Dパート
殺意を向けられた瞬間。
一般人は震えて、意識を失い、倒れた。
かろうじて、それに対抗できる力を持つ者。わずかながら精神が強い者はその可愛らしさとは正反対の殺意を放つ妖精を見た。
「は、は……」
『うううっ』
プルーフは荒れる海の中で溺れるような心境。
『プルーフ!しっかり!!絶対証明の光で』
ロゾーは、殺意の恐怖に耐え凌ぎ、なんとか活路を見出そうとしていた。だが、プルーフの心はさらに壊れていて、動けそうになかった。
彼の脳内で駆け巡った事は、この瞬間まで生きていた事に対する恨みだった。
ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな!
なんなんだよ。やってられねぇ。
「死にたくなーーい!!!」
たかが赤子の見た目を目の前にした時に、発する言葉ではない。プルーフから溢れ出てくる邪念を見た瞬間、ルルよりも彼に意識を持ったついこないだの事を思い出したこと。
無念のような感情ではなく、当り散らす無でいる人間には素養を持たない自己的な生き方を持っていたこと。
自分の思いこそが優先されるべき。
彼はどこへ行くかも決めず、ルミルミに背を向けて走った。
死にたくないっっ!!もう、死にたくないっっ!!
ロゾーの力を手にしたんだ!これを使って、俺は自分の思い通りに生きていくんだ!お前等に使うなんて事はしないっ!
「!プルーフ……浦安、あなた……」
濃厚な邪念。心のエネルギーは、ロゾーが選んだだけある。才能があった。
恐怖の中、命を守ろうと力だけが暴走していく。
だが、本人はそれに気づいていない。才能とは、気付くか気付かないか。その違いで変わるもの。
「光の壁よ!証明して!!」
逃げるプルーフを補助すべく、ルミルミに対して透明で分厚い壁を生み出すロゾー。プルーフから流れ出てくる力があるからこそ、自分のキャパを超えての量。だが、
バギイイィィッッ
「逃げるな。お前は特にいい素材だ」
ルミルミにとっては、紙に等しい耐久性。破格のパワー。
ルミルミの注意がプルーフに向いた時、
「みんな、先に進んで!!」
野花は生き残っている住民達を連れるだけでなく、革新党の妖人達を10名ほどかき集めて、逃げる事を全員に叫んだ。
「ルルちゃん!」
「っ……」
「先に行きなさい!!あなたが死なれたら、キッスにどう言えばいいかね……」
立ち止まるルルを見た瞬間、野花は彼女の前に立って守るように構えた。
そんな野花の判断、指令。筒抜けとなっているわけだが。ルミルミはそれでもプルーフを追いかける。以前に彼の邪念を見たとき、類い稀な素質があると観ていた。
そして、それがまだ高みに行く段階であることも……。
「こっちに来るなあぁぁぁっ!!」
プルーフの絶叫と共に、ルミルミが疼く邪念。こいつのジャネモン化は相当なものになる。"伝説"クラス。
因心界が戦力にしたいように、こちらにも戦力となるようにしたい。
あとはどうやって、力の加減をして取り抑え、邪念を怪物化させるか。手加減ってのが下手なルミルミが、すぐにプルーフを動けない状態にしなかったのはそこのところ。
5,6秒。
強者の余裕は
「『射精して、エクセレントチェリー』」
さらなる強者に対する、油断であった。
ドバアアアァァァァァッ
「ッッ!!!」
初めて、野花の妖人化。エクセレントチェリーを見たルルは。自分との決定的なほどの力の差を目にした。あれだけの群れとなっていたジャネモンの多くを、剣の形から想像もつかないほど広範囲に刃が届き、切り裂いて戦闘不能にした。
そして、続けざまに。プルーフに興味を持っていたルミルミに対して、剣を降ろした。
ドゴオオオオォォォッ
「あひひひぃぃっ……」
それほどの緊急事態。彼女の妖精であるセーシも、この覚悟と最高の判断に全力を懸ける。
『腹括ったな、野花!!いや、エクセレントチェリー!』
ルミルミと真向勝負せず。そんな余裕なく、住民を逃がす道を切り開き、その流れでルミルミを襲撃。間合い、70m。刃の間合いじゃないとされながらも、届くのがエクセレントチェリーの剣の間合い。
この奇襲で決まれば、SAF協会は……
「……そういえば……確か」
崩れるだろう。だが、そうはいかないのがルミルミ。
「私とヒイロくんも……あのサザンですら、勝てなかった妖精がいた」
奇襲をモロに喰らい、額から血を流している。斬っている感触もあったが、……硬くて致命傷になっていない!
