私と幼馴染みで恋人の彼は『幼馴染ざまぁ』する
大好きな人と別れなければいけなくなった少女と少年のお話。
ちょっと長くなってしまいましたが、読んでいただけたら嬉しいです。
※ハッピーエンドです!ざまぁですがハッピーエンドです!
それは早咲きの梅が満開を迎え、厳しい寒さが続く中にも春の兆しをはっきりと感じられるようになったある日のこと。
私は幼馴染みで恋人でもある司と、梅の花が微かに甘い香りを漂わせている河川敷を、お互い黙ったままゆっくりと歩いていた。
会話がないのは仲が悪いからではない、むしろ私は司に心底惚れている。
しかし今日、私は彼に別れを告げなければならない。そうしなければならないのに話を切り出すタイミングをさっきから計りかねている。
別れを切り出そうとすると彼の人懐っこい笑顔や初めてキスしたときのこと、初めて抱かれたときのことを思い出してしまい心臓が締め付けられて苦しくて苦しくて堪らなくなってしまう。
いざ司を目の前にすると話せなくなってしまうなら、いっそのこと一方的に発信するだけで最悪返事を見なくてもいいメールかSNSでとも思ったが、ケジメとして私の口から絶縁宣言を言わなければ意味はない。
彼を傷付けてどん底に落とす。私が加害者、彼が被害者という構図を作り出さなければいけないのだ。
そうすれば、彼の友達も慰めるだろうしクズ女である幼馴染みのことなんてすぐに綺麗さっぱり忘れてくれるだろう。
私は、彼と別れても死ぬわけじゃないと何度も言い聞かせ、ツバを一回飲み込み、『ふう』と弱々しく息を吐き早足に歩いて彼との距離を取り振り向くと、意を決して口を開いた。
「司、私と別れて」
「え、なんだよいきなり。そんなことできるわけないだろ?」
唐突に別れ話を切り出された司は、私からの通告を真っ向から拒否してくる。だが、もう私の決心は揺らがない。ここで絶対に終わりにするんだ。
「ごめんなさい。今日、ここで、私と別れてください」
「取り付く島もなしかよ……俺、何か葵の気に障るようなことした?浮気とか絶対してないし、ちゃんと理由言ってくれないと──」
「あぁ、もううるさいなぁ。そういう女々しいところが嫌いなの!付き合い長かったから仕方なく関係を続けてきたけど、本当はあんたのことずっと嫌いだったの。顔を見るのも声を聞くのも不快なのよ!」
「……わかったよ。長いこと嫌な思いさせてて悪かったな。今後は学校でも一切話かけないし近づかないから」
「そうしてくれると助かるかな。私の人生にあなた不要なの」
司は、怒りとも悲しみともつかない表情を私に向けた。
(ふぅ、これで終わったわね……これで……)
私は彼に背を向けて立ち去る────
「…………待て。一言だけ言わせてくれ」
呼び止められるのは予想外だったが、更に罵倒するだけの話だ。
「……なに?」
「葵の親父さんの会社、危ないんだってな」
「え……なんで知っ──」
「俺の母さんの友達が葵の親父さんの工場で働いててな、いろいろ聞いてんだよ」
あぁ、しまったな……家近いもんな……ははっ、完全に失念していた。私のミスだ。
「あのさ、もしそれが原因だったならなんで正直にいってくれないんだ?家族の借金が何だってんだよ。そんなことで俺がお前を嫌いにでもなると思ったのか?」
「あ、あの……それは……あなたに迷惑を……」
司は右手の親指をズボンのポケットに引っ掛けた。
「俺の為みたいな言い方はやめろ!お前が世間体を気にしてるだけだろ?俺の所為にして自分を守りたいだけなんだ!だからお前は正直に言わなかった。要は俺を信じてないってことだ」
「司……」
「お前が俺を信じてないなら、こっちから別れてやるよ。借金まみれの家の女と付き合ってたら、いつ集られるか分かったもんじゃない」
「…………」
「じゃあな」
そう言い放つと彼は私に背を向け、足早にその場を離れた。
私は力なくその場にへたり込み、彼の背中をずっと見つめていた。
(ごめんね……ごめんね……そこまで言わせてしまって……でも……でも……司のことずっと好きな馬鹿な女でごめんね…………)
私は彼が見えなくなるとおもむろに立ち上がり、その後は夢遊病者のようにフラフラと歩きだした。
春の訪れを告げるために、満開に咲き乱れている梅の甘い香りが無性に不快感を煽った。
◇◇◇
「……ただいま……」
家に帰ると、お母さんが目にいっぱいの涙を溜めながら突然私を抱きしめてきた。
「ごめんね、ごめんね葵。あなたにだけ辛い思いをさせてしまって」
「え?ど、どうしたの?私は別にいつもと変わらないよ」
お母さんが、殊更私を強く抱きしめてくる。
「い、痛いよお母さん。どうしちゃったの?」
お母さんはずっと泣きながら謝り、抱きしめた私を放してくれない。
でも私はお母さんの耳のあたりが少し濡れているのに気付いた。
(そっか。私、泣いてたんだ)
◇◇◇
二人でひとしきり泣くと、お互いに落ち着いたころで抱きしめ合った体をゆっくりと離した。
「……司と別れてきた……」
「…………多分そうなんだろうと思ってた。本当にごめんね。司君、すごくいい子だったものね」
お母さんは目を真っ赤にしながら私を見つめてきた。
「うん。でも仕方ないよ。私が一緒だと彼に迷惑がかかっちゃうもん。ちゃんと納得してるから。私は大丈夫だから……彼の人生に私というお荷物は不要なの」
「……そんなこと言わないで、葵。全部お母さんたちが悪いのに。なのにあなたは全然私たちを非難しないから。優しくて優しくて私たちの自慢の娘なんだから」
少し首を傾けたお母さんから向けられた世界一優しい笑顔は、私の感情を制御不能にしてしまう。
「……私……わたし──
止まったはずなのに、またとめどなく涙が溢れてくる。
(だめだ。ここで泣いたらだめだ。心配させてしまう……だからだめなのに……涙が止まってくれないよ)
「う、うぅぅ、おかあさぁーーーーん。わたし、つかさと別れたくなんかなかったよぉーーーー!」
私は無意識にお母さんを強く抱きしめていた。今は誰でもいい、誰かの温もりが欲しかった。
◇◇◇
私は自室のベッドで目を覚ました。
泣きつかれて寝てしまったのだろうか。制服のままだった。いつベッドに戻ったのか殆ど記憶がない。
(喉乾いたな……)
ゆっくり起き上がると少し頭痛がした。思ったより水分が不足しているようだ。
時計を見ると午後11時を少し回ったあたり。お父さんも関係各所へ謝罪に行っていたはずだが、もう帰ってきて寝ていることだろう。
2階の自室から階段を降りるとリビングドアから光が漏れていることに気付いた。
ゆっくりとドアに近づくと両親の声が聞こえてくる。
「クソ、受注さえあればこんなことには……」
「もう、こうなってしまったのだから仕方がないでしょ?ね、借金はゆっくり返していきましょう?私も今の不動産の仕事は社員に戻って頑張るから。敏明くんだけを働かせたりはしないよ?」
「幸子……すまない……君の人生を無駄なものにして──
「敏明くん!それ以上言ったら怒るよ?私はね、葵と敏明君が元気でいてくれるだけでいいの。二人を笑顔にするためなら、私は頑張れる。だからそんな顔しないで?私が二人を守るから」
「……ありがとう、幸子。当てにさせてもらう。二人で一緒に頑張ろう」
「二人じゃなくて三人でしょ?」
「ああ、そうだったな。葵には辛い思いをさせてしまったな。本当に最低な親だ。なのにあの子は俺たちを憎まないからな。むしろ心配してくれる子だ。……恨み言の一つでも言ってくれたほうがいっそ気が楽なんだけどな」
「ふふふ。あの子はそういう子よ。だって私たちの子なんだから。こんな時でも強くて優しくて他人を思いやれる最高の娘なんだから」
「まったく、誰に似たんだろうな?」
「そんなのあなたと私に似たに決まってるじゃない」
