破棄を前提とした婚約、だったはずなのに、そのままにされて私もう不惑なんですけど……
長岡更紗様主催『第二回 ワケアリ不惑女の新恋企画』参加作品です。
毎度毎度、企画の締め切り日ギリギリに筆が動き出すのは、夏休み最終日にまとめて片付けていた宿題の呪いか何かでしょうか……。
ともあれ書き上がりました!
今回は人気のワード「婚約破棄」も織り交ぜています。
お楽しみ頂けましたら幸いです。
「ロディア、大事な話があるんだ。夕食の後、僕の部屋に来てくれないか?」
「承りました」
ついにこの時が来た。
私は表情を変えずに頷く。
「あ! 大丈夫! 注意とか叱責とか、そんなのじゃないから! もっと良い話!」
「はい」
そうだろう。
キセロ様からしたら、ようやく本当の恋に進めるのだ。
私も自由の身になれる。良い話には違いない。
「では後程」
「必ず来てね!」
一礼し、背を向け、侍女服のスカートを気付かれないよう握りしめる。
この後私は、婚約者であるキセロ様から婚約破棄を告げられるのだ。
最初からの約束。終わりの見えていた婚約。
待ち望んでいたような、来る事に怯えていたような、不思議な感覚。
自分がどんな顔をしているのか不安になり、足早に部屋へと戻った。
部屋に戻ると、私は荷物の整理を始めた。
このグラフィカ侯爵家に侍女として仕えてからもう二十年以上。
荷物はいずれ離れる事を考えて、最小限にしていて良かった。
「あ……」
思わず声が漏れる。
箱の中にあったのは、木の実で作った首飾りだ。
キセロ様が六歳の時、私との婚約の証に一緒に作ったもの。
懐かしさが一気に押し寄せてくる……!
当時十八の私がこのグラフィカ侯爵家に行儀見習いという名目で侍女として仕えるようになったのは、お父様の策謀のためだった。
子爵であったが上昇志向の強いお父様は、様々な手段を用いて、上位貴族との関係を求めた。
グラフィカ夫人が身籠ったと聞き、子守役兼家庭教師にと、妾腹の娘である私を送り込んだのもそのためだ。
特に美しくもなく本の虫で、勉強位しか能のない私の使い所としては正しいだろう。
勿論そこには、
(夫人が身籠っている間に、侯爵のお手でも付けば……)
そんな計算もあったに違いない。お父様自身がそうだったから。
しかし侯爵様は温和で紳士で、何より妻を愛する人だった。
実家よりも居心地の良さを感じていた矢先、事件は起きた。
「こ、こんな、まさか……!」
長男キセロ様の誕生。
その顔があまりにも美しかったのだ。
光り輝いて見える程に。
侯爵様も夫人も美しい顔立ちをされているが、両親のいいとこ取りというだけでは収まらない美しさ。
「この美しさが災いにならなければ良いが……」
侯爵様の危惧は、数年後的中した。
六歳の時、社交界に顔見せをしたキセロ様は、その美しさと愛らしさで話題を独占した。
そして舞い込む婚約の話の数々。
キセロ様の身の危険すら感じられる程の熱狂に、侯爵様は苦渋の決断を下した。
「……ロディア。君にこんな事を頼むのは本当に申し訳ないのだけれど、キセロと破棄を前提とした婚約を結んでもらえないだろうか」
つまりキセロ様に正式な婚約者が見つかるまでの女除けになってほしい、そういう事だった。
当時私は二十五歳。
つまりキセロ様のために、私の結婚を諦めろという事だ。
「……承りました」
「……済まない……」
結婚に憧れがないと言えば嘘になるが、七年も仕えればこの家に愛着も湧く。
実家も妾腹の娘が侯爵家と誼を結んだとなれば文句もないだろう。
こうして私は六歳のキセロ様の婚約者になった。
「こんやくしゃ?」
「はい」
「なにそれ」
「将来結婚するという約束をした人の事です」
「……けっこんってなに?」
「ずっと一緒にいるという約束です」
「ロディアとずっといっしょ? えー、どうしようかなー」
「キセロ様がお嫌になったら、すぐに変えていい約束ですから」
「い、いやになんてならないよ! ボクはロディアとずっといっしょだよ!」
「……ありがとうございます」
「やくそく、わすれないように、なんかつくろう! あの、かあさまがくびにしてるやつ!」
「首飾り、ですか?」
「それ!」
「ふふっ、では庭の木の実で作りましょうか」
「うん!」
「あっという間、だったなぁ……」
キセロ様との二十一年。
私を姉のように慕い、懐いてくれたキセロ様。
愛らしさから凛々しさへ。
あどけなさから男らしさへ。
成長を見守り続けた役目が、今日終わる。
「……っ」
売られるも同然で家を出た時にさえ流れなかった涙が、どうしようもなく溢れてきた。
……そうか、これが家族を失うって事なんだ……。
「キセロ様、ロディアが参りました」
「待ってたよ! 入って!」
部屋に入ると満面の笑みのキセロ様。
この笑顔の愛らしさは、赤ん坊の時から変わらない。
胸に込み上げる愛おしさを、侍女の仮面の裏に押し込める。
「それでお話とは何でしょうか」
「うん! ロディアとの婚約の事なんだけど……」
「はい」
大丈夫。涙は出し切った。
腫れた目は化粧で隠した。
何を言われても、私は動じない。
「正式に結婚する事になったから」
「はい?」
「いやー、色々なところへの根回しが大変でさぁ。本当は僕の十八の誕生日にって思っていたのに、やれ歳の差だの身分違いだの側室だのってうるさくってさぁ」
え、結婚? 誰と、誰が?
