暖炉の男の子<3>
顔を洗ったり、体を拭いたり、身支度を済ませてから宿を出ました。小さなお店で朝食を済ませ、さてと、昨日の続きを考えなければならないと、小袋をのぞき込みました。やっぱり、火の石は昨日と同じように強い光を放っています。しばらく村の中を歩いていると、なにやら煙突工事中の家を見上げる1人の男がいました。彼はトンツクの家の隣に住む住人、最初に登場したイッチです。
「煙突でも壊れた?」
そう聞くと、イッチは上機嫌で首を横に振りました。
「とんでもない。今、新しい暖炉を新調中でしてね。隣の大地主様が、私によくしてくださったんですよ。おかげで、すばらしい暖炉に買い替えることができたんですよ。おっと、この話は他の人にはしないでくださいね。お見かけしたところ、あなたは旅人のようですから構いませんが」
「その大地主ってのは随分と人がいいみたいだな」
「トンツクさんは、お優しく、威厳に満ちた、素晴らしい方です。親切にいろんなことを教えてくれる。ほら、ご覧になってください。隣がトンツクさんの家です」
あぁ、そういえば昨日、妙に目に留まった家じゃないか。トウヤンはついでにあの違和感を思い出しました。そこで、こう探りを入れてみることにしました。
「どうしてあの家の周りだけ雪が少ない」
イッチは得意げになってせき払いしました。
「なんでも、1個のまきをくべるだけで普通の3倍は暖かくなる暖炉だそうで。だから家の周りだってなんのその、雪かきいらずというわけです。ふふふ、いずれ私の家だってそうなりますよ」
「そいつはすごい」
「えぇ、それはもう」
「それに商売の才がありそうだ」
イッチは急にきょとんとしました。
「あの方は相当な目利きでして……」
「いくらした」
「500万です」
「はぁ?」
トウヤンはむせ返りました。
「ご、500万って……あんた、だまされてやしないか?」
「一生物ですから。なに、それとも、トンツクさんが詐欺師だとでもおっしゃるのですか」
「いや、だってさ、普通に考えてみろよ。暖炉で500万なんて高すぎる。相場は設置費含めて50万から100万ってとこだ。いくらなんでも高すぎる。大事なことだから2回言ったぞ」
「しかし、まき代の節約を考えればですね……」
「怪しいも怪しい」
「なにを!」
「よぉし、分かった。そのトンツクってお偉い大地主様から直接話を聞こう。俺もちょいと気になることがあってね。物珍しい話は旅の土産になる。俺も世界中歩いてきたから面白い話の一つや二つ、くれてやるさ」
「いいでしょう」イッチは鼻穴から荒く息を吐きました。「確かに、旅人の話は物珍しいですからね。私の方から話しておきます。夕方にもう一度ここへ来てください。ただし! トンツクさんの潔白が証明されたら、謝罪してもらいますからね」
案外すんなり相手の懐に入れたものなので、トウヤンは宿に戻ってから、いい話が聞けるかもしれないと期待しました。大地主ともなれば、村のことはなんでも知っているだろうし、その中に変わった人間がいれば、火の器とも推測がつくはずです。
夕方になると、ちらほら雪が降ってきました。約束の時間まで、たっぷりと昼寝をしたトウヤンは、新雪のじゅうたんを踏みつけて約束の場所まで行きました。
「こっちです」
イッチは手招くとトンツクの家のドアを数回たたきました。すぐにドアが開き、トンツクは例のごとく、顎ひげを真っすぐ立てて、眉間を狭め、フンと力を込めて胸を張りました。
「あぁ、あなたがイッチさんの言っていた旅人の方ですね。ようこそわが村へ。ささぁ、外は寒いですから中へおあがりください」
部屋に入ると、暖炉がチカチカ燃えていました。テーブルの上には、ササでくるんだ根菜類の漬物、豆類、温かいお茶が並びました。トウヤンは自前の小さなたるに入った酒をドンとテーブルの上に載せ、栓を開けて3人分のコップに注ぎました。
「この、黄色のはなんです? 初めて見ますな」
トンツクはまじまじと見て言いました。
「ハチミツ酒だ。200年物のな。ここじゃ言えないくらい高価な代物さ」
「なんと、そんなに高級なものをいいのですか?」
「このくらいはお安い御用さ。なんたって、あんたはすんごい大地主様なんだから」
こうしてにぎやかなお茶会が始まりました。初めて口にするハチミツ酒に、2人は感激した様子で、一口飲んだだけでもう天にも昇るらしく、顔がポッと幸せ色に染まりました。
「ハチはとっくに絶滅したと思ってましたよ」とトンツク。
「あれですかねぇ、尻に針があるっていう……」とイッチ。
「コウ領のカトロって町に、古代バチの養蜂場があるんだ。それがとにかく大きい穴倉でさぁ、一日中ブンブンいってる。そこで採れるハチミツは絶品なんだ。南部の方が甘党が多いって言うしな、そのほとんどをコウ領で独占しちゃってるのさ。ハチミツ戦争って聞いたことある?」
