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My only desire  作者: 柚月 ぱど
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第三部 1

 久しぶりの晴れだった。燦燦と差し込む陽光が肌を灼き、上着に身を包んだ上体を汗ばませる。冬というのにかなり気温が高く、行き交う人々の多くが上着を脱いで手にかけている。俺もそれに倣って、茶色いMA-1を脱いで腰に巻いた。

 港区新橋。多くの大企業が本社を置くこの土地を、俺は訪れていた。別にアウトソーシング・コーポレーションに行くためではない。ここ、正確には御成門だが、そこのとある施設に用事があるのだ。

 三田線は平日の昼間だからかあまり込み合ってはいなかった。朝の通勤ラッシュ時は恐ろしくてもう死んでも乗りたくないほどだ。三田線から降りて地上に出てみれば、冬のくせして暑苦しい太陽が出迎えた。気温が高いことは精神衛生上好ましいことなので、むしろ喜ぶべきだろうが。

 俺は東京タワーを横目に見ながら、施設へ向けて歩く。この辺は意外と閑静で、乞食が転がっていたり強姦が横行しているようなことはない。アウトソーシング・コーポレーションの周囲もまだ統制が保たれているが、この辺はあまり外人が訪れることはないらしい。まぁ、日本の大企業があるくらいだから、民度はそれほど低くないわけだ。十年前くらいの日本の姿がそのままと言っていいほど残留している珍しい街だ。

 俺はお土産でも買っていこうかと思い、近場のコンビニに入った。店内を軽く一周して、デザートコーナーで立ち止まる。あの人は――彼女は、甘いものが好きだった。彼女のもとを訪れるときの手土産は、決まって甘いものだ。俺はミルクレープを手に取ると、会計に出した。自動精算機に小銭を入れて、持ってきたショルダーバッグに形を崩さないよう慎重にしまう。数年前とは違い、コンビニの会計に人間はいない。もう人間がいる必要がなくなったというのが正確なところで、品出しも清掃作業も、もうすべて機械が行っている。ただ人間が一人もいないわけではなく、機械が故障したとき用と、あと商品の発注作業は機械がやるわけにはいかないので、管理の人間が一人だけ在留している。それでも雇用が激減したのは言うまでもないわけで、このような雇用機会の減少が失業率の増加に貢献していることは大体想像がつくだろう。

 お釣りを受け取り、俺はコンビニを出た。お馴染みの音楽が流れ、自分が今日常の中にいることを理解する。この前のような仕事ではない。プライベートな時間。生き死にが関わらない世界。偽りの平和。しかし身体を休めることは時には必要だ。いつも張り詰めていたら人間持たなくなる。だからこのようにゆっくりと時間が流れる時を用意しなければならないのだ。

 俺は日常に埋もれながらも、この前の任務――つまりは特高から依頼された情報奪取依頼について思いを馳せていた。

 あの後、俺は無事人類進化研究所の日本支部から脱出することができた。誰にも見とがめられず、侵入が発覚することなく、非常にスマートな手口だったと思う。施設から出て、俺はごみ袋に隠したジャージに着替えて、そのままボンドマンに任務完了報告を行った。いつものことながら、ボンドマンはかなり俺のことを心配していたようで、不安そうな声で電話に出た。俺はそんな彼に呆れながら、無事を伝えた。

 結局三人を殺害してしまったが、ニュースなどで報道されることはないだろう。そもそも襲撃を受けたのは人類進化研究所という国連の秘密組織なわけで、公に公表することはまずありえない。組織の秘密を守るためにも、この侵入事件は闇に葬られるだろう。もし人類進化研究所の連中が俺の追跡トレースを開始しても、こちらは特高の依頼で動いたわけで、警察の権力でもみ消してくれるはずだ。だから追跡可能性トレーサビリティ

は限りなくゼロに近いから夜襲に怯える心配もない。ほぼ完璧に任務をこなしたと言えるだろう。

 目標物の受け渡しは、すぐに行われた。アウトソーシング・コーポレーションの民間警察仲介課での受け渡しであった。この前と同じ二人が受け取りに来たが、別に何か言葉を交わすといったことはなかった。仕事を依頼した側と、依頼されてこなした側。それだけの関係で、それ以上でもそれ以下でもない。二人はUSBメモリを受け取ると、足早にオフィスから去っていった。

