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第一部 ゴースト 3

 透明症の体にマイクロ波を当てると、体の周囲にオーロラ状の光彩が現れる。この現象を利用して音楽に合わせて踊るダンスをオーロラダンスと呼んでいる。

 シャワーを浴びて私服に着替えると、伸也は瞑想室へ入った。床へ結跏趺坐になって目を閉じる。静かに腹式呼吸をしながら雑念を追い払おうとするが、貴斗の姿が勝手に思い浮かび心が疼き、瞑想状態に入れない。気がつくと、瞑想室には伸也だけが残っていた。

 色戻法を覚えさせられたときの記憶が蘇る。施設に閉じ込められ、食事と眠るとき以外、ずっと瞑想をさせられた。最初は結跏趺坐がとれず、足が痛くなり、瞑想どころではなかった。そのうち一人、二人と色戻法を取得し、施設を去って行った。取り残される気がして焦り、更に瞑想から遠ざかっていく日々。

 俺は一生ここから出られないのか。あのときの絶望感が蘇ってくる。

 伸也は目を開けて首を振る。だめだ。リセットリセット。大きく深呼吸をして目を閉じ、再び瞑想を始めた。

 意識が、すっとクリアになっていく。体の奥底で、炎がチロチロと湧き水のようにあふれ出てくるイメージが浮かんでくる。

 目を開けると、体に色が戻っていた。伸也はほっと息を吐いて立ち上がった。

 色戻法は透明症患者が最初に学ぶ技術だ。瞑想することによって、透明な体を元に戻すことができる。ただ、効果が永続するわけではない。一度眠れば元に戻ってしまうし、昼間の麻衣子のように、感情を高ぶらせると効果がなくなる。

 瞑想室へ出て、スタジオで携帯電話で貴斗の番号を呼びだしたが、つながらない。メールやSNSでも返信はなかった。

 伸也は小さく息を吐く。連絡が取れなくて、少々ほっとしている自分を意識して、嫌な気分になった。実際に会話をして、何を言ってやればいいか、迷っている部分があったからだ。貴斗に対しては怒りが先行するものの、同時に少し後ろめたい気持ちもある。

「貴斗と連絡が取れないのか」

 背後から声がした。振り向くと、いつの間にか荒川がいた。

「はい。だめです」

 荒川はしかめっ面だが、さっきのような怒りは見せていなかった。

「そうか。だめだな」

「荒川さん、どうして貴斗と俺を一緒のチームにしたんですか」

 貴斗の話が出るのはこれで最後だと思い、思い切って疑問を口にした。

 メンバー選定に口を出すんじゃねえと一喝されるかと思ったが、荒川は意外にも苦しげに眉間のしわを深めた。

「ダンスに関して、奴のセンスは抜きん出ていた。お前もわかっているかと思うが、実力はセンターを務めるお前以上だ」

 荒川から改めて面と向かって言われるのは嫌な気分だが、事実だ。伸也は頷く。

「だがな、奴の欠点はそこだった。自分の才能にあぐらをかいて、基礎を忘れるところがあった。あいつが怪我をよくしたのは、運が悪いんじゃない。ストレッチやウォームアップをおざなりにする。遊び歩いてろくに睡眠も取らないままステージに上がる。そんな姿勢が積み重なって怪我をするんだ。その点お前は違った。才能はそこそこだが、誰よりも練習をしてセンターを勝ち取った。ステージに向かう真摯さは人一倍強い。だからこそ、あえて奴をお前と一緒のチームに組み込んだんだ。あいつはお前がどれだけ真剣にダンスへ取り組んでいるかよく知っていたからな」

「でも、結果的にそれが貴斗の脱退につながったんじゃないですか」

「ああ。しかし問題はダンスに対するあいつのスタンスだ。他のチームへ入れたとしても、結果は同じだったろうな」

 荒川は珍しく小さく息を吐いた。

「奴にはずっと言い聞かせたんだが、だめだった。残念だよ」

 高校時代、ダンス部でセンターを務めていたのは常に貴斗だった。伸也は二番手で、センターへ立つのは貴斗がけがをしたときの代役のときがほとんどだった。伸也にとって貴斗は親友であり、ライバルであり、憧れの対象でもあった。

 そんな関係が壊れ始めたのは、一年ほど前だった。荒川は伸也をセンターへ据え、貴斗はサブへ回された。それが不満だった貴斗は、伸也を避けるようになり、練習でも明らかに手を抜いている時が多くなっていた。

