第一部 ゴースト 14
神奈川県警からの連絡を受け、竹井と浅川は根岸森林公園近くの住宅へ向かっていた。浅いの運転するセダンは、公園の駐車場の前を過ぎ、左折して住宅街を進んだ。
「あ、ここですね」
前方で黄色の規制線が道を塞ぎ、若い制服姿の警察官が立っていた。
「新宿署の浅川と竹井です」
運転席の前に立った警官に、浅川が警察手帳を見せた。警官が敬礼をする。
「ご苦労様です。お待ちしておりました。前に進んでください」
警官が規制線を外し、浅川はセダンを前に進め、前方にある警察車両の後ろへ停めた。
「この家か」
竹井はコンクリート打ちっぱなしの壁をした、モダンな作りの三階建ての建物を見上げた。玄関にいる制服の警官に警察手帳を見せて、責任者を呼び出してもらった。奥から、私服姿の五十代とおぼしき白髪の男が現れる。
「竹井警部補、ご苦労様です。山の手署の太田と申します。奥へどうぞ」
竹井たちは制服の警官から渡されたシューズカバーを付けて、家に上がった。
「ここは元町でレストランを経営していた人が所有していてたんですが、借金をこさえて取られましてね、半年前にグロウ関係者の名義に変わっていました。犯行現場を見てみましょうか、この部屋です」
太田がドアを開けた。
「うわっ」
浅川が顔をしかめながら鼻を押さえた。
金臭さと生臭さが入り交じった空気が部屋からあふれ出てきた。中を覗き込むと、赤黒くなった血が、床一面を満たしている。壁にも飛び散った血が付いた後がいくつも付着していた。
「今は仏さんを運び出した後ですから、まだましですよ。当初はこの中に、早川さんの死体と、二つにちぎれた死体が散乱していたんですから」
竹井はわずかに顔をしかめながら振り向き、太田を見た「宮本の所持品はどこにありましたか」
「二階の部屋です。財布から現金はなくなっていましたが、運転免許証はそのままでしたので、警視庁に問い合わせたら新宿署の件に行き着いたわけです」
「宮本の行方について、目星は付いているんですか」
「今のところは不明です。ただ、廊下にはいくつもの血が付いた足跡が残されていました。そのうち一つに、キッチンへ続いている足跡がありました」
太田は廊下の奥へ進み、右手のドアを開けた。白を基調とした広々とした部屋で、左手にカウンターキッチン、右手には木製のテーブルが置いてある。薄い木目のフローリングの上に、テーブルへ向かって血の足跡がいくつも付いていた。テーブルの上にも盛大に血が付着している。
「キッチンには血に濡れた着衣が三着残されていました。二着は男物、もう一着は女物です。そのうち男物二着には、拓真や早川さん以外の血液が付着していることが確認されました」
「キッチンへ向かった三人のうち、二人は怪我をしていたということですか」
「その可能性が高いでしょう。男物の一着は上着が刃物で切断されていました。恐らく、一人は上半身に重傷を負っていて、そのままでは服を脱げなかったようです。切断されていない方の男物の服ですが、右腿にナイフで貫通された跡があり、そこを中心に血が広がっていました。宮本さんのお母さんに確認したところ、息子が最近よく着ていた物に似ているとのことでした」
「男性の一人が宮本さんだととすると、女性は栗山さんでしょうか」
「その可能性が高いと考えています」
「彼らは再びグロウの関係者に連れ去られたのでしょうか」
「なんとも言えません。いくつかある足跡は殺害現場から、そのまま玄関へ向かっています。玄関には血の付いた指紋がいくつもベタベタ付いていまして、鑑識では今のところ六人分ではないかと見ています。データベースと照合した結果、二人は拓真グループのメンバーであることが判明しました。指紋の状況からして、かなり慌てて出て行ったようです。対立するグループの襲撃を受けた可能性が高いと思っています」
「しかし、殺し合いにまで発展するほど大きく対立するグループというのは我々も把握していない」
「グロウは透明症患者をシノギの対象にしていて、他のヤクザや半グレと利害が対立しにくいですからね」