「セーシ先輩。今の一撃じゃあ、もはや過去の妖精だね」
『……ほざけ。クソガキ』
「史上最強の戦闘狂が、奇襲に全てを託すなんてね。あんたは堕ちた」
そう言葉を吐き捨てるが、ルミルミがエクセレントチェリーとその剣となったセーシに意識を向けた。プルーフはその隙に叫びながら、切り開かれた道とはまったく違う方向へ走った。混乱しており、ルミルミとエクセレントチェリーの間合いから逃れたいだけ。
「今ので最後」
もう奇襲は喰らわない。妖人の中でも、パワーとスピード、射程距離が突き抜けていてもルミルミは対応ができる。
ヨチヨチとその間合いを詰めるにはノロ過ぎるルミルミに。エクセレントチェリーは、見をする。それは何かの合図を待つように。上を見た。
「やあぁぁっ!!」
ドゴオオォォッ
時間稼ぎを終えて、追いついたマジカニートゥがルミルミの頭上から仕掛けるキック攻撃。
「赤ちゃん蹴るとか罪悪感がハンパないんですけど!!」
やった後にほざいたマジカニートゥではあったが、レゼンと同じく。
それで済むならお釣りがもらえるほどの強者のオーラ。
「セーシさん!!今だ!!」
野花とセーシの強さを知り、それをまだ測れていないマジカニートゥとレゼンだ。今の奇襲が効いた事よりも、エクセレントチェリーがさらに間合いを詰め、仕掛けやすくするための時間稼ぎ。
ガシィィッ
「この可愛い赤ちゃんの頭を踏むとか……」
マジカニートゥの足に踏まれるも、掴んできた手によっぽど恐怖した。
「どーいう教育受けてんだ?」
「ひっ」
怪力じゃない。掃除機のように吸い込まれるパワーが、マジカニートゥとレゼンに襲い掛かった。倒れる人々が栄養でも奪われてるんじゃないかと感じる事と、一致する感覚。
「やるじゃん」
褒めてねぇ。
ルミルミの言葉は、マジカニートゥを意識したものであり。
ドズウウゥゥゥッ
ルミルミの体に、エクセレントチェリーの剣が襲い掛かるには十分過ぎる隙を生んでいた。ルミルミの体は斬られながら、吹っ飛んだ。マジカニートゥは解放され、そして間近でエクセレントチェリーの様相を見た。野花が妖人化をするだけの判断で、どれだけの事でどれだけの相手かはもう分かっている。そして、強い快楽に呑まれ、意識が失い続ける中で
「に、……に、……にげ……てぇ……」
マジカニートゥに言葉を託していた。
時間がない。ここで温存していた本気の能力を発動させるのは、最良。ダイヤのマークである、空間作成の基点の多くが2個平行に並んで、一直線上に飛んでいき、"小道"を作るように空間を展開していく。同時にマジカニートゥとレゼンは、エクセレントチェリーとルミルミからも離れる。
「ルルちゃん!!」
「え」
マジカニートゥとレゼンは急いでハートンサイクルの方に走っていた。そのハートンサイクルは、勝てぬと分かっていても、マジカニートゥの立派な姿に自分もと……動きをしていた中。
「捕まって!逃げるから!!」
「ちょっ!」
逃亡の声。今、野花が異常な状態になりながら、戦おうとしているのに……
「それが野花さんの指令なの!!」
涙を堪えて、よくもできるよ。
そんな胸中。マジカニートゥに抱きつく形で捕まったハートンサイクルであった。
ビイイイィィィィッ
マジカニートゥが放った空間作成の基点は、平行となったダイヤ同士で七色に光り輝いた。道が光り出し、その道の方向は住民達が逃げている方向ではなかった。
グランレイ・プルーフの方向。
ピィィッ
マジカニートゥのブーツに反応し、彼女と彼女に触れている者にだけ、道の中での高速移動を発現させた。
