第一部 ゴースト 28
駐車場へ向かって走っていたが、北村があまり遅く、待っていなければならなかった。
「北村さん、早くして」
幸い後から追いかけてくる者はいなかったものの、北村は右腕を体に巻き付けるようにして走り、なんだかぎこちない。
「もしかして、怪我してるんじゃない」
麻衣子が追いついてきた北村を怪訝そうに見る。
「実は、あの方と戦っているときに脇のところをやられまして」
街灯の光に晒された北村は、左の脇から血を滲ませていた。顔も青白く、以前見たときよりもひどく痩せ、やつれた印象だった。たいして走ったわけではないのに、額から汗をしたたらせている。
「この間伸也を治したみたいに、自分も治せないの?」
「ちょっと難しいかもしれません」
「他人なら治せるけど、自分は治せないっていうの。めんどくさい力ね」
「ともかく車に乗ろう」
コインパーキングに着いて、料金を払う。助手席を倒して北村に乗るよう促した。北村はひどく痛そうに顔をしかめながら乗り込んだ。伸也が麻衣子の後ろに乗り車は走り出した。後を追いかけてくる者はいないので少しほっとしたが、北村は車体が振動するたびにうめき声を上げた。
「自分で治せないなら、医者に診せないと」そう言いながら、川崎の中野医院を思い出し、不整脈を起こしたように、心臓の鼓動が乱れた。彼は伸也が捕まって間もなく、自宅で殺されていたのを発見された。グロウの犯行だと考えられていたが、犯人は見つからず、どこから情報が漏れたのかも不明だった。俺たちを治療したから、あんな目に遭ってしまったんだ。
「救急病院へ行って、警察にも話そうよ」
「でも、どうやってこの怪我の原因を話したら良いか、わたくしにはわかりかねます」
「そもそもあのステージで、何があったんですか。僕は光に遮られて、何も見えませんでした」
「宮本先生が襲われていたので、わたくしが体当たりをしたのです。幸いあの男は宮本先生を倒すのに夢中で、わたくしにまで意識が及んでいませんでした。それでもしっかり返り討ちに遭ってしまいましたが」
「それって一ヶ月前にグロウのメンバーが殺された件と関連があるんですか」
「同じ仕組みです。ただ、わたくしはダンスの技術がありませんから、不意打ちでしか対抗できなかったのです」
「ダンスがまるで武器になるみたいな言い方なんだけど、どういう意味なの?」
「武器と言うより、拳法みたいなもの考えていただければと」
「ステップが蹴りだとか、ターンがパンチだとかって事なの」
「その通りでございます。一月前にわたくしが殺してしまったグロウは無防備で、わたくしも加減が一切わからず、あのように悲惨な形で殺してしまったわけであります。ステージの女性は大変ダンスが上手で、わたくしを八つ裂きにするのは造作もなかったでしょう」
「俺はダンスをすることによって、結果的に高藤に対抗できたってことなんだね」
「あの痺れたような感じもダンスで引き起こしたの?」
「はい。さっと、表面を撫でるような感じですね。わたくしがやったら加減ができなくて、きっとブチッと胴体とか切ってしまうかと思います」
「だったら高藤がやろうと思ったら、劇場いた全員をバラバラにできたって訳なの」
「恐らく可能ではと」
「怖っ」麻衣子は体をぶるっと震わせた。
「でも、どうして高藤は俺をステージに上げたんだろう」
「あいつ、伸也を自分の仲間に組み込みたかったんじゃないの。高藤は全透協の理事長になった藍田とつるんでいる。安田は、高藤が藍田を使って有名になろうとしているんじゃないかって考えているんでしょ。その一環で、伸也を巻き込もうとしたのかもしれない。たまたま高藤のステージを見に来た伸也が、一緒に踊って意気投合みたいな話を作りたかったと思うわ。あたしを失神させるくらいの力を持っているなら、人をコントロールさせる方法も持っていると思うの。実際、赤いシャツの男って、無表情で踊り出したりして、なんだか不気味だったでしょ。あいつら、高藤にコントロールされてるみたいな感じだったわ」
「確かにそうだな。オープニングアクトのラッパーも、高藤にコントロールされてあの劇場へ行ったのかもしれない」
工事中の道に入ると、路面が荒れてきて、車体も大きく揺れ始めた。北村が呻き始める。
「まだ耐えられる?」
「申し訳ございませんが、安全な場所に車を停めていただけませんか。落ち着いた状態なら自分で治せるかもしれません」
