第一部 ゴースト 29
高速道路で目覚めた北村は、前回会ったときと同様の元気を回復していた。
「もうすっかり痛みはありません。これもひとえに皆様のおかげでございます」
助手席の北村はニコニコと微笑みながら、ぺこりと頭を下げる。
「とりあえず東京へ戻るけど、北村さんは今、どこに住んでいるの?」
「それが」北村の顔が曇る「実はわたくし、逃げて参りまして」
「はあ? どこから逃げてきたの。まさか警察じゃないだろうね」
「全国透明症協議会という組織がごさいまして、先ほどまでそちらに保護されていたのですが」
「全透協でしょ。俺たちも加盟していますよ」
「えっ、そうなんですか」
目を見開いて驚いた北村は、伸也と麻衣子をキョロキョロと交互に見ながら、今にも車外へ飛び出しそうな勢いで、ドアに張り付いた。
「北村さん、どうしたんですか」
「またわたくしをあの場所へ連れ戻す気でしょうか」
「全透協で何かあったの?」
「俺たちは一般会員だから、深い活動はしていないよ。会費を払ってる程度なんだ」
「そうですか。そいつは失礼しました」
北村はほっと息を吐く。
「拘置所から出てきたとき、全透協の藍田という会長さんが外で待っていたのです。マスコミから保護してくれるというのでありがたいことだと思い、車に乗せてもらいました。途中うなぎ屋さんへ連れてってもらい、うな重もごちそうになり、天にも昇る気持ちでした。匿っていただいた先も渋谷にあるいかにも高級そうなマンションでありました。
ところがです。玄様はわたくしに、全透協は危険だ、ここから逃げなさいとおっしゃいました。藍田会長はいい人そうだし、どうしたことだと思いました。警察の方にも全透協に保護されていると話したところ、安心していただけたので、妙な組織ではないと思っていたのですか。
そのことを藍田会長にお話ししたところ、妄想だとおっしゃるのですね。しかし玄様は、これまでに数々の奇跡を起こして参りました。そのようなことはないと反論しましたが、疲れているでしょうから、夕飯を食べて一晩寝て改めて結論を出してくださいと言われまして。で好物のハンバーグをいただきました。すると、急に眠くなりまして、意識が途絶えてしまいました。
恐らく、ハンバーグか、一緒に出てきたスープに睡眠剤が入っていたのだと思います」
北村はぶるっと体を震わせた。
「眠っているとき、ひどい悪夢を見ていました。過去に起きた嫌なこと屈辱的な出来事が、繰り返し現れるのです。時々目が覚めてぼんやりした状態でいると、見知らぬ男がやってきて、たくさんの錠剤と水を持ってきて、飲めと迫ります。拒否するとその男たちは何とナイフを出して脅すのです。仕方なくすべて飲み干すとまた眠くなり、悪夢が始まるという次第です。
そんなある日のことでした。夢の中で、闇の中から白い蛇のようなものが、空中を泳ぐようにくねくねと体をよじらせながら、わたくしに近づいてきました。体調は一メートル以上でしょうか。わたくしの上をぐるぐると回り始めました。わたくしは金縛りに遭って体が一切動きません。
近くで見るとうろこはなく、どちらかというと、ウナギのようにぬらぬらテカっていました。顔は黒目だけの目がちょこんと二つ付いて、口はありませんでした。
ウナギみたいなものはやがて体に巻き付いてきました。表面はなめらかで、ぬるっとぬめりみたいなものがあるんですけど、濡れているような感触はありませんでした。最初おなかに巻き付いて、ぐるぐる回りながら、顔にまで近づいてきました。目の前にウナギの顔が現れました。その先端が割れるみたいに開いたんです。真っ赤な粘膜が見えて、その周りに、クリーム色の細かくて鋭い歯がびっしり生えているんです。まるで、わたくしに自分の姿を見せつけるかのような振る舞いでした。
ウナギはわたくしの首に食いつきました。チクリと痛みが走った後、チュウチュウと体液を吸うような音が聞こえてきました。気持ち悪くてたまりませんでした。
