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イザナと氷の壁  作者: 秋長豊
2/21

暖炉の男の子<2>

 男の子がいる村から遠ざかり、少し遠くに行ってみましょう。三つの大きな川を越え、七つの山を越え、雪原を進んだ先に立派な山があります。冬の風に吹かれたさみしい尾根を下ると、麓に軒を連ねる三角屋根の建物が見えました。町の中心部には白い楼閣が一際大きく堂々と立っています。剣士協会と書かれた楼閣の門をくぐると、目も覚める鮮やかな赤と金色の内装が広がりました。建物の外装が白く見えたのは、長いこと雪に当たり過ぎたせいです。

 楼閣にある地下室では、大きなろうそくが真ん中の台に4本立てられていました。奥には、時代から取り残されたように立つ古びた石碑が一つ。内側から光を放つ、小さな赤色の石が置かれていました。

 石の前で、1人の男が正座をしています。彼の名前はウイ。ツルツルのきれいな頭に、整えられた眉とひげ。剣士協会で2番目に偉い副会長です。ウイは、石から目を離すと、後ろで膝をついて待つ若い男を見ました。

「この仕事を頼めるのは、あなたしかいません。当たり運が強いと言えばいいのか、外れ運が強いと言えばいいのか、私には分かりませんが――トウヤン、引き受けてくれたということは、当たり棒でも引いた気分なのでしょうね」

 若い男は、頭を上げてにっこり笑いました。長いつやのある髪を一本に結び、ウイと同じ協会服を着て、赤色の耳飾りを着けています。見た目はがっちりとした男ですが、笑うと少年の名残が感じられました。

「高い金がもらえる仕事って聞いたから来ただけだ。それで? なにをすればいい、俺は」

 まったく緊張感のない声です。見るからに年上、地位が高いウイを前にしても、トウヤンは物怖じせず、むしろ爽快なほど無遠慮でした。年功序列を重んじる大人なら彼を煙たがるでしょうが、ウイは

「この石の持ち主……火の器を捜してきてもらいます」

 と、眉をピクリとも動かさずに続けました。

「器ってなんだ。皿のこと?」

「いいえ、人です」

 トウヤンは舌を巻きました。

「ちょ、ちょっと、待ってくれ!」

「はい?」

「つまり、人捜しか」

「そうです」

「名前は? 出身地は? 顔は?」トウヤンは次々に質問しました。「情報をくれ、情報を。どうやって捜せばいい」

「名前も顔も、出身地も分かりません」

「はい?」

 今度はトウヤンがそう言ってやりました。

「火の石が教えてくれます。器の居場所を」

 ウイは赤色の石をトングでつまみ、小袋にしまうとトウヤンに渡しました。少しだけのぞいてみると、石は暗闇の中で赤く光っていました。

「この石がねぇ。なーるほど、道理で他の剣士が受けたがらない仕事なわけだ。合点がいった。この仕事はとにかく、面倒くさそうだ。石が教えてくれる? もしもーし、俺の声、聞こえてますかぁ? 火の器はどこにいますかぁ?」

 トウヤンは小袋を揺すって言いました。

「ちっとも教えてくれないぞ? この石」

「器に近づくごとに、石の光は強くなります。その光を頼りに進めば、火の器がいる場所まで行けるでしょう」

「分かった」

 半信半疑でトウヤンは返事をしました。

「この石は、世界を元に戻すために必要なものなのです。私たちは春も、秋も、夏も知らない。なぜなら、千年前に水の器が暴走し、世界を超氷河期に変えてしまったからです」

「そりゃあ、随分と壮大な話だな。今の仕事となんの関係がある」

「関係もなにも、火の器こそ、われわれが捜し求めていた人間なのです。千年、ずーっと石の持ち主は現れないままでした。けれど、ついに、石が光り輝いた! これが、なにを意味するか分かりますか? そう、火の器が、この世界のどこかにいるということです」

 ウイは荒っぽく息を吐きました。

「まぁ、分からなくて当然でしょう。私も、あなたも、生まれる前の話ですから」

「春、夏、秋。そいつはうまいものなのかねぇ」

「春は小鳥たちがさえずり、花の香りが風に舞い、夏は陽気な太陽が植物を育み、秋は黄金色の田畑が一面に広がる、これは、千年前の人類が書き残した記述。今は見る影もありませんが、かつて、この地には四季がありました」

