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イザナと氷の壁  作者: 秋長豊
4/21

暖炉の男の子<4>

イッチは扉の前に駆け寄って、開けようとノブに触れました。

「あっつぃ!」

「鍵はどこだ」

 トウヤンはむっと不機嫌になって尋ねました。トンツクはチラリとトウヤンの腰にある刀を見て、言おうとした言葉をのみ込みました。トウヤンは目ざとくトンツクのポケットが膨らんでいるのを見つけると、ひょいと近付いて中から鍵を奪い取りました。

「返せ! それはっ」

 トウヤンは追い掛けてくるトンツクをよけると、扉に鍵を差し込みました。

 ドアを開けると、目も乾く熱気が3人をのみ込みました。さぁ、こうなったらもう何も隠し通すことができません。トンツクはガクリと膝をついて、この世の終わりとばかりに頭を抱えました。一方で、トウヤンとイッチは目の前の子どもに目を奪われていました。

「男の子?」

 トウヤンは間の抜けた声で言いました。

「なんてひどい。鎖でつないでおくなんて」とイッチ。

「私はただ……」トンツクは続けました。「なにも知らなかった。そう、なにも知らなかった! この子が火の器だなんて」

「熱くないのか? ずっとこんな部屋にいて。普通なら焼け死んじまう」

「自分で熱を生み出せるのです」

「この子に暖炉の代わりをさせてたんだな」

 トンツクはうなだれました。

「そ、それじゃあ、暖炉の話は――」イッチは顔をしかめました。「私にうそをついていたんですね? いい暖炉のおかげで家中暖かいのではなく、この子1人に暖炉の代わりをさせていたと。鎖でつないで、逃げられないようにして。なんてひどい。人のすることではありません。私にいい暖炉を売りつけたのも、自分の金儲けのためだったんですね!」

「お二人さん、今はけんかしてる場合じゃない。この子の解放が優先だ。鎖を解く鍵をくれ」

「扉の鍵と同じだ」と、トンツクは小さな声で言いました。

 トウヤンは男の子に近づいて、鎖を外そうとしました。ところが、男の子はトウヤンが前に進むたびに後ろへ下がり、部屋の隅に身を寄せ、鋭くにらみつけました。

「大丈夫」

 トウヤンはしゃがみ込んで優しく言いました。

「俺はトウヤン。あんたは?」

 男の子は返事をしません。

「そうか。そうだよな……話したくないよな。ずっとこんな所に閉じ込められてきたんだ。怖いよな――一緒にここを出よう。あんたを暖炉みたいに使ったりするやつの元に、いなくていい。自由だ」

 トウヤンは手を広げました。男の子は背を向け、チラリと何度か振り返りました。

「鎖、外してやる。少し、おとなしくしてろよ」

 なるべく男の子を刺激しないように、トウヤンはゆっくりと近づき、ついに鎖を外しました。軽くなった自分の手に驚いたのか、男の子は目を大きく開いて手をグーにしたりパーにしたりしていました。

「一つ、聞かせてくれ。いったい、どこでこの子を見つけたんだ。まさか、あんたの子どもでもあるまいし」

「落ちていたんだ。雪原に」

「落ちてた?」

「その子に名前はない。10年前のことだ。雪原の雪が溶けた真ん中に、この子が落ちているのを見つけた。その時に気付いたんだ。この子は不思議な力を持っていると。それで……」

「暖炉にしようと思いついたわけか」

 トウヤンの言葉にトンツクはしぼみました。

「正直言って、あんたに子どもを育てる資格なんてない。育てるなら、他にもっと方法があっただろ。いくらでも。どうしてこの方法を選んだ?」

 これ以上、なにを言っても過去は変えられません。トウヤンはため息を漏らすと、男の子に向き直りました。おかしなことに、男の子はじっとトウヤンが持った小袋を見ていました。

「やっぱり、これが気になるのか。ひょっとして、石の存在に気付いて壁をたたいていたのか」トウヤンは大したものだと感心しました。「教えてくれたんだな」

 少し気を許した瞬間でした。男の子はトウヤンに襲い掛かると、小袋をふんだくり、風を切って外へ逃げて行きました。

「やられた!」

 トウヤンは刀を抜かず、後を追い掛けて階段を駆け上がりました。あの石は少し触れただけで指が焦げ、体が吹き飛ぶほど危険な力を持っています。男の子が触れたらどうなるのか、考えたくもありませんでした。1階に出た瞬間、開けっ放しになった玄関の前に、男の子が立ち止まっていました。外に逃げようとして、踏みとどまっているように見えます。男の子は目の前に広がる白い世界に目を奪われていました。