ところがつい先ほどのこと、目の前に例の形状不明な玄様が現れたのです。玄様とウナギは仲が悪いようで、するするとウナギがわたくしの体から離れて宙に舞うと、玄様に絡みついていきました。玄様はウナギに締め付けられるように、球体から葉巻状に体をゆがませましたが、元の球体へ戻ります。こんな風に、ハブとマングースならぬ、玄様とウナギの戦いがわたくしの上で繰り広げられました。
やがてウナギがはじけるようにして四散しました。同時に金縛りも解け、わたくしは飛び起きました。
玄様は言いました。宮本先生が危ない目に遭っている、すぐにお前が助けに行きなさいと。その後わたくしは、宮本先生がご存じの通り、先ほどのステージへ移動したのです」
「北村さんが眠らされた話って、なんだかグロウの誘拐事件に似ていると思うわ」
「ああ、俺もそう思う」
「眠っていた人たちは、みんな苦しそうな顔をしていましたね。私と同じように、嫌な夢でも見ていたのでしょうか」
「きっとそうだと思う」
「だとしたら、グロウと藍田会長は何らかの関係があるのでしょうか」
「あると思う。更に言えば、藍田と高藤も関係があるらしい」
伸也は安田から聞いた情報を北村に説明した。
「一体、何が起きているのでしょうか」
「わからない。これから調べてみよう」
麻衣子の運転する軽自動車は用賀へ近づいてきた。伸也たちは麻衣子のアパートへいくのだが、さすがに北村は泊められない。北村がずっと住んでいたアパートは藍田に知られているので行きたくないという。警察へ相談するにしても、今のところ北村が体験しているのは悪夢だけで、犯罪行為が発生したと立証できる根拠はない。藍田が身元引受人になっている関係上、へたに警察へ連絡したら、藍田に連絡されてしまうかもしれない。
「そうだ、安田さんに相談してみよう」
「安田さんはどのような方なんでしょうか」
「全透協の前会長だよ」
「ええっ、やっぱり宮本先生は全透協の回し者だったんですね」
「違う違う、安田さんは藍田会長と対立しているんだから」
車外へ飛び出しそうな勢いの北村を、笑ってなだめ、奈緒のトラブルで会長を辞任した経緯を話した。
「安田さんは面倒見がいいし、藍田が会長に選任された経緯にも疑問を持っている。今日起きた事を説明すれば、きっと協力してくれるよ」
「そうなんですか」
北村はほっと息を吐いた。伸也は安田に電話を掛けた。三回のコールで電話に出た安田へこれまでの経緯を説明した。
「ぜひ北村さんに会わせてくれ。場所はそうだな……中野にあるカラオケボックスがいいだろう。あそこなら全透協のメンバーと鉢合わせするなんて事はない」
「わかりました」
メールでカラオケボックスの店名と住所を連絡してもらうよう伝えて電話を切った。すぐに送られてきたメールの住所を麻衣子に伝える。軽自動車は首都高へ入り、中野区へ向かった。渋滞もなく、三十分ほどで中野区に入った。環七通りを早稲田通りへ右折してしばらく走った場所に、目的のカラオケボックスがあった。メールに書いてあったとおり、裏手にコインパーキングがあったので車を停めて、カラオケボックスがある雑居ビルへ入る。安田の名前を告げるとすでに待っているとのことで、部屋へ案内された。ドアを開けると大音量で歌声が聞こえてきた。XJAPANの「紅」だ。中で安田が気持ちよさそうに歌っている。ごつい体型に似合わず、ハイトーンボイスがきれいに出ていた。安田は伸也たちが入ってくると、カラオケを止めた。
「やあ、失礼失礼。せっかくカラオケボックスに来たのでね、待っている時間に何曲か歌っておこうと思ってね」
安田は好きなものを頼んでくれと言い、コップに入ったウーロン茶で喉を潤した。注文するとすぐに店員が飲み物を持ってきた。店員が出て行ったので、伸也が話し始める。
「俺の忠告は正解だったわけだな」
「はい、申し訳ありません」
伸也は頭を下げた。
「ま、無事で何よりだったがな。それより高藤と藍田の件だ。あいつらとグロウの事件が関わっているとなると、全透協だけの問題じゃなくなってくるな」
「俺たちだけで解決できるような問題じゃないです。やはり、警察へ相談した方がいいんでしょうか」
「でも、藍田会長にわたくしの居所を知られてしまうかもしれません」
「竹井なら大丈夫だろう」
「竹井さんというと、新宿署の人ですか。よくご存じですね」