深刻な話をしているはずなのに笑い声さえ聞こえてくる。二人は本当に仲が良い。いまだに名前で呼び合い、一緒に出掛ければ私の前でもイチャついてるし。そしてお互いを信頼し、愛し合っている。もちろん私のこともすごくすごく愛してくれている。
そんなやり取りを、私は、溢れ出る涙を止められないままドアの前で聞いていた。
このまま部屋に戻ろうか悩んだが、どうせさっき泣きまくって目は真っ赤に腫れているはずなのでバレやしないと、袖で涙を拭いリビングに入った。
「お帰り、お父さん」
「おぉ、葵か。その……司くんのことは悪かったな。お父さんのこと恨んでくれていいから」
お父さんは本当に申し訳なさそうに頭を下げている。
「やめてよ、お父さん。私だってもう子供じゃないんだから。金策のために銀行走り回ってたの見てるし、この不景気だから仕方ないよ。誰にでも起こりうることだよ?私、向こうで一生懸命勉強して、すぐに働くから」
高校中退で雇ってくれる会社があるかどうかわからないけれど、まだ希望は捨てていない。
「借金返済が軌道に乗ったら、すぐに家族元通り一緒に住めるからな」
「お母さんだって頑張るからね!」
お父さんもお母さんも優しい笑顔を向けてくれる。
「うん。私、二人のこと誇りに思ってるよ!」
「ありがとう、葵。お父さんも、まっすぐに育ってくれた葵を誇りに思うよ」
「えー、育てたお母さんは誇りに思ってくれないの?」
ずいっとお父さんに顔を近づけるお母さん。本当に仲がいいことで。司ともこんな夫婦に──。いや、終わったんだ。もう終わったの。
「明後日出発だな。帰ってきたときにはもうこの家は無いけど」
「うん、準備はできてるし、明日お母さんと学校行って自主退学手続きしたら荷物処分するだけ」
そう、借金取りが万が一私に危害を加えることがないように両親が、台湾に住む叔父のところへ留学という名目で逃がしてくれるのだ。
叔父さんは向こうで商売をしているが、お父さんがいろいろと準備金を出していたので、二つ返事で快く私を受け入れてくれた。
そして出発は明後日。それは司も知らないことだ。
◇◇◇
泣き疲れていたのか、昼過ぎに目が覚めると、シャワーを浴びて出かける準備をする。今日は学校に行く前にお母さんと一緒にスマホの解約にいくのだ。
(あれ、スマホに通知がある)
司からだった。
既読を付けないように通知だけで確認すると、『どうしても話したいことがある。明日の放課後いつもの場所で待ってる。絶対に』と書いてあった。
それ以上は表示していなかったが、来てくれるまで待ってるとかそういうことだろう。
(ごめん。明日はもう日本にいないんだ)
SIMカードを抜いて、既読を付けないままスマホを解約した。
◇◇◇
放課後、お母さんと一緒に学校へ行き、担任に事情を伝えると突然のことで驚いていたが、無事に退学手続きは終了。
あとは荷物を回収して帰るだけである。
私はお母さんと別れ、1年の校舎に素早く入り教室に誰もいないことを確認し、素早くロッカーと机の中の私物を回収して下駄箱の上履きをゴミ箱に突っ込んだ。
それから職員室に戻り、お母さんと合流した。
「もういいの?」
「うん、大丈夫だよ。あ、あのさ、お願いがあるんだけど……」
「わかったわ」
「まだ何も言ってないんだけどなー」
「一人で帰りたいんでしょ?」
「うん」
「しっかりお別れしていらっしゃい」
「ありがとう、お母さん」
私は、よく司とお昼を食べていた中庭へと足を運ぶ。司との思い出がいっぱい詰まった場所だった。
愛する人のことを思い出し、また涙が込み上げてくる。
すると、女生徒の声が聞こえてきた。
「……君、葵に振られたらしいよ」
「えー、なんでなんで?」
葵ってのはたぶん私のことだ。知り合いである可能性が高いので、私はとっさに植栽に隠れる。
(なんでそこで立ち止まるのよ!)
「うちのクラスの子が、昨日二人が別れ話してるの偶然見たんだって」
「へー、それでそれで?」
(見られてたのか……失敗したなぁ……)
「葵が浮気してたのを司君の所為にして罵倒してたんだって」
「うわ、サイアク~。司くん可哀そう」
(はぁ、ある事ないこと言ってくれるわね。どうでもいいけど早く帰ってよ!)
「社長令嬢だからって調子に乗ってんじゃないの?」
「しょっぼい町工場だけどね」
「「きゃははははは」」
私のことはどんなに悪く言ってくれても構わないけど、両親のことを悪く言うのだけは許せなかった。
でもここで出ていくわけにはいかず、拳を握りしめ耐えた。
「じゃあさ、彼、フリーってことだよね?あんな優良物件なかなかないから食べちゃおっかな。前から気になってたんだよね~」
「じゃあさ、付き合ったら葵の前でイチャついてよ。あの子の悔しがる顔みたいし」
「任せなさい!ざまぁねーなって言ってやんよ」
「「きゃはははははは」」
(物件って何よ。彼はモノじゃないわ。てか、わたしってそんなに嫌われてたの?嫉妬?まぁ人間なんて人の悪口が大好きだから、好きに言ってちょうだいな。もう関係ないし)
同級生らしき女生徒は、早く戻らないと先輩に怒られる、とか何とか言って消え去った。
(いったい何のためにここに来たのよ、もう)
私は、どこにもぶつけられない怒りを胸にしまう。
女生徒が去ったあと、万が一にも見つからないように遠くから隠れて校庭の方に目を凝らす。
グラウンドでは、短距離の選手だがハイジャンプも得意としている司が、走り込みをしていた。
いつも図書室で勉強という名目のもと彼のことを窓から見ていたので、遠くからでもすぐに探すことができる。
そしてそんな私に彼も気付いて、いつも手を振ってくれていた。
彼は昔から足が速く、勉強もできる上に謙虚で優しいクラスの人気者だった。
私なんか、幼馴染でなければ知り合いにすらなれないような人だ。
彼が風を切って走る姿は美しく、気流がまるで虹のように輝いて見える。
別れたはずなのに、もうあの幸せな時には戻れないのに、それでも心がときめいてしまう。
張り裂けそうな胸をおさえ、もう二度と会うことはない彼の姿を記憶に刻み、モノクロになった世界と恋人になった私は家路につくのだった。
◇◇◇
次の日。
朝起きて、身支度を終えると、玄関を出て閉鎖している工場に向かう。
子供のころから、遊び場になっていた思い出の工場だ。
「いままで、本当にありがとう。よく頑張ったね。おつかれさま」
私は工場に深々と礼をすると、駐車場へと視線を移す。
毎年綺麗に咲いていたはずの菜の花は撤去業者のトラックに踏みつぶされていた。
ちっちゃいころ、菜の花で冠作ってプレゼントしたんだっけ……
懐かしいな……
もう会うこともない。だから司、どうかどうか私のことなんか忘れて、幸せになってください。
私は、そっぽを向いている神様に最後のお願いをした。
◇◇◇
空港までは両親が一緒に来てくれた。車は売ってしまったので、鈍行でドナドナだ。
まぁ、別に捨てられるわけじゃないから、ドナドナではないね、うん。
チェックインを済ませ、家族での最後の晩餐としてハンバーガーを食べた。いや、だから最後ではないのだけどね。しばしの別れなだけだし。
でも、多分いつもよりおいしかったような気がする。
「それじゃ、行ってきます」
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
「裕二にもよろしくな」
両親とハグをして、別れを惜しんだ。
セキュリティチェックへと進む途中、振り返るとお母さんは泣いてるフリをしてハンカチを振っている。
いや、ホント面白い人だ。
お父さん……はガチで泣いていた。うん、ちょっと引いたよお父さん。嘘だよ、お父さんのことも大好きだよ。
さぁ、行こうか!