「ふぅん」

 トウヤンは眠たそうに目をこすりました。

「私の話、聞いてます?」

「あぁ」

「もともとこの世界は、東西南北四つの領主が治めるバランスの取れた世界でした。それぞれの領主が火、水、雷、風の器を有し、豊かな土地を築き上げたのです。しかし、水の器が影にのまれ、氷の器に変わったことで、世界は超氷河期へ突入したのです。火、雷、風、残りの器は氷の器に殺され、残された人々は、石のありかを隠すために、この楼閣を建てました。氷の器は、今もこの三つの石を狙っています」

「なんで」

「石を壊すためです」

「そもそも、どうして、そんなわけの分からん石が世の中にある。おかげで世界は氷河期。子孫の俺たちはいい迷惑だ。そうならなきゃ、俺たちはぶどう酒だって飲めたはずだろ?」

「愚問ですね」

「なんで!」

「あなたは、夜空に浮かぶ星の数を正確に数えられますか? 宇宙や種の起源を、誰もが納得する言葉で説明できますか? 答えはいいえです。石と器に関しても、これと同じことが言えるでしょう。つまり、私たちは、与えられたものから答えを導き出すしかないのです」

 トウヤンは唇をとがらせました。

「――雷、風、この二つの器は既に見つかっています。残るは、火の器だけ」

「本当か? その2人はどこにいる」

「協会で保護しています。どちらも10歳の子どもです」

「子ども?」

 トウヤンは表情をコロッと変えました。

「えぇ」

「ってことは、火の器も子どもの可能性が高いわけだ」

「断定はできませんが」

「よし、分かった。俺が火の器を捜してくる」

「お願いしますよ、トウヤン」

「報酬ははずめよ」

「頑張り次第では報酬も弾みますし、火の器の指導者を任せるかもしれません」

「指導者?」

「わが協会としては、器を剣士として育成する方針なんです。その管理職を1人選ばなければなりません」

「そいつは願ってもない話だ」

 トウヤンはニタリと笑いました。

「まずは火の器が先決。さぁ、今すぐここを立ち、器を捜してきてください」

 トウヤンは小袋を懐にしまい、一礼して立ち上がりました。

「忠告を忘れていました」

 トウヤンは振り返りました。

「石には触れないでください。それは、生身の人間が直接手で触れてはいけない物なのです。そして、ここへ戻るまで、石を自分の命だと思ってください」

「ご丁寧にどうも」

 トウヤンは、なにか思い出したように振り返りました。

「そうだ、じいさん! 久しぶりに会ったんだ、俺が戻ってきたら、みんなでパァーッと飲み会でもしよう! サメヤラニたちにもよろしく言っといてくれ! じゃあな」

 トウヤンを見送ってから、ウイはしげしげと思いました。

(私をじいさん呼ばわりするのは、あいつだけだ。昔から変わらんな。副会長であることを、うっかり忘れてしまう。いけない、いけない、一緒にいると調子を狂わされる)

「ウイ様、カンザ様がお呼びです」

 その時、地下室に協会員が下りて来て言いました。

「今行きます」


 トウヤンは分厚い外套を羽織り、しんしんと雪が降る外に出ました。待ちわびた白い馬が元気よくヒィンと鳴きました。

「待たせたな、シン」

 トウヤンは荷物からニンジンを取り出して、食べさせてやりました。

「いい話がもらえた。さぁ、これを食べたら、ひとっ走りしてもらうぞ」

 トウヤンは小袋をつまみ上げると呼び掛けました。

「おーい。火の石とかいうやつ。俺は、火の器とやらを捜さなきゃいけないんだ。そいつは今、どこにいる」

 やっぱり返事をしません。なんて不愛想な石でしょう。まったく先が思いやられますが、ここでやっぱりやーめた、とはいきません。なぜなら、今回の報酬は1回で1年は余裕で暮らせるだけのお金だからです。

「あんたの光だけが頼りなんだ。頼むよ」

 なんだか急に、石に話し掛けるなんてばからしく思えました。トウヤンは半ばやけくそになりながらシンに飛び乗り、ハイヤッと声を上げて町を出て行きました。

 山を抜けると雪原に出ました。人の足で何時間もかかる大地の移動も、馬の足を借りればあっという間です。何時間も進んだところで、トウヤンは不思議な感覚を覚えました。胸に、ぬくもりを感じたのです。

