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第一部 ゴースト 30

 翌日、品川のスタジオにいた荒川に高藤の話をした。荒川の顔が不意に険しくなる。

「ちょっとこっちへ来てくれ」

 途中で話を遮り、麻衣子と一緒に応接室へ連れて行かれた。ソファに座らされ、最初か改めて話してくれと言われた。伸也が説明している間、荒川は腕を組み、眉間に皺を寄せ、睨み付けるような深刻な顔をしていた。時折、考え込むように、天井へ視線を向ける。

「荒川さんは高藤を知っているんですか」

「知っているかもしれないし、知らないかもしれない。なんとも言えない」

 普段は物事について、はっきり話す荒川にしては、珍しく曖昧な表現だ。

「荒川さんはこの件について、何か心当たりがあるんですね」

 荒川は頷く「だが、まだ詳しく話せる段階ではない」

「それってどういうことですか」麻衣子がむっとした表情で食ってかかった「あたしたち、危険な目に遭っているんですよ。それなのに荒川さんは情報だけ取って、何にも話してくれないって、おかしいでしょ」

「時期が来たら必ず話す。それまでは申し訳ないが我慢してくれ」

「我慢て――」

「ただし、護身用のテクニックは教える。第二スタジオでウォッシュアウトして待っていろ」

 荒川は一方的に立ち上がり、応接室を出て行った。

「何よあの態度。あたしたちが危ない目に遭ったていうのに」

 憤る麻衣子の声を上の空で感じながら、伸也は荒川について考え込んだ。

 荒川和久。今年六十一歳で、ウエブや雑誌に載っていた情報をまとめると、かつて帝都大学で准教授をしていたらしい。理学部で専攻は宇宙物理ということだった。二十年前に帝都大学を辞め、五年後にオーロラダンスを考案し、西新宿のライブハウスを改装して、「DROP」を開店させた。

 オーロラダンスを考案したのは准教授時代で、たまたま透明症患者だった学生にマイクロ波を当てたところ、発光したのがきっかけだという。その後研究を進め、DROP開店にまでこぎ着けたのだという。公式に語られているのはそれだけで、荒川が詳細な経緯を語ることはなかった。彼が結婚しているのかも「プライベートなので」として語ろうとしなかった。息子が透明症だという噂もあったが、事実か否か、一切コメントすることはなかった。

 日常で荒川と接して感じるのは、透明症に対する思い入れの強さだ。荒川自身は健常者のはずだが、透明症に対する差別には敏感だ。DROPを中傷するような記事がネットでアップされれば、すぐに抗議をしたし、ホールの外でダンサーを揶揄する者がいれば、警備員を配置させた。理不尽な差別を受けた者がいれば、彼自身が親身になってケアしてくれる。ホールの運営上、必要な処置と言われればそれまでだが、他のホールの話を聞くと、彼が透明症を守ろうとする姿勢は突出していた。スタッフに厳しい態度で挑む荒川が、それでも慕われているのは、こうした姿勢があるからだ。

 荒川さんは何者だ。一体何を知っているんだと伸也は思う。


 第二スタジオは「DROP」メンバーたちがメインで使用している第一スタジオの半分程度の広さで、主に個人で調整のために使ったり、第一スタジオのサブとして使ったりする部屋だった。伸也と麻衣子は床に座り、体を透明にしていった。目を開くと、すでにグレーのスエットに着替えた荒川が目の前にいた。

「早速始めよう。そのままでいい」

 立ち上がりかけた伸也たちを手で制して、自らも結跏趺坐になった。伸也たちも足を組み直す。

「目を閉じて呼吸を整えながら、鳩尾の奥を意識しろ。そして、意識した場所から光が湧き出てくるのをイメージするんだ」

 北村や奈緒が言っていたことと同じだ。言われたとおり、鳩尾の奥から光が湧き出てくるイメージを思い描いた。

 光と共に熱がにじみ出てくる気がした。実際、体温が上昇しているのがわかる。

「整ったようだな。次に鳩尾の奥の光は意識したまま目を開き、立ち上がるんだ」

 言われたとおり、目を開け、立ち上がった。荒川も一緒に立ち上がる。当然だが、健常者の荒川は色が付いたままだ。

「腹の中にある輝きを、全身へ行き渡らせるようイメージさせるんだ。指先、髪の先まで行き渡るようにだ」

 伸也は頷いた。全身に光が充満しているようなイメージをすると、運動もしていないのに、首筋から汗が滲み出てくるのを感じた。荒川がリモコンのスイッチを押した。トランス系のテンポの速いEDMが流れ出す。

「リズムを意識しながら、一歩踏み出しながら、手を水平に振るんだ」

 荒川が右足を踏み出しながら、同時に右腕を振る。空手チョップかよと思いながらも同じように手を水平に振る。

「だめだ、二人とも集中していない」

 荒川が真剣な表情で怒鳴る。しかしステージの振り付けをしているときの真剣さだけではなく、その中に思い詰めたような深刻さが漂っていた。隣では、麻衣子が戸惑いの表情を浮かべていた。

