第一部 ゴースト 17
「で、作業員の男はバラバラになって死んだっていうんですね」
「はい……その通りです」
北村はあからさまに動揺しており、体を細かく震わせていた。
「奈緒の時と同じだな。もっと詳しく状況を聞かせてくれよ」
伸也が北村の顔を覗き込んだ。
「ちょっと待て、奴がロビーで殺されたなら、目撃者だってすぐ出てくるだろう。警察が動く。早く逃げるぞ」
貴斗は周囲を警戒し出した。
「あたし、人殺しなんかと一緒に逃げたくないよ」
麻衣子は怯えた表情で北村を見ていた。
「確かにな。怪我も治ったことだし、ここで解散してもいいんじゃねえか」
「て言うか、なんで警察から逃げなきゃなんないわけ? 確かに警察にグロウのスパイがいるかもしれないけど、全国の警察署にいるわけじゃないでしょ。このあたりは千葉県警の管轄だし、近くの警察へ逃げ込んで、事情を話せば匿ってくれるよ。むしろこのまま逃げたらウチら、このおっさんの共犯者になっちゃうわよ」
「俺は警察へ駆け込むなんてごめんだな。勝手に行けよ。じゃあな」
貴斗が走り出そうとしたときだ。
「あの……ちょっとすいません」
唐突に紺のスーツを着た若い男が角から現れると、穏やかな笑みを浮かべ、伸也たちに近づいてきた。いかにも、道に迷ったセールスマンといった風情だ。
「このあたりに矢島板金塗装さんの事務所があるはずなんですけど、ご存じないですか」
「知るか。とっとと失せろ」
貴斗が怒鳴りつけたとき、横でビッという音と共に、北村が小さな悲鳴を上げた。
横を見たとき、北村が驚愕の表情を浮かべながら、倒れようとしていたところだった。
「何?」
北村が道路へ倒れる鈍い音を聞きながら、背後に人の気配を感じて振り向く。
スーツを着た二人の男が伸也たちを見つめていた。そのまま市役所にいても違和感のない、特徴のない顔立ちだった。二人とも、黒い電気カミソリのような物を持っている。スタンガンだ。
駆け出そうとしたとき、音もなく男が近づき、腕を掴まれ、首にスタンガンを押しつけられた。
振り払おうとしたが、その表情とは裏腹に、恐ろしく強い力で腕を押さえてくる。ダンサーという職業柄、同年代の平均より、筋力は大幅に強いと自負していたが、男はそれを上回っていた。
「動くな。抵抗したら、女もこの男と同じ目に遭う」
麻衣子も別の男に掴まれ、首筋にスタンガンを突き立てられていた。
北村は四つん這いになって、体を震わせている。
正面を見ると、貴斗も道を聞いてきた男にスタンガンを突きつけられていた。
大型のワンボックスが横付けされて、伸也たちを道路から隠した。ドアが開き、別の男が出てくる。
「入れ。抵抗したら気絶したまま乗せる」
男の冷たい目と抑揚のない声は、躊躇無く行動に移す予感を与えた。
「お前らグロ――」
叫ぼうとした貴斗が、ギャッと声を上げ、体を痙攣させてその場に倒れた。
ほんの十秒前まで穏やかな笑顔を浮かべていた若い男は、無機質な目で貴斗を見つめている。
「黙って乗れ」
伸也は怯えた顔をしている麻衣子に頷いた。最初に北村が引っ張り込まれ、麻衣子と伸也、貴斗が続いた。
ドアが閉まり、ロックがかかると同時にワンボックスが走り出す。
「前を向いていろ。ドアに触れるな。妙な動きをしたら撃つ」
背後から声が聞こえる。バックミラー越しに男の姿が見えていた。目が合い、ニヤッと笑うとこれ見よがしに短銃を見せた。
ドライバーは狭く入り組んだ道をスピードを上げて走る。
「俺たちに何の用だ」
「喋るな。次に喋ったら撃つ」
最初はどこを走っているかわからなかったが、上葛飾橋を通過したので、東京に入ったのはわかった。その後も幹線道路を通らず、狭い道をひたすら走った。ドライバーは地図が頭の中に入っているのだろう。躊躇することなく走り続ける。
しかし、見知らぬ住宅街を進んでいたときだ。不意に車が激しく振動し始めた。
「どうした」
「わからん、ちょっと待て」
ドライバーは車を停め、ドアを開けて外へ出た。すぐに車内へ戻り、苦虫を噛みつぶしたような顔で背後の男を見た。
「パンクだ。もうこの車では走れない」
「何やってんだよ」
「知るか、俺が悪いんじゃねえ。それより別の車を調達するよう頼め」
「直らないのか」
「馬鹿野郎、補修するのにどれだけ時間がかかると思ってんだ。新しい車を頼んだ方が早い」
「ったく」
背後で服がこすれるような音が聞こえた時だ。
貴斗が腰を上げ、背後の男に向かった。
振り返ると、男が片手で持っていた拳銃を貴斗が両手で掴んでいた。
バンと乾いた音が車内に響く。
「野郎」
