第一部 ゴースト 25
「安田さんと何を話したのよ」
「ダンスについて解説したよ」
「安田さんとダンスってどういうこと?」
「後で詳しく話すよ。とりあえず橋本屋まで来てくれよ」
電話を切ると、ネットで高藤梨奈を検索した。しかし、ホームページもないし、SNSのアカウントも設定していないのか、それらしき人物はヒットしなかった。次にダンス 高藤梨奈 静岡と検索する。先頭にファンと覚しき人物によるブログの記事がヒットしたのでタップした。しかし、ブログはすでに削除されているらしく、「このページは存在しません」と表示されてしまった。他の項目を検索しても同様だった。恐らく高藤か彼の運営スタッフが削除要請しているのだろう。
麻衣子の車が目の前に止まったので、乗り込んだ。安田から聞いた話を説明した。
「ふーん。それだけのスキルのあるステージを展開していて、あたしたちが知らないなんてあり得ないわ。この業界なんて狭いわけだし、噂が入ってくるはずよ」
「でも本当なんだよ。踊ってた女は見たことないし、ウェービングも完璧だった」
「ダンスだったら、一流のダンサーが突然透明症になって、あたしたちの業界に入るって事もあるでしょうけど、MEは専門の知識が必要よ。本とか動画でテクニックの解説があるけど、どうしても表面的な物になっちゃうわ。ああいうのって、師弟関係で実践しながらアドバイスを受けないと身につかないでしょ」
「ああ。そこが不思議なんだよ」
「原野さんに聞いてみたらどう?」
「そうだよな」
原野はDROPのチーフMEだ。世界的に有名なエンジニアで、弟子は国内外に数多くいる。伸也は原野へ電話を掛けた。
「原野さん、今大丈夫ですか」
「ああ、いいよ。久々だから、ウェービングのチェックでもしたいか?」
ちょっと甲高い声が聞こえてくる。
「それはコンディションが整ってからでお願いします。今日お電話したのは、静岡のステージでMEをしている人についてなんです」
伸也はさっき安田から見せてもらった画像について説明した。
「ほう。伸也が認めるくらいだから本当なんだろうな。でも、静岡で一流のステージを見せる奴なんて、聞いたことがないし、高藤梨奈なんて名前も聞いたことがないな」
「原野さんの人脈で調べてもらえませんでしょうか」
「いいよ。俺もそのMEは気になるしな。わかったら連絡するよ」
「はい、お願いします」
伸也は電話を切った。麻衣子が「どうだった」と話しかけてくる。
「知り合いに聞いてくれるってさ」
「安田さんは劇場の場所を教えてくれなかったの?」
「危険だからお前は行くなだってさ」
「なによそれ。別に薬とか飲まされるわけじゃないんでしょ。ダンスで頭がおかしくなるなんてあり得ないわ」
「でもな、安田さんは嘘とか言う人じゃないだろ。あの人が体験した感覚は本当だと思うんだ」
「ふうん」
麻衣子は頷いたが、納得はしていない様子だった。伸也も口ではそう言ったものの、一度ステージを見てみたいという思いは強かった。
麻衣子の運転する車は渋滞の道をのろのろと進んでいく。伸也はぼんやりと歩道を歩く人々を見ていた。はじけるような笑顔を浮かべながら、生き生きとした空気を発散させている若い男女。早足で颯爽と人々の間を闊歩するスーツ姿の女性。背中を丸めて歩くサラリーマン風の中年男性。彼らの周囲に見えない膜のような物を感じ、思わず目を逸らした。
孤独なのは我々だけじゃない。誰もが心のどこかに疎外感を抱いているんだ。一般の人たちを羨んだり、嫉妬するのはいいことじゃない。高校時代、透明症の教師が語りかけていたのを思い出す。痩せた中年男性で、時折神経質そうに頬を痙攣させる癖のある人だった。普段は淡々と国語の授業を進めていたが、このときだけは熱く語りかけていたのを思い出す。
不意に貴斗があの教師のまねをしている姿が脳裏に蘇った。腹を抱えて笑ったよな。懐かしさがこみ上げてきたすぐ後に、ナイフを手にして迫ってくる姿が、おどけた貴斗を蹴散らしていった。太ももに感じた痛みの記憶が心に突き刺さる。
「どうしたの?」麻衣子が不思議そうな顔をして伸也を見ていた。
「ああ……。ちょっと高校の教師を思い出してた」
「嫌な奴だったんでしょ。なんだか深刻そうな顔してたから」
「そうだな」曖昧に頷いた。
まだ拘置所にいる貴斗の孤独を思った。彼にはDROPのサポートもない。両親は健在だったが、透明症に対する偏見が強い父親と、世間体を気にする母親とで、度々喧嘩をしており、今は勘当状態なはずだ。拓真グループへ入った時点で、昔の仲間とも切れている。ざまあみろと思う反面、心の片隅には様子を見に行きたい思いも残っていた。
品川のスタジオへ行き、他のメンバーと合流してダンスの練習をした。一時間ほど踊った後、休憩を取っていると、背後から声を掛けられた。
原野だった。小太りで髭を生やした童顔だ。派手なロゴが入ったスエット着て、まだ寒いというのに膝が出た黒い短パンをはいている。見た目は職業不詳な中年のオッサンだが、世界中のMEから尊敬を集めている。
「さっきの件だがな、早速知ってる奴が見つかったぞ。前に横浜のセブンから研修に来ていた堀部って奴がいただろ」
「はい、覚えています」
「あいつの同僚で村沢って男がいたんだが、高藤に誘われて一年前に辞めたそうだ」
「引き抜かれたんですか」
「いや、正直言って、引き抜かれるほどの腕は持っていなかったそうだ。基本的な技術は持っていたが、ダンサーの動きに対して、時々ついて行けなくなるレベルだってさ」
原野は馬鹿にしたように鼻で笑う。DROPでそんなミスが起きれば、荒木が激怒する案件だった。
「沢村みたいな奴は入れ替わりが激しいからな。堀部も特に気にしていなかったんだが、沢村からメールでちょくちょく質問があったから答えていたそうだよ。でも、あるときぱったり来なくなって、それっきりだってさ」
「劇場の場所はわかりますか?」
「教えてもらったよ。沼津港の近くで『サルベージ』っていう店だ。俺も知らないし、仲間にも聞いたがみんな知っている奴はいなかった。横のつながりはないらしいな」
隣にいた麻衣子と顔を見合わせる「沼津港って、昔行ったことがあるよな」
「うん。深海水族館へ行った後、海鮮丼を食べたっけ」
風情のある飲食店が建ち並ぶ港町という印象だが、ホールがあるなんていう話は聞いたことがない。番地を教えてもらい、携帯の地図に入力した。画像を表示させると古ぼけたビルが出てきた。一階はくすんだ灰色のシャッターが下りていた。右側に階段がある。拡大させるが店の看板はなかった。ビルの大きさから見れば、フロア全体を使ってぎりぎり劇場を作ることは可能だ。
「練習が終わったら、ここへ行ってみない? ステージもないし、やることもないでしょ」
「そうだな」伸也は頷いた。安田の警告は気になったが、どんなものか見てみたいという誘惑の方が強かった。
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