「ジヤポーニ子爵の後押しがなければ、もっとかかってたかも知れなかったよ」
お父様が、何? 何の後押しをしたの?
「これで僕とロディアは晴れて夫婦に……ってどうしたの?」
「え、あの、婚約破棄のお話では……?」
「あぁ、父さんがそんな事を頼んでたんだってね。でも僕は、僕の顔に惹かれるだけの連中じゃなく、僕そのものを愛してくれているロディアと一生を共にしたいんだ」
どういう事……?
キセロ様が私を、あ、愛している、という事……?
十九も歳の離れた私を?
親子ほども歳の違う私を?
家族同然に共にいた私を?
「え、もしかして婚約解消したかった!? 他に好きな人がいるとか!?」
「い、いえ! そんな事はありません! いません! 急な話で驚いているだけで……!」
「良かったぁ……。って急も何も、婚約自体は僕が六歳の時だったじゃないか」
「あの、いえ、そうなんですけど……!」
「ちゃんと覚えてるよ。一緒に作って渡した木の実の首飾り」
「え、あ、はい、大事に、持っております、が……」
「ふふっ、ロディアのそんな真っ赤な顔、初めて見た」
そう笑うキセロ様こそ、別人のように見えた。
美しく凛々しく、男らしい……。
本来私のような女を妻とするべき方ではないんだ。
嗜めるべきなのに、諌めるべきなのに、近づいて来るその姿に、目が、心が、奪われてしまう……。
「さてと、じゃあ善は急げって言うからね」
「え?」
不意に抱き締められた。
硬い腕が、逞しい胸板が、いやが上にも男を感じさせる。
「あの、急ぐって、何を……?」
「きちんと後継を作る事が条件だからさ」
「あと、つぎ……?」
後継、つまり、子ども。
私と、キセロ様の、赤ちゃん!?
「あの、私、この歳では……!」
「大丈夫。身体の問題で身篭らないとか、産むと身体に良くないって事になれば、ジヤポーニ家から養子を取る事になってる」
お父様、どこまで……!
「まぁ身体の問題がなければ、きっと授かるよ」
「そ、それは、どういう……?」
「これまで我慢していた分、存分に愛するからさ」
そう言ったキセロ様は、私の唇を奪った。
鼓動が激しくなる。
身体の感覚はぼんやりしているのに、キセロ様と触れている所の感覚だけがやけにはっきりしていて。
初めて感じる感覚に、今までの自分が崩れていく。変わっていく。
「……はぁっ」
唇が離れ、キセロ様の宝石のような瞳を見つめた瞬間、私は唐突に理解した。
これが恋、というものなんだ……。
「大丈夫?」
「は、はい……」
足の力が抜けかけている私を、腰を支えるように奥へと誘うキセロ様。
あ、あの、そちらは、寝室……!
「き、キセロ、様……!?」
「ごめんねロディア。でももう我慢できそうになくて……」
ベッドに腰を降ろさせられ、再び唇を重ねる。
身体の力が、抜けていく。
「できるだけ、優しくするからね」
「……はい」
キセロ様の優しい言葉に、私は身を任せた……。
幸い程なく私は身篭り、元気な男の子が生まれた。
いや、それ自体はこの上ない幸せなのだが……。
「……父さんと母さんやロディアから聞かされてた苦労話、冗談だと思ってたけど、今ようやく理解できたよ……」
またも生まれた超の付く美男子……。
きっとこの子もその美しさ故に人に好かれ、そして苦労をするのだろう。
……でも。
「……大丈夫。きっとこの子自身を愛してくれる人を見つけられるわ」
「……そうだね。きっとそうだ」
私とキセロは眠る我が子の頬に両側からキスをした。
読了ありがとうございます。
今回のキャラ名ですが、
ロディア・ジヤポーニ:万年青の英語名から
キセロ・グラフィカ:エアロプランツの王様キセログラフィカ
と植物の名前から取りました。
「長命な花」で探していて見つけた万年青の花言葉は『長寿』『崇高な精神』『長命』『母性の愛情』。
「花の王様」で見つけたキセログラフィカの花言葉は『不屈』とドンピシャだったので、あまりもじりもせず、そのまま使いました。
四十歳をヒロインにするのは、この企画に参加するまではやった事がありませんでしたが、「何故その年まで独り身だったのか?」をじっくり考えると、不惑ヒロインならではの味が出るのが面白かったです。
長岡更紗様、素晴らしい企画の提案と運営、ありがとうございます!