「なぁ、良かったのか」

 ボンドマンが耳打ちする。良かったのか、というのは、ただただ特高の依頼を受けて、されるがままに任務を遂行しただけでいいのか、ということだろう。

「ああ。情報は得られた。問題ない」

「情報ってのは」

 ボンドマンが眉をひそめて尋ねてきた。

「特高が欲しがってた情報だよ。実はまた別にコピーと取らせてもらった」

 ボンドマンが驚いたような表情を浮かべた後、唇の端を持ち上げて思いっきりにやけた。

「お前さん、やることが違うな。足はつかなかったのか」

「あいつら、かなり阿呆らしくてな、USBに情報を入れる際のプロテクトを破るプログラムは仕込んであっても、USBに入ったファイルのコピーを防ぐ機能はなかった。だから普通に俺の端末にコピーしてある」

 アウトソーシング・コーポレーションでの受け渡しの前に、俺は自宅、セレネの待つ家に戻った。そこで自分のパソコンにUSBメモリを接続して、内部データをコピーできないか試みてみたのだが、びっくり仰天、なんとトラップも何もなくパソコンに情報のコピーができたのだ。特高の連中は、俺が目標の情報を盗み出すとは考えていなかったらしい。そもそも、コンプライアンス上は俺の行為は完全に違反なのだが、特高には少し反撃がしたかった。もしかしたら情報をかすめ取ったことがバレるかもしれないが、その時はその時だ。

 ボンドマンは俺の肩を何度も叩くと、悪そうな笑みを浮かべる。

「ちょっとした復讐、ってわけだ。奴ら、きっと気付かないぞ」

「ああ。きっと気付かない」

 そう言って俺たちは、二人で笑い合った。

 そしてその後、自宅に帰ってきたわけだが、さっそく奪った情報を閲覧しようとパソコンの電源を付けた。

 セレネが不思議そうな顔をして覗き込む中、俺はA27ファイルを開いた――。

 しかしそのファイルの中には、全く予想外のものが入っていた。

「――なんだこれは――」

 俺が呆然としていると、セレネが画面を覗き込み、とても辛そうな顔をした。

 何が入っていたのか。それをどう説明したらいいのか、俺には見当がつかない。端的に説明をするとすれば、そう、図形だ。複雑な意匠としか思えない図形が、数式やアルファベットと共に描かれている。俺の知見の中では、これを何に例えていいのかわからない。だけど隣でパソコンの画面を覗き込むセレネだけは、何故かその図形や数式を見て、唇を噛むのだった。

 ふと、白い建物が目に入った。

 思索に耽っていた頭が、自意識を取り戻す。どうやら、殆ど無意識で目的地まで歩いてきてしまったようだ。

 建物の入り口まで歩み寄って、掲示されている建物名を見る。

“慈恵医大病院”

 病院。そう、俺はある女の人の見舞いに来ていた。

 息を一度大きく吸って、ゆっくりと吐き出す。呼吸が乱れていたわけではないが、なんとなく自分が今から戦地に行くような気分だったからだ。

 俺は意識をしっかりと持つと、病院内へ足を踏み入れた。

 

 病院内は、白を基調とした配色で彩られており、普段イメージする病院像そのままだった。玄関から入ってすぐのところに受付が配置されている。俺は正面玄関の受付には寄らず、少し奥にある面会用の受付へ歩を進めた。

 面会の受付に辿り着くまで、多くの看護師やら医師やら患者やらとすれ違う。基本的にみな日本人だ。ここは私立の大学病院なので、国立病院とは違って金銭的な負担が大きく、収入に余裕のある者しか利用ができない。そもそもこの病院は関係者の紹介状がなければ入院することすらできないので、ここに入院している患者やその家族は、収入的に安定している家庭がほとんどだ。

「面会ですか。お名前をどうぞ」

 面会の受付に辿り着いた俺は、受付の女性職員に名前を尋ねられた。もちろん、俺の本名はロボではない。

「脳外科に入院している蓬川マツリの弟のナオトです」

 そう告げると、女性職員はコンピューターに向き直り、脳外科の入院患者の名簿を確認したようだ。まもなく、面会時には必須の面会人名札を渡され、脳外科の階数を教えてくれる。当然何度もお見舞いには来ているので脳外科の階数は知っていたが、取り敢えず頷く。そのまま面会受付の奥に設置されているエレベーターへ向かった。

 エレベーターを待っている人は俺だけのようで、他には誰もいなかった。ほとんど待つことなくエレベーターが一階に到着する。乗り込んだ俺は脳外科のある六階のボタンを押した。