 今回の事態は、起こるべくして起こったのだ。

「もし奴に会ったら言ってくれ。『お前には才能がある。ダンスを止めるな』と」

 荒川はそう言ってスタジオを出て行った。

 結局連絡が取れないまま携帯電話をポケットに入れ、伸也もスタジオを出た。通用口へ行くと、左奥にある荒川のロッカーに、大きくへこみが入っているのが目に入った。伸也は自分のロッカーを開け、靴を替えた。

 ビルから出て、夜の新宿二丁目に溶け込んだ。時刻は午後十時。この町がもっとも生き生きとする時間だ。足早に道を行くスーツを着たサラリーマン。花柄の派手なシャツを着た年齢性別不詳な人。すでにかなりの酒を飲んでいるのか、おぼつかない足取りの中年男性。どこからか男女の派手な笑い声が聞こえてくる。伸也はそんな人々の中、やや顔をうつむかせながら道を急いだ。

 いつも帰りに寄っているカフェレストランへ入り、ローストビーフサラダとベーグルのセットを注文した。酒が入って騒々しい他の客を避けるように、カウンターで背中を丸めながら食事を終えて店を出る。新宿三丁目駅で地下鉄に乗り、雑司が谷で降りた。寝静まった住宅街を歩き、一角にあるマンションへ入っていく。エレベーターで三階に上がり、北側にある部屋のドアを開けた。照明はついていた。嫌な予感が覆い被さってくる。もつれるようにして靴を脱ぎ捨て、奥へ急いだ。

 台所へ行くと、中年の女性が一人椅子に座って眠っていた。背もたれに体を預け、上に向けて大きく開いた口の端から、よだれが垂れていた。化粧気のない顔は青白く、両手を力なくだらんと垂らしていた。見た目は死人だが、部屋に響くいびきで、彼女が生きているのがわかる。

 テーブルの上には500MLのチューハイの缶が三本と、食べかけのコンビニ弁当。缶のプルタブはすべて開いていた。近づくと、酒と饐えたような匂いが鼻をついた。

「母さん」

 伸也は女性の肩を揺すった。女性はうっすらと、まぶしそうに顔をしかめながら目を開けた。

「ああ……伸也。ご飯は?」

「もう食べたよ。それよりまた酒を飲んでたのか。医者から控えろって言われてるだろ」

「だって……たまにはいいじゃない。このところ、ずっと飲んでいなかったのよ」

 子供のようにすねた目を見せた母親に、怒りがこみ上げてくるが、喉元でぐっと飲み込み、息を吐いた。

「早く風呂に入って寝ろよ。ただでさえ体がボロボロなんだから、風邪を引いただけで入院だぞ」

「うん。ごめんね」

 母親は老人のようにゆっくりした動きで、テーブルに手をつきながら立ち上がり、引きずるような足取りで寝室へ向かっていった。伸也は空の缶をゴミ袋へ入れ、食べかけのコンビニ弁当は生ゴミ用のゴミ袋へ入れた。

 母親がパジャマを持って風呂場へ行くのを見届けると、伸也は自分の部屋へ入った。照明をつけ、携帯電話をチェックした。グループチャットではすでに貴斗の脱退が話題になっていて、伸也へ詳細を教えてくれと言うメッセージが多数届いていた。伸也は経緯を打ち込んで投稿した。メールには麻衣子からも貴斗の脱退を教えてくれと連絡が来ていた。メールを返し、部屋着に着替える。洗面所を覗き、浴室の照明が消えているのを確認して、自分も風呂へ入った。湯船につかると、まだらにからだの色が消えていく。伸也は様々な思いと共に、息を吐く。

 風呂から上がるとすでに時刻は午前一時を過ぎていた。SNSでは相変わらず貴斗の件でメッセージが飛び交っていたが、伸也は参加する気になれず、ベッドへ入った。今日はいろいろなことがあった。まだしばらく眠れないだろうなと思いつつも、目を閉じる。


 一時間ほど経過した頃だろうか。伸也に眠気が訪れ、意識が闇へ落ち込んでいく。遮光カーテンで閉じられた部屋は暗い。ヘッドボードに置いてあるデジタル時計から発する時刻を表示した青いLEDライトだけが、伸也の透明な顔をわずかに照らしている。

 伸也は目を閉じ、静かな寝息を立てている。肩まで掛かった毛布が、ゆっくりと上下していた。

 伸也の透明な顔の輪郭が少しずつ薄くなっていった。しかし伸也自身はそのことに気づいていない。

 輪郭が完全に消え、その存在すら確認することが困難になっていったとき、盛り上がった毛布が風船がしぼむように落ち込んでいった。やがて毛布は平らになり、伸也は部屋から消えていた。


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