第一部 ゴースト 21
凍てついた風と共に、雪が横殴りで吹き荒れていた。明かりは無く、風にあおられてギシギシと音を立てている針葉樹が暗闇の中、亡霊のように蠢いていた。
不意に遠い場所から輝きが現れ、急速に近づいてきた。同時に唸るようなディーゼルエンジンの音が響き始めてきた。
四トントラックほどの角張った車体が現れた。無限軌道が雪をまき散らしながら前へ進んでいく。運転手は慣れているらしく、カーブになった場所も道を外れる事なくスピードを落とさずすり抜けていった。やがて道は緩い上り坂になっていった。雪上車の巨体は雪を噛み、力強く進んでいく。
車内には運転手の他に三人男女がベンチシートへ並んで乗っていた。彼らの背後には、大量の食料品が積んであった。
「しかしこの振動、なんとかならないかな」窓際にいた男が顔をしかめながら二人の男女に話しかけた。「俺は腰痛持ちでさ、特に冬になると痛みが激しくなってくるのさ。今の時期、こんな車でしか行けないのはわかるけど、少なくとも幹部向けにもう少しいい座席を付けてほしいもんだよ」
男は申し訳程度にクッションが入ったシートをポンポンとたたいた。
男女は男の話を無視して無表情で前を見続けていた。話しかけた男の目の奥に怒りが宿る。
「あんたら、どういう立場へ辻田さんのところへ行くんだ。初めて見る顔だし、少なくとも幹部じゃないよな」
「友人だ」
真ん中に座っていた男がぽつりとつぶやく。
「そうなんだ」男は一瞬怯んだように目を揺らしたが、再び怒りの灯が灯る。「こんな時期に辻田さんの元を訪れるのは見上げた根性だが、人が話しかけたのを無視するってのはどういう了見だい」
「福井さん、やめてください」
運転手が押し殺した声で声をかけた。
「うるせえ、運転手風情が俺に意見するんじゃねえよ」
自分の怒気を含んだ声を聞いて、さらに怒りが増幅してくる。
「俺はグロウの中で切った張った世界を生き抜いて幹部までのし上がったんだ。お前らも辻田さんを知ってるなら、グロウの幹部にのし上がるのがどんなことかわかってるだろ」
すごむ福井に対して、隣の男はチラリと視線を向けたあと、再び前を向いてしまった。窓側の女にいたっては、めんどくさそうな顔をして顔を背け、真っ暗なサイドガラスの外を見始めた。
「野郎」
福井が手を上げようとしたときだ。つんのめるような衝撃と共に、雪上車が止まった。
「着きました」
目の前には雪の壁ができていた。運転手が携帯電話を操作すると、雪から湯気が出始め、雪がバラバラと落ち、鉄鋼製のシャッターが見え始めてきた。
「福井さん、この方たちは辻田さんの客人なんです。絶対に手は出さないでください」
振り向いた運転手を見てサディスティックな感情が沸き起こってきた。にたりと残忍な笑みを浮かべる。
「わかったよ。ただな、俺に意見する奴は許さねえ」
おもむろに運転手の髪の毛を掴んだ。力任せに引っ張り、目の前に来た恐怖にゆがんだ顔を思い切り左の拳で殴った。
「ヒイッ……すいません、すいません……許してください」
運転手の悲鳴交じりの声と、鈍く湿った打撃音が車内に響く。みるみるうちに、運転手の顔が透明になっていく。
「おら、シャッターが開いたぞ。とっとと車を動かせ」
髪の毛離し、運転手のシートを右足で思い切り蹴り倒した。
「はい……」
運転手がか細い声で答え、血だらけになった鼻と口を前に向けると、雪上車は再び動き出す。福井はチラリと隣の男女を見た。怯んだり非難したりといった様子は無く、まるで何も起きていなかったかのように、一切表情が変わっていない。
なんだよこいつら。再び怒りがもたげてくるが、運転者の「辻田さんの客人なんです」という言葉が蘇り、寸でで動きを止めた。
まあいい。いったんここへ来たなら、当分滞在するのだろう。状況次第ではたっぷりとこの借りを返してやる。俺を馬鹿にする奴は許さねえ。