そしてさよなら日本。また帰ってくるけどね!
◇◇◇
~1年後のとある日~
(実際には日本語と中国語がちゃんぽんで進んでいるのですが、表記や表現がグチャグチャになってしまうので、アニメっぽく、なんでみんな日本語なの?状態で話を進めます)
「ただいま帰りました、裕二おじさん」
「おう、帰ったか。食材が冷蔵庫に入ってるから確認しておいてくれ」
「はい。確認したらすぐに仕込みを始めますね!」
「頼む。カレーは後で持っていくから」
「ありがとうございます。助かります」
午前の中文補修班の授業が終わると、家に戻らず直行で叔父さんが経営しているカレー屋の一号店に顔を出し、簡単な申し送りを済ませたら、任されている二号店に向かい仕込みをするのがルーティーンになっている。
平日は夕方から営業。当然、授業のない土日なら朝から営業だ。
労基?なにそれ美味しいの状態で毎日休みなく働いている。
もちろんちゃんと勉強もしている。中級の教科書を丸暗記しているくらいには。お陰で日常会話には苦労しなくなっていた。
最初はお店のウェイトレスとしてフロアだけのお手伝いだったのだが、私がいろいろな日本食を作れることがわかると、裕二おじさんの眼がキラっと輝いたのを覚えている。そうして次第にフロアから厨房も任されるようになり、カレー以外のメニューもどんどん試作していった。
私を嫌な顔一つせずに受け入れてくれた叔父さんに報いたい気持ちが強く、いろいろなメニューを考案し、安定した品質のものを提供できるように努力した。
それがきっかけで今や、新店でもある、二号店の店長になってしまった。
カレーは流石にまだ免許皆伝ではないため叔父さんが作ったものを毎日届けてもらっているが、その他の料理は私と、叔父さんの一人娘の恵美で仕込みをしている。
残念なことに台湾人の叔母さんは、学校の先生をしているので忙しいのもあるのだが、日本食の微妙な味を再現するのは無理!と匙を投げている。
偶に遊びに来てはくれるが、お店のことに関しては殆ど叔父さんと私に丸投げだった。
客層は主に日本人留学生や、日本での留学経験がある台湾の人たちが多かったが、それに加えて、私が住んでいる台中の付近はタワーマンションがバンバン建ち、富裕層が多いこともあって、良質な日本料理を求めて毎日お客さんがひっきりなしに訪れていた。
でも飲食店は少しでも品質をさげるとすぐにお客様はわかってしまうので、本当に気が抜けない。
手当というか給料は、毎月の純利益から80%をいただいていた。
貯金もかなり増えてきていたので、両親の借金返済の手助けができるようになる日も近いかもしれない。
兎にも角にも、ここでの生活は充実していた。来たばかりのころは彼のことを思い出し、部屋で泣いては塞ぎこみがちだった私だが、同い年でいとこの恵美は何かと私を気にかけ、休みの日なんかはいろいろな場所へ連れて行ってくれ、台湾の活気も相まって少しずつ元気を取り戻すことができた。
そして仕込みが完了したころ、今日も恵美が、高中の授業が終わったあと、トレードマークのポニーテールを揺らし私の手伝いをしに来てくれた。
「ただいま~」
「お帰り恵美、もうそろ店開けるから、ご飯食べたらすぐフロア入って!」
「オーケー。相変わらず人遣い荒いなー、葵は」
「ちゃんとバイト代出してるでしょ?文句言わずにちゃっちゃとする!」
恵美は、口を押えてニシシと笑うと、はいはいわかりました~、と気のない返事をして、私が作った唐揚げを頬張りながら着替えていた。
恵美の給料は私の取り分から払っているので私が雇い主なのだ。断じて威張っているわけではない。
「恵美!お行儀悪い!食べるか着替えるかどっちかにしなさい!」
「うるはいらぁ。あーあ、折角口うるさいお父さんから逃げてきたのにこっちには小姑がいる」
私は、恵美に軽くチョップする。
「誰が小姑だっ!」
「いったー。暴力反対!パワハラ女だー」
恵美はおでこを擦りながら反抗してくる。
「うるさい!とっとと準備する!お客さん来るよ」
「ふふふ、立派になってあたしは嬉しいよ。もう葵はうちの店の大黒柱だね。みんな葵の頑張りに感謝してる。ありがと」
もう、この子は、突然そんなこと……
恵美はいつも減らず口ばかりだが、不意に涙腺が緩むことを平気で言ってくるのだ。
「う、うぅぅ、もう、私みたいなゴミ女褒められる資格ないんだからぁ。恵美のばかぁ」
「葵はいつも頑張ってるじゃない。そんなに自分を悪く言わないで、ね?」
「ばかぁ。わたし頑張ってないもん。全然足りてないもん。償えてないもん」
「葵……」
恵美が優しく撫でてくれた。でも私は褒められるような人間ではないのだ。
昔を思い出させられちょっぴりムカついたので、制服に涙と鼻水を付けてやった。
「あー、もう何やってんのよもう~、店長なんだからシャキッとしなさい、シャキッと!」
「わ、わかってるわよ。恵美が変なこと言うからいけないんだよ」
恵美は私を強引に引き剥がす。
「そういや明日、また雑誌の取材来るって」
「そっか。じゃあいつも通り私の名前は出さないでテキトーにやっといて」
「はいはーい」
私は泣き顔を見られたくないのでそっぽを向きながら返答した。
いろいろ恵美に振り回されたりもしたが、お店はつつがなく開店した。
「いらっしゃませ!」
そんなこんなで今日もわざわざ足を運んでくれたお客様のために一生懸命に料理を提供するのであった。
◇◇◇
営業時間が終わると、自室に戻りPCを立ち上げる。毎日両親とスカイピーで今日あったことを報告しているからだ。ただし顔を見たら泣いてしまうので音声だけ。
「あ、もしもしお母さん?今日もすっごくお客さん来てくれて超大変だったー」
『そう、それは凄いじゃない。お母さんたちはいつも通りよ』
「お父さんは?」
『今日は泊まりで仕事だって。明日の朝帰ってくるわよ』
「そっか。頑張り過ぎて体壊さないでね」
『ありがとう。伝えておくわ』
「あとねあとね、明日また雑誌の取材来るんだー。いつも通り私の事は伏せてもらってるけど」
『そうなの?凄いじゃない!発売したらまた送ってね』
「うん、叔父さんにお願いしておくね。じゃあ私明日の課題しないといけないから切るね」
『わかったわ。頑張ってね』
「おやすみ、愛してる」
『お母さんも愛してる』
台湾に来てから感情をしっかり表現するようになった気がする。
だって恵美なんて1日に何回も言ってくるから影響しちゃったのかもしれない。
スカイピーを切り課題に取り掛かる。
次のテストも絶対に満点とるんだから!
