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第一部 ゴースト 24

 葬儀から一ヶ月ほど過ぎた午前中、麻衣子と一緒に車へ乗ってジムへ行き、一時間ほどトレーニングをした。相変わらずステージには立てていない状態だったが、体をなまらせるわけにはいかなかった。シャワーで汗を流し、ロッカーで服を着替えた。携帯電話を取りだしてチェックすると、電話に着信があるのに気づいた。安田武彦だった。どうしたんだろうと思いながら電話をかける。

「やあ宮本君、色々大変だったね。体調を崩していないかい」

 いつものように、力強く快活な声が響いてきた。

「はい、おかげさまで問題ありません。いまもジムで汗を流していたところです」

「それは良かった。何か不便なことがあったら言ってくれ。最大限協力するよ」

「はい、ありがとうございます」

「ところで、俺が全透協の会長を退いたのは知っているか」

「ええ。荒川さんから伺っています」

「実はその関係で、ちょっと宮本君に相談があるんだ。これから会えるかな」

「いいですよ」

 正直、全透協のトラブルには関わりたくなかった。しかし安田にはDROP通用口の防犯対策に対する行政への働きかけなど、色々と世話になっているし、むげには断れない。

「今どこにいる?」

「新宿ですけど」

「オッケー、じゃあ昼飯を一緒に食おうぜ。橋本屋で十二時。予約して奥から。よろしく」

 一方的に決められて電話を切られた。相変わらずだなと思い苦笑いする。女性用のロッカールームにいる麻衣子へ電話を掛け、安田とのやりとりを報告する。

「えーっ、なんでオッケーしちゃったのよ。あたしは行かないからね」

「わかってるよ。お前が一緒にいるのは言ってないから。俺一人で行くよ」

「変な約束なんかしないでよ」

「何か頼まれても、事件の対応や母さんの件で精一杯だし、協力はできないって言うよ」

「絶対よ。あの人押しが強いから、気をつけてね」

 ロッカールームを出て麻衣子と合流したものの、彼女は不機嫌だった。車に乗っても「二人で西新宿で新しくできたラーメン屋に行きたかったのに」と文句を言っていた。何を言っても機嫌が悪くなるのはわかっていたので、伸也は黙って聞き流す。

 橋本屋の前へ着くと、麻衣子はエンジンを掛けたまま路肩に駐車した。時刻は十一時を過ぎたばかりだ。まだ約束には時間があったが、ここで降りろということなのだろう。

「終わったら電話するよ」

 麻衣子はむすっとして前をむいたままだったが、頷いた。ドアを閉めると車は発進していった。

 中途半端な時間だなと思いつつ、久々に一人ぶらぶら新宿の雑踏の中を歩いた。自分に注目する者はいなかったが、誰かから見られないか意識してしまう。ネットでは事件の容疑者として、踊っているときの伸也の画像に、わざわざ肌の色を加工して乗せている奴がいた。誰かから突然指差されやしないかという不安が募る。

 何度か服を買ったことがある古着屋が見えてきた。店員とも顔見知りだが、入る気になれず前を通り過ぎた。もし事件の自分が容疑者だったのを知っていて、ぎこちない対応をされるのが怖かったからだ。

 どうにか時間を潰して、十二時ちょっと前に橋本屋へ戻った。店内に入り、安田の名前を告げると、店員が座敷へ案内してくれた。ふすまを開けると、すでに安田がいて、あぐらをかいてお茶をすすっていた。

「おう宮本君、忙しいところ済まないな」

 安田はグレイのスーツにノーネクタイだった。会長職を解かれたのだから、多少落ち込んでいるかと思ったら、相変わらず顔色はいいし、やつれたような様子はない。相変わらずがっちりした存在感のある体格をしていた。