走るそれとは違い、ノーモーションで空間的な移動であり、実態のない空間範囲は他からの邪魔はなかった。
パアァッ
「プルーフ!!」
「ロゾー!!」
マジカニートゥ達がプルーフに追いつき、手を差し伸べるところまでは何も問題はなかった。
ガラァァッ
そして、吹っ飛ばされたルミルミは体を起こしていた。前を見れば、自分の先輩に当たる妖精の剣とそれを扱う妖人。
二撃のもらい方は通常であれば、まずい。なにせ、実力とは良い難い不意打ち的なもの。ルミルミ個人にある隙。それが徐々になくなれば、
ドゴオオォォォォォッ
地下10m以上も切りつける剣も、ルミルミには当たらなくなる。ゆっくりと。今までそうじゃねぇのかよって疑うべきほど、ルミルミの尻上がりになる戦闘能力。
「あひぃあ……ああぁぁ……」
狂い始めるエクセレントチェリーとは逆。
「ちょい待ち。不公平って奴じゃない。セーシ先輩」
すでに自分から、セーシが過去の最強であると発言したわけだが。本当に決めるかどうか。分からせるかどうかは自分もその領域で、剣を語り合うのが筋というもの。
ルミルミにはあった。
「あたしも、妖人化してこそ。最強だったあなたを殺すのに相応しいんじゃない?」
剣士としての礼を提案したのだった。
◇ ◇
「さぁ!逃げるよ!」
走るプルーフと平行し、マジカニートゥもハートンサイクルも、レゼンも。手を差し出した。
「ロゾー!」
「お兄ちゃん!」
これから戦う相手。味方と敵が分かった事。
……そんなのどうでもいい。どうでも良い。
グランレイ・プルーフ。もとい、浦安或は彼女達の手を見た瞬間。
「もう勝手にやってろよぉっ!!」
ウンザリ。拾われた命をしても。
「俺に指図するな!!関わるなっ!!なんでどーでもいい連中に命賭けなきゃいけねぇんだ!!」
走りながら、マジカニートゥ達。因心界達の援助に怒っていた。
「あんな化け物達と戦うのはお前等で良いだろ!!俺は、俺のためにしか使わない!!それが普通だ!!頭オカシイよ、テメェ等!!」
なんで手にした力で、似たような奴と命を賭けて戦わなきゃいけない。
そんな言葉を言われて、それができる人間なんだと歩んできた涙ルルにとっては、凡人の中のクズである浦安の正論的な気持ちを理解するのに時間は掛かった。
だが、野花がそう教えたくれたように。浦安も表原には感じている事があった。
「お前等馬鹿だよ!!正義ごっこは子供のやること!!自分のために力があるし、自分の立ち位置ってのを理解すべきなんだよ!そうじゃないか、表原!!」
名指しで、自分の気持ちが理解できそうな者に言った。
それは彼女自ら、浦安とさほど妖人化を成して、日が短いからだろう。同情しろというわけじゃない。彼のこの後の行動が見えてしまった。助けて欲しいが、その後は関わるな。
「…………けんな……」
小声で、マジカニートゥが怒りを溜め込んだのは。
もし、自分が浦安と逆だったら。似たような気持ちを吐露した。冷静に、……とても穏やかに彼に手を差し伸べる。それが難しいなぁ。感情だなぁって……。自分に捕まってくれる者、送り出してくれる者、出会った人達が教えてくれた。
「ふざけんのも大概にしなっ!!このドクズ男!!」
怒声になる事を想定していないわけではないが……
「"普通"にも成れてないくせに、"普通"に成れない人がどれだけいるかも知らないで」
浦安は薄く笑った。お前は頭がオカシイんだよっていう下種な笑う顔であり、認めたくないんだという顔が表原に出ていた。しかし、それはすぐに自分がいつも言っていただけに過ぎない事ではなかった。