◇◇◇
〜とある会議室〜
「標的の様子は?」
「いまだ情緒不安定、自己肯定感は最悪です。このままでは壊れてしまうのも時間の問題です」
「作戦の進行具合は?」
「いつでも行けます、大佐!」
「ではオペレーションプラムブロッサムを発動させる」
「これがラストミッションね!」
「あぁ、カップル存亡をかけた対話の始まり」
「おとうさ、じゃなかった。大佐、それ言いたかっただけでしょ?てかカップルって死語だからね……」
「ぬぅ……まぁいい。我々に莫大な利益をもたらしてくれた彼女の頑張りに報いるためにも絶対に救うぞ」
「了解」
そこにはフルパッチの黒いCWU-45Pジャケットを羽織った初老の男性とオーバーサイズのM51ジャケットを着こなし元気よく敬礼をした少女が軍人ごっこをしていた……
◇◇◇
〜数日後〜
今日は日曜なので授業がない。なので昼からの開店に向けて仕込みを始めようと、一号店で既に仕込みを始めているであろう祐二おじさんの元に向かう。
「おはようございます!っていない?おじさーん!あれ、どうしたんだろ……」
一号店に元気よく入ったものの誰もいなかったので、とりあえず二号店へ向かうことにした。
「あれ、こっちも誰もいない。どうしたんだろう。家にも誰もいなかったし」
スマホは持っていないため、店の電話からおじさんに掛けるとすぐに繋がった。
「もしもし、おじさん。今どこですか?」
『あー、ごめんね。仕入れに来てたんだけど渋滞にハマっちゃってさー、ちょっと店でゆっくりしててよ』
「わかりました。あとどのくらいで戻れそうです?」
『んー、あと15分くらいかな』
「わかりました。待ってますね」
仕込みをするにも食材ないし勉強道具も持ってきていないので、仕方なく店のテレビをつけてボンヤリと眺めていた。
飽きたので特に何も考えずに目を瞑ってテレビから流れる音声だけを聞き流していた。
すると、車のエンジン音が近づき、程なくして停止した。きっと帰ってきたのだろう。
出入り口まで迎えに行こうとしたら、恵美がすごい勢いで入ってきた。
「ただいま!葵」
「あ、うん。恵美も一緒だったんだ」
「そうだよ~。うふふふ」
恵美が含みのある笑いをしている。何か隠し事をしているときの悪い笑顔だ。
私はまた恵美が何か悪だくみをしていると踏んだ。
「……なに?」
「一年間殆ど休まずにいつも頑張ってる葵にプレゼントがあります!じゃーん」
続いて入ってきたのはお父さんとお母さんであった。
「え、嘘……お父さん……お母さん……」
「葵、元気だったか?店を任されてるのは知ってたけど、立派な店じゃないか」
「あらあら、しばらく会わない間に大人っぽくなったわねぇ」
「お、お父さん、お母さん……ぁう、うちにそんな余裕ないでしょ、もう!借金返さないといけないんだから。無駄づかい厳禁なんだから……」
私は二人に会えたことが嬉しくて嬉しくて堪らなかったが、照れ隠しをして強がってしまった。
だってもうずっと泣きそうなんだもの……
「折角会いに来たのに嬉しくないのかしら?」
「葵、親が愛する子供に会うのに理由がないとダメかな?」
私の言葉に少し困惑気味の様子だった。あぁ、また私は心にもないことを言って傷付けてしまったのだろうか。
「私のために仕事休んでまでわざわざ来てもらうのは申し訳ないというか……私はまだ何も成し遂げていないのにプレゼントとか言われても困るというか……」
あぁ、なんで『会いに来てくれて嬉しい』の一言がいえないんだろう。
「もう、嬉しいの?嬉しくないの?どっちなの。迷惑なら帰るからねっ!」
お母さんが私の両肩を強くつかんで揺すってきた。そんな目で見られたら、わたし……
自分の意志に反して涙がぼろぼろと溢れ出してくる。
「だって、だって、わたしはこのみせのてんちょうでしこみしないと……もっとがんばらないと……しゃっきんぜんぶかえせるくらいがんばらないと……おじさんにも……おんがえししないと……いけない……んだから…………だから……………………しんでも……………………がんばら……………………ないと────
不意に横から強い衝撃を感じた。恵美が勢いよく飛びついてきていた。
想定外だったので足元が少しグラついてしまった。
「ちょ、恵──
「ばか!どうしてあんたはいつもいつもそうやって自分のことを後回しにするのよ!見ててイライラするのよ!あんたがいつも一生懸命なことなんてみんなわかってるのよ。少しくらい甘えたっていいじゃん!」
「い、いつもあまえてるよ……あかのたにんで……やくたたずなのに……いえにおいてくれて────
パァンッ!
最初は何が起こったのかわからなかったが、頬にズキズキと鈍い痛みを感じた。
「ふえっ?」
「二度と自分のことを役立たずとか他人とか言うな!あたしはあんたがいるから店の手伝いも楽しいし、あたしはあんたのこと家族だと思ってんだから!」
「ほぇいめい……でも、わたしは……」
「ばか、ばかあおい、なんでわかってくれないのよぉ。あたしは、ううん、みんなあんたのこと大好きなんだからぁ」
再び恵美は私を強く抱きしめると顔をぐちゃぐちゃにして泣いていた。きっと私も同じ顔だと思う。
「ほぇいめい……わたしもだいすきよ……ごめんね、いつもしんぱいばかりかけて」
「そうだよ、いつも心配ばっかりだよ、もう。ほら、折角会いにきてくれたんだから」
恵美は私を抱く力を緩め、私の両親へ視線を向けた。
「う、うん…………パパ、ママ、ずっとずっとあいたかった!」
私はママに抱きついた。懐かして落ち着くいい匂いがした。
そして二人から頭を優しく撫でられると、気持ちが安らいだ。
「お父さん、葵がそこまで自分を追い込んでるなんて想像してなかった。ごめんな」
「お母さんもよ。私たちがあなたを愛してる以上に私たちのことを考えてくれてたのね」
「だってパパとママのこと大好きだもん。早くまた一緒に暮らしたいんだもん!」
私はママの胸に顔を寄せた。
心臓が規則正しく鼓動を刻み、私の心を落ち着かせていく。
ママは私の頭を強く抱き寄せてくれた。
本当は甘えたい。いっぱいいっぱい甘えたいのだ。
「お父さんは一人の人間として葵を尊敬するよ。自慢の娘だよ。だからこそやはり葵を託すことができるのは彼しかいない」
「そうね。私たちの大事な娘を心の底から愛してくれてる人だものね。それにこんな面倒臭い子とずっといてくれるのは彼しかいないわね」
「面倒くさいって……ていうか、彼って…………」
私はママの胸から頭を離すと、肩越しに『彼と呼ばれていたであろう男性』が叔父さんと叔母さんに付き添われ、こちらに向かってきたのが見えた。
「まさか……まさか……」
彼がここにいるわけがないのに。
でも見間違うことなんて絶対にない。
ずっと会いたくて会いたくて、でも絶対に会ってはいけなくて、届かぬ想いをちり紙にくるんで捨てる毎日。なのにずっと好きで忘れられない彼が、司がそこにいた。
「なんで…………司がここに」
「葵、久しぶり……」
「うっ────
私は司の声を聞いた瞬間に、彼と十年以上一緒に積み重ねた膨大な思い出がいっぺんに頭に流れ込んできた。
それに耐えられなくなった私の脳はサーキットブレーカーを作動させ思考と意識を遮断したのであった。
そして薄れゆく意識の中でも、私の名を叫ぶ司の声だけははっきりと聞こえていた。
◇◇◇
「…………ぅ、うん」
(あれ、ここどこ?なんで寝てるの?あぁ、そうだ。仕込みの途中だったはずなのに)
私は右手にある温かい感触に気付き目を向けると、恵美が私の手を握りしめベッドに突っ伏していた。
