるだろうと思い、二人は電車で品川のスタジオに行った。余裕を見て三十分前に着いたが、会場のミーティングルームに用意された折りたたみ椅子はすべて埋まっていた。仕方が無いので後ろで待っていたら、二人に気づいた雄大が前の席から手招きしてきた。
「おう、お前ら済まないけど、後ろに回ってくれよ」
「はい」と言って、雄大の隣に座っていた今年契約の新人ダンサーが二人、立ち上がって後ろへ下がっていった。
「座れよ」
「いいのか」
「重要な集会なんだろ。DROPのメインダンサーが前で聞かないでどうするんだ」
二人は礼を言って雄大の隣に座った。
「で、お前ら荒川さんから何か聞いているのか」
「全然。俺も雄大さんに聞きたかったくらいですよ」
「関係者に片っ端から聞いているんだが、誰も知らないよ」
五分前になると、ミーティングルームは人で溢れかえっていた。せいぜい三十人程度が適正な部屋に六十人近くが入っているのだ。冷房はかかっているはずだが、それでも追いつかないのか、息苦しさを感じる。
十時ぴったりに荒川が現れた。背を伸ばし、大股で歩いてきた。ただ、胸に巻いたサポーターをごまかすためか、ブルゾンを羽織っている。その後から、なぜか警備員の制服を着た屈強な男が四人入ってきて、荒川の横に並んだ。
ざわついていた室内が静まりかえり、一斉に荒川へ視線が注がれる。
「みんな忙しいところを急に集まってもらって済まない。今日来てもらったのは、DROPの現状に関して説明させてもらいたかったからなんだ。
荒川が左に移動して、手に持っていたリモコンを操作する。プロジェクターが作動して、壁に棒グラフを写しだした。右へ行くに従って少しずつグラフは低くなっている。
「まずはDROPの年間売り上げの推移だ。見ての通り、年々売り上げは減少傾向にある。五年前は平日昼の部も人気で、抽選でチケットを発行するシステムを取っていたが、現在は空きが目立っている。原因は競合グループの台頭だ。今は日本だけで三十五のホールがあり、今後も増えていくだろう。入場料は夜の部に限って今年一割アップしたが、売り上げの減少には歯止めがかかっていない。更にこのところ、グロウの事件での風評被害もあり、オーロラダンスから距離を置くファンも出てきている。
もう一点、これは私の健康問題なんだが、二ヶ月前に受けた人間ドックで肺に癌が見つかった。まだ小さいので、切除すれば再発する確率は低いと言われている。ただし、肺機能は低下するので、今までのような指導はできなくなるだろう。
こうした状況を考えて、私はDROPを閉鎖することを決断した」
メンバーから、一斉に驚きの声が上がった。あっけにとられて、口をぽかんと開けている男や、ショックで悲鳴を開けている女性もいる。
腕を組んで、荒川を睨み付けていた雄大が、Tシャツの内側から憤怒を漲らせながら立ち上がり、振り向いた。
「ちょっと待て、みんなで騒いでも話がまとまらねえ。まずは俺が話す。いいか」
迫力のある声に、室内が静まり返った。雄大は荒川に向き直った。全員の視線が雄大と荒川に集中した。
「事件の影響でホールに行くのを敬遠するファンがいるのは承知していますよ。でも、それは一時的な現象で、事件が収束すればファンも戻ってきますよ。
事件以前の問題で言うと、昼の部の売り上げが減っているのは、新人がメインで出演しているからじゃないか。荒川さんもそれはわかっているでしょ。夜の部は相変わらず五倍以上の申し込みがあるんだ。もし売り上げが足りないというなら、もっと客が入るホールでやる回数を増やせばいい。
荒川さんの健康については残念だが、代わりの経営者を雇う手もあるじゃないか。利益だって出ているんだから、優秀ななり手はいくらでもいるよ。レッスンなら、俺が引退してコーチになってもいい。
どうしてDROPの存続を考えないのさ。荒川さんは知らないけど、ダンサー、スタッフ六十四人、ここで必死になって働いているんだ。無責任すぎるよ」
「君たちはみんな優秀だ。ここがなくなっても他のホールから、誘いは来るはずだ。私が紹介してもいい」
「そうじゃない。DROPはオーロラダンス発祥のホールで、世界最高水準のステージを見せているんだ。みんな個々に憧れて入ってきて、プライドを持って仕事してんのさ。みんな、そうだろ」
メンバーから、口々に「そうだ」という声が上がってくる。
「君たちの思いはわかる。だがな、DROPを運営している株式会社DROPは私が百パーセントの株式を持っているんだ。誰がなんと言おうと、私が会社を清算すると言えば、誰も止められないんだ」
メンバーの一人から「ふざけんじゃねえ」と罵声が飛んだのを契機に、他のメンバーからも声が上がり出した。立ち上がって、荒川に詰め寄ろうとする者もいたが、警備員に阻止された。
「明日からホールを閉鎖し、販売したチケットの払い戻しを行う。契約解除についての詳細はメールで改めて連絡する。今日はここで解散だ」
「おい、逃げるな」
「待てよっ」
飛び交う怒声を無視して、荒川が出口へ向かって歩き始めた。ダンサーが前を塞ごうとしたが、警備員に押しのけられた。背後から荒川につかみかかろうとしたスタッフも、警備員に阻止された。部屋の外へ出て行った荒川を追いかけ、多くのスタッフやダンサーが部屋を出て行った。