ドゴオオォォッ
マジカニートゥの拳が浦安の頬を捉えた。
「ほぼぉ?」
走りながら打撃をもらい、転倒する浦安と一緒に地面に転がるロゾー。それでも助けるんだろ?そーいうチンケな考え、人情を感じていた。
「ロゾー!!」
「お、お兄ちゃん……!」
互いが伸ばした手は届かず、レゼンとロゾーの距離が離れていく。
レゼンとロゾーは、兄妹だ。そんなことするわけねぇだろ。互いに思っていた。
だが、本当に。……本当に……。
「いつまでも自分を変える気ないなら、ここで死ね」
表原自身、その言葉を浦安に吐き捨て、空間の終着点へ行こうとする。
「!ま、待ってよ!マジカニートゥ!!」
「ロゾーがまだ!!」
レゼン達の声を確かに聞きながらも、自分の怒りと本気の度合いから押し切っての、空間移動を行なってこの場から去った。
「え?あ……は……」
「い、行っちゃった……」
殴られ、死ねと言われ……
「なんなんだ、あの人でなしはーーーーー!!?」
自分の言葉や行動を何もかも正しいと考え、他全てを否定し、生きてきた者。
今。確実に。人のせいで、最大の窮地……死の宣告を言い渡され
「じょ、じょ、冗談も分からないのかぁぁっ!?」
自らの怒りが空転。もう影も形も見えなくなり、空間そのものも消え、助けが来ることもなくなった。そんな事が見えていても、知らない。
「助けるくらいはしろーーー!!クソ女っ!!なんのためにお前等がいんだ!!市民様を守るためだろうが!!命賭けろテメェ!!クズ!!」
誰もいやしないところでの罵倒……。いや、ロゾーがいたか。
兄の手をもう少しで掴めたところだったのに、向こうの方から振り解かれたものを見て、呆然と……。何をどうすれば良かった、分からなかった。
通じない。
「死ねと言われて、死ぬ奴がどこにいる!?」
どうにかなっただろう。
「嫌だよぉっ!!死にたくない!!嘘だったんだよ!!信じてくれよっ!!」
どうにでもなっただろう。
お前の生き方、何度でも見直せるところがあっただろう。
「助けてくれよおぉぉっ!!」
絶叫を繰り返して幾たびに、自分のこれまでがあまりにも空っぽであり、生きたい欲求がまるで変わりもしないだろう明日へのため。
彼は生まれ変わることを望まない。
ただただ、普通に。ただただ、自分の想いのまま。それでも世界も時代も進むから、彼は不満を持った。自分に変わらないことを心の中で思うから……。自分が傷付かず、正当であると信じて疑わず。
「死にたくなーーーい!!」
そんな彼と違い、……。
呆然としながら、ロゾーにはゆっくりと涙が零れた。間違えた人と言うべき者であったが、それを導けなかったのが妖精として、責任があり。その責任がどうとられるか。
命懸けと、軽く笑った者も多かったが、皆々(みなみな)本当は当たり前。
「……お兄ちゃん」
今日、うっかりと死ぬんだ。
嫌だな。悔しいな。早すぎる。
そんな想いを誰かにするのなら、自分にし。
「生きて戻ってね」
ロゾーだけが。
「じゃね~~~」
「逃がさないじゃね~~」
浦安に迫ってくるジャネモン達と向かい合った。勝ち目も、逃亡も、できない。
それでも、もし。万が一。このジャネモンが兄のところに辿り着こうとするならば、自分が稼ぐ時間も有用だろう。お兄ちゃんと、そのパートナーはそうしているのを見た。
凄い。やっぱりお兄ちゃんだ。
「浦安。叫んで変わる事は、喉の痛みだけだよ。変えられるのは力だけさ」
浦安或。そして、妖精のロゾー。
ジャネモンの群れと対峙し、なすすべなく敗れ、死亡する。
◇ ◇
キュキュッ……