「恵美?」
私が声をかけるとガバっと顔を上げる恵美。
「葵……良かった。私のことわかるわよね?急に倒れて頭も少し打ってたから心配したよ……」
「わかるに決まってるでしょ?ごめんね。また心配かけちゃった。ちょっと貧血だったのかもしれない」
周囲の状況から察するにここは病院のようだ。
壁にかかっていた時計を確認するともう午前11時を過ぎていた。
「もう大丈夫だから。お店に戻ろう?早く準備しないとお昼の営業が……って言ってももう間に合わないから今日はメニュー少し削らなきゃダメっぽいね。店長なんだからしっかりしなきゃだね」
すぐにベッドから降りようとしたら、恵美に制された。
「待って」
「どうしたの?」
「葵、さっき誰と会ったか覚えてる?」
恵美が、神妙な面持ちで私を見つめる。
「今日?今日は……朝叔父さんたちがいなくてお店で待ってて……」
「それから?」
「あ、そうだ。お父さんとお母さんが来てくれてたんだ」
「そうね……で、そのあとは?」
「あ、あぁ……」
一瞬だけ脳に針が刺されたような痛みが走った。
「……司の幻を見たあとで……………………記憶がない」
「それは幻じゃない。彼はここに来てる。外で待ってもらってる」
私は恵美のその一言で、朝お店で起きた出来事をすべて思い出した。思い出してしまった。
しばらくの沈黙のあと、恵美が口を開いた。
「ごめん葵。あなたを驚かせようとして日本から彼に来てもらったんだけど、気を失うほど驚くなんて思わなかった」
「……うん」
「さっき司くんと話したんだけど、彼は葵が望むならこのまま帰ると言っていたわ」
「……うん。そうしてもらえるかな……」
「本当にいいの?」
「うん。二度と会えないと、会っちゃいけないと思ってたけど、また姿を見ることができたから、もう満足だから」
手を握る恵美の力が殊更強くなった。
「もう一度聞くわ。本当にいいの?今度こそ本当に二度と会えなくなっちゃうかもしれないのよ?」
「……いい」
私は恵美に微笑みかけた。
「じゃあ、なんであんたそんなに泣いてんのよ」
「……へ?」
あれ、おかしいな。私なんで泣いてんだろう。
目元を拭っても拭っても止めどなく溢れてきていた。
「ねぇ、葵、お願いだから素直になって?」
恵美の手が私の頬に触れた。
温かい手だった。私は頬を撫ぜる恵美の手に自分の手を添えた。
「彼ね、ずっとあなたに謝りたかったって言ってたの」
「……え……なんで……謝られることなんかないのに……悪いのは全部わたし……だよ?」
「あなたが嘘をついていることがわかっていたのに、あなたに酷いことを言ってしまったことをすごく後悔してた。すぐに謝りたくて連絡したけどもう既読もつかずに本気で嫌われたって思ってたんだって」
「嫌いになるわけないのに。それに嘘って……なんでわかったの?」
「それは本人から聞きなさいな。とにかく仲直りしたかったのにあなたがこっちに来ちゃったから連絡不可能になって、しばらく何も喉が通らなくなるくらい落ち込んでたみたいよ。それは伯母さんから聞いたことだけど」
「そんな……私……あの時の彼の言葉は嘘だってわかってた。でも、それを言わせてしまったことを今でも後悔しているの。私は彼を傷付けたのに酷い嘘まで付かせてしまったから」
頭を上げて恵美を見ると、笑っていた。
「恵美?」
「っくくく。あぁ、もう、馬鹿よ馬鹿、あんたたちは大馬鹿」
「え?」
「お互いの為を思って嘘を付き合うとか見てらんないのよ。てか最初から全てわかり合ってるじゃないのよ。二人して同じ後悔してんじゃないわよ、全く。じゃあ、司くん呼んでくるわね」
「え、ちょ、待って!」
「何よ。お互い勘違いしているならそれはちゃんと正しなさいな。そもそもあなたたちがお互いを思いやって好き合ってる事実は変わらないじゃないの」
「待って、わかった、わかったから。心の準備がしたいの。あとお願い恵美、あなたも一緒にいて」
「OK、わかった」
私は頬を撫ぜる恵美の手を強く握ると目を瞑る。
恵美の手、暖かい。司も暑がりでいつも暖かかったな……
あなたは今、何を考えているのだろう。あなたも不安を感じているのかな?怖くなかったんだろうか?
もしあの時、私が正直に待っててほしいって言ったらどう答えてくれたんだろう。
結局私は馬鹿だから、離れていても時間がたってもあなたのことばかり考えていた。
あなたは、あなたも同じだったのだろうか。
恵美は全てわかり合っているって言ってたけど、もし全てを話してあなたを失ってしまったら私はもう生きていけない。生きていく気力なんか湧かない。
でも、会ってもなんて声を掛けたらいいのかわからない。
「痛っ」
突然おでこに痛みが走る。目を開けると恵美が私にデコピンをしていた。
「あんたのことだから、まだあーだこーだくだらないこと考えてるんでしょ?」
「くだらないって……わたしはっ────
私を制して恵美が続ける。
「ねぇ、いろいろ考えないで。大好きな人に『大好きって』いうだけでいいのよ?」
「え……」
「じゃあもう連れてくるね」
恵美は私の手が添えられていた自分の手を頬から引っこ抜くと走って病室を出て行った。
私の心臓は自分でもわかるくらい激しく鼓動を刻んでいる。
(大好きな人に大好きと伝えるだけでいい……か)
◇◇◇
病室のドアが開くと先に恵美が、そのあとに司が入ってきた。
恵美は立ち止まり、司を先に行くように促すと、私たちは一年ぶりに再会を果たした。
「葵……」
「うん……」
私たちは、会えなかった日々を埋めるかのようにお互い一歩ずつ近づく。
「葵……」
「うん、葵だよ、司……」
ずっと会いたくて、でも会ったら心が折れてしまいそうで怖くて怖くて堪らなかった。
でもやっぱり会えて嬉しい。彼への気持ちが間欠泉のように吹き出してくる。
「葵、俺が間違ってた」
「ううん、私が悪いの」
「もう嫌われたと思ってたから」
「そんなこと、絶対に有り得ない。私、司のこと考えない日はなかったよ?」
司も少し目が赤くなっていた。私はきっと泣いてしまっているんだろう。
「なぁ葵。俺は、葵が好きだ。離れていたって変わらなかった。誰にも渡したくないんだ。離したくないんだ」
「わたし……わたしも大好き。好きで好きで本当はずっと会いたかった!」
どちらからともなく飛びつくように抱き合いキスをした。
「俺は葵が大好きだ。世界で一番愛してるんだ。俺は葵がいないなら生きてる意味がないんだ」
「私もおんなじだよ……でも、私と一緒だとあなたはいろんな人から中傷を受けてしまうかもしれない。それで離れていっちゃうんじゃないかって怖くて不安だったの」
「悪口を言う奴らなんて相手にしなくていい。葵がいなくなる方が俺は怖い」
「うん、わかった……もうあなたから離れない……離れたくない……」
「あぁ、もう二度と離さない」
「うん!」
私たちは強く強く抱き合い、何度も何度もキスを重ねた。
私の涙でしょっぱかったけれど、それは幸せの味だった。
話したいことがいっぱいあったはずなのに、今だけはそんなことはどうでもよかった。
◇◇◇
「ありがとう、恵美ちゃん」
やり切った私に伯母さんが声をかけてきた。
「いえ、私、葵のこと大好きだし、何とかしたかったのも事実ですから」
あ、私はさっさと逃げましたよ。
二人のラブラブオーラで胸焼けしそうだったから。
伯母さんとお母さんは安堵した表情で見守っていた。
一方で伯父さんとお父さんは泣きじゃくっていた。
さすが母は強しと言うべきだろうか。対する男性陣の体たらくにはドン引きだよ!