「俺と話をしよう。ちゃんと全部説明する」

 後ろから声を掛けると、男の子ははっとしておびえた目を向けました。

「だから――」

 トウヤンがそっと伸ばした手を、男の子は反射的に振り払いました。パシンと当たった衝撃と熱でトウヤンはひるみました。ただ触れただけなのに、沸騰したヤカンに殴られたような熱さと痛みだったのです。さすがのトウヤンも笑顔ではいられません。しかし、ふと顔を上げた時に見た男の子は、ものすごく悲しい目をしていました。言葉を掛けてやる前に、男の子は外へ逃げ出していました。

 トウヤンはゆっくり立ち上がると拳を握りしめました。

「ずっと閉じ込めてたのか」

 怒りを感じ取っておびえているのか、トンツクは小さくうなずくばかりでした。トウヤンはドンと彼を壁に押し付けるとひどく熱っぽい目を向けました。

「どうか許してください。どうか!」

「そんなに俺が怖いか」トウヤンは声を震わせました。「あの子は……この何倍も怖い思いをしてきたんだ。目を見れば分かる。力でねじ伏せようとする者への恐怖。あんたがしたことが、どれだけあの子を傷つけてきたか分からないだろうな」

「許してください」

 トウヤンはパッとトンツクから離れると玄関をくぐりました。

「俺じゃない。あの子に言うんだ」

 そう言ってトウヤンは外へ飛び出しました。

 男の子はそう遠くまで行っていないはずです。トウヤンは、トンツクの家を出てすぐにくっきりと残った小さな足跡を追い掛けました。夜は特に冷え込みます。いくら熱を生み出せる体質とはいえ、長時間慣れない外にいれば体調を崩すかもしれません。それに、火の器も、火の石もここで失ったら全てが終わりです。トウヤンはわずかに雲を透けて見える月の光を頼りに歩きました。

 足跡は深い森の中に続いていました。横殴りに吹きすさぶ風の音が、森へ立ち入る者を拒んでいるようです。トンツクの家に外套を置いてきたことを後悔しました。寒さとの戦いでは、刀なんぞなんの役にも立ちません。でも、なにより先に男の子を捜し出さなければ、という思いがトウヤンを前に進めました。

「おーい」

 腹の底から叫びました。何回かそうするうちに、男の子には呼ばれる名前がないのだと思い、またむなしい気持ちにさせられました。ですが、同時にあの男に名前を付けられなかったのはよかったのかもしれない、とも思いました。子どもを物のように使う男のことです、きっと「暖炉」とか「俺様専用の火」なんて付けたに違いありません。

 やがて森が開け雪原に出ました。ちょうど頭上の雲が晴れ、雪原の真ん中で横たわる男の子を照らしました。彼の回りだけ雪が解け、地肌が見えていました。トウヤンは背中を向けた男の子の前に立ち、ほっと安心してのぞき込みました。さぞ怖くて泣いているのだろう、なんて思ったのはとんだ勘違いでした。男の子はほほ笑んでいたのです。火の石をギュッと抱き締め、母親の腕の中で安心して眠る子どものように、目を閉じていました。人を吹き飛ばし、やけどまでさせた恐ろしい石だったので、トウヤンはあっけにとられて頭をかきました。

「大したやつだな、あんたは」

 トウヤンはかがみました。男の子はパッと飛び起きて大急ぎで木の陰に隠れました。とはいえ、癖のついた赤色の髪がひょっこり半分見えています。妙におかしく思えたので、トウヤンは噴き出しました。腹を抱えて長いこと笑っていると、陰から男の子が片方だけ臆病な目をのぞかせました。

 トウヤンは木から少し離れた場所であぐらをかきました。

「あんたが出てくるまで俺は帰らないからな。そもそも火の石を返してもらわないと、あのじいさんに怒られちまう」

 返事のない男の子にトウヤンは話し続けました。どうして自分がここに来たのか、火の石や器とはなにか、どうして超氷河期になったのか、そのほかの石のこと、なにより大人が子どもにあんなことをするのは「ありえない」ということも。

 話し過ぎて肺が凍り付きそうになっていると、突然強い風が木々を揺らしました。ギシギシ、ミシミシ、不気味な音です。顔を出していた月も隠れ、辺りは身もすくもような夜の闇に包まれました。トウヤンは危険な気配を肌身で感じ取り、すっくと立ち上がりました。妙な胸騒ぎと言いましょうか、とにかく誰かに見られているような気味の悪さです。