 モヤモヤした思いを一旦心の隅に押し込め、もう一度荒川から言われたことを意識しながら何度も腕を振る。

 不意に、目の前にいる荒川がかすんで見えてきた。その中央に、渦を巻来ながら、止めどなく輝きを放つものが現れ始める。伊豆の夜、平本に現れた現象と同じだ。

 次に腕を振った時だ。指先から何かが放たれた気がした。放たれたものは輝きと衝突し、融合した。

「伸也、それだ。感覚がわかっただろ」

 声と共に、輝きが消え、荒川の顔が現れた。

「はい……。でもこれって一体何なんですか」

「生命の根源へとアプローチする力だ」

「何を言っているのかわかりませんけど」

「まだ詳しいことは言えないと言っただろ。ともかく今はこの技術を取得するんだ」

「はい……」

「麻衣子はどうなんだ。さっきから全く反応がないぞ」

「鳩尾だとか光だとか、あたし、さっきから何を言っているんだか全然わかんないんですけど」

「幾何学物体が見えてこないのか」

「何それ?」

 麻衣子が怪訝な顔をして伸也を見た。

「そうか、お前は伊豆に行けなかったからな」

「運がいいことに、置いてけぼりにされちゃったからね」麻衣子がフンと鼻を鳴らす「あの後、警察から伸也たちはどこへ行ったかって聞かれて大変だったのよ」

「悪かったな」

「麻衣子、お前は元々力無いのかもしれないな」

「そうでしょうね、だってあたし、『選ばれし者』ではないですから」

 荒川が目を閉じ、考え込むように腕を組んだ。声をかけるのも憚れる雰囲気で、伸也は戸惑っていると、不意に目を開いた。

「麻衣子はもういい、他のスタジオで練習をしていてくれ」

「わかったわ」

 麻衣子はほっとしたしたのと、はぶきにされた感情が入り交じった複雑な顔をして出て行った。

「さあ、始めるぞ」

 結局荒川のレッスンは昼まで二時間以上に及んだ。更に明日も同じ時間に来るよう言われた。

「まだやるんですか?」

 不満げな表情の伸也を、荒川は睨み付けた。

「すべてはお前のためだ。昨日は逃げられたかもしれないが、再び襲われるだろう。そのときのために、お前も強くなってもらわなければならない。明日は防御の基本を行う」

 荒川から解放された伸也は、控え室で暇そうに携帯電話をいじっていた麻衣子を誘って食事に出かけた。

「あの荒川のレッスンって、高藤が出していた体が痺れるようなものを出すためのものなの?」

「どうやらそうらしいな」

「じゃあ、荒川さんは高藤のことも知っているわけなの」

「俺も聞いたけど、一切話してくれなかったよ」

「しかもこのレッスンは当面誰にも話すなって、どういうことよ」

「俺に聞いたってわかるわけないだろ。ただ、昨日は高藤が俺を狙っていたのは明らかだし、荒川さんの言うとおり、また俺を狙ってくる可能性がある。そのとき対抗できる手段はあった方がいい。当面は荒川のレッスンを受けるよ」

 翌日、再び荒川との訓練が始まった。今度は最初から荒川のシルエットがかすんで見え、中央に渦を巻く輝きが現れた。

 伸也は自らの輝きを荒川に向かって放った。昨日のように輝きと輝きが融合していくかと思ったが、今日は反射するように輝きが向かってきた。避ける間もなく輝きを浴びた。

 強烈な圧が襲い、為す術もなく弾き飛ばされた。

 一瞬頭が真っ白になり、気づいたときには仰向けになって床へ倒れていた。腰がしびれるように痛く、さすりながら立ち上がった。思い切り床に打ったようだ。

「何が起きたんですか」

 荒川は戸惑った表情を浮かべる伸也を、冷ややかな目で見ていた。

「本気を出したらこんなものじゃ済まされない。グロウの手下がバラバラになって殺されただろ。あんなふうにすることだってできるんだ」

 伊豆での夜、平本が胸から血を噴いて倒れた時の光景が、フラッシュバックのように脳裏へよみがえり、思わず吐き気がしてきた。

「荒川さん、伊豆で男が一人殺されています。あのとき俺は平本の輝きの中へ自分の輝きを突っ込んだんです。あの男は俺が殺したんでしょうか」

「お前の話が本当なら、そうだろう」

 あっさりと荒川が肯定すると、伸也の体が震えた。

「しかしそれは仕方のないことだ。そのときはお前も、こんな力が備わっているなんて知らなかったんだ。

 俺が教えようとしているのはその力を制御する技術だ。お前が平本にしたのは無防備な人間に対して力任せに殴り殺したようなものだ。グロウの手下をバラバラにした北村も同じだろう」

「制御する技術がダンスなんですか?」

「そうだ。格闘技でも様々な拳法やスタイルがあるのと同じだ。ただ殴り合うだけじゃなく、効率よく相手の急所を突き、且つ防御する。それができればあえて急所を外すこともできる」