「あるいは内部対立か。いずれにしても、逃げた連中から話を聞かないと、なんとも言えません」
「三人は裸でこの家から逃げていったのでしょうか」
「恐らくは。拉致された二人は透明症ですし、もう一人も透明症である可能性が高い。血のついた足跡には、裸足が混じっていましたから」
「夜に紛れて出て行ったと。だとすると、誰か協力者が必要になりますね。長時間あの寒さで歩き続けるのは不可能ですし」
「その通りです。現在、署員を動員して周辺を捜索しているところです」
「ところで、大平拓真の死因は特定されているんでしょうか」
「それも全くわからないんです。強力な爆発物を抱えて爆発させればあんな風になるかもしれませんが、室内で爆発したような形跡はありませんし」
竹井は新たな情報を入手したら、警視庁へ転送してもらうよう依頼して現場を出た。セダンへ戻り、上司へ連絡を入れた。
新宿署爆破事件の捜査本部が置かれているのは警視庁本庁だ。新宿署は被害が及ばなかった場所を含めて大規模な捜索が行われており、移管できる機能はすべて本庁舎へ移っていた。
この爆発で、五名が死亡し、重軽傷者は十名となっていた。爆発場所は生安課の隣にあった取調室で、薬物使用者と思われる男の聴取を行っていた。身体検査を行ったにも関わらず、爆薬が署内へ持ち込まれたのは、爆薬が男の体内へ仕込まれていたと考えられている。現場から採取した残骸や肉片を分析しているが、まだ爆薬の成分は発見されていなかった。同時に男の身辺が調査され、薬物提供者にグロウの関係者が浮かび上がった。
グロウが新宿署を襲った理由は判明していない。特定の人物を狙ったのであれば、対象の人物が外にいる時に襲った方が確実だ。考えられるとすれば、当時新宿署に保管されていた伸也から借りていたSDカードぐらいなものだった。捜査本部内では、SDカード程度でここまで大それたまねをするものかという意見もあるが、いずれにしても警察に対する挑戦であることは間違いないだろう。
現在、検察庁で把握しているグロウのメンバーを片っ端から当たっているが、リーダーの辻田を始め、幹部連中は全員行方をくらませていた。疑惑に対し潔白であれば、自ら進んで警察と連絡を取るだろう。この事実により、グロウに対する疑念がより深まっていた。現在捜査本部では、グロウが犯行に関与していることが、ほぼ既定事実として動いている。
竹井は事件の鍵を握るかもしれないSDカードの意味や出所を、調査するよう命ぜられていた。
「宮本の恋人である山野麻衣子の行方について情報が入った。彼女は今日の深夜二時に都内のレンタカー業者から車を一台借りている。返却は午前七時。運転距離は百二十キロ」「ちょうど横浜と東京を往復した距離ですね」
「しかもレンタカーの後部座席には、血が付着していた。不審に思った業者が所轄へ連絡してきたんだ。今、署員が車両を確保しに向かっている」
「レンタカーを返却した後、山野がどこへ行ったか業者は知っていますか」
「それなんだが、店の前ボルボが停まっていたそうだ。彼女がそれに乗り込んだかまでは確認していないが、朝の七時にあんな車が止まっているのも珍しいから覚えていたそうだ。電話会社へは山野の携帯電話の情報を請求しているところだ」
「承知しました」
竹井は電話を切り、浅川にレンタカーの件を話した。
「それじゃあ太田さんに話した方がいいですかね。彼らも宮本の行方を捜していますし」「やめとけ」腰を浮かしかけた浅川に、竹井が投げやりに言い放つ。「本部が必要と判断したら、あいつらにも情報を渡すだろう。俺たちがしゃしゃり出る必要はない」
「わかりました」
そう言ったものの、浅川は少し不満げな顔をしていた。
「山野の知り合いで、ボルボに乗っている人間はどんな奴だと思う?」
「さあ。ちょっと想像も付きませんが」
「ボルボに乗れるほど金を持っている人物だと、DROPのオーナーじゃないか。これからへ新宿のDROPへ行ってくれ。オーナーから話を聞く」
「承知しました」
浅川はセダンのエンジンを掛け、切り返して規制線を抜けた。