後部座席へ乗り出してきたドライバーの顔を、伸也が思い切り殴りつける。
麻衣子も背後の男を殴り始めた。
「オッサン、男の首を絞めろ」
「はいっ」
北村が男の首に手を回し、歯を食いしばりながら締め上げた。
「ぐえっ」
拳銃が貴斗の手に渡った。
「お前ら、天井に手を着けろ」
ドライバーと男は、言われたとおり中腰になり、天井へ手を着ける。麻衣子がドアを開けて外へ出た。
「オッサンも死にたくなかったら外へ出ろ」
「はいっ」
北村が座席を乗り越えて外へ出た。伸也も続いた。伸也が回り込んで貴斗の側のドアを開けた。
「逃げろ」
貴斗が走り出し、全員が続いた。道を歩く幼い子供を連れた女性が、いぶかしげに伸也たちを見ていた。
「これからどこへ行くっ」
「どこって言ってもさ、そもそもここはどこなんだよ」
「おーい、待って待って」
遅れ気味の北村が、手を振りながら叫ぶ。
「待ってらんねえよ」
「そうじゃなくて、この近くはよく知ってます」
「早く言えよ」
貴斗が立ち止まる。
「はあっ、はあっ……ここは……わたくしのご近所なんです」
「なんだ、ちょうどいいじゃねえか。とりあえずあんたのところへお邪魔するぜ。こんなところをうろうろしてたら、またグロウに見つかっちまう。いいよな」
伸也と麻衣子は頷いた。
「では、ご案内させていただきます」
今度は北村が先頭になって走り出す。角を曲がり、まだ昭和の雰囲気を残している商店街を横切り、築五十年以上は越えていそうな家々が立ち並ぶ道を進む。
「ここです」
北村が指差したのは、周囲の家々と負けず劣らず古い木造アパートだった。北村はギシギシと盛大にきしみ音を立てる階段を上り始めた。
「この階段、四人も一度に上った崩れちゃわない?」
ドタドタと上る男三人の姿を、麻衣子が汚らわしい物でも見るように見上げていた。
「大丈夫だ、上がってこいよ」
伸也に言われて、不満げな顔でようやく上り始めた。一歩一歩、確かめるように階段を踏みしめる。
廊下も歩くたびにミシミシ音を立てる。
「苦労して見つけた、月三万五千円の格安物件であります」
そう自慢げに語る北村に、麻衣子が無言で冷たい視線を向けた。
蹴り倒せば、簡単に開いてしまいそうなドアの前に立つと、ノブについている鍵穴に鍵を差し込み、ドアを開けた。
「お邪魔します」
室内は手前が板張り床のキッチンで、奥が畳のリビング。天井は吊り下げ式の蛍光灯だ。液晶のテレビを除けば、昭和の香りが漂う室内だった。奈緒は透明な体のまま、部屋の隅で膝を抱えていた。
「ホントにいたよ。どうやってここに来たんだ」
ドア口から部屋を覗き込んだ貴斗が、目を丸くして呟く。
「さ、どうぞ。狭い部屋ですが」
北村に続いて伸也たちも家に上がった。奈緒の元へ歩み寄る。
「奈緒さん、急にいなくなって、みんな心配していたんだ。どうしてあのマンションから消えたのさ」
奈緒は何か言いたそうに少しだけ口を開いたが、不安げな目をするだけで、声にならなかった。麻衣子が奈緒の隣に座った。
「落ち着いて、心配することはないわ。喋りたくないようなことがあるなら無理に喋らなくてもいい」
「馬鹿野郎、俺たちの生き死にがかかってるんだぜ。必要な情報は残らず話せって」
二人を見下ろしながらぞんざいに話す貴斗を、麻衣子が睨み付ける。
「彼女は気が動転しているんだから、焦らすような物言いは止めてちょうだい」
「わかったよ」
むくれ顔の貴斗が、色あせてくすんだクリーム色の壁に寄りかかった。
「ごめんなさい。あまりにいろいろなことが起こりすぎて、何から喋ったらいいかわからなくなって」
奈緒がささやくように呟いた。伸也は奈緒の前に座った。
「大丈夫。ゆっくりと、マンションにいた時のことから話してくれないか」
奈緒はわずかに頷いた。
「あのとき、あたしは喉が渇いて水が飲みたくなって、流しまで行ったの。そうしたら、急に声が聞こえてきたんです。
こっちへ来なさいと言っていた。
最初、部屋の中に起きてる人がいるんじゃないかと思って、あたりを見回したけど、みんな寝ているし。誰なんだろうって思っていると、こっちへ来なさいとまた聞こえてきたんです。
それで気づいたの。耳からじゃなくて、体の内側から響いてきたって。内蔵の奥の方というか。
それで内臓の中を意識したら、光が出てきているのに気づいたんです」
「内臓が光ってるの?」
「ううん」奈緒は首を振った「そうじゃなくて、イメージなの。鳩尾の奥のところから、泉から水が湧き出るみたいに、光があふれ出てくるの。声はそこから出ていた。
それを意識していたら、光の泉が広がって、体も外も、全部光になっていったの。