シャッターの内側は車庫になっていた。運転手はブレーキをかけると、シートへ倒れ込んだ。福井はドアを開け、外へ出た。風こそ無かったが、暖房は効いていないので、凍てついた空気が入り込んでくる。
「おー寒い寒い」
福井は小走りでドアに駆け寄り、ボタンを押す。
「俺だ。開けてくれ」
カチャリと音がして、ドアが左右に開き、暖気を浴びた。ほっと息をしながら階段を登り、踊り場から廊下へ出た。慣れた様子で廊下を進み、突き当たりのドアを引き開けた。
「あれ?」
そこは広々としたラウンジで、柔らかな照明の下、ローテーブルや革張りのソファがいくつも置いてあり、奥にはカウンターバーが設置されている。いつもなら、仲間の幹部連中が酒を飲み、タバコをくゆらせながらだべっているはずだった。しかし、今日は誰もいない。警察によるグロウ狩りが行われている中で、さすがにくつろいでいるわけにはいかないのだろうか。
今のところ呼び出し以外の指示はないから、酒でも飲んで待っているとするか。福井はタバコに火を付け、くわえタバコでカウンターの中へ入り、酒を物色していた。
「福井」
背後から声をかけられて振り向くと、いつの間にか三人の男が立っていた。一人は森山で北海道本部の統括だ。後の二人は彼直属のSPだ。
SPは雪迷彩の上下でSBRを構えていた。ストックを肩に当て、引き金に指をかけている。それが冗談でないのは、森山が冷ややかな殺気を含んだ目をしていることからわかった。
「何のつもりだ」
震える手で酒瓶を置き、森山を睨み付けながら、めいいっぱい凄んでみせた。
「お前を拘束しろと指示が出ている」
「誰の指示だ」
「俺に指示できる人は一人しかいない」
「福井さん、手を挙げて我々の指示に従ってください」
SP言い方は丁寧だが、幹部に対する敬意は一切感じない。指示に従わなければ、躊躇無く引き金を引くだろう。
SPの一人が銃を構えながら回り込んでカウンターへ入った。福井は落ち着けと言い聞かせながら、必死で混乱しそうになる思考を回転して、事態を打開する道を探った。
「理由は何だ……さっきの客人に絡んだからか」
「客人が来たのは知っているが、お前が絡んだなんて初耳だな。理由は別にある。西伊豆の拠点を壊滅させた責任だ」
「なんだ、その件か」福井はほっと息を吐いて笑いかける。「あれは不可抗力だったんだ。あの連中が突然現れるなんて、あり得ないだろ。それに情報管理は万全だったから、他の拠点は無傷なんだぜ。拠点同士のつながりは一切無かったから、捕まった奴も答えようがないのさ。被害を最小限に押さえられたのは、俺が指揮してきた功績なんだ。褒められるならともかく、銃を向けられる筋合いはない」
「文句はボスに言ってくれ」
「わかったよ」
SPに後ろ手に手錠をかけられ、廊下に出た。奥へ進み、ミーティングルームへ入った。いつもは机や椅子が並んでいたが、今日は中央に椅子が一つ置いてあるだけだ。
その椅子に、男が座っている。黒のセットアップに白いシャツ姿だ。背は高く、ウェーブのかかった髪の毛を肩まで垂らしていた。切れ長の目で、右耳に金色のピアスをしていた。
「辻田さん」福井は辻田の前で跪いた。「私は西伊豆の件で拘束されたと聞きましたが、弁明をさせてください。あれは――」
「福井さん、あなたがどれだけあの事業に貢献したか、私は知っています。効率よく死体を処理するため、男たちをブルーシートへ包むアイデアを考案したのはあなたです。様々なリスクを想定して慎重に拠点を構築していたのかも知っていますよ。西伊豆の拠点が壊滅したのも致し方なかったのも理解しています」
辻田は慈しみを湛えた目で、福井を見つめていた。
「そうなんですよ。自分はこの事業を発展させるために最大限の力を発揮してきました。今後も一生懸命、尽くしていきたいと思っています」
「でもね、今回の件については、誰かが責任を取らなければいけないんです。そうでないと、組織に対する示しがつかない。わかりますか」
「でも……」