物心ついた時、自分は周りと違って歩くことがそもそもできなかった。
皆にある足、私にない足。
それは特徴であり、周りが自分を責めるには都合の良い材料だった。苦を語ればそれは多く、その分だけ、自分は強くなりたくなった。歩けない足で生まれても、声に出せる口はある。ペンをとれる手がある。悔しくて、願いたくて、叶えたい夢を持てる心がある。
前向きだね……そう言ってくれる人とはよく出会ったけれど、……そう。
私は、みんなのようになりたかっただけ。歩けない事がそうでも、みんなと同じように過ごせる未来を望んだ。
一緒に学び、一緒に歌い、一緒に育ち、一緒に異性を好きになって、ウェディングドレスを着て
「私と違って、普通の子を産みたい。その子と一緒に育ちたい」
自分の、当たり前で、小さくて、それでも夢のある願いだ。
その気持ちを叶えたいのなら、できる事をもっとできるように思った。
大学を出て、就職をし、……5年後に彼氏ができて、翌年に結婚をした。
子を持つまでにそこから少し時間が掛かったけれど、自分が34歳の時。初めての、そして念願の子を産んだ。
産まれて泣く子供を見て、これまでの痛みが吹っ飛んで最大の幸せになった。
「あーっ、あーんっ」
自分と同じ女の子であり、自分と違って
「……よかったぁ……あなたには、……足があるのね」
とても健康な女の子として、産まれて来てくれたのだ。
母親の気持ちをどこまで受け取ってくれるか分からないけれど、こんなささやかな日常を実感した時。子供にも覚えて欲しかった。自分が手に入れる事ができなかったもの。自分がようやく手にしたもの。
元気になって欲しい。
妻と夫。そして、周りからの支援もあり、1人の娘は成長していった。だが、事情を知る者。そうでない者。自分と違うのが、娘なんだと知れることがあった。
「麻縫のママってどうして足がないの?」
「お前の母ちゃん、気味悪ぃ」
幼稚園の送迎からだった。ただ1人、車椅子で娘を迎えに来る母親。
自分が他と違うことを言われ、何も知らず。ずっとそうだった娘からしたら、とんだトバッチリ。言う事を聞かない子ではなかったけれど、自分とは居たくなかった。家族とは居たくなかった娘だと思う。
もうすぐ、小学生になる娘が泣いていた日があった。
「お母さん。いっぱい勉強するからね。お医者さんになるからね」
それほど大きな夢。一生懸命にならなきゃできない夢だ。
でも、それはまだ世界を知らない子の想い。
「勉強しなさい。そして、友達を沢山作って、仲良くするのよ?1人じゃできない事も、2人ならできる事。あなたが産まれたように。みんながいるから、あなたが強く生きていられるの」
「うんっ……わかった……友達も作る……お母さんみたいになる……」
そーしたかった。子供の気持ちのまま、育てたかった。けれど、現実は上手くいかない。
「ええっ。転勤!?」
「そうだよ!まったく……」
結婚した頃は違っていたが、子がある程度成長した事と会社での立場があやうくなってきた夫は、転勤族となった。
環境がコロコロと変わっていき、子供がそれを気にするのも無理はない。そして、それは家族間にも影響が出始める。夫との喧嘩も珍しくなく、そして、自分がいつも倒され、娘が出てくる。それでも夫はなかなか止まらない。
勉強ができないこと、運動も決して良くないこと。友達関係を作ろうにも上手くいかないでいた。家族としてやれることなんて少ないのかな。
どうすればいいんだろう。そう思う度に、娘とは違った目線で産んだ事を後悔してしまう。自分が思っているよりも難しい事だったのか。