しばらくすると、葵と司がこちらに戻ってきた。
「いろいろとご心配をおかけしました。本当にありがとうございます」
司くんは丁寧にお辞儀をして感謝の言葉を口にした。
葵は真っ赤な顔をして俯き、聞こえないくらいの声でありがとうと言っていた。
仲良くちゃっかり手繋いじゃって。ま、でも頑張った甲斐があったかな。
でもこれで葵のここにいる理由はなくなる。いとこであり親友が居なくなることに少し物悲しさを感じてしまう私もいた。
◇◇◇
私は倒れた時に少し頭を打ったらしいのだが、異常なしということで今日はそのまま帰ることになった。
司が少し外を歩きたいというので、病院の入り口の前にある梅の花が咲き誇る小さな広場まで来ていた。
「葵、葵に渡したいものがあるんだ」
「うん、なーに?」
司はポケットから無造作に何かを取り出すと私の手に握らせてきた。
「こ、これって……」
プラチナに小粒のダイヤが3石あしらわれた細身の指輪だった。
「えっと、去年の誕生日プレゼントだ。渡せなかったから。別にそれ以上の意味はないよ」
顔を真っ赤にして私の方を見ない司。照れてる姿も愛おしい。
「うん……すごく嬉しい。大切にするね」
「お、おぅ。ちゃんとしたやつはまた今度というか……なんというか……」
司は本気で照れているようで、しきりに頭を掻いている。
「ふふふ。わかった、楽しみにしてるね。これで離れていてもずっと司を感じられる。本当に嬉しい……」
もらった指輪を左手の薬指に嵌める。そこ以外に嵌めたくなかった。流石と言うべきかサイズはピッタリだった。
「どう?」
手の甲を彼の方に向ける。
「うん。すげー似合ってる」
「えへへへ」
彼の胸におでこをつけると彼が合わせて抱きしめてくれた。
「あのさ、私、あなたにお願いがあって……」
「まだ帰れないってこと?」
私の心が読まれていて驚いた。いや、彼はいつだって私のことを1番に考えてくれるから、だからこそいつも思考が読まれてしまうんだった。
「あ、あのね、一緒にいたくないとかそういうことじゃ絶対なくてね、その、まだ全てが中途半端だから勉強ももっとしたいし、お店の方も頑張りたいの」
「叔父さんや恵美ちゃんにも恩返ししないといけないしな?」
「うん、なーんでもわかっちゃうんだね、司はさ」
「四六時中、葵のことを想ってるからな」
「えー、それはちょっと引きます」
「って、おい!」
私は彼の腕を振りほどくと梅の木に隠れた。
「うそー。私だって司のこと寝ても覚めても考えてますからー」
「うわ、キモっ」
あからさまに嫌な顔をしてきたのでこちらも舌出してアッカンベーで対抗する。
ふざけあえるのもこんなに幸せだったんだなと再認識したけど、どうしてもちゃんと伝えたいことがある。
「あのさ、司」
「ん、どうした?」
「私のこと……その……ま、待っててくれる?」
緊張して声が震えてしまった。もし断られたら……私……
でも、そんな心配は杞憂だった。
「待ってるに決まってるだろ?そんなに声震えながらって。俺もみくびられたもんだな」
司は少し怒ったような口調になった。
「ご、ごめんなさい。信じてないんじゃなくて、その、あの……あっ」
司に腕を引っ張られ、強く抱きしめられた。
「俺は二度と放さないって誓ったんだ。何があっても絶対にだ。距離なんて関係ない。
だから葵は葵のやりたいこと、目一杯、悔いをのないようにやって欲しいんだ」
「うん……ありがとう……司。私、あなたのこと愛してます。今までも、これからも……」
「俺だって同じ気持ちだよ。愛してる、葵」
梅の花が満開になった木の下で私たちはキスを交わす。
あの時は不快だった甘い香りが今はとても心地よかった。
◇◇◇
葵は倒れたときに頭を少しぶつけてしまったが、特に問題なしということで即日退院の運びとなった。
私たちが退院の手続きをしている間、二人は玄関の外にある満開の梅の木の下でイチャついていた。
「全くさっきまでのウジウジはどこへ行ったのかしら」
「恵美、まぁいいじゃないか、元気になって何よりだ」
「そうなんだけど、釈然としない」
「お、除け者にされて怒ってるのか?」
「ち、ちがわい!」
あんなに情緒不安定だった葵が、彼とヨリを戻しただけで私には見せたことのない笑顔を作り、あそこまで変わるものなのかと少し寂しくて、あとほんのちょっとだけ嫉妬してるのは事実だけども、別に怒ってはいない。
めちゃくちゃに勉強して仕事していつ壊れてもおかしくない状態だったあの子が、これからはセーブしてくれるだろうし、安心して見ていられるようになるなら、そりゃその方がいいに決まっている。
それにしてもお似合いだなぁ。私もあんな彼氏欲しいな……
「恵美、あなたはあなたのペースでいいのよ?」
さっきまで伯父さん伯母さんと話し込んでいたお母さんが、隣に立っていた。
「あ、うん。別に今は好きな人もいないし。でもあの二人は梅が映えるなって思っただけ」
「台湾人は昔から梅の花が大好きなの。寒ければ寒いほど美しい花を咲かせる梅が。厳しい状況にも負けずに忍耐強く未来を切り拓いた二人にピッタリな花ね」
「確かにぴったりだね」
「これでオペレーションプラムブロッサムは完了だな」
「あ、お父さん。そういえばそんなのあったね。忘れてた」
がっくりとうなだれているお父さんは置いといて、二人の満開の笑顔と咲き誇った梅の花はとても馴染んでいた。
◇◇◇
叔父さんが、今日は店は休みだと宣言し家に戻るとそれはもう大変なお祝い攻撃だった。
いつ用意していたのかわからない量のご馳走が並べられ、どんちゃん騒ぎが始まった。
私は、司もだろうか、最初は少し困惑してしまったが、みんなの勢いに乗せられ大いに楽しませてもらった。
叔父さんはお酒が入り、錯乱してしまったのだろう、司の肩を組んで私のことを優秀な店長で、自慢の娘だと泣きながら司に力説していた。
いや、断じて叔父さんの娘じゃないからね!
