1.真っ赤な結婚式
ロゼッタはふと、辺りが騒がしい事に気が付いた。
どうしたのだろうか、と辺りを見渡せば、恐怖の表情を浮かべた人達がこちらを見ながら何か叫んでいる。
見知らぬ男性は血の気の引いた顔で怒鳴り声を上げ、見知らぬ女性は怯えた顔で泣いていた。
「くっ……。お、お前……!!」
夢から覚めたばかりの時のようなぼんやりとした頭が、唐突に降ってきた憎しみの篭った声によってクリアになった。
その声が聞こえてきた方を見上げてみれば、随分と高い所にその顔がある。
美しい光が差すステンドグラスを背後にし、こちらを見下げる男の顔は良く見えないが、その雰囲気と漏れ聞こえる呻き声から苦痛に耐えているようだ。
そのまま男の身体へと視線を移せば、立派なトゲを持つ茨が蛇のようにぐるりと全身に巻き付いている状態。
その茨のトゲは服を貫通し、肌まで届いているようで、上等そうな真っ白な服が痛々しく赤く染まっている。
そのまま地面へ視線を落とせば、大輪の真っ赤な薔薇のようにドレスがふわりと広がっている事に気付いた。そのドレスの様子から、自身が地面にぺたりと座り込んでいる事が分かる。
(どうしてこの人はこんなに怒っているの?………あ。この声は、私の婚約者のエドガー様だわ。それにしても、どうしてこんな所で私は座っているの?それにこんなドレス持っていたかしら?)
ロゼッタが立ち上がろうと身体に力を込めても、ぴくりとも動かない。腕にも足にも身体にも茨が巻き付き、その場に縫い止められている状態であるからだ。
身に起こっている事に気が付くと、痛みが全身にある事をようやく自覚した。柔らかな肌に食い込んだトゲは深く深く刺さり、少しでも身動ぎをする度により一層突き刺さる。
全身を刺す茨の痛みに顔を歪めながら、数歩離れた先にいるエドガーを再び見上げる。相変わらずその表情はよく見えないが、こちらに向ける憎しみと怒りだけは明確に伝わってきた。
「くそっ……!早く俺を助け出せ!!」
「はっ!すぐにお助け致します!」
エドガーは悪態を吐きながら、駆け寄ってきた騎士達を怒鳴りつけた。
騎士の一人は大きな剣で周りの茨を断ち切り、もう一人は小さなナイフを取り出し身体に絡み付いた茨を取り除いてゆく。
あらかた茨を取り除くと、エドガーはようやく身動きが取れるようになった。
残りの茨を力任せに無理やり引きちぎりながら、火の魔術で次々に焼いてゆく。エドガー自身の肌が傷付く事も厭わないようであった。
ロゼッタは騎士が来た事に安堵していた。どういった事態が起こっているのか分からなかったが、騎士がいるのならばきっとすぐに解決するだろう。
(騎士様が来てくださったのなら安心ね。私の茨も早く取り除いてくれるといいのだけれど)
エドガーがすっかり自由の身になった時、ロゼッタを指差しながら厳しい口調で騎士達に命令を下した。
「この者を捕らえよ!我が一族に対する、いや、ここに集まった全ての貴族への反逆だ!然るべき場所で裁きを受けてもらう!!」
「「はっ!」」
「私が、反逆……?」
聞こえてきた身に覚えのないその言葉に、こてんと小首を傾げた。反逆したと言われても、そのような事をした記憶はないしそのつもりもない。
(そういえば、私どうしてこんな所にいるのかしら?ここって礼拝堂よね?…………思い出した。私、今日ここでエドガー様と結婚式をするのだわ)
しかし、自身が身に纏っているのは、どう見てもウェディングドレスには見えない代物だ。
血のように真っ赤なドレスは、ロゼッタの絹のように滑らかな白い肌を美しく際立たせていたが、ウェディングドレスとはとても呼べない。
香り高い薔薇が所狭しと飾られているが、それもドレスと同様に赤だ。血が滴るような鮮やかなその色は、まったくもって清純な婚礼の場に相応しくない。
ロゼッタが自身に意識を向けていると、エドガーの命令によって騎士達が厳しい顔つきで向かって来た。鈍く光る切っ先はこちらに狙いをつけている。
目の前の苛烈な敵意に逃げ出したかったが、真っ赤なドレスに埋もれるようにして座り込んだまま動けない。茨がロゼッタをその場に縛り付けているからだ。
「待ってください!私が何をしたと言うのでしょうか?反逆の意図などありはしません!エドガー様!今は混乱しているからか、この事態をよく飲み込めていません。これは一体どういう事なのでしょうか?」
ロゼッタは必死に訴えたが、騎士達は冷たい目をしたままこちらへ向かう足は止まらない。
一体どうしたら、と思案するように下げた目線の先に、コツコツと固い足音を立てながら黒い軍靴が現れる。
恐る恐る見上げれば、騎士達の冷酷なまでに鋭い眼差しがロゼッタを射抜いた。
「っ……!私の婚約者はそちらにいらっしゃる方です。エドガー様!どうか、彼らに私の話を聞くように――」
「お前は、自分のしでかした事が分からないのか!」
「……エドガー様?」
エドガーは傷だらけの身体で、ゆらりゆらりとこちらに向かって歩いて来た。その目に宿る強い憎しみにロゼッタは身を竦ませた。
目の前までやって来ると、エドガーはロゼッタと目線を合わせるように片膝をつく。
「お前は本当に分かっていないのか?」
血に染まった手袋をした手で、ロゼッタの頬をそっと撫でた。そのままするりとロゼッタの髪の毛を一束手に取ると、力任せに思いきり引っ張り上げた。
「ぅあっ!」
「この魔女め!この場の全てをお前がやったんだ!」
髪を掴まれたまま、無理やり参列席側へと頭を向けさせられた。
そこに広がるのは阿鼻叫喚の地獄絵図。茨は意思を持ったように動き回って参列者を襲い、並べられた椅子やフラワースタンドを引き倒してゆく。
(これを、私が?)