「ご無沙汰しています」

 座卓を挟んで向かいに座った。

「不当勾留なんだからと警視庁へ抗議に出かけて早期釈放を訴えかけたが、力及ばずだった。申し訳ない」

 安田が頭を下げる。

「いえいえ、動いていただけただけでもありがたいですから」

 伸也は狼狽して頭を下げ返す。

「ところで」顔を上げた安田が、真剣な目で伸也を見てきた「今日来てもらったのはな、お前に教えてほしいことがあるからなんだ」

「はい、僕でわかることならなんでもお答えします」

「今の全透協は藍田という男が会長へ就任している。知ってるか?」

「いいえ、始めて聞く名前です」

「静岡支部の会長をしていた男だ。入会したのは三年前、居酒屋を経営していたが、透明症なのを誰かにSNSで拡散されて、店を潰された。そのときの憤りが運動に参加するきっかけになったそうだ。

 二年前に前の静岡支部長が暴漢に襲われて死亡してな、奴が支部長に収まったんだ。更にその一年後、理事の一人が体調を崩して理事職を退任することになって、奴が立候補した。活動歴が浅い男が理事に収まるのもいかがなものかという意見もあったが、他に立候補する奴もいなかったから、受け入れることにしたんだ。

 栗山さんの件で俺が会長を辞めて、臨時の理事会で新たな会長を選ぶことになった時、二人立候補したんだ。一人は大西だ。お前も知ってるだろ、全透協の立ち上げの頃から俺と一緒に活動してきた男だ。もう一人が藍田だった。俺は大西が理事になると思っていたんだが、結果は藍田が会長に選出された。正直意外だったよ」

「大西さんなら経験も豊富ですし、会員の皆さんにもよく知られていますよね。どうしてそんなに活動歴が浅い人が理事長に就いたんですか」

 安田は憤りを抑えるように、ぐっと息を止めた。鼻腔が膨らみ、顔が赤みを帯びる。

「大西から聞いたんだが、どうも理事連中に、藍田側から金が配られていた。それもかなりの金額だ」

「理事会が藍田に買収されたって事ですか」

「そうだ。ただな、なぜそこまでして奴が理事長椅子を欲しがっていたのかわからなかった。お前も知ってるとおり、会費なんて微々たるものだ。寄付金だって大したことはない。収入は職員と理事の給料で大半が消えてしまう。事務所の土地建物は俺の名義だし、メリットと言えば、若干増える理事長報酬と、たまに交際費で飲み食いができるぐらいなものさ。奴が理事に配った金に比べれば、金銭的なメリットはないに等しい。

 ところがな、先週妙な噂を聞きつけたんだ。奴の地元静岡に、予言者という触れ込みで活動している透明症の女がいる。高藤梨奈とかいう名前なんだが、そいつと藍田がつるんでるらしいんだな。

 理事長の藍田が高藤の宣伝塔になったら、奴の知名度は全国区になるはずだ。一般の会員は奴が理事長になった経緯なんてわからないからな。信じる奴もいるだろう。理事に渡った金も、高藤が出所だとしたらつじつまが合う。居酒屋を潰した男に、大金を調達できるはずがないからな」

「高藤って女はどんな奴なんですか。いくら理事長が紹介しても、胡散臭い奴なら誰も引っかからないでしょう」

「それがな」安田は珍しく顔を曇らせた。「カリスマ性はかなりあるらしいんだ。これを見てくれ」

 安田は携帯電話を取り出すと、動画を表示させた。

 スマホで撮影されたらしく、やや手ぶれした映像だった。ステージが映し出され、和太鼓のようなリズム隊に、シンセサイザーやベースの音が絡む音楽に合わせて、女が一人踊っている。

 透明な肌が発光し、めまぐるしく変化させながら輝いていた。アクロバティックでありながら、指先にまで神経が行き届いた動きは、優雅な雰囲気を醸し出している。それでいながら繰り出す足や腕からは、迸る汗が見えてきそうな強いパッションを感じた。時折映るオーディエンスは、ダンサーに向かって陶酔した表情を浮かべながら、リズムに合わせて、体をうねうねと揺らしている。伸也は画像に見入っていた。