「行こう」

 トウヤンは手を差し出しました。男の子は大きな手を今にもかみつきそうな目で見ると一歩後ろに下がりました。

「握手」

 トウヤンはそう言ってにっこり笑いました。ずっとトゲトゲしていた男の子は、笑顔を見ているうちにビクビクするのをやめました。

「手を出すんだ。大丈夫、手袋してるから熱くない」

 男の子は急に沈んだ顔になると、おそるおそる小さな手を伸ばしました。トウヤンはどんなに時間がかかろうと焦らせませんでした。男の子の気が向くまで、手を差し出して、いずれくるその時を気長に待ち続けたのです。男の子の小さく熱い手がトウヤンの指先にちょこんと触れました。

「よくできたな、偉いぞ!」

 トウヤンは男の子の手を優しく握り返しました。こんなふうにされるのも、言われるのも初めての経験だったのでしょう。男の子は殴られもせず、鞭で打たれることもないことに驚き、間の抜けた顔になっていました。でも、ただそれだけのことです。今の男の子にとって、トウヤンは自分をいじめてこない人間で、好きでも嫌いでもない存在でした。

「名前、なかったんだな」

 男の子はまただんまりを決め込みました。トウヤンはうーんと首をひねらせ、顎に手を当てて考え込みました。あれこれ名前が浮かんでは消え、ついにある一つの名前が頭の中に浮かびました。

「イザナ。どう? ほら、名前だよ。あんたの」

 あながち嫌ではないのか、男の子は表情を変えませんでした。

「決まりだな」

 トウヤンが歩きだすと、遅れてイザナも小さな歩幅でついてきました。言葉を発することはありませんでしたが、トウヤンについて行けば、もう暖炉にされることもないと知ったのでしょう。もう攻撃的な空気は感じませんでした。

 2人が森を抜けて村に戻ると、トンツクが上着も着ないで待っていました。彼の姿を見た途端、イザナはトウヤンの後ろに隠れて出てこようとしませんでした。トウヤンは一度立ち止まり、イザナに優しく言いました。

「いいか? イザナ。あんたは今、あの男に許してほしいと言われるだろう。涙を流されるかもしれない。もしくは、いろんな優しい言葉で引き止められるかもしれない。……でも、あんた自身が決めることだ。今までされてきたことをよーく考えろ。許せるのか。大事なのはそこだ。恐怖で言いなりになるのは許しじゃない。支配だ。従順になることと、素直になることは違う。あんたとあの男は対等だ。だから、今、ここで素直にならないといけない」

 トウヤンはほほ笑みました。

「嫌なら嫌と言え。自分の心にうそをつくな」

「どうか許してくれ」

 情けない声が聞こえました。どうやらトウヤンに言っているのではなく、イザナに言っているようです。正直なところ、トウヤンは腹立たしくもありました。ずっと閉じ込めておいて、偶然見つかったから今さら許しをこうなんて、身の保身に走っているようにしか見えなかったからです。

「どうしたい」

 トウヤンはイザナに振り返って尋ねました。ビクビクしながらトンツクとトウヤンを見比べた後、イザナは必死に首を横に振りました。トウヤンはニカッと笑顔になりました。

「許してくれないとさ! もう、あんたの顔も見たくないって」

 おえつを漏らして雪の上に1人たたずむトンツクを置いて、トウヤンはイザナと宿に戻りました。イザナにとって外の世界は目に入れるもの全てが新鮮なようで、さっきからいろんなものを手にとっては興味津々にいじくりまわしていました。部屋にあった鏡に目が留まったのか、自分の顔を不思議そうに見つめていました。

「そういえばイザナ、さっきから部屋の中にいるのにちっとも熱くない。もしかして、自分で制御できるのか」

 トウヤンがベッドから興奮して飛び起きると、イザナはびっくりして身をすくめました。火の石のことですが、今は小袋に戻してイザナの首にかけてあります。なにより彼が持っていた方がいいと思ったからです。

「ほら、手を出してごらんよ」

 わけも分からず差し出した手をトウヤンは握りました。不思議なことに、さっきやけどをするほど熱かった手は、普通の人より少し高いくらいでした。言葉では説明がつきませんが、トウヤンは彼自身がそうしたのだろうと思い感心しました。

 ここで一つ気になったことがあります。トウヤンはボロボロになった着物、手入れのされていない髪、すすけた頰を見て、あることを思いつきました。トウヤンは宿にある浴室にイザナを連れて行き、一通りきれいさっぱり洗い流しました。伸び放題の髪は腰丈まであったので、痛んだ部分をはさみで切り、乾かした後で一つに束ねました。子ども用の着物は後で買うことにして、今は自分のを小さく調整して着させました。随分と気に入ったのか、イザナは部屋に戻ってから鏡の前で自分の姿を見ていました。

「明日にはここを出る。だから今夜は気が済むまでゆっくり寝ておけ。ベッドは好きに使っていいからさ」

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