「あのコンビニに車を置かせてもらいましょう」
麻衣子がウインカーを出して左手にあったコンビニの駐車場に入り、エンジンを止めた。静かになった車内で、北村の荒い呼吸だけが響いていた。
「あの……わたくしは生きていてもいいんでしょうか」
「えっ」場違いに思える唐突な北村の問いかけに、伸也はどう返していいかわからず、言葉が出てこなかった。
「北村さん、何言ってるのよ。命は平等に大切なもの。どんな立場だって変わらないわ」
「そう言っていただけるとありがたいです」
コンビニから届くわずかな明かりに照らされた北村の顔には、弱々しげで、自嘲気味にも思える笑みが浮かんでいた。
「わたくし、幼い頃より人前に出れば緊張して声が出ず、人と話してもピントがずれた発言で場をしらけさせ、スポーツに至っては、体育の教師からお前の運動神経はどこにあるんだと言われる始末でした。容姿も端麗とはほど遠く、唯一優越感を抱いていた学業も、高校で同一レベルの同級生の中では最下位クラスに甘んじてしまいました。
成人してどうにか正社員として就職できたものの、単純かつ致命的なミスを連発して上司、同僚の信頼を失ったあげく、とある理不尽な出来事で自己都合退職することになりました。その後は非正規社員として、様々な職種に就きながら、今年五十四歳となりました。唯一わたくしを肯定してくれた母は亡く、家族や友人もいない孤独の身、一体これまでの人生はなんだったのかと自問しながら生きる毎日でした。
突然身の上話などしてしまい、申し訳ございません。と言うのも、怪我を治すには、患者さんを尊重し、愛さなければ力が湧いてこないからなんです。私が自身の怪我を治すには、私が自分を愛していなければいけないのですが、それが可能かどうにも自信がないのです」
「さっき、治せないかもしれないと言ったのは、そのせいなのね」
「北村さんは俺たちの怪我を治してくれたじゃないか。だから北村さんは、俺たちにとってすごくありがたい存在なんだ。あんまり悲観する事もないと思うけどな」
「そう言っていただけるとうれしいです」
「みんなで玄様に祈りましょう」
麻衣子が左肩にあった北村の右手の上に手を乗せた。伸也もその上に手を重ねる。
「玄様玄様北村さんの怪我を治してください。北村さんはいい人です。さあ、伸也と北村さんも一緒に呟いて」
「あの……わたくしも『北村さんはいい人です』と言うんでしょうか」
「当たり前でしょ。自分を愛せないと、怪我を治せないんでしょ」
「その通りなんですけども、ちょっと恥ずかしくて」
「いいの。北村さんは伸也を助けた立派な人。さあ、始めるよ」
「玄様玄様北村さんの怪我を治してください。北村さんはいい人です」
三人で繰り返し呟いていると、北村の目から涙が溢れ出してくる。
「お恥ずかしいところをお見せしまして申し訳ありません。うれしく思います」
「何言ってるのさ。北村さんとの付き合いはまだ短いけど、悪い人じゃないよ」
「ありがとうございます」
北村は少し微笑んだ。
北村の体が熱を帯び始めた。手からだけでなく、伸也の体全体に伝わってくる。明らかに車内の温度が上がってきている。北村は目を閉じ、呼吸が激しくなる。みるみるうちに額から汗が湧き出て、垂れていく。
「大丈夫ですか」
「はい。傷を受けたところが熱くなっています。頭がぼうっとして、凄く気持ちがいいです」
「玄様が答えてくれたのね」
「そのようでございます」
そんな状態が五分ほど続いた後、次第に呼吸が落ち着いてくる。やがて、北村は目を閉じたまま口をぽっかり開け、いびきをかき始めた。
「寝ちゃったよ」
「眠れるくらいなら、怪我も治ったんでしょうね」
「だろうな」
「この人、泣いて笑って最後はよだれ垂らして寝ちゃうし、あどけなくて、なんだか子供みたいだよね。ま、顔はオッサンなんだけど」
「あはは、そうだよな」
伸也はコンビニにはいってミネラルウォーターを三本買って戻った。このまま居続けてもコンビニの店員に不審がられるし、まだ沼津市内なので、高藤たちに見つけられるかもしれない。北村の怪我も癒えたようなので、東京へ戻ることにした。麻衣子は軽自動車を発進させた。
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