でも、どうにか。まだ、分からないけれど。娘が幸せになれる道があるなら、歩ませてあげたい。
………………
そして、成長の途中。初めて娘が家出をし、そこから帰って来た。
「1ヶ月も家に帰ってこなかったら、心配したのよ。麻縫」
家で出迎えてくれた母親は車椅子だった。
それが当たり前だったから、表原麻縫は驚かない。
「ただいま、お母さん」
「おかえり……ところで、その肩に乗っている子は?」
「あー、……色々とあって。その説明とかで帰って来たところ」
帰って来るやいなや、娘は家事の準備に入った。別に自分がやってもそこまで支障はないのだが、やっぱり娘の方が早い。
「1ヶ月もお母さんのお手伝い、しなかったからね」
「ごめんなさいね。じゃあ、今日だけはゆっくりあなたを見てるわ……で、そこの子は誰?」
「これ、レゼン。妖精さん」
そんなテキトーな事を言われちゃ、驚きだけしか残らないだろうと思うのだが
「まぁー。妖精!?可愛い子もいるのねぇー」
「テキトー過ぎるだろ、表原……」
「!?えっ、喋った……」
その割に母親の表情……驚きが少ない。
立派な母親だってこと。そんな母親のように成れたら、良かったんだ。
家の掃除をしながら、表原の方から訊きたくないだろう事を訊いた。
「お父さん。怒って、母さんに手を挙げてた?」
「……ほどほどにね。あの人って、基本は見栄っ張りだから」
「そんなんだから平社員のクズなんだよ」
その言い方が父親に似ていると、母と父の遺伝子を持った娘であると認識できる。
「でも、やっぱり心配してた。家事は私よりできないし、麻縫がいてこその家族だったから」
「……じゃあ、やっぱり寂しかったの?」
「それはそうだけど。心配の方が強いものよ。娘がホントに帰ってこないと」
「普段から勉強勉強。出世出世とか言ってるのに、そーいうことあるの?」
「焦りすぎだし……自分が正しいって思いたい、見栄っぱり。私と結婚したかったのも、マウントがとりたいところがなかったわけじゃないと思うわ。人間関係、円満に近くても遠くなっても。子供ができる事もあるし」
深い……。
もし母さんが普通の人だったら、凄い人になってそうだ。
でも、母さんは言うんだ。足がなかったから色んな事を頑張ってやるしかない。その過程で成長していって、学びたいことも、欲しいこともできてきて。
今の自分がある。
生まれに不利はあったけど、自分の求めたラインは必ず到達できたし、そう思ってきた。
父さんは違う。
まず求めるラインを高く設定している事にも気付かないで、人に対して過剰に求める。与えればなんでも上手くいくはず。そーいう風に、与えてくれなかったから今の自分があったんだって。
そりゃ個人の問題でしょって、大人目線で感じる。
出来もしない事を望むから、年下の部下になったり、会社でも要らない扱いされている。基本的にダメな人で、それに気づかない人。
「また仲良く暮らしましょう」
「……うーん。……それは難しいかな。今日帰って来たのは、色々とあったし。母さんや父さんには最低限、今の自分の事を話しに来ただけ」
「……そう。それもそうね」
家族の事を改善できないと、母親は思っていて。娘もそれに気づいている。
でも、心配だから
「あなたが本当に、やりたい事や目指したいものを見つけたのね」
「そんな大層なことじゃないよ」
「それでいいのよ。最初の内は、みんなそんなものよ」
ちょっと早いとは思うけれど。自立したなぁって、娘を見て感じた。
どこで何をしていて、これからどうするか。口から言ったこと全てを信じるか。