ロゼッタにそんな事を出来るはずがない。植物の成長を促す事は出来ても、生き物のように自在に操る事など出来る訳がないのだ。
「っ……!何かの誤解ではありませんか?私に茨を好きなように動かす力はありません!それに私の意思で動かしているのなら、私自身の茨の戒めを真っ先に解くでしょう」
「黙れ!呪われた魔女め、まだその口を開くか!お前のせいでないと言うのなら、この髪の毛は一体何だというのだ!!」
「……痛っ!」
エドガーは力任せに引っ張ったロゼッタの髪の毛を、見せ付けるかのように目の前に突き出す。
ロゼッタはさらりと揺れる自身の髪を、驚愕の表情で見つめた。
「………え?これが私の髪なの?」
無意識にその髪を手に取ろうとしたが、それは身体に絡み付いた茨によって叶わなかった。僅かに動かした腕には先ほどより深くトゲが突き刺さる。
「そうだ。これがお前の、呪われた魔女の髪だ!まさかこんな事になるなんてな!!」
ロゼッタは髪を掴まれている痛みも、茨が身体を突き刺さす痛みも今は何も感じなかった。
大好きだった祖母と良く似た、自慢の白銀の真っ直ぐな髪。綺麗ね、と祖母はいつも優しく髪を梳いてくれた。
しかし、今目の前にあるのは、まるで鮮血のような艶やかな真紅色の髪。
ロゼッタが黙った事に苛立ったのか、エドガーが真紅の髪を一際力強く引っ張れば、プチプチと髪が抜ける音と頭皮が引き攣れたような感覚に、ロゼッタの意識は現実に引き戻される。
白薔薇と謳われた白銀の髪に今はその影は無く、ただただ鮮やかな真紅色に染まっている。信じたくないその事実に、ロゼッタの体温は一気に下がった。
「………なんで?どうして私の髪がこのような事になっているの?ゃ…………。嫌っ……!!!」
激しく揺れた感情に呼応するかのように、茨がロゼッタを取り囲み、繭に閉じ込めるようにしゅるりと包み込んでゆく。
そんなロゼッタを忌々しげに睨んだエドガーは、騎士達に向かって声を張り上げた。
「呪われた魔女を逃すな!この際、魔女を切っても構わない!あの茨の檻から引き摺り出せ!!」
「し、しかし、このままでは我々も危険です!一度退避しましょう!」
「煩い!口答えをするな!この場で一番偉いのは誰だ?立場を弁えろ!!」
騎士達はどこか怯えたような顔で、鈍く光る刃をロゼッタに向かって振り上げた。しかし、その凶刃がロゼッタに振り下ろされる前に、茨が剣に絡み付き動きを封じる。
「うわああぁ!!」
「離せ!離せ!!この魔女め!」
「何をやっている!ちっ、役立たずめ…!」
舌打ちをしたエドガーが帯剣してる煌びやかな宝剣に手を伸ばすと、その剣を真っ直ぐにロゼッタへと向けた。
淡い金色の刃には、色鮮やかなステンドグラスの光が落ちる。
無言で振り下ろしたその刃はロゼッタに届くことはなく、茨のムチによって弾き飛ばされた。その茨はエドガーの右頬をえぐったようで、一筋の赤い傷が浮かび上がった。
「俺の顔に傷を付けたな……!この魔女め!呪われた魔女を国中の貴族達が、いや。この国の王も決して許しはしないだろう!!」
ロゼッタはそんな恨み言をどこかぼんやりとした頭で聞きながら、真っ暗な茨の繭に飲み込まれていった。
その暗がりの中、ロゼッタは頬に流れる涙に気が付いた。一体いつから泣いていたのだろうか。
(泣いたのなんていつぶりかしら……)
薄っすらと聞こえてくる喧騒を子守唄に、ロゼッタは静かに意識を手放した。