「あいつは以前から新宿署で透明症絡みの事件に数多く関わっていてな、その関連で俺のところへもちょくちょく顔を出していたんだ。奴が関わった事件の当事者にも話を聞いたことがあるが、公平に対応してくれたそうだ。信頼できると思う」
「本当に大丈夫なんでしょうか」北村が不安げに伸也を見た「わたくしも逮捕時にあの方から取り調べ受けたのですが、ちょっと怖い方でした」
「殺人容疑がかかっていたら、どんな警官も厳しい対応になりますよ。あの人は俺も信頼できると思います。新宿署爆破事件の時も真っ先に俺のところへ電話してくれたし」
「宮本先生がそうおっしゃるならお会いしてもよろしいかと」
「じゃあ早速呼んでみよう」
安田は携帯電話を取りだして、電話をかけ始めた。
「安田です。お忙しいところすいません。実は例のグロウが関わった誘拐事件についてお話がありまして。実は今、北村さんがおりまして……。ええ、このあいだ釈放された北村さんです。藍田会長のところにいたんですが、あの人のところへは帰りたくないというんです。ですので、くれぐれも他の人には報告しないでいただきたいのです。……はい、ありがとうございます。場所は『カラオケボックスグレコ中野店』です。お待ちしています」
安田が携帯電話を耳から離し、伸也たちを見た「すぐに来るそうだ」
その言葉通り、竹井は二十分後に現れた。コンビを組んでいる若い男はおらず、一人だけだ。
「おまたせしました」
ドアが開いて、竹井が姿を見せた。ノーネクタイで、相変わらずのくたびれた紺のスーツ姿だ。鋭い視線で部屋にいる面々を見回した。
「一体何が起きたというのです。順を追ってい説明してもらえますか」
最初に安田が藍田の会長就任の経緯を説明し、伸也はさっき起きた高藤のライブについて話し、最後に北村が悪夢について話した。その間、竹井は熱心にメモを取っていた。
「北村さんがライブ会場に現れたということですが、北村さんはどうやって会場まで来られたのですか」
「はい、玄様に導かれまして、拉致現場からポーンと瞬間移動しました」
至って真面目に返答する北村に、竹井はこれ見よがしにため息をついた。
「北村さん、釈放する前に話しましたが、あなたに対する疑いはまだ晴れてません。その理由の一つが玄様からご神託があったとか、瞬間移動とかいう言動にあるんです。本当のことを話してもらえませんか」
「でも、真実なんですから」北村は困ったように眉根を寄せ、同意を求めるように伸也を見た。「宮本先生も私のアパートから伊豆へ行ったときに経験しております」
「北村さんが言っていることは本当です。これには、玄と名乗る存在が関わっているんです」
「ああ、伊豆の山でウルトラマンから変化した存在ですか。とりあえず、その件は置いておきましょう。まず藍田と高藤の件ですが、我々もノーマークで、これから調べていきたいと思います。特に藍田は贈収賄の疑いがあるということですので、一般法人法違反容疑で調べられるでしょう。次に拉致の件ですが、北村さんが眠っていた場所は特定可能でしょうか」
「それが、なにしろ瞬間移動してしまったものですから」
「まあそうなんでしょうね」
申し訳なさそうに呟く北村に、竹井が冷たい視線を向ける。
「次に、藍田と高藤はこれから何をしようとしているんでしょうか」
「それについては私の説を言わせてもらう」
安田が真剣な面持ちで話し出す。
「グロウの拉致事件以来、透明症に対する風当たりは急速に強くなっているのはみんなも承知しているだろう。ネットでは透明症に対する誹謗中傷が溢れ、現実の世界でも透明症に対する差別がきつくなっている。オーロラダンスのホールやクリアバーに対する嫌がらせが急速に増えている。『透明症お断り』なんていう張り紙がある飲食店も最近では普通にあるしな。全透協の新執行部はこれらの差別に対して、徹底的に抗議するという方針だ」
「それって、安田さんが昔からやってたことでしょ」
麻衣子が今更と言った顔をして呟く。
「いやいや、俺の時は他の理事がブレーキになっていたんだよ。それでも暴走して、一人で乗り込んだりしてたがな」