雄大は歌舞伎の隈取りをそのまま皺に刻み込んだような険しい顔をして、電話を掛けていた。受付を担当していた女性が、荒川のいた場所でしゃがみ込み、ショックで声を上げて泣き出していた。恐らくここにいたスタッフとダンサーは、DROPが閉鎖するなんて想像もしていなかったに違いない。隣にいる麻衣子は、呆けたように目を泳がせながら口を半開きにして、伸也を見ていた。
「ねえ、これってどういうことよ。癌だとか売り上げが減ったとか言ってたけど、雄大の言うとおり、DROPを維持しようとすればできる問題よ。何か他に理由がある気がするわ。伸也は心当たりがないの?」
「昨日、竹井に連れ去られたときに何かあったかもしれないけど、荒川さんは何も話してくれなかったからな。安田さんが竹井の動向を調べていると思うから、電話してみるよ」
他の連中に聞かれると面倒な話になると思い、ビルの外へ出て、携帯電話を取りだした。すぐに出た安田にDROP閉鎖の連絡をする。
「あいつは何を考えているんだ。DROPだったら、経営の引き継ぎに名乗りを上げる奴はいくらでもいるぞ。俺だってやりたいくらいだ」
「他に何か事情があるはずです。昨日までは閉鎖するなんて一言も言っていなかったんですから。きっと昨日竹井に連れ去られたとき、何かあったんですよ」
「その可能性は高いな」
「竹井が今どうしているか知っていますか? 会って問い詰めたいんですけど」
「それがな」安田のトーンが低くなる。「奴の電話は繋がらない。それであいつの同僚に電話をしたんだ。そうしたら、竹井の状況は教えないで、逆に何であいつのことを聞くんだって質問されちまったよ。警察内部でも竹井に関して問題が起きているらしくて、別の関係者に探りを入れたんだ。どうやら竹井は警察を無断欠席して、連絡がつかないらしいみたいなんだ。
普通の会社だったら無断欠席しても、あの馬鹿野郎で終わりだが、警察だと犯罪に巻き込まれたら大事だしな。新宿署はその件で大騒ぎらしい」
伸也は礼を言って電話を切り、麻衣子に説明をした。
「とりあえず、雄大のところへ戻って今後の対応について話し合おう」
再びビルへ入ったところで麻衣子がトイレに行ってくると言った。伸也が廊下で待っていると、携帯電話に着信があった。画面を見ると、登録されていない番号だった。誰なんだろうと思い、電話に出た。
「宮本さん、竹井です。警察が支給した携帯は使えなくなりましてね、今後はこの電話で連絡しますから」
「お前……」
「麻衣子さんが隣にいますけど、私のことは話さないようにしてください。彼女の安全のためです」
伸也は周囲を見回したが、竹井らしい人影はなかった。
「探しても無駄ですよ。私はそこにいません。廊下に監視カメラがありますよね。その映像を見ながら話をしているんです」
「どうしてそんなことができるんだ。まさか、荒川さんの指示なのか」
「荒川さんは承知していません。ビルのシステムとつなぐ方法はいろいろありましてね。それより、荒川さんがDROPを解散するそうですね」
「ああ、あんたは理由を知っているのか」
「推測はつきます。ただし、電話じゃお話しできません。一度私と会ってもらえませんか」
このままだとDROPの解散は免れないし、荒川が本当の理由を話す可能性も低い。危険だが、竹井の要請に応えるしかないのだろう。
「わかった。どうすればいいんだ」
「一時間後にJR恵比寿駅の西口へ行ってください。到着したらこの番号へ電話するように。なお、この件に関しては誰にも話さないでくださいね」
電話が切れると同時に麻衣子がトイレから出てきた。
「さあ、行きましょう」
「ごめん、今警察から呼び出しを受けたんだ。ちょっといってくるよ」
「えっ、また取り調べなの?」
「うん、新しい事実が出てきて、確認をしたいんだってさ」
「何か問題が出てきたら、弁護士に連絡してよ」
「わかったよ」
麻衣子の信じ切った顔に、ほっとすると同時に、後ろめたさも感じながら伸也はビルを後にした。歩いて大井町駅に行き、電車で恵比寿駅に向かった。一時間後までまだ余裕があったので、改札前でぶらぶらしていると着信があった。
「お早いお着きですね」竹井だった。
「見てたのか」
「恵比寿駅も防犯カメラは数多く設置されているんでね。駅に交番がありますよね。あの前の歩道橋を渡ると、前方にシルバーのアルファードが停まっています。助手席から声を掛けてください」
伸也は携帯電話をポケットに入れ、通路を通って交番の前に出た。歩道橋を渡り、派手な看板が並ぶ飲食店の通りを歩いて行くと、電話の通り、シルバーのアルファードが止まっていた。助手席を覗こうとすると、窓が開く。運転席にスーツを着た若い男の姿が見えた。髪は短く眼鏡を掛け、若手の会社員と行った風貌だ。
「お待ちしていました。お乗りください」
にこやかに話しかけたが、伸也はドアノブに手を掛けたまま、慎重に車内をのぞき込んだ。
「乗車しているのは私だけです。心配なら、後部座席に座ったらどうでしょうか」
「これからどこへ行くんですか」
「申し訳ありませんが、お話しできません」
伸也は無言で男を睨み付けたが、男は無表情で見返すだけだった。
「お乗りください」
「わかった」
伸也は助手席のドアを開らこうとしたときだった。不意に首筋へチクリと痛みが走った。反射的に振り向くと、いつの間にか、冷たい目をした中年の男が背後に立っていた。
やばいな。そう思って走り出そうとしたときだ。全身が痺れ、急速に意識が遠のいていく。
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