「踊っているのが高藤だ。どう思う?」

「これはどこで撮影されたんですか?」

「沼津市内だ。奴専用の小屋があるらしい」

 伸也は興奮した心を落ち着かせるため、大きく深呼吸する。

「まず、ダンスですが、かなり高いレベルです。DROPは業界でもトップクラスだと自負していますが、それに匹敵するくらいのスキルです。次に、マイクロ波を当てて体を輝かせる技術ですが、これも相当なレベルです。(マイクロウェーブ)(エンジニア)はダンサーの動きに合わせながら、最大限彼らを輝かせるようマイクロ波の角度や波長、出力を調整していくんです。最近はAIでも優秀な物はできていますが、トップクラスのMEには及びません。このステージでウェービングをしている技術者は、間違いなく世界基準でもトップクラスです。正直、間近で見てみたいです。

 ここまでのステージを作れる人たちの噂が、どうして僕らの耳に入ってこなかったんだと思います。しかも静岡ですよね。静岡にはダンス専門のグループはいませんから、一流のスタッフがわざわざ静岡まで来て仕事をするなんて、ちょっと考えられません」

「そんなに凄いのか」

「ええ。間違いなく一流です」

「この動画はファンが密かに撮影して、ネットに載せたんだが、すぐに要請が来て削除されたそうなんだ」

「この人たちは名前が知れ渡るのを拒否しているんですかねえ。もっとちゃんとした画像をネットに載せたら、相当な話題になるはずですよ」

「奴はダンスに対するスタンスがお前たちと違うんだ。実はな、俺は昨日、このライブを見に行ってきたんだよ。

 なぜかと言うと、このステージは単なるショーじゃないからなんだ。高藤が予言者と名乗ってるって言っただろ。このステージのメインは高藤の予言だ。ダンスはその予言を引き出すための儀式さ。DROPのステージみたいに、客は純粋にショーを楽しむっていう雰囲気じゃなく、もっと宗教的なところがあるんだ。撮影、録音禁止だったが、こっそりボイスレコーダーを仕込んでおいた。聞くか」

「はい」

 安田が携帯電話を操作した。人々のざわついた声が聞こえてた後、和太鼓に似たリズム隊が響き始め、歓声が上がった。リズムは複数のドラムが絡み合いながら、ダンサブルにループしながら展開する。やがて完成がリズムをかき消すほどに高まる。

 男の低く挑発的な声でラップが始まる。


 俺たちゴースト

 誰も彼も化け物扱い

 行き場を失ってる

 仕事ねえ金もねえ社会のお荷物それでいいのかい


「良くねえよおっ」そんな言葉が会場のあちこちから発せられた。

「このラップは高藤じゃない。オープニングアクトだ」

 店員がオーダーを取りに部屋へ入ってきたので、一旦音声を止めて、おすすめになっている天ぷらのセットを頼んだ。店員が出て行く再生を始める。オープニングアクトは二十分ほど続いた。男は透明症患者の怒りや不満を煽るようなラップに乗せて、時折コールアンドレスポンスで会場を盛り上げた。

「ゴーストラップですね」

 ゴーストラップ。透明症患者の差別に対する怒りや悲しみのリリックをラップするジャンルで、世界中でラッパーが活動している。

「G・ENERGYというラッパーだ」

「ああ、聞いたことがあります。二三年前だったかな、ゴーストラップのクラブイベントで見ましたよ」

「元々大阪のライブハウス中心に活動していたラッパーだ。大阪のクラブシーンに詳しい奴に聞いたんだが、一年前から高藤に心酔していたらしい。奴が静岡に劇場をオープンすることになったら、劇場へ出演するために、躊躇せず静岡へ移住したそうだ。メジャーデビューの話もあったらしくて、周囲は止めたんだが、聞く耳は持たなかったらしい」

 不意に音楽が止まった。

「さあ来るぜ来るぜ、高藤梨奈。ゴーストを救い世界を救うのはお前しかいない。俺たちのためにダンスしてくれ高藤梨奈。RESCUEしてくれ高藤梨奈。救済の始まりだ」

 G・ENERGYが煽るような叫び、オーディエンスたちが歓声で答える。直後に音楽が再開する。今度は速いリズムで、シンセサイザーとベースが加わる。客が絶叫に近い歓声を上げた。