なんだか、濁流に呑み込まれてるみたいだった。上下左右の間隔とか無くなって、ただ流れの中で、ぐるぐる動かされるっていうか。
それで気づいたらここにいたんです」
「なんだかSFみたいな話ね。で、奈緒さんは、北村さんと面識があったの?」
奈緒はゆっくり首を振った「知りません」
「その点についてはわたくしがお答えしましょう」風呂場で血に汚れた服を着替えてきた北村が、真剣な目をして会話に入ってきた「すべては玄のご指示によるものです」
「また玄かよ」
「いやいや、本当なんですから。わたくしと奈緒さん、宮本先生、それと、貴之さん」
「貴斗だよ。人の名前ぐらい、ちゃんと覚えてろ」
「すいませんすいません。この四人が玄に選ばれし者なんです」
「あたしは除け者ってわけ?」
麻衣子がむっとした顔になる。
「はい、残念ながら」
「残念なんだかよくわかんないけど、まあいいや」
「で、仮に玄の指示で俺たちが集まったとして、北村さんはどうしてそんな風に思ったんですか」
「玄様がわたくしに話しかけてきたのは、先週の木曜日でした。その頃、正式に会社を退職しまして、今後どういう風に生活をしていこうか、悩んでおりました。そんなとき、このウルトラマンが、わたくしに語りかけてきたのです。
きみちゃんよ。心配するでないと。あ、きみちゃんて言うのは、わたくしのあだ名でして、北村公威がわたくしのフルネームになりますんで」
「きみちゃんだなんて、ずいぶんフレンドリーね」
「そうなんですよ。きっとびびるわたくしを落ち着かせようとしているんじゃないかと思うんです」
麻衣子の冷ややかな視線にも気づかず、北村は生真面目に同意した。
「世界に悪が蔓延し始めている。きみちゃんは、仲間と一緒に悪を打破しなければならないと言ったんです」
「で、その悪が辻田さんなんだな」
「貴斗さんのおっしゃる辻田さんの特徴が事実でしたら、その通りでございます」
「でも、実際その玄ていうのに会わないと信じられないよ」
「承知しました。わたくし、これから玄様をお呼びいたします」
北村はリュックサックのチャックを開け、手を突っ込んだ。
「またウルトラマンかよ」
貴斗が半笑いで呟く。
「正確には『帰ってきたウルトラマン』でございます」
北村は取り出したウルトラマンのソフビ人形を、胸の前で、大切そうに両手で包み込むようにして持ち上げた。
「玄様玄様、わたくしどもにその存在をお示しください」
目を閉じ、眉間に皺を寄せて祈る北村の前に、胡散臭げに見ていた伸也たちも、ひょっとしたらと思い真剣味を帯びためで見つめた。緊張感が漂い、沈黙が支配する。
不意に北村は目を開けた。何を言うのかと固唾をのんでいると、
「なんにも返事がありませんねえ」
全員どっと拍子抜けする。
「何だよそれ、妙に期待させやがって」
「いや申し訳ありません」
恐縮していた北村だが、不意に真顔に戻る「あ、来たかもしれません」
「どこに?」
伸也は周囲を見回した。
「ここです」北村は自らの鳩尾を指差した「体の内側です」
そう言われて、伸也は自らの体の内側がいつのまにか熱を帯びているのに気づいた。
鳩尾の奥、背中に近い場所。熱はそこから出ていた。
「おい……感じるか」
伸也の問いかけに、貴斗は頷く。
「確かに腹の中が変な感じだよ。どうなっちまってんだ」
「ああ……来てます来てます」
「また来てる」
北村はウルトラマンのソフビ人形を抱きしめながら天井を見上げ、うわごとのように呟いていた。奈緒は怯えた表情で、悪寒でも感じるかのように、両腕で自分を抱きしめるようにして、体を震わせていた。麻衣子だけは何も感じないのか、きょとんとした顔をしている。
熱が発する場所を意識していると、そこから光が発しているように思えてきた。これはさっき奈緒が言っていた感覚なんだろうか。
光は急速に大きくなっていく。
北村の体が縮まったように見えたかと思うと、まるで何かに吸い込まれるようにして、空間の一点の中へ消えていった。
「ねえねえ、北村さん、どこ行っちゃったのよ」
麻衣子が興奮してまくし立てる声を、伸也は上の空で聞いていた。
「ひゃっ、奈緒も消えちゃったよ」
麻衣子の声だけが聞こえていた。伸也にはアパートの様子が見えなくなっていた。周囲には光が渦を作るようにうごめき、満ちあふれていた。
光の濃度が増していく。
世界が、縮んでいく。
そう思った瞬間、目の前が、真っ暗になった。
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