「はぁ、よく分かりませんねぇ」
イッチはぽやーっとしながら言いました。
「ハチミツの独占をなくして、平等に領地へ輸出せよっていうマフ領主のお達しがあって、反対したコウ領主との間でいざこざがあった。それでハチミツ戦争が起こった。ちーっとも甘くない。つまり、俺が言いたいことはただ一つ、食い物の恨みは怖いってことさ。ところで、あんた方はずっとサキ領か」
「生まれた時からずっと」トンツクが渋い声で言いました。「あなたこそ、この村へはどんな用があって? こんな辺鄙な村に来てくれる人なんて……いませんよ」
トウヤンはここで隠し通すべきかと思いましたが、隠したところで2人に知られても困るようなことはありません。ここは、素直に事情を話してみようと思いました。第一、火の石とか器とか言われても、自分でさえピンとくる話ではなかったからです。そこで、トウヤンはウイから聞かされたことを2人に話しました。
超氷河期になった理由、火の器が世界を救うかもしれないということ、自分は名の知れた剣士で、高い金を積まれて火の器を捜しに来たということ……とにかく、それだけのことを手ぶり身ぶりを交えて話しました。
「うちにはいませんよ、そんな変わった子ども」
眉根をぐにゃりと曲げ、トンツクは強い口調で言いました。
「どうして子どもだと分かる?」
トウヤンの言葉にトンツクは表情を固めました。
「俺は一言も器が子どもだなんて言ってないぞ」
「な、なんとなくですよ」トンツクは笑いました。「それより、火の石とやらを見てみたいものです。ねぇ、イッチさんもそう思うでしょう? あなたがここに来るまで導かれてきたという、不思議な石を」
「いいけど、忠告しておこう」
と言いながら、トウヤンは上着をめくり小袋を外しました。
「絶対に素手で触っちゃいけない」
ゴクリと唾をのみ込む音が響きました。
「どうしてで?」
イッチは聞かずにいられませんでした。
「やけどする」
「暖炉の火みたいだ」イッチは光を隠しきれない小袋を見て言いました。
「忘れてた。やけどじゃ済まないな。屋根を突き破ることになる。実体験済みだ」
トウヤンは黒ずんだ指先を2人に見せました。恐怖心を植え付けるには十分な材料で、自分はそうなりたくないと思ったのか、2人はおとなしく首を縦に振りました。
「よぅし、それじゃあ見せてやろう」
テーブルの皿やコップを腕で払い、火の石を置きました。家の外で見たときよりも、はるかに光り輝いて見えます。トウヤンはパッと顔を輝かせるとトンツクを見ました。
「あんたが火の器か」
「勘違いですよ」
「でも、この石は火の器が近づくほど明るく光るんだ。あんたに違いない。さぁ、そうと決まれば俺と一緒に来てくれないか?」
「なにを言うんだね、君は!」
「俺についてくればハチミツ酒なんて毎日飲める。それでも嫌か? でも困った。俺は火の器を連れ帰らないと報酬がもらえないんだ。なぁ、頼むよ。お願い!」
そんな押し問答がしばらく続いた時でした。ドン、ドン、と低い物音が床下から響いたのです。さわいでいた3人は、ピタリと動きを止めて耳を澄ましました。
「キツネでしょう。最近地下の倉庫に紛れ込むんです」
そう言うトンツクを差しおいて、トウヤンは石を袋に持ったまま床にピタリと耳をつけました。不思議なことに、床に近付くほど光が強くなったのです。それに、ドン、ドン、という音がまた聞こえてきました。
「この音は?」
イッチが言いました。
「1人暮らしか?」
「そうです」
トウヤンはすっくと立ち上がりました。
「キツネじゃない」
それじゃあ、地下にいったい何がいるというのでしょう。イッチはわけが分からず2人の顔を交互に見ました。
「なにが言いたいんです」
答える前にトウヤンは走りだしました。地下へ続く階段を下りると、突き当たりに扉が見えました。扉越しに伝わってくる熱気。トウヤンは確信しました。
この向こうに答えがある。
振り返るとぜぇぜぇ息を切らして追い掛けてきたトンツクがいました。イッチは2人を追ってきたものの、どうすればよいか分からずに立ち往生。この状況でもトウヤンはまったく焦らず涼しい顔をしていました。
「奥になにがいる」
もうキツネとも言えなくなったのか、トンツクは返す言葉がありませんでした。
イッチは驚いた顔でトンツクの背中を見ました。およそ察しがついたのでしょう、今さっき火の器について聞かされたわけですから、熱気を帯びる扉の向こうに、人がいるのだと考えが及ぶのは自然なことです。無言を貫くトンツクの前で、今度は扉がドン、ドン、とたたかれました。
「人だ! 中に人がいる!」