「ここで高藤が出てきて、ダンスを始めた」

「凄い歓声ですね。うちのお客もコアなファンは叫ぶんですけど、こんな感じではないですよ」

「そうだな。DROPのステージは、身内的な一体感で盛り上がるみたいだものな」

 伸也は頷いた。「これははなんだか、ロックスターみたいなノリですね」

「俺はダンスに関して素人なんだが、見ていると比喩でなく、体がビンビンに痺れてくるんだ」

「バックの音が響いて痺れるんじゃないですか?」

「違うんだ。例えば高藤が腕を振るだろ。そうすると、何かが体の中を駆け抜けていくような感覚がする。そんなのを繰り返しているうちに、気がついたら、すっかりハイな気分になっていた」

「ダンサーとしてはかなり興味が湧きますね」

「音声を進めるぞ」

 安田は再び携帯電話を操作した。音楽の終盤、リズム隊だけが響いたあと、音楽は唐突に終了した。熱狂した歓声が響く。

「私の中に、神が降りてきた」

 声と共に、パタリと歓声が止まった。静寂が支配する中、幻想的なシンセサイザーの演奏が始まり、女性の声が響く。高藤だ。

「見えるか。空は真っ暗な雲が覆っている。したたる雨も黒い。それは腐った血のように嫌な臭いを放ちながら、俺たちの肌にべっとりと付着する。

 雨は全身を覆い、やがて私たちを窒息させていく。

 誰も助けてはくれない。

 政府にできるのは、雨を真っ白に塗りつぶして、そんな物は存在しませんなんて嘘で誤魔化すだけ」

 オーディエンスから、すすり泣きが聞こえてきた。

「神はどうしてゴーストをこの世に生み出したのか。どうして俺たちに苦難を与えるのか」一瞬、言葉が途切れる。「私は答えを持っている」

――教えてくれ――何人もの声が聞こえてくる。

「人類は欠陥だらけ。いつも地球のどこかで仲違いをし、貴重な生命を消耗させていく。欲望にまみれ、人を蹴落とすことばかり考えている。

 しかし、そんな時代はやがて終わる」

  シンセサイザーの曲が、明るさを帯びてくる。

「人類は新たなステージに立とうとしている。その先駆けがゴーストだ」

 安田が音声を止めた。「どうした、退屈か」

 そんなにつまらなそうな顔をしていたのかと思い、苦笑いを浮かべた。

「この手のカルトって、よくありますよね。ダンスイベントで客を集めて、ちょっと病んだ人たちを煽ったあげく、洗脳していくっていうパターンですか」

「そう思うのも無理はないけどな、俺が実際に体験した印象は違うんだ」

「と、言うと?」

「高藤のダンスの時、体が痺れてハイになるって言っただろ。気持ちが高ぶったときにあんな話をされて、俺は思わず感動して涙を流しちまったんだ。後で冷静になってみれば危険だったなと思うんだが、知識がない奴らだったら、コロッと騙されちまう。実際俺も、もう一度体験してみたいっていう気持ちがあるんだ。まるで麻薬だな」

「そんなダンスって、ものすごく興味が湧きますね。俺も行ってみようかな」

「やめとけ。ハイになるような体験てのは、人によって感受性が違う。俺の隣にいた奴なんか、完全に目がいっちまってたしな。はまったら危険だぞ」

 ふすまが開き、店員が天ぷらを運んできた。二人は箸を手に取った。まずエビをつまみ小皿に入った岩塩を付けて口へ運んだ。からりと揚がった衣と、エビのプリプリした食感がたまらなくおいしい。拘置所では絶対に味わえない食感だった。

「今日は意見を聞かせてもらってありがとう。俺もダンスに関しては素人だからな」

「いえいえとんでもありません。俺でお役にたてるなら、何でも言ってください」

「それと繰り返すが、高藤には近づくなよ。あいつへ不用意に近づくのは危険だ」

「わかりました」

 伸也は天ぷらをごちそうになり、礼を言って店を出た。安田が雑踏に紛れていくのを確認してから麻衣子へ電話を掛けた。

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