叔母さんは足りなくなった食べ物や飲み物を追加したり、叔父さんを叱るのに忙しそうだった。
お父さんとお母さんは何故か自分たちの世界に入り込んでしまっていた。
うん、二人は平常運転で安心したよ。
私は恵美が知らない間にいなくなっていることに気付き、司にはトイレに行くといってその場を抜け出した。
私は、3階建ての家の屋上テラスに出る扉を開くと、ステラスの隅で遠くを見ている恵美の姿を確認し、彼女の隣まで歩いていった。
「どうしたの?恵美」
グスっと袖で何かを拭うと、私の方に顔を向けずに正面の夕焼けを見ながら答える。
「こんなとこにいないで司くんのところに行きなさいよ」
私も同じ方向を向いて話しかける。
「ちゃんと恵美にお礼言ってなかったから。……あなたのおかげで司ともう一度恋人になることができました。本当にありがとう、恵美」
それでも、恵美はこちらを向かずに返答を返す。
「感謝するのは当たり前でしょ!ヨリ戻した途端に元気になっちゃってさ。でもこれでここにいる理由はなくなったわけだし、すぐ帰るんでしょ?日本に」
「え?帰らないよ?」
は?と言うと、やっとこちらを向いてくれた。恵美は目が真っ赤だった。泣いていたことは鈍感な私にだってわかる。
「いや、帰らないでしょ。まだ中文だって中途半端だし、お店だってあるんだし」
「いやいや帰りなさいよ。バカでしょあんた」
「バカは言い過ぎでしょ……司とこれからのこと話したんだよ。私はここに残りたいって。とりあえず高校やめちゃってるから帰ってもやることないし、それならここで料理の腕も磨きたいし、お金も貯めて借金返済の足しにしたいから」
「一緒にいたいんじゃなかったの?」
「そりゃ一緒にいたいけど……もっと先のこと考えちゃうとさ、ずっと一緒にいられるように今は離ればなれだけどお互いやるべきことをしっかりやっていこうって約束したの。だからまだまだお世話になります、恵美様!」
私は恵美を強引に抱きよせる。
「本当にありがとう。あなたのおかげよ」
「ばか、ばか葵。仕方ないからお世話してあげるわ。彼に会えないからって寂しくてビービー泣いてたら慰めてあげるから」
「うん、慰めてね」
「てかその指輪。もう人妻の余裕ですか。あー、もうやだやだ」
私はとっさに左手を隠す。さっき病院で藪から棒に指輪を渡された。それを左手の薬指につけているのを目ざとく見つけられた。
「う、うるさいなー。仕方ないじゃん、もらっちゃったんだから」
「へー、仕方ないんだ。だったら大事そうにしてないで要らないって言えばいいのに」
恵美はいたずらっぽく笑う。
「もーいじわるて言わないでよー」
ぽかぽかと恵美を叩くと、わかったわかったと言って逃げ回る恵美。
「仲直りできて本当に良かったね」
「うん、ありがとう。今まで以上に勉強も仕事も頑張るからね!」
「いや、あんたは普通に働き過ぎだからね?」
「やーだよー。お店をもっと増やすんだから!そしたら恵美にも店長やってもらうんだから覚悟してよね!」
「げ、やっぱ帰ってもらっていいですか?」
私たちは冗談を言い合い、笑いあった。
「戻ろう?」
「そうね、あんまり遅いと司くんに怒られちゃうわね」
「そんなことじゃ怒んないよー」
簡単なやり取りをして下へ戻るために階段へ向かう。
私が先にドアを開けて降りようとすると、恵美がまじめな口調で私に話しかけてきた。
「ねぇ葵」
「うん?」
「司くん、あんたがここに残るの認めたこと、かなり無理してるんじゃないの?」
「え?」
「ちゃんとフォローしておきなさいよ。男の意地とか見栄とかも汲んであげないとダメだよ」
「う、うん。わかった。恵美ってそこまでいろいろ考えてたんだ」
「バカにしてる?」
「違うよ。なんか指揮官みたいですごいなって思った」
「ふん、早く行くわよ」
恵美は私を置いて先に階段を降りて行った。
私は考えなしだったことを少し恥ずかしく思った。
やっぱり無理しているんだろうか……
私の我儘は彼の負担になってしまうのかな……
◇◇◇
「あー、さっぱりした」
シャワーを浴び終え浴室を出ると、バスローブを羽織り頭にバスタオルを巻く。ベッドの端には、シャワーを終えて既にバスローブから着替えてガウン姿になっている司が座って、テレビをつけザッピングしている。
「台湾って日本の番組見れるんだ?」
「あー、再放送が多いけどね。結構昔のやつとかかな。あと朝ドラは普通に見れるよ?見てないけど」
「へー、これなら確かに住みやすいかもな」
私たちは祝賀会?のあと、叔父さんが勝手に予約してしまっていた近くの少しお高めなホテルで過ごしていた。
お金が勿体ないのでと、もちろん断ったのだけど今まで休まず頑張った分の有休だと言われ、強引に家から追い出されたのだ。
「ひゃっ!」
洗面所に戻り頭から巻き付けていたタオルを外し、鼻歌を歌いながら目を瞑ってドライヤーで髪を乾かしていたら司に後ろから抱きしめられた。
「どうどうどう。ちゃんとベッドでいい子にしてないと触らせません!」
「えー、いいじゃん」
「ダーメ。ムード考えて!や・り・な・お・し。やりなおし」
「全然おもてなされてなーい」
司を睨み、抱きしめてきた腕をはたき落とす。
二三ぶつぶつ呟きながら、でも私の言うとおりベッドに戻っていった。
「ふぅ、お待たせ」
私もガウンを着込み、大きめのフカフカ枕をヘッドボードと背中の間に置いてベッドでくつろいでいた司の隣に一緒になって座った。
「今日は慌ただしかったね」
「そうだな」
「空港からは直行で来たの?」
「そうだよ」
「…………」
「…………」
司に目を向けると、にっこりとほほ笑んでいた。
たぶん、私が話すのを待ってくれているのだろう。
こんな世間話をしたかったわけじゃないんだし。
わだかまりを残して離ればなれになるのは本意ではない。きっと彼もそう思っているだろう。
「司、あのね……あなたに酷いことを言ってしまってごめんなさい。あなたに酷いことを言わせてしまってごめんなさい。あと……素直になれなくて本当にごめんなさい……」
司はさっきと表情を変えずに私を抱きしめてくる。
「本心じゃないのわかってたから。俺の方こそ、葵のお父さんのこと悪く言ってごめんな。嘘だってわかってたけど、何か理由があるんじゃないかと思って言っちまった。
すぐに謝って、許してもらえるまで土下座でもなんでもして仲直りするつもりだったんだ」
司の胸に抱かれるような格好なので視線を上げると顔がすぐ近くにあった。
「どうして嘘だってわかったの?」
「あー、それな。うーん……」
「なーに。言って」
「まず、そういうこと言うキャラじゃないのが一つ。あと、葵ってさ、嘘つくとき一瞬耳たぶ触るんだよ。だから」
「へ?」
あー、急にキャラ変わったらそうなるよね。それに私そんな癖あったんだ。じゃあ最初から私の計画は失敗していたと?うけるなー。笑えないけど。
素直に言ってたら拗れなかったかもしれないのか。
「私もね、あなたが本心じゃなくて嘘ついているのわかってたよ。言われたことに傷ついたというより、言わせてしまったことが悲しくて悔しくて。あなたを傷付けて私を憎んでくれればすぐに私のことなんか忘れてくれると思ったんだ。でもそれが逆になっちゃったのが申し訳なくて」
「そっか……まぁ本心だったとしても俺は恨んでないと思うけどな。で、なんで嘘だってわかった?」
司は片方の口角をあげて私を見る。
「ふふふ、あなたも嘘つくとき癖があるんだよ。親指をパンツのポケットに引っ掛ける癖。浮気したときに役立つから言いたくなかったけど!ふふふ」
司が目を見開いて驚いている。
「お互い嘘つく癖見抜いてたんだね……幼馴染だもんね」
「そうだな、俺もびっくりしてるよ。俺そんな癖あったんだ。そりゃ浮気できないな」
「するの?」
「しないけど」
「もうっ!」
ちょっと怒りが込み上げてきたので、お仕置きのために私の方から彼の唇を塞ぐ。
「ん……絶対に浮気なんかさせないんだから。重い女なんだからね、わたし」
「こら、ムード云々どこ行ったんだよ。絶対しないって。死ぬまで葵一筋だから」