「あなたには、すばらしい貢献の方法がある」
辻田は穏やかに微笑みながら、福井の背後に立っている森山を見た。
「福井さん、立ち上がってください」
「辻田さん、ちょっと待って――」
福井が前に進み出ようとした瞬間、SPが顔面にブーツのつま先で蹴った。衝撃と共に、ゴキッという鼻の骨が砕ける音が響き、福井は後方に飛ばされた。鼻から灼けるような痛みが広がる。
目を開けると、銃を向けたSPが福井と辻田の間に立ちはだかっていた。背後にいる辻田は、慈しみに満ちた目で見つめている。
「福井さん、立ってください」
辻田さん、何でこんな顔しているんだろうな。頭の中が芯まで真っ白になった状態で上の空で考えながら、機械的に立ち上がる。森山に言われるままミーティングルームを出て、エレベーターに乗った。三階で降りて廊下を進み、突き当たりにある見たことのない部屋に入った。
「これ、何だよ」
細長い通路のような場所で、なぜか右側の壁に黒い鉄格子がついている。暖房は入っておらず、底冷えのする部屋だった。森山を不安げに見る。
「やれ」
森山は問いかけを無視してSPのに指示をした。一人のSPが銃を肩に掛け、ポケットから黒い物を取りだした。カチャリと音を立てて、禍々しい輝きを放つナイフの刃が出てきた。
「おい……よせよ」
後ずさりした福井を、足払いして転ばせた。
「抵抗しないでください。血が出ますから」
SPはそう言いながら服を掴み、ナイフで引き裂き始めた。取りあえず俺を刺すわけじゃないのか。少しだけほっとしたが、不安が消えることは無い。
福井は下着まで引き裂かれ、手錠をかけられたまま全裸になった。SPが服の残骸を回収すると、福井以外の全員が部屋を出て行った。ドアが閉まり、鍵のかかる音が聞こえた。
「おい、俺をどうすんだよ。誰か俺を見てんだろ」
福井の叫びが部屋の中で空疎に響いた着後、モーターのうなり声とゴゴッと石が擦れるような音がし始めた。
左側の壁がせり上がっていく。黒い革靴と黒いスラックスが見えてきた。革張りソファに座り、足を組んでいる。
「辻田さん」
辻田はさっきと同じように、慈しみを込めた目で福井を見つめていた。起き上がり、近づこうとしたが足を止めた。目の前に板ガラスがはめ込まれているのに気づいたからだ。
壁が上がり切り、モーター音が止まった直後、再びモーター音が響き始める。
足下へ強烈な冷気が這い寄ってきて、振り向いた。
鉄柵がついた壁が、せり上がろうとしていた。
空いた場所から、痛くなるほどの冷たさを伴った風が吹き込んできた。
「おいっ、どういうことだ」
全開に開いた壁の向こうは、すべての光を吸い込んでいく暗闇だ。そこから雪の粒と、冷たいという言うより突き刺すような冷気を含んだ風が襲いかかってきた。
「辻田さん。俺、凍え死んじゃうよ」
絶叫しながらガラス壁に向かって体当たりしたが、鈍い音が響くだけだ。ガラスは撓むこともなく、福井の肉体をはねつけた。
ドンドンと、くぐもった音がガラスから響いてくる。血走った目をした福井が、鼻血で汚れた顔をガラス面に押しつけ、肩を使ってたたいていた。辻田は組んでいた足をほどき、両手を祈るように組み合わせ、前のめりになって、苦しむ福井を見ていた。
辻田の目に涙が溢れ、頬を一筋伝っていく。
「龍は相変わらずだな」
辻田の横に、男が一人進み出た。グレイのパンツにカーキのミリタリーシャツを着ていた。髪の毛は短く、ふくよかな頬をした童顔だった。パンツのポケットに手を突っ込み、薄笑いを浮かべてガラス壁の向こうにいる福井を見ている。
「素晴らしいと思わないか。これでまた一つ、我々の善が一歩前へ進むんだ」
「確かにな。ただし、ほんのわずかだ。俺たちは、この世界にもっと善を広めなくてはいけない。梨奈、そうだよな」
男が振り向いた。梨奈と呼ばれた女は、腕を組み壁にもたれて、ガラスの向こうにいる福井をつまらなそうな顔をして見ていた。ややウエーブが罹ったショートボブで、赤いワンピースに黒の革ジャンを羽織っている。黒目がちの瞳で、声をかけられると攻撃とも思えるほどの強い視線を男に送った。