「連絡をしてくれれば、帰ってきなさい。悩んだら、友達だけじゃなく家族だっているんだから」
「……ありがとう、母さん」
食事をしながら、娘はこれまで自分の身に起きたこと。今やっていること。それらをレゼンと共に話してくれた。濃い冒険、任務、そこで出会った仲間に多少の充実を感じていて、家族が知っている顔とは違う喜びを見せていた。
自分にしかできないとか、カッコイイ事ではないけれど。必要とされることに生きてるのは、悪くないって事。
「父さんには会わないの?」
「えっ、嫌だ……だって今日はいないでしょ。帰ってきても夜遅くでしょ」
「そうね……。まぁ、分からなくもないけど。母親としては一言、ごめんは言って欲しいかな」
なんで謝るねん。みたいな顔……。家出したくて、家族の事が嫌になっている原因は父親なんだという表原の気持ち。
行動したのは自分の方だ。間違っているか、正しいのか。……それよりも心配させたことは確か。
「……心配かけてごめんね。……だけだよ」
「それでいいわよ」
「どーいう父親なんだよ」
レゼンは想像がついているんだが、……。母親からして、簡潔に。
「見栄っ張りな元ドルオタよ。今でもそーいうのに興味あるけど」
「うんうん。母さんと娘がいるってのに……」
「麻縫は漫画好きじゃない。男もののさ。父に内緒だろうけど、母さんは知ってるのよ」
「うーーっ、オタクってほどじゃないけど……」
「偉そうにしてるけど、中途半端な父ね」
結構、母娘揃ってボロクソに言ってる。愛が冷えた家庭なのよって、言わないけど感じる。
でも。まぁ。母親が個人として
「男の人ってそーいうのが好きなんでしょ。否定しないわ。愛情の注ぎ方が下手だけど、麻縫には勉強をさせるべきなのは正しいと思っているし」
不器用だけでなく、感情的に未成熟。
お互い様なんだろうけど、母親の方が精神的に上手。それを知らんふりしてるのも、強い。
「じゃあ、謝ることはしてね?」
「うー、分かったよ……」
そして、夜遅くに父親が帰ってきて、家出をしていた事には謝った。だが、やっぱり父と娘の溝は埋まらない。勉強ができる環境にしているのに、成績は伸び悩む。あれやこれやとやらせて見ても、ピンと来る反応はなし。
父親として、自分を顧みないで娘の出来にイライラ……。同族嫌悪なんだろうって、レゼンは横から見て感じる。母親はもっと感じているんだろう。
娯楽禁止の勉強にその場の集中力はつくだろうが、目的には繋がらず。モチベを重視している表原麻縫にとっては、最悪の勉強の仕方だと思う。彼女がそんな天才なわけない。
娘は謝りはしたが、家出を続ける申し出。父親はこれまでのことを反省するわけもなく、さらにまた家出を続けるという娘の言葉に怒ったのは、父親としての側面もあるが。父親としての見栄もあった。
自分の知らないところで勝手に、どうやって成長するかも分からないなんて、心配もあるし怒りも出てくる。むしろ後者の割合が高い。
言い合いを続けて、母親とレゼンの言葉で一旦お開き。
翌朝になったら、麻縫が足早に逃亡。話し合ってもラチがあかないし、言いたくもない事を言いそうだったから。
「帰ってくるときは連絡するから」
「……ええ、分かってるわ」
その事は母親に告げて、また家を出て行く。
家のドアを開けたあとで母は言った。
「見違えるほど、ホントに大きくなったわね。麻縫」
「!」
「体も、器も……。あなたなら、父さんも認める娘になれるから」
「…………」
なんで優しい人がいるんだろ。
母に背を見せたままではあったけれど。
昨日の口論がなかったかのように、娘は変わっていて