「確かにそうでしたね」伸也は安田が引き起こした数々の騒動を思い出し、思わず笑いがこみ上げる「そういえば、警察に引っ張られていたのはいつも安田さんだけでしたし」
「新執行部はほとんどが新会長の言いなりだ。今や全透協全体が徹底抗戦の態勢だ」
「それって、安田さん的には好ましい方向なんじゃないですか」
苦々しげに呟く安田を、麻衣子が不思議そうに見ていた。
安田は首を振る「そうじゃない。差別をする奴らは憎いが、そいつらを徹底的に叩き潰そうという意思はない。俺が騒いだ後は別の理事が出てきて、誓約書とか詫び状を書かせて騒動を落ち着かせていたんだ。俺はある意味道化みたいなものさ」
「派手に騒ぐ安田さんと、騒動の落とし所を見つける理事という組み合わせだったんですね」
「ヤクザの恐喝じゃねえかと悪口を言われてたよ。だが、大勢で押しかけて、店なり個人なりを徹底的に潰そうとすれば、警察も介入してくるし、世間的に反発も出てくる。俺がやっていたくらいがちょうど良かったんだ。元プロレスラーの俺が騒げば、マスコミが注目して報道されるしな。
ところが今の執行部は落とし所とか一切考えないんだ。おとといのメールで全透協から集会の参加要請がきていただろ」
「『ドラッグストア イケモリ』の抗議集会とかいうのがきてたけど」
「先週イケモリ有明店で、透明になっちまった透明症の女性がいたんだ。他の客がパニックになっちまって、店員が色を無くした女性に、店外へ出てくれと要請したのさ。店側も事務室に入れるかすれば良かったんだろうが、そこまで配慮がいかなかったらしい。
その件が全透協に連絡が入ったら、差別だとして、会員を動員して店の前で抗議集会を始めやがった。そんなまねを始めたら、客なんて入りやしないだろ。店は休業、店長を始め、従業員は憔悴しきっているそうだ。
今はイケモリの本部と話し合いをしているが、話がまとまるまで抗議集会は継続していくとさ。これに関連して大西が理事を辞任したよ。あいつはやり方があまりに強行すぎるから、抗議集会は一旦止めろと言っていたんだが、藍田に弱腰だと一蹴されてね。結局喧嘩別れみたいな形になっちまった。
今回の件は、俺から言わせれば明らかに行き過ぎだ。透明症に慣れていない店員が、いきなり対応しろなんて無理がある。責められるべきは、透明症に対応する教育を怠ってきた本部だろう。それなのに店に圧力を掛けるなんて理不尽だよ。
不気味なのは、反全透協的な投稿がSNSで増えていることなんだ。一部では組織化しようなんていう動きもあるんだ。もしも反全透協組織が立ち上がり、全透協と対立したら、暴力沙汰が起こるかもしれない」
「藍田はそのあたりをわかって進めているんでしょうか」
「伝え聞くところによると、そういう事態になってもやむなしなんて話になっているんだそうだ」
「暴力容認だなんて、いくら何でもひどすぎませんか? チンピラじゃあるまいし」
「もちろん全透協から仕掛けて行こうというわけじゃないさ。襲撃される可能性も出てくるが、逃げずに対抗しようってスタンスさ。実際、透明症が襲われている事案も増えているんだ。そうですよね、竹井さん」
「ああ。グロウの事件以降、各地で透明症患者が危害を加えられるという事案が多発している」
「強硬路線というのは確かに藍田が主導しているが、一般会員からも同様の声が強いんだ。だから本来穏健派の理事たちも反論出来にくいのさ。
すでに自然発生的に各地で小競り合いが発生しているんだ。対立のマグマは着実にたまり始めている。
二三日中にお前らの元にもメールが来ると思うが、全透協の執行部は東京で大規模なデモを計画している。俺もやること自体は賛成だが、はっきり言って時期が悪い。グロウの事件があって小競り合いが続く中、透明症嫌いの奴らがデモ潰しに掛かったら、暴動になりかねないぞ。知り合いの理事連中には、もう少し時期をずらして開催しろと言っているんだが、聞く耳を持たん」
安田は首を振りながらため息をついた。
結局、北村は安田が経営するアパートの空き部屋に匿うことになった。北村も本当に信頼できる筋にしか報告しないと確約させた。
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