辻田が振り向き、梨奈を見て、ぱっと涙で濡れた目を輝かせた。
「梨奈、いい機会だから、久々にダンスを見せてくれないか」
「ここでか」
梨奈は不満げに、ふくよかな唇をゆがませた。
「どうして? 素晴らしいシチュエーションだと思わないか」
「俺も久しぶりに見たいな」
「勝手なことを言いやがる」
梨奈は目を伏せ、小さくため息をつきながら壁から離れた。おもむろに革ジャンを脱ぎ捨て、真っ赤なワンピース一枚になる。ハイヒールも脱ぎ、素足で冷たいフロアタイルに立った。
目を閉じ、つま先立ちになりながら、両腕を上に向けて伸ばした。筋肉質で、すらりとした腕が露わになった。
すっと肌の色が消え、透明になる。同時に部屋へ帯電したように、ぴりぴりとした空気が流れ出す。
目を開き、強い力で男たちを見据えながら、四肢を動かし始めた。しなやかで、切れのある動きで体を振り回し、髪の毛が陽炎のように揺れた。足はためらうこと無く正確なステップを踏み、腕は蛇のように柔らかく、妖艶な動きで絡み合う。音楽は流れていなかったが、彼女の中で鳴り続ける音楽があるように、リズムの中で泳ぎ回るように動いた。
梨奈の動きが激しさを増していくと、マイクロ波を浴びていないにもかかわらず、梨奈の周囲がおぼろげに発光し始めた。ターンを決め、腕を振るたび、細かな水滴のように、輝きが外へ散っていく。それは波動となって部屋へ広がり、二人の男は全身に浴びた。辻田は気持ちよさそうに目を閉じ波動の中に身を預けた。
「ああ、素晴らしいよ。梨奈のダンスは格別だ。藍田君、そう思わないか」
「ああ……」
藍田と呼ばれた男もまた、気持ちよさそうに目を閉じていた。腕を組みながら、波間を漂う水草のように、ゆっくりと体を揺らせている。
ガラスをたたく音が消えていた。福井はいつの間にか立ち上がり、うつろな目をしながら、酔っ払いが踊るように、くねくねと腰や肩を動かしていた。時折足を絡ませて転倒したが、再び立ち上がり、踊り始める。
うつろだった目が、苦しげにゆがみ始めたかと思うと、体を痙攣させ、口から吐瀉物が溢れ出て、首筋から下腹部へ垂れていく。それでも福井は踊りをやめない。
梨奈がふわりとジャンプして、猫のように音も無く両手をついて着地した。顔を上げた瞬間、福井の口から鮮血が吹き出し、前のめりに倒れた。壁へ衝突し、鮮血をガラスにぶちまけながら床へ沈んでいく。目は瞳孔が開ききったまま、動くことはなかった。口から溢れ出た血は床へ広がり、まだらだった体は色を戻し、血の気を失った無機質な白さへ変わっていった。
立ち上がった梨奈は、頬がわずかに上気していたものの、息が乱れることもなく、倒れた福井に冷たい視線を投げかけ、二人の男に向き直った。
辻田は涙で濡れ、キラキラと光る目で梨奈を見つめながら、子供のように両手を広げて拍手をした。パチパチと乾いた音が部屋に響き渡った。
「相変わらず素晴らしい。しかも、以前よりも格段に洗練されている」
「お前、俺たちに送る波動と、外の奴に送る波動を使い分けていたな」
「ああ。造作も無いことだ」
梨奈はハイヒールを履きながら投げやりに答える。
「一体、どれだけの人々に影響を与えられるんだ」
「さあな、試したのはせいぜい五十人程度だ」
「一万人に影響を与えられるか」
「わかるわけがないだろ。やったことはないからな」
「いや、梨奈ならできる」辻田が目を輝かせながらつぶやく。「僕たちがクリアを変え、クリアたちが世界を終わらせるんだ」
「その時が来たというんだな」
「ああ。すべてを終わらせる」
福井の周りに広がった血だまりは、冷え切った風にさらされて、早くも凍り付き始めていた。
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