「ドゥ! ドゥ!」

 トウヤンは急停止しました。小袋が、湯たんぽみたいに熱くなっているのです。袋の口を開けてみると、心なしか、赤色の光が強くなっています。触れてみたいという気持ちがトウヤンの喉を鳴らしました。しかし、頭によぎったのはウイの声でした。

”石には触れないでください”

 どうなるのだろう、という好奇心にトウヤンは身を焦がしました。こんなにきれいな宝石なのに、触れたら危険だなんて信じられません。ここにはウイもいませんし、少しくらい触っても、ばれることはないでしょう。さっさと袋の口を閉じてしまえばいいものを、トウヤンは長らく宝石にみとれていました。思えば、彼にとって、こんなにきれいな光を見たのは初めてのことでした。真っ白な世界に身を置きすぎたせいか、かじかむ指先の向こうに見える赤色の光は、どこか懐かしい太陽に見えました。

 トウヤンは手袋を外し、冷たい指先をそっと火の石に触れました。突然、頭の中にずかずかと踏み込んでくる記憶が走りました。荒れ狂う空、逃げ惑う人々――それらの情景から突き飛ばされた時、頭を殴られたと錯覚するほどの痛みを感じました。なにが起こっているのかも分からないまま、宙を舞っていました。空と大地が反対に見えます。例えるなら、磁石の同極がぶつかった時の衝撃。石に触れた瞬間、トウヤンは吹き飛ばされていたのです。

 目を開けると、目の前で石が雪に半分埋もれていました。指先が焦げて煙を上げています。ほんの少し触っただけなのに。トウヤンは、怖くなって小袋の中に指を使わず石をしまいました。雪の上で寝そべり、しばらく頭をからっぽにしていました。

「悪い夢でも見てるみたいだ」

 再びシンにまたがり、走り始めました。深い森に立ち入ると、途端に胸に感じていた温かさは途絶えました。どういうことでしょう? トウヤンは小袋の中をのぞきました。石の光が弱くなっています。ここでようやく、石が教えてくれるという意味を理解しました。火の器がいる方向を走っている時に、石は温かくなり、違う方向を進めば冷めるというわけです。光もまた同様でした。

 トウヤンは胸の温かさと光を頼りにシンを走らせました。当然、彼はまだ知らないのです。火の器が、あの、暖炉として暗い地下室に閉じ込められた男の子ということを。

 剣士協会の楼閣を出てから5日が過ぎました。トウヤンは、火の石が温かく光を強める方向にシンを走らせ、一際光が強まる場所にたどり着きました。その場所こそ、冒頭でトンツクと男の子が登場した小さな村だったのです。

「よしよし、寒い中よく頑張ったぞ、シン。さてと、しばらくはここで宿を取ってゆっくりするとしよう。俺もお前も、今はくたくただ。疲れて今は、なにも考えたくないんだ」

 トウヤンはシンを引き連れて意気揚々と村の中を歩きました。

「それにしても、この村は人気がないな。これじゃあ昼なのか夜なのか分からない」

 宿を探していると、村の中で一番大きな家の前を通りました。そこだけ他の家より明らかに雪が少なく、妙な違和感を覚えました。でも、この時はほとんど無意識的な違和感だったので、足を止めることなく宿に向かいました。村唯一の宿で部屋を借りたトウヤンは、シンをうまやに預けて、たっぷりのニンジンを与えました。いつも話し相手と言えば馬のシンだったので、日が暮れてもシンのそばで話し掛けていました。

「この村のどこかに、火の器がいるらしい。見てみろ、シン。小袋の中で石が太陽みたいに光ってる。袋越しに見て、こんなにまぶしいんだ。直接見たら目が焼けちまうよ」

 トウヤンが小袋をクルクル回しながら言うと、シンは全てのニンジンを平らげてニヒヒと笑いました。

「そんなに急いで食べると胃に悪いぞぉ? もっとゆっくり食べな。ほら、新鮮な水をくんできてやった。うまいもんを食べた後は、うまい水に限るね」

 トウヤンは満タンバケツをシンの目の前にドンと置きました。おいしそうに水を飲み始めたシンを横で眺めながら、トウヤンはそろそろ自分も部屋に戻ろうと立ち上がり、2階にある部屋に上がるとベッドに倒れました。そのままぐぅすかいびきをかいて、夢の中。

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