「ダンスが格闘技だなんて、どういうわけですか」

「事情は追々話す。今は俺が教える技術を取得するのが先だ。練習を再開するぞ」

「はあ……」

 疑問は山ほどあったが、高藤に対抗するには荒川の教える技術を取得するしかない。伸也は軽くステップを踏みながら、荒川に向き直った。

 再び鳩尾の輝きが全身へ浸透し、荒川のシルエットがぼやけ、渦を巻く輝きか現れてくる。

「力は力で対抗するのが基本だ」

 荒川の輝きが膨れ上がり、向かってくる。

 伸也も輝きを放った。

 しかし簡単に圧倒され、床へたたきつけられた。

「輝きを放つタイミングが圧倒的に遅い。相手が光を放つ気配があったときに、出さなければ、間合いに入られて倒される」

「気配って、具体的にどんな状態なんですか」

「相手が輝きを放つとき、微妙な空気感が醸し出されるんだが、これは言葉で表現できないな。ある程度、場数を踏んで体験していくしかない。さあ、早く立て」

「ちょっと待ってくださいよ。床に倒されると痛いんですから」

 伸也が面倒くさげに立ち上がろうとしたところを、容赦なく輝きが襲った。対抗する間もなく、再び床へたたきつけられる。

「気を抜くな。これが高藤だったらこんなものじゃ済まないぞ。俺の輝きをしっかり観察してろ」

「くそっ」

 伸也は顔をしかめながらも、荒川に言われたとおり、目の前の輝きに集中した。

 中腰になったとき、荒川の輝きがわずかに揺れた。

 一気に輝きが膨らむ。

 また圧倒されて倒されたが、ダメージは前回より少ない。伸也の輝きを放つタイミングが早く、やや手前で衝突したからだ。わずかな揺れ、これが兆候というやつなんだろうか。

 起き上がりながら、輝きに揺れが起きないか、注意深く観察する。

 揺れた。

 輝きを発する。荒川と伸也の輝きが二人の中央で衝突した。今度はふらつきながらも、倒れることはなかった。

「タイミングをつかみましたよ」

 得意げに笑う伸也に、荒川は顔をしかめたままだ。

「誤解するな。今はあえて兆候をわかりやすくしているだけだ。力も手加減している」

 唐突に輝きが膨れ上がり、伸也はあっけなく倒された。

「気を抜くなと言ってるだろう」

 翌日はステップの使い方を学んだ。ステップを踏むと、荒川の攻撃を避けるのが容易になる。まるで、荒川の輝きとステップがリズムに乗って一体になるかのように、躱すことができた。

 荒川は攻撃に強弱をつけたり、タイミングをずらした。するとステップが乱れ、荒川の攻撃をまともに受けた。

「ステップはボクシングでいうフットワークでもあり、柔道の受け身的な役割もある。正確で早いステップを踏めば、それだけ相手の狙いがつけにくくなる。攻撃はワッキングのような腕の振りがわかりやすいが、キックステップやポップコーンのようなあるいは足の振りも有効だ。すべての格闘技と同じように、攻撃と防御はトレードオフだ。攻めていけば防御がおろそかになり、防御に徹すれば攻めが甘くなる。ただ、攻撃は最大の防御というように、圧倒的に攻めていけば、相手の攻めを封じ込められる」

「リズムはこの中で、どんな役割をしているんですか?」

「リズムは波動だ。輝きはその波動と一体となって相手に到達する。もちろんリズムを無視して輝きを繰り出すことは可能だ。しかし、それは機関銃を構えている兵士に、竹槍で突っ込んでいくようなものだ。ステップで容易に躱され、腕の振り一つで胴体を切断される。

「じゃあ、別々のリズムで戦ったらどうなんですか? 一方はEDMで、一方はサルサとか」

「リズムが違えば、互いに相手の攻撃をステップで躱され、相手に攻撃が届くことはない。あくまでも、同じリズムの中で戦わなければならないのだ」

 沼津で起きていたことが実感を持って理解できるようになってきた。北村はダンスができないと高藤に対抗できないのをわかっていたから、自分にダンスで対抗しろと言ってきたんだ。そして、自分がやられそうになったとき、高藤の不意を突いて攻撃しようとした。でもそれは裸同然の体で竹槍だった。だから高藤にダメージを与えられたものの、北村はそれ以上の傷を負ったんだ。

「バトルはフリースタイルダンスで行われる。お前もこれまで散々やってきているからわかっていると思うが、ビートを感じ、思いのままに体を動かしていく。それがフリースタイルダンスの基本だ。

 バトルはそれに加えて、相手のグルーヴを感じながら、有効な輝きを相手へ刺しこむ。あるいは相手から輝きを防御しなければならない」

 その後も土日も含め荒川のレッスンは毎日続いた。一週間ほどすると、ようやく感覚が掴めるようになってきた。なかなか人を褒めない荒川も認めていた。

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