 ほぼ無音で、エレベーターが上昇を開始する。上昇と同時に、下方向へのGがかかった。この感覚はいつも慣れない。自分の意思ではどうにもできないところで、自分の身体が勝手に動かされている感覚。全身麻酔を使用する大手術の経験はないが、麻酔で眠る際、その時の記憶は一切なくなるという。俺は子供の時それを耳にして、絶対に病気や怪我をしないと誓ったものだ。それほどまでに、俺は自分自身を自律していたい。

 まもなく六階に到着したエレベーターが開く。目の前には、大きなすりガラスのドアが設置されている。防犯上の観点から、不審者が病棟内に立ち入らないようにするための措置だ。内部に入る際は、設置されているインターフォンから、中にいる看護師に連絡しなければならない。

 インターフォンに近づいて、それを鳴らす。控えめなアラームが鳴り、すぐに女性の声が聞こえた。

「面会ですね。お名前伺ってもよろしいでしょうか」

 聞きなれた声に、俺は若干の安心感を覚えて息を吐いた。いつも見舞いに来る際、対応してくれることが多い顔見知りの看護師だ。

「蓬川です。こんにちは花菱さん」

 インターフォン越しに、花菱さんの声が緩むのが伝わってくる。

「ナオト君ね。しばらく来てなかったから、心配してたのよ。お姉さんも待ってるわ」

 そう言うと、ドアの施錠が解除されて、中へ入れるようになった。


「久しぶりナオト君。元気してた」

 笑顔を向けてくる花菱さんに、俺も笑顔を返す。

「ええ。しばらく立て込んでて、お見舞いに来れなかったんです」

「そうだったんだ。まぁ大変よね。ご両親が亡くなられて、ナオト君が医療費を稼いでいるんでしょ」

 花菱さんの発言に、曖昧に頷き返す。まさか自分が賞金稼ぎというヤクザな商売をしているとは、口が裂けても言えない。一応彼女には、バイトを掛け持ちして稼いでいると嘘を伝えてある。このご時世、バイトの掛け持ちなどできるはずもないのだが、花菱さんはなんら疑った様子を見せずに納得してくれたようだった。

「花菱さんも元気そうで」

「そう見えるの。私だって忙しいのよ。最近なんて仕事が馬鹿みたいに増えてね、肩が凝ってしょうがないわ」

「お若いのに」

「あら、口説いてる。私なんて三十手前のおばさんよ。まぁナオト君ならいいかなって、お姉さんに怒られちゃうわね」

 そうふざけてみせると、花菱さんはスッと静かになった。

「マツリの容体は」

 そう尋ねると、花菱さんがいかにも答えにくそうな表情になった。

「変わってない――と言ったら、嘘になるわね。先生も全力で対応してるけど、やっぱり少しずつ進行してるわ」

「そうですか――」

 俺はそれだけ応えると、口を噤んだ。花菱さんは悪くないのに、とても申し訳なさそうな顔をしている。そもそも、生きていただけ奇跡なのだ。それを俺のエゴで無理矢理延命させているだけ。俺の無茶ぶりに付き合ってもらっているだけ、感謝はせど憤慨するつもりはない。

「姉のところに行きます」

「そうね。何かあったら呼んで。お茶くらいなら出すわよ」

 冗談めかして笑ってくれた花菱さんに微笑んでみせて、俺は姉の待つ個室へ向かった。マツリの病室は、ナースステーションから一番遠い個室だ。本来ならば四人部屋の一区画に入院させてもらうはずなのだが、マツリが過ごしにくいだろうと個室にしてもらった。個室の分値段は上がるが、快適さを値段で買えるならそれに越したことはない。そもそも、今の彼女に快適さが理解できるとも思えないのは確かだが。

 すぐに個室の前に辿り着き、俺は一度深呼吸をした。ゆっくり、ゆっくりと。そして心が落ち着いたことを確認して、俺はドアをノックした。

 トントン、と軽い音が響いた。しかし、中から返事が来ることはない。今までも。俺は彼女の返事を待たずに、スライドドアを開いた。

 バッと、風が頬を撫でて通り過ぎていった。少し驚いて目を細めるが、どうやら看護師の誰かが部屋の窓を開けたまま放置していたようだ。まぁ今日は天気も良いし、外を眺めるには絶好の機会だろう。

 白いカーテンが風に巻かれてあおられる様を見ながら、俺はベッドの前まで歩み寄った。

「天気いいだろう。ここは六階だし、眺めも悪くない。そうだろ、姉さん」

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