「産んでくれてありがとう、お母さん。お父さん……私、頑張ってるからね!!」
「……馬鹿。もう少し、良い人を連れて来てから言いなさい」
娘は旅立っていく。
少し前まで当たり前の出来事を守るため。
◇ ◇
突き出した拳にどんな思いがあったかは、怒りということだけど。
変われるチャンスはいつ、いくつ、どこでと決まらないけれど。それは常にあるものだって答えを持った時。人は変わっているのだ。
「表原!!」
「どーいうつもりっ!!」
ロゾーを、浦安を……置き去りにした。彼等を守るというのが、任務のはず。それを自ら、互いに放棄したこと。特にロゾーの兄であるレゼンは
「ロゾーをどうして!置いてくなよ!!」
どうあれ、自分の妹を。このパートナーは見捨てた。……分からないわけでもない事は、お互い様だろう。どんな判断がって、怒りだろう。
謝って許されることではないけれど。
「ごめんなさい」
全てには謝れない。
「ロゾーちゃんを助けるべきだって、思ってた……」
怒りのまま。しかし、冷静に。でも、後悔の涙が出てくる。感情を吐き出すことに躊躇するなと、体は言っている。
「許せないくらい、アレがムカついたの!!口だけしかないあんな男を助けなきゃいけないのかって!!あんな性格、あんな態度……因心界のためとか、平和のためとか。思えないような人間だった。許せなかった!!あんなのが生きて、力をもらってるなんて!」
それを……自分に言い返して
「私は、レゼンとみんなで変われてる!そうなったから、気持ちも分かるの!!でもねっ!でもっ!!弱さを武器にしてる人なんて、今思えば。聞く耳を持たなくていいじゃない!!」
ぶっちゃけ方に正義もクソもねぇ。
予感し
「あんなのがいたら、きっと因心界もみんなも危なかった!!私はそう判断した!!ロゾーちゃんには確かに悪いと思った。レゼンの妹だって言ってるし……」
兄弟を持たない表原にとっては、それでも軽い気持ちだろう。
ルルはレゼン寄りだった。
「あなた!!そんなの助けてからでいいじゃない!!」
「!」
「見捨てられる悲しみ、分からないわけないでしょ!!なに、感情で見捨ててるの!!未熟すぎない!」
「そうだ!表原!お前、……それくらい分かってただろ!」
感情論と感情論だ。結果しかもう残ってない。
今から戻るのは無理だ。
「反省してるよ!!助ける手で、突き落とした事をね!!……辛いんだよ!ものすごく、ものすごく。……少し、感じてたけど。……難しいよ」
また怒ってから、自分の感じた気持ちと異なる事への戸惑い。
分かって欲しいと思ってしまう。それがどちらかと言えば、浦安の気持ちに似ているところがある。助けたくねぇもんもあるって事……。
その感情で今。ロゾーよりも、もちろん。浦安よりもだ。
「野花さんがいない方が心配なの」
若干、これ以上の口撃を止めて欲しいと。本心にある心配。命がけにやっている人……。どうして、自分達に対しても周りに対しても、それをギリギリまで抑えてやってのけるのか。
そう決めていた事を素直にやれるのが、単純ながら凄い。
「私は役目だろうが、なんだろうが。分からないけど、救えるならあいつよりも野花さんを選んでた!選べるなら野花さんを助ける手段を本気で選んだ!!その可能性を殺して、手を差し伸べてるのに……あんな無神経な事を言う奴なんか助けられない!!」
その通りだ。
って、言えるわけねぇ。
もうこっからやれる事はねぇ。今は何もない。
報告をする事。
現在、内部分裂を起こしかけている因心界の指示を……。