「どうだかー」
不貞腐れて司から離れようとしたけど、肩を抱かれて逃げられなかった。
「……あの、司さ、無理してない?私がここに残ること……」
「……無理、か。正直してる。そりゃいつも近くにいたいに決まってる」
「ふ、普通はそうだよね。ははは……またあなたに甘えてたんだ……ダメな女だね、私……じゃあやっぱり私なんかより、あなたのことを近くで支えてくれる人に────
「葵!」
「んっ!」
今度は司が強引に私の唇を塞いできた。
「……それ以上言ったら流石に怒るぞ」
「ん……で、でも無理してるんでしょ……?」
「それ以上に待つ気持ちの方が、葵を支えようって思いの方が強いんだよ。」
「嘘……」
「嘘じゃない」
「私よりかわいい子に言い寄られて知らない間に私が邪魔になるよ……」
「そんなことにはならない」
「なるよ……こんな面倒くさい女なんだもん」
「絶対にならない!絶対に離さない!面倒くさい葵だから好きなんだ」
司が語気を強めて真っすぐに見つめてくる。瞳から強い意志をひしひしと感じた。
「本当に…………?」
「本当だ。だから悲しいこと言わないでくれ」
「だって不安なんだもん。捨てられるのが怖いんだもん」
「捨てないんだから不安になる必要ないんだよ。離れていてもいつも想っているから。毎日電話だってするから」
「絶対に…………?」
「絶対だ」
「じゃあいっぱいキスして。不安がなくなるくらいずっとずっとギュッてして……」
「ああ、わかった」
司は優しい笑顔で頷き、私は目を瞑った。それからゆっくりと手のひらを重ねる。
その夜は不安も恐怖も忘れるくらい、疲れ果てるまで愛を做った。
次の日、叔父さんが二日酔いでぶっ倒れていたためお店は臨時休業。私の授業も午後に変更して司と両親を空港直通の高速バスのあるターミナルまで案内し、そこで次の帰国での再会を約束し別れた。
◇◇◇
~それから4か月後~
夏休みが来て、私は日本に一時帰国する。
帰らなくても別に良かったのだが台湾に滞在し続けるための書類がどうしても足りなくての一時帰国だ。
今回は2週間ほどの帰国。
帰るときに空港で恵美がわんわん泣いてしまったのにはちょっと焦った。
ちゃんと戻ってくるからと宥めるのにはなかなか骨を折った。全く手のかかる子だよね。
一時帰国なのにそこまで悲しんでくれたのは、一人っ子の私にとって本当の姉妹ができたみたいで実は嬉しかったのだけれど。
彼女はいとこであり親友であり信頼している副店長でもある。叔父さんに助けてもらった恩もある。
だから戻らないとかそんな不義理、ハナからするつもりがない。
それに、お店の3号店プロジェクトが立ち上がり、新店の物件だって見ないといけなかったので、本当なら日本でゆっくり休んでる場合じゃないのだ。
久々の帰国だったが嬉しい気持ちより、荷物の受け取りに意外と時間がかかったので疲れで早く帰りたい気持ちの方が強かった。
コロコロを引いて国際空港の到着ロビーに出る。
空港はその国特有の匂いがすると言われているが、日本は特に魚臭さは感じなかった。
私は引っ越し先の新しい住所は分かるが、迷いそうなので両親が迎えに来てくれることになっていた。
人、人、人でごった返しているロビーを見渡し、来ているはずの両親を探す……
「あおいー!」
名前を呼ばれた方を振り向いた。
「司!」
この数か月間、電話を欠かしたことは一度だってない、私の大好きな人……
司が走ってこちらに向かってきた。
荷物の重さなんて忘れた。
我慢なんてできない。
私は自然に駆けだしていた。
「葵!」
「つかさー、つかさつかさつかさっ!」
私は彼に飛びつき、そして彼はしっかりと私を受け止めてくれた。
「えへへ、ただいま」
「おかえり、葵。前に会った時より可愛くなっちゃって」
「もー、会いたかったよぉ。本物の司だぁ」
司の胸に顔を埋め、彼の体温と匂いを感じると、会えなかった日々の寂しさが少しずつ消えていくのがわかった。
「お父さんたちは?」
「向こうにいるよ。でもその前に」
私を抱きしめていた腕を緩めると、突然跪く司。
「ちょっと、なに?え、どうしたの?」
ポケットから小さな箱を取り出し、私に向けてパカっと開けるとダイヤ一石が中央に輝く指輪が入っていた。
「山崎葵さん、自分と、遠山司と結婚してください!」
「え、ちょ、ここで?ちょっと待ってよぉ。はずかしぃよぉ」
人の多いロビーでこんなことされた日には、みんな立ち止まって面白がって見ている。
それに、こんなところでされたら断れないじゃん。
しかも声大きいよ。
「返事を聞かせてもらえないかな」
「む、むーどがない……やりなおしだよぉ……」
強がっては見たものの抗えるはずなんかなく
「……で、でも、すっごく嬉しいです……よろしくお願いします……あなたの……司のお嫁さんにしてください」
その瞬間、『おぉ~!』『おめでとう!』『素敵!』とやじ馬がはやし立ててくる。
箱から指輪を受け取り、前にもらった指輪を右手に付け替え、左手の薬指に嵌める。
「んー、もう!こんな恥ずかしい思いさせてぇ。これって台湾に残った私への『幼馴染みざまぁ』?」
「ははは。そうかもな!」
「もーーーー」
ポカポカと司の胸を叩くのだが、強引に抱き寄せられて許してしまうのであった。
「台湾で、次に会った時にちゃんとしたやつ渡すって言ったろ?」
「確かに言ってたけど、ここで?それに高かったんじゃないの?」
「そりゃ、バイトしまくったに決まってんだろ。しかも成績落としたら会わせないって言われてたから大変だったけど、葵に俺がどれだけ本気か知ってほしかったから。これで少しは安心した?」
「安心は……した……けど、私なんかと結婚したら、周りの人たちがあなたのこと悪く言うよ?学校辞める時だって私の悪口言って『ざまぁ』って笑って楽しんでる子いたもん」
そう、高校を辞める手続きのあと、私のことを面白おかしく悪者にして楽しんでいた学生が実際にいたのだ。
「だったら葵が大変な目にあったことが嬉しくてたまらない連中に、そういう馬鹿な奴らに見せつけてやるよ。俺から葵への『幼馴染ざまぁ』ってやつをさ」
「えー、それなんか違う気がするよぉ」
「いいんだよ。解釈の違いってやつだ!」
ふと周りを囲んでいるやじ馬を見ると、司の背越しにお父さんとお母さんも人ごみに混じってこちらを見て楽しんでいた。絶対私たちで遊んでるでしょ。むぅ、これは二人の入れ知恵に違いない。
司が私の手を取って歩き出す。
「さぁ、帰ろう」
「うん!」
私たちは、激動の時代に生まれついてしまった。
他人から見たら、それは運が悪かったの一言で片付けられてしまうのかもしれない。
日本を取り巻く環境は、あの時から特に変わらず倒産社数は増加の一途を辿り、私のように高校すらまともに行けなくなってしまった人もいるだろう。
そんな状況では明るい未来を想像することは難しいのかもしれない。
現に私を取り巻く状況ははっきり言って特に変わってはいない。
でも、台湾へ行っていろんな人と出会い、いろんな経験をして、別に大学に行くことが、一流企業に入ることが人生において重要ではないことを知った。
結局、最後は人生好きなことをやり切って笑っていられたらそれでいい。
そう、わたしは思うんだ。
私と幼馴染みで恋人の彼は『幼馴染ざまぁ』する FIN
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
私と、幼馴染みで恋人の彼は『(私たち)幼馴染み(を悪く言ったやつらに)ざまぁ』する。
解釈の違いだと楽しんでいただけたら幸いです。
葵の置かれている状況は変わりません。台湾に戻ったのか戻らなかったのかは二人しかわかりません。
いろいろと回収できていない部分があるのですが、司視点で回収できるのかなと思ってます。
完結させるなら、司視点、恵美視点も追加していければいいなと思ってます。
もし面白いと思っていただけたら、評価なんて時間の無駄なことをしないで、今すぐ自分の大好きな人に「大好き」